Re:全ヒロインを攻略するまで終わらない高校生活。

肩メロン社長

000 preserved flowers

 イギリス行きの飛行機が、藍色の空へ向かって飛んでいく。あれほど轟いていた音はすでに聞こえなく、そして大きかった機体も今では星とそう変わらない大きさになっていた。


 今日は、寒いな。


 吐く息が白い。


 いつか感じていたはずの痛みはそこになく、代わりに、この日はとても寒くて。暗くて。



「どうしたの、そんなに不安そうな顔をして?」


「……そんな顔、してるか?」


「うん。今にもどこかに行っちゃいそう」


「……行かないよ。どこにも」



 瞳を覗き込んできた少女が、隙間を埋めるようにくっついてくる。俺もそれを受け入れて、抱きしめた。


 

「どこにも、行かない」


「……ふふ。大丈夫だよ。不安なことなんて何もない。むしろ、これから忙しいんだからね?」



 彼女はとても嬉しそうに、とても楽しそうに俺の胸に顔を埋めた。



「これからはずっと一緒。アパート引き払っちゃったし、明日から本格的に同棲生活だよー?」


「……うん」


「修学旅行でデステニーランド行けなかったから、私が復帰する前に行こうよ。他にも浅草でお寺めぐりしたいし。安産祈願も買っとく? きゃーっ!」


「うん」


「海にも行きたいな。山に登ってみるのもいいね。あ、また学園祭で一緒にステージ立ちたいね! ゆうくんのギター、かっこよかったなあ。いっぱい練習したんだから、あの一回で終わるのはもったいないよ!」


「そうだな」


「あとはね――あはは、あれ、おかしいな……なんか、涙が」


「……柑奈」


「いやだなあ、もう。どうしてゆうくんまで泣いてるのさ。もらい泣き?」



 変なのー。そう言って、お互いに涙を拭って。



「いっぱい……いっぱい二人でやりたいこと、見つけていこうね」


「そうだな。柑奈となら、きっと何をやっても楽しいよ」


「うん。だから、大丈夫だよ。安心してね。私は、あなたのそばから離れたりしないから。ずっとずっと……そばにいるから」



 その華奢な体を強く抱きしめて、嗚咽を漏らす。

 

 言うな。言わないでくれ。その先を、言わないで……。


 涙と嗚咽で声が出ない。いやだ、離れたくない。戻りたくない。きみを、失いたくない。



「だからゆうくんも、私のそばにずっと居てね」



 泣きじゃくる俺の頬に手を添えて。


 俺に唇を重ねる柑奈。柔らかくて、あったかくて。


 今にも崩れてしまいそうな、その愛おしい感触を永遠のものにしたくて。



「――大好きだよ。愛してるよ、ゆうくん」



 そのとびきりに美しい笑顔を最後に、俺の世界は終わりを迎えた。


 遠く、朧げに。儚く幸せな夢から目覚めるようにして、あるいは深い水面から浮上するかのようにして、彼女と過ごした全てが消え去り。




「――兄さん? 起きてるなら部屋から出てきてくださいね。朝ごはん、出来てますよ?」




 俺は、戻ってきた。


 また、この部屋に。


 4月12日に――。





『☆この世界の歩き方☆


 一、任意のヒロインを攻略することによってトゥルー・エンドが開かれます。


 二、トゥルー・エンド到達までの間、一年をループします。

   ※ループ時、自身の記憶と攻略状況は引き継がれます。


 三、全ては自分次第。はっちゃけましょう。

   以上。思う存分スクールライフを謳歌してください』


 

 朝。いつも通りに起きて、今日も変わらずふしだらに一日を潰そうと思っていた俺は、すぐさま異変に気が付いた。


 まずスマホの機種が古いこと。腹に乗った贅肉が消え失せたこと。そしてスマホの画面が映し出す、八年前の日付。メモ帳に記された変なルール。そして極め付けは……



「どうしたんですか、兄さん? 朝から少し様子が変ですよ?」


「お……おう」



 ニートで引きこもりな俺を見限って家を出ていったきり、顔を見せていなかった妹のゆかが学生服を着て、朝食を摂っていること。


 なんだこれ。夢か?


 試しにフォークで手の甲をブッ刺してみた。



「くっそ痛え……!」


「兄さん……今日は、いえきょうこそは病院にいきましょうね……」



 ドン引きと不安を織り交ぜた複雑怪奇な顔を浮かべるゆかと、酷く痛い手の甲。


 ああ、これは夢なんかじゃない。


 紛れもない現実だ。



「ということは俺……マジで」



 八年前にタイムリープしてきたのか?


 いやいやいや、確かに昨日、寝る前になんか変な謳い文句の広告をクリックしたけれど……!


 実際にそんなことって……そんなことってあるのかよ……!?



「……なあ、ゆか」


「なんですか、兄さん。安心してください、毎日面会に行ってあげますから。寂しくないですよ」


「いや入院すること前提かよ。——じゃなくて!」


「はい? ——あぅ」



 いそいそと保険証やら通帳やらを集め出したゆかを制止させて、俺は両肩を掴んだ。



「に、に、兄さんちょっと……なんですか、いきなり……!」


「ゆか……なんだよな?」


「そ、そうですけど……そうですけど、顔近いですっ」


「ゆか……っ」


「ひぅっ!?」



 感極まって俺はゆかを抱きしめた。


 ゆかは変な声を上げながら抜け出そうと暴れていたが、



「ごめんな。本当に、ごめん……帰ってきてくれて、ありがとな」


「ど、どういう……、ぅぅ」



 困惑しながらも、ゆかは抱き返してくれた。


 どういうわけか全くもってわからないが。


 それでも、ずっと心の中に残っていた後悔を晴らすことができた。


 この程度じゃこれまでの恩を返すことなんて到底できないだろうが。



「まだ色々と困惑してて、変なところとかあるかもしれないけど」


「……はい」


「これからは、頑張るから」


「……はい。頑張ってください、兄さん」



 そうして、お互いに困惑した顔のまま見つめあってひとしきり笑った後。


 八年前の今が、始まりを迎えた。




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