1999年、旧ユーゴスラビアはクロアチア、セルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、スロベニア、マケドニアなどに分かれたのち、セルビアとモンテネグロによって、新たなユーゴスラビア共和国が誕生していた。

その後、アルバニア系住民が多いコソボ地区ではコソボ解放軍がユーゴスラビアからの独立を求めて闘うことになり、そして3月コソボの人道危機を理由にNATO軍がユーゴスラビア、特にセルビアに対し空爆を行うことになる。

とにもかくにも、ユーゴ空爆の取材のためにハンガリーとユーゴ国境に駆け付けたワタナベは、ユーゴ側に入国することがかなわず、ハンガリー国境で一度中継放送をしたのち「さて、どうしたものか」と考えた。

ユーゴへの入国が頓挫したのち、ワタナベはロンドン支局から来てくれたスタッフを「俺はまだちょっとやることがあるけど、先に帰って」と解放し、国境で策を練った。

先程、国境で跳ね返されたのは、なぜだろう？

レンタカーだったからか？

「チャイニーズ？」と聞かれ「NO」と言ったからか？

（中国人は労働力として歓迎だったらしい）

先程、ナゾの東洋人が機材を積み込み入国しようとするレンタカーを見た国境警備員は「ダメ」と言った。

その時、彼は「マルク」だか「メルチュ」だかとワタナベの耳元で囁いたのである。

兵庫県知事選問題のはるか前に、その発音を「メルチュ」と認識したワタナベの先見の明もさることながら「なるほど、ドイツマルクか」と。通貨の信任はその戦乱の最中、ドイツマルクだったのである。

それを知ったは良いが、何しろ当方は、既にカメラマンもスタッフも帰してしまって、移動手段がない。

ユーゴの首都ベオグラードまで200キロ。

どうすんだ？

ハンガリー国境の田舎街でレンタカーでウロウロとしていると、天祐神助、一軒のバイク販売店を見つけた。テキトーな英語をまくしたて、日本でいうスーパーカブを、値切りに値切り、手に入れることができたのである。あとで経費で落としちゃえ（→後に自腹となる）

レンタカーを返却し、バイクにまたがり、いつバッテリーが切れるか分からないビデオカメラを片手に、国境へ再び向い、ドイツマルクを検問に渡すと、先ほどの検問職員と笑顔で握手。難なく国境を越えた。

既に夕刻を迎え、周辺が暗くなり、そして間もなくNATOの空爆が始まるだろう。

ナゾの東洋人が独りスーパーカブにまたがり、片手にビデオカメラを携え、首都ベオグラードへの交通看板案内を頼りに南へ向かう。

ベオグラードにはEBU＝ヨーロッパ放送連合がいる。戦時状況を伝えるため空爆の中、各国の映像を配信するため命がけでギリギリまで留まっているのである。既にワタナベから連絡を受けたEBUがワタナベの映像を待っている。

それだけで200キロ以上あるベオグラードへの道のりをスーパーカブを全速力で走らせる価値はあるのである。

ただ、異国のスーパーカブは日本同様、全速力でもさほどスピードが出なかったのが、のちの不幸となる。