あなたの目の前はゴキブリが料理されている。

蒼青 藍

本文

「あなたの目の前には料理されたゴキブリがある。」


 その料理を前にしたとき、あなたは一瞬思考を止めてしまう。ゴキブリは通常、人間にとって不快の象徴のような存在だ。害虫駆除のターゲット、密かに繁殖する闇の支配者。それが皿の上で、黄金色の衣をまとい、まるで高級食材のように香り立っていたらどうだろう。高級レストランのメニューであるかのように、スマートに盛り付けられたゴキブリを見たとき、人は諸手を挙げて拒絶するか、それとも新しい味覚の発見を期待して箸を伸ばそうとするのか。


 その料理の存在が意味するものは、私たちの社会における価値観の歪みや、当たり前と思い込んでいる感性の裏返しである。食卓の中心に鎮座するゴキブリは、裏路地の暗闇に潜む彼らの姿よりもずっと滑稽で、しかし同時に畏怖すら感じさせる。ゴキブリを害虫と断じる一方で、世の中にはサソリやクモ、バッタなどを食する文化がある。人間が食べるべき、食べてはいけないという境界線は、いったい誰が引いたものなのだろうか。


 皿の上のゴキブリをじっと見つめながら、あなたは自分の食体験がいかに限定された世界に依存しているかを思い知る。超市販される野菜、牧場で育てられた家畜、測量された安全ゾーンにある魚——どれも「慣れ親しんできた」食べ物の範疇だ。目の前のゴキブリが料理されているという行為が、非日常への入り口を示すように「新しい価値観」の存在を感じさせる。まるで過激な現代アートでも見るかのように、その未知なる皿は私たちの常識を突き崩し、世界を改めて問い直す装置となる。


 あなたのテーブルから少し離れた席に、若い女性が一人、じっと皿を見下ろしている。彼女の前にもまた、同じ料理が置かれている。彼女はスマートフォンを取り出すと、ぱしゃりと一枚撮影し、SNSにアップする。瞬時に増えていく“いいね”の数。誰もが画面越しに、この奇妙な料理を「珍しい」「アートっぽい」と眺め、言葉を投げ合う。しかし実際に彼女がそのゴキブリを口に運ぶかどうかは、写真には写らない。SNSという「承認の場」は、味覚や匂いよりも「見た目」のほうが勝利を収める世界だ。


「どうしてこんな料理を食べるのだろう?」

 ある者は単純に興味を抱き、ある者は一種の挑戦と捉え、またある者は「グロテスクなものをあえて受け入れる自分こそが進歩的だ」と主張するために食べる。多様な思惑が折り重なり、ゴキブリは一躍「食べられる芸術」として供される。そこには、気づかぬうちに押し付けられた「常識」や「タブー」をひっくり返したいという欲望、または逆説的に、まるでどこかの探検家が未知の地を踏みしめるように「自分の世界を拡張したい」という好奇心が潜んでいる。


 ふと、あなたは手を伸ばす。皿の端に突き立てられたフォークを軽くつまむと、そのままゴキブリの外殻を押してみる。カリカリという音がして、その衣がわずかに崩れた。思わず引っ込めた手が、あなたの中の「判断できない自分」を象徴しているような気がする。あなたは、そのゴキブリを食べるのか食べないのか。拒絶も好奇心も混じり合う奇妙な感情の中で、今まで疑問にさえ思わなかったこの「世界の基準」とやらを改めて考え始める。


 不意にレストランの扉が開き、人々の視線は入ってきた一人の男に注がれる。男は一切ためらう様子もなく席に着くと、サッとナプキンを広げて同じ料理を注文する。その光景は、まるで淡々と日常のルーティンをこなすかのように自然だ。男にとっては、料理されたゴキブリはもはや珍味ですらなく、ただの選択肢の一つに過ぎない。男は当たり前のように、パリパリと衣の音を楽しみながら平然と口へ運ぶ。


 その姿を見て、衝撃を受ける人もいれば、「そんな人もいるのか」と受け流す人もいる。人間の価値観は一枚岩ではない。結局、この「当たり前」の境界線は、社会を構築する常識がつくりあげた幻なのだと多くの哲学者が口を揃える。不要な虫として捨て去られるはずのゴキブリを、人々はいつしか「食材」や「文化的アイコン」にまで昇華する。道徳を含む社会のモラルやルールは、常に私たちの目の前にあるはずなのに、その輪郭さえも曖昧なまま変化し続ける。


 あなたは改めて、料理されたゴキブリを見つめる。かつて害虫として忌み嫌われていた存在を口にすることは、もしかすると新たな世界との対話の第一歩となるかもしれない。あるいは、自分の嫌悪感を無理やり押し殺すのは無意味かもしれない。どう選択するにせよ、そこには「問い」が立ち上がる。「自分が共感できる社会は何か?」「自分が信じる美味しさや嫌悪感とは何か?」——食のタブーを軸に、価値観の再編という大きなテーマが広がっている。


 皿の上に横たわるゴキブリは、ただのエサでも、ただの害虫でもない。それはあなたの世界観に落とされる鋭利な問いであり、見慣れた日常を脚下から覆す衝撃の装置でもあるのだ。両隣の客の視線、ふと見上げたスピーカーから流れるBGMの調子、SNSに流れる写真とコメント——すべてはゴキブリを通じて繋がっていく。一匹の小さな昆虫が、私たちの「現在(いま)」を鋭く風刺し、思考を挑発する。


 そしてあなたは思う。

「果たして、ゴキブリを口にすることは喜びだろうか、それとも不条理だろうか。」

 声にならない疑問が、心の奥底から湧き上がる。もはや拒絶とも好奇心とも言えない曖昧さを帯びて、あなたはフォークを再び手に取り、迷う。それこそが、この皿が用意した最大のメインディッシュなのかもしれない。私たちが持つ常識や嫌悪、そして小さな好奇心の狭間で揺れ動く、この小さな選択の物語こそが、現代における風刺の一断面であり、同時に深い哲学への入り口でもあるのだから。

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あなたの目の前はゴキブリが料理されている。 蒼青 藍 @Sohjoh_AI

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