花嵐九龍街
具屋
第1話 数奇
25× × 年。
2000年代に起こった急激な海面上昇から逃れるため、人類は上へ上へと街を作った。
国の境界線は徐々に薄れ、国家という存在も破綻してゆき、残ったのは混じりに混じった有象無象の人間と、縦横無尽に広げられた滅茶苦茶な街並み。
暴力も言論も宗教も通貨も魔術も血族も入り乱れた混沌、しかしてヒトというのは群れを生して生きながらえた生物である。……自警団・宗教団体・大店、まあ最もどのような思想を主軸にしているかはこの際問わないが、自治組織が各地で生まれ始めたのだ。
とかく現在は、かれらが大小様々な地域を治めている。それらによって、一先ず混沌とした世界は、安寧を手に入れた。
それが永遠のものか仮初のものかは今はまだ解るはずもないが────とにかく。
とにかく我々は、しっちゃかめっちゃかに混じりあったこの〈九龍〉で、面白おかしく生きてゆくしかないということである。
酷い雨だ。トタン屋根の家々が犇めくこの70階層では、不規則な金属音が街中に響いている。うすけぶれた大気の中を、そんな雨雨の合唱に耳を澄ませ歩くのが、ただ、陸郎は嫌いではない。
茶色の短い髪に、銀の瞳。落ち着いた深緑の着流しといった装いの彼は、おおよそ30といくつか、それくらいに見える。柔和な雰囲気で、その足取りもゆったりとしたものだ。手にした和傘は、ふうらふうらと揺れている。
入り組んだ路地を抜け、そうしてふと、かれは今日は回り道をして帰ろうと思う。それは思いつきだった。ただ、夏の花が植わった花壇が、雨に打たれるさまを少し眺めて帰ろうと思ったのだ。それはまあ、陸郎のいつもの思いつきであったので、特段特筆すべきことでもない。けれど、その「特筆特筆すべきことでもない」ことが、たまには、運命を捻じ曲げたっていい。
なんせここは九龍──────有象無象の跋扈する、犇犇混沌の街であるのだから。
「おやまあ。数奇なこともあるものです」
いつもは通らない海側の西通りだ。重なり合うように積み上がった、うぉんうぉん唸りをあげる室外機の隙間に、何かを見た気がした。陸郎は歩みを進めて、その、「なにか」を見遣る。そうして出たのが、先の言葉であった。
陸郎は興味深そうに、目を眇める。そのすがた、齢は10と少しだろうか。雨に打たれ、暖を求めたのか、室外機の隙間に挟まるようにして、その少年はいた。1本の刀を、まるで宝物のように抱き抱え、眠っているかのように。柘榴のように赤い髪と、そのあたまのてっぺんに生えた獣の耳が、しっとり濡れそぼっていた。
「きみ、大丈夫ですか。ていうか、生きてます?」
おじることも無く、陸郎はその少年の肩をとんとんと叩いた。反応はない、けれど多少肩が上下していることに気がついた。生きてはいるようだ。
「はて……」
どうしようと陸郎は考える。さて見つけてしまったのだから、見なかったことにするのも座りが悪い。この赤いまんまるの毛玉、つめたくなった姿など、想像するだにまるで己が悪いみたいでいやな気持ちになるではないか。
だから、しようがない。陸郎は観念して、傘を畳んだ。それを脇へ置いて、代わりにその少年を抱き上げる。うんともすんとも言わないくせに、その体温は火照るように熱く、きっと熱を出しているのだろうが、それがなんだか切ないように思うのだった。
「……はは、重た!」
刀を抱え込んで離さない故、思ったより重たい。
少しばかりふらつきながら、陸郎は少し笑う。面白い拾い物をした。吉と出るか凶と出るか──────それは知る由もない、しかし。
「帰りましょうか。……死んじゃいけませんよ。死ぬのがいっとう、つまらないんですから。」
陸郎は腕の中の少年にそう語り掛ける。反応はほぼ無いようなものであったが、ほんのすこし、まぶたが震えたような気がした。今はそれでいい。
花嵐九龍街 具屋 @pantsumusya
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