拝啓ヴィヴィアン・ウエストウッド

縦縞ヨリ

あんな素敵な人になりたいの

 クソつまんない男と別れた。

 私は十数年も日の目を見なかったけど、大事にしていたヴィヴィアン・ウエストウッドの赤いジャケットを引っ張り出した。薔薇色の生地に襟の下の方が黒で、前で合わせるとハートの形が浮き上がる。映画で中島美嘉が着てたのと同じやつ。ヴィヴィアンウエストウッドと言えばオーブと呼ばれる幾何学的なUFOみたいなマークであり、銀のボタンにはオーブが精密に刻印されている。

 スカートも薔薇色の、ヴィヴィアンのレッドレーベルの変形スカート。

 インナーとタイツは黒で締め色にして、美しく染められた薔薇色を更に引き出す。

 リングはもちろんオーブのと、かつて「人が殺せる指輪」と表現されたアーマーリングを中指にはめた。その名の通り鎧の指を外してきた様な逸品で、冷たい重さが肌に馴染む。

 クソ野郎を見掛けたらこれでしばこう。

 首は学生時代に必死にバイトして買った、大きなオーブが真ん中についた三連パールのチョーカー。年月で少し曇ってしまったオーブを丁寧に磨いて、冷たい真珠で首を包む。首を絞められているような、抱擁されているような、滑らかな感触に神経が研ぎ澄まされる。

 ゴールドのバッグにオーブが輝き、カビないように大切にしていたヴィヴィアンの革財布にカードと紙幣を移して。戦闘態勢を整える。

 靴はもちろん、薔薇色のロッキンホース。

 赤と黒のヴィヴィアンコーデ。最高にクールで最高にカッコイイ。

 あのクソ野郎は「一緒に歩くのはキツい」らしいが、私はもう一人で歩くので全然結構である。

 ヴィヴィアン、私ちょっとだけ良い女になれたかな?


 ヴィヴィアンのハンカチとストッキングが欲しくなって、近場のデパートへとゴトゴト歩く。厚底のロッキンホースは、久しぶりに履いたら結構不安定に感じる。毎日履いていた頃は体の一部みたいだったのに、履けなかった長い年月を感じた。経年劣化もあるだろうし、一度修理の相談をしてみても良いかも知れない。

 目立つかと思ったしそれなりに目立っているとは思うのだが、街を歩く女の子達は昨今の流行りで皆結構個性的だし、髪色がピンクや水色の子も見掛けるし、思ったより視線を集めなくてちょっと拍子抜け。

 赤いベロアのワンピースに黒フリルのついたボンネットを合わせたロリータさんが、まるでお忍びのお姫様みたいに優雅に歩いていく。パニエで膨らんだ、ベロアを惜しげも無くたっぷり使ったスカートが素敵だなと思った。でも誰も気にしない。少し目線で追うくらい。

 本当に良い時代だと思った。

 あのクソ野郎だけが時代に取り残されていたのかもしれない。だったら別れて正解だったのだ、私は令和を歩いて行く。

 

 外国人観光客だらけの電車に乗って、デパートに着いてハンカチのコーナーをワクワクと眺める。このデパートはヴィヴィアン・ウエストウッドのショップこそ入っていないが、小物は服飾コーナーに取り扱いがある。

 数種類だが、お目当てのハンカチがあった。

 胸が高鳴った。

 オーブが大きく刺繍されたグリーンのタオルハンカチと、綺麗なイエローの総柄の薄手のハンカチが気に入って、次はストッキングのコーナーへと踵を返した時だった。

 クソ野郎と目が合った。十一年連れ添った先月離婚した夫が、知らない女を連れて私を見ていた。

 思考が凍りつく。なのに頭を駆け巡る声が、台風みたいに脳を翻弄する。


 なんでここに居るんだ。

 横の女は何だ、結婚してた時から浮気してたのか?

 財産分与は適切だったのか?

 慰謝料請求は?

 今からでも興信所に依頼するべきか?


 思わず俯いたその時、手元のハンカチが視界に入った。ヴィヴィアン・ウエストウッド。享年八十一歳。世界で一番クールな服を作った、最期まで最高にパンクでクールなおばあちゃんだった人のブランドだった。

 私にはヴィヴィアン・ウエストウッドがついている。全身の全てに彼女の情熱を纏っている。

 恥ずかしくなんて無い、怖くなんてない、私が世界で一番格好良くて、私の世界は薔薇色なのだ。こんな世間体を気にしてドブみたいな色の服を着た男となんか、そもそも結婚したのが間違いだったのだ。

 私は背筋を伸ばし、ロッキンホースで幾分伸びた身長を存分に使って、ランウェイを歩くモデルの様に、全ての人が注目するショーの様にクソ野郎の横を通り過ぎた。

 冷たい視線が交差する。


『離婚した途端それかよ、相変わらず恥ずかしい奴だな、ちんどん屋じゃねえんだから』

『あんたには一生わかんないわ。私は自由に、一番好きな私で居たいのよ』


 通り過ぎた直後、クソ野郎の横の女が口を開いた。

「今の人、素敵だったね」

「え?」

 背中に会話が聴こえるが、段々雑踏に消えていく。クリスマス前のデパートは盛況だ。

「私もヴィヴィアン世代だからさ、久しぶりに出してみようかな、アーマーリング」

 ふ、と笑みが溢れる。そうだ、私くらいの歳は、ヴィヴィアンを通っている女なんて珍しくも何ともない。指に光るアーマーリングは、殴るよりもっと強いダメージをクソ野郎に与えそうだ。


 もうどうでもいいか。

 だってこれからは、私だけの人生だ。

 薔薇色のロッキンホースが軽やかに地面を蹴った。


 

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拝啓ヴィヴィアン・ウエストウッド 縦縞ヨリ @sayoritatejima

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