第三章 傷跡
燃え尽き症候群。またの名をバーンアウト症候群と言う。何か大きな出来事を成し遂げた後にやる気が出ず、くすぶってしまうこと。先崎優はまさしくその症候群の真っ只中だった。
彼女ができたからと言って自分の生活は変わらない。その閉塞感が俺のやる気を日に日に削いでいた。
「先崎〜。せめて勉強している雰囲気くらいは出してくれないか?」
「は〜い」
いつの間にか暦の上では春が始まり、俺の周りにもちらほら一般の合格者が出始めていた。ただ、浮かれ始める教室の雰囲気に逆行して、俺の楽しみは減っていく。この時期にもなると、世間一般を理解自体はしているのか、高三は自宅学習が増えてくる。つまり、綾に会えなくなるのだ。俺の心は絶賛冬の最盛期なのだ。
「ほらもっとパァーッとしようぜ、優。今日の午後暇?」
「まぁ、暇だけど。」
「たまにはカラオケ行って気晴らししようぜ。お前も一旦リフレッシュしたほうがいいって。」
まぁたまには悪くないか。そう思って俺は肩を抱かれて階段を踏み出した。
この階段の段数は計六三段。一つ一つの高さは二十センチメートル。三年目にもなると階段の寸法くらいは暗唱できる。そのくらい飽きてしまった階段の風景の一角に、人の塊が見えた。刹那、ぼんやりしていた脳が霧を晴らしたように急速に覚醒した。なにか嫌な予感がする。
「先行ってて。」
そう言ってみんなを行かせた後、俺は物陰に隠れてその集団を眺めていた。目を凝らして集団を観察した瞬間、俺は息を呑んだ。集団の中身は女子一人と男子六人。男子は全く知らないが女子の顔には明らかに見覚えがあった。確実に、間違いなく、それは綾であった。
「本当に生意気だな。お前。」
「別にお前になんかしたいわけじゃないからさぁ。」
「とにかく言うこと聞いてくれない?」
男子たちは俺に見られているのを露ほども感じず、綾に詰め寄っている。その迫力に気圧されたか綾が尻餅をついた。時間が止まった。スカートから覗いた足は青あざだらけで痛々しかった。
『お前は彼氏として彼女を守ることせずに一体何をしていたんだ。』
誰かが俺を厳しく叱責する。そのとおりだ。俺が気づいてあげなくちゃいけなかった。でも、今後悔しても過去は変えられない。とりあえず行かなくては・・・。竦む足を気合で動かして一歩踏み出したのと水を指す声はほぼ同時だった。
「先崎?大丈夫か?」
はっとしている間に男子のグループはどこかへ走り去ってしまった。綾もあいつらもすぐそこにいる。本当なら、ここは綾のそばで話を聞いてあげるべきだったのかもしれない。ただ、結果として俺が選んだのは、階段を下ってあいつらに合流することだった。
「あぁ眠れねぇ」
何百回そう呟いただろうか。自分の無力さと惨めさは現実の厳しさを教えてくれる。何度考えてもその先にあるのは「彼氏失格」という結論だけだった。腕を何度引っ掻いても、どんなに傷ついても、俺よりも彼女のほうが苦しんでいる。宵闇は自問自答を飲み込、返答を放棄した。
~二月△△日~
自責の念から抜け出せずに数日が経った。こんな出来損ないの自分の顔は見たくもないし、綾の顔は自分なんかには見てはいけないもののように感じる。俺の視線はほぼ地面と垂直だった。
「ドスン」
「ごめんなさいっ」
全く前を見ずに歩いていたら人にぶつかる。なんて当たり前のことだろう。本当に自分は惨めだ・・・、いや待て、こいつら、あの男子グループだ。なにか言ってやろう。 そう思ったはずなのに喉の奥は張り付いて、声を出さない権利を主張してくる。
『あぁ、結局だめか。』
諦めて目的地への道に戻る。
『本当にそれでいいのか?』
いいさ。結局俺に彼女はふさわしくなかったってことだろ。甘んじて受け入れるさ。生憎自分に自信はないものでね・・・
俺は前を向いた。もしこのとき視界に誰も映らなければ、いや一人以外映らなければ俺はその場を離れていただろう。
「綾・・・」
きっと彼女には聞こえていないその独り言。目に飛び込んできた初恋の姿は不思議な引力で俺を引き戻した。
「おい、お前たち。綾の知り合いか?」
「綾?あー後村ね。それがどうかした?」
「最近の綾は何か変だ。もし原因がお前たちにあるのならば今すぐ止めてくれないか。」
「気に食わねえな。お前は綾にとっての何だよ。金魚のフンか?」
「俺は・・・綾の彼氏だ。」
目が覚めると激しい頭痛がした。白いベッドの上に寝る自分は何があったのだろう。確か男子グループと話して・・・。
数十秒の記憶喪失を終えた俺は膝の上の違和感に気がついた。
「ぐすっ、ぐすっ」
綾は俺の病室にずっといたようだ。ありがとな。その言葉の代わりに頭をぽんと軽く叩くと、
「せんざきせぇんぱぁい〜」
綾は涙ながらに抱きついてきた。
「ごめんな。心配かけちゃって。」
「どうしてあんなことしたんですか。」
「綾が傷だらけになるのを傍観しているのは彼氏失格だろ。」
「いや、でもこの傷・・・」
「何も言わなくてもいいよ。」
綾のぬくもりはとてもあたたかった。
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