二十七、いつまで
昊、桂、鳴の三人は、木を伝ってやや迂回する形で最初の建物付近に戻ってきた。
梢の陰に隠れるよう枝の上に立ち、一番目がいい桂が以津真天を探し、昊と鳴は、牛頭など他の脅威に備えるべく周囲を警戒していた。
「鳴」
「なんじゃ?」
鳴が振り返ると、桂は最初の建物よりやや右の方を見据えたまま、
「屋根の上に木製の小さな祠みたいなのがある」と告げた。
「以津真天はおるか?」
「数分おきにその祠の上空を飛んでる。あっ、来た」
二人の会話に耳を傾けていた昊が桂に倣って空を見上げた。しかし、以津真天の姿を捉えることはできなかった。
「……よく見えるな。桂の視力、もう《神業》の域に達してないか?」
「《迷宮》だと確かにいつもよりよく見える気がする。でも《神業》ってなんかこう、頭の中に降りてくるんだろう?」
「うむ。拙者の場合、ある日、ぱっと頭に言葉が浮かんだのじゃ。懐かしいのぅ……──おっと、今はそれどころではなかった。以津真天が定期的に来るのならば、その祠が《御神体》とみて間違いないじゃろう。近づいてみよう」
鳴の提案に昊と桂は頷き、三人は早速木を伝い、目的の建物に向かった。
※
「《御神体》は、皆さんにお任せします」
「「「──っ⁉」」」
嶽一は真顔でとんでもないことを言い出した。
つい先ほど指輪をつけ、一時的に《撰師》になった三人は、勿論驚いたが、嶽一の真剣な様子に息を呑むことしかできなかった。
「実は、先ほどからわたしたちは監視されています」
「「「えっ⁉」」」
今度は堪えきれず、少年たちは声を上げた。
「移動中に見つかってしまったようです。相手は、小池千郎さんで間違いないと思います。レンズの部分に《迷宮》の素材を使った双眼鏡の類いを使っているはずです。気になるでしょうが、あまり周囲を見ないようにしてください」
やんわりと釘を刺された少年たちは、慌てて顔と視線を嶽一に戻した。
「わたしは皆さんの偽者を連れて徒歩で元来た道を戻ります。皆さんは少し時間を置いて、木を伝って最初の建物の付近に戻ってください」
「ぼくたちだけで、ですか?」
桂が確認のため問いかけると、嶽一は深々と頷いた。
「そうです。皆さんだけで、です。昊さんと桂さんにも結界のお札を貼ります。それから、お守りをお渡しします。わたしからの助力は、それだけと思ってください」
「「「…………」」」
誰からともなく三人は顔を見合わせた。
三人とも、不安の色が濃く滲んでいた。しかし、それだけではなかった。目は爛々と輝き、引き結んだ唇や握りしめた拳が震えている。恐怖のためではない。武者震いだ。
危ないことがしたいわけではない。痛い思いをしたいわけでもない。
しかし提示された危険で重要な任務に、不謹慎ながら、心が──躍った。
「昊さん、桂さん、鳴さん。どうか皆さんの手で、《神災》を鎮めてください」
断られることなど微塵も考えていない眼差しと声音だった。
その芯になっている信頼が、少年たちの気を引き締め、同時に心地よさももたらしてくれた。
程よく力の抜けた少年たちは、笑みを浮かべ、
「「「はいっ!」」」と元気よく
※
祠がある屋根は寄棟造りで、祠は棟の端に据えられていた。
三人は、祠があるのとは反対の棟の端を望む屋根の上に降り立った。
木を伝ってもう少し祠に近い位置に行こうとしたのだが、三人そろって「「「これ以上は止めた方がいい」」」と直感した。そしてその直感が正しかったことを三人はすぐに痛感した。
ガチャ──ガチャガチャ──……
三人の到着を待ちわびていたかのように、前方と左右から数十体の牛頭が屋根に上ってきたのだ。三人がチラリと背後を見ると、木々の間からこちらに向かってくる何体もの牛頭の姿が窺えた。
「引き返しても牛頭に囲まれるだけだな」
苦笑いを浮かべながら、桂は嶽一がうづき屋から持ってきてくれた竹光を構えた。
「うむ。前進あるのみっ!」
木槌を握りしめた鳴が、ニッと歯を見せて笑う。
「全力を尽くすだけだ」
祠のある方向を見据えながら、昊は籠手をつけた手を固く握りしめた。
三人は視線を交わし頷き合うと、まず桂と鳴が駆け出した。近くにいた牛頭たちの関心が、二人に向く──その隙に、昊は駆け出した。真っ直ぐ棟に向かって駆け上がっていく。
桂は竹光で牛頭の脛を打ち、
鳴は《神業》で屋根に凹凸を造り、
それぞれ牛頭を転ばせ、屋根から落としていく。
二人のお陰で、昊は走ることに集中できた。
棟に上がると祠が見えた。キュッと唇を引き結び、足に力を込める。
牛頭が昊に気付き棟に上ろうとするが、透かさず桂か鳴が妨害した。
祠には屋根があり、その下の観音開きの扉は開け放たれ、昊の頭と同じくらいの丸く黒い水晶のようなものが鎮座していた。
「あれだっ!」と頭の中で昊は叫んだ。直後、
「上っ!」桂の声が耳朶を打った。
見上げると以津真天が頭から急降下してくるところだった。
昊は足を止め、懐から紙で作られたくす玉を取り出し、以津真天の顔に向けて投げつけた。
以津真天は、少しだけ顔の位置ずらしてくす玉は避けようとしたが、左のこめかみの辺りに当たり、パカッと二つに分かれた。くす玉の中から無数の紙片が溢れ出し、周囲に散らばる。子供の掌ほどの紙片だが、すべてに何かが描かれていた。
ふと、紙片の一枚が以津真天の右目に張り付いた。
途端、以津真天は宙空でピタリと動きを止めた。ゆっくりと羽ばたきだけは繰り返しているが、その場から浮きも沈みもしない。
「「昊っ!」」
立ち止まっていた昊が友人たちの声に振り返ると、目の前に腕を振り上げた牛頭がいた。
しかし次の瞬間、駆け寄ってきた桂と鳴によって牛頭は屋根から転がり落ちていった。
他の牛頭は、その場に突っ立ったまま、ぼーっと舞い散る紙片を見上げている。
「桂、鳴、行こうっ!」
そう言うや否や昊は身を翻し駆け出していた。
一拍遅れて桂と鳴も駆け出した。
そうして少年たちは、黒い水晶に手を伸ばし──……触れた。
※
とある建物の屋根の上から白い光が溢れ出し、天に地に広がっていく。
その光を見た嶽一は、少年たちが《御神体》に触れたことを覚り、
「無事、仲間を《御神体》まで導くことができました。《守の嶽一》の面目躍如ですね」
と呟き、安堵の息を吐いた。
千郎は、嶽一に短刀を突きつけたまま呆然としていたが、不意に「ははっ……」と渇いた笑い声をこぼした。嶽一が訝しむと、
「はははっ……はははははっ……あははははははっ!」と天を仰ぐように笑い出した。
「はぁ~……あぁ失礼。あなたが何やら満足そうにしているのが滑稽で、笑いを抑えることができませんでした」
ごほんっ──と咳払いをしてから、千郎は改めて嶽一の首に左腕を回した。
「あの子供たちが《神災》を鎮めたことには驚きましたが、お陰で、あなたを捕らえたまま《迷宮》から出ることができます」
「ご存じでしたか」
「《迷宮》のある村で育ちましたからね。土地勘にも自信があるので、ご心配なく。一階のどこに飛ばされようと、あなたを無事、依頼主のところまでお連れすることを約束しましょう」
千郎はそう言って軽く肩をすくめた。口調も動作も芝居がかっており、鼻につく優越感が節々から滲み出ている。
《神災》が鎮まると、その時点で《迷宮》にいる生者は、《社》の一階に飛ばされる。その際、身体の一部が触れ合っていると同じ場所に飛ばされる。千郎はそれを利用して、嶽一をこのまま攫う算段のようだ。
嶽一は、「ふぅ」とため息を吐いた。
それを聞き咎めた千郎が、不快そうに嶽一を睨んだ。
「何か言いたそうですね?」
「あなたは忘れているようですが、わたしの役目は、昊さん、桂さん、鳴さんが《神災》を鎮めるまで、あなたを引き留めることです。そして、彼らが役目を果たした以上、わたしの役目も終わったのです」
「……どういう意味ですか?」
嶽一は千郎の方を振り返り、やんわりと微笑んだ。
「茶番は終わり、ということです。──《お帰りなさい》」
次の瞬間、千郎は何かに手を打ち据えられ、短刀を落とし、嶽一の拘束を解いていた。
嶽一は、すぐに千郎から数歩離れた。その間に、短く断ち切られた女郎蜘蛛の糸がハラハラと地面に舞い落ちていく。
自由を取り戻した嶽一の右手には、いつの間にか放り投げたはずの杖が握られていた。
嶽一はそのまま流れるような動きで、千郎の腹部に杖で突きを放った。
鋭い痛みを感じながら、千郎の意識は、白い光に呑まれるように途絶えた。
同時に、千郎の身体は白い光に包まれ、地面に倒れ込む前に最上階から消え失せた。
「…………」
千郎がいた場所を痛ましげにしばらく見つめてから、嶽一は杖を持ったまま左袖を捲り上げた。そこに左腕はなく、肩の部分には七色に輝く金属が切り口を保護するように填め込まれていた。嶽一がその金属に杖を近づけると、杖はぐにゃりと形を変え、瞬きの間に左腕に変わった。金属も消え、ただ嶽一が腕まくりをしているようにしか見えない状態になった。
何度か左手を握ったり開いたりしてから嶽一は袖を元に戻し、空を見上げた。
白い光に包まれた中天に、以津真天がいた。
その姿が見る見る縮み──十歳前後の子供になった。
胎児のように身体を丸め何か紙片を握りしめている。──と、無数の紙片を巻き込んだ風が、子供を包み込み──《菜草迷宮》の神使である、はーくんに変わった。
はーくんが子供を抱きしめると、子供は顔を上げ、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。
はーくんと子供は、そのままゆっくり天へと昇っていった。
白い光が一際強く輝いた、その瞬間──嶽一は、天空に現れた黒い人影が、はーくんごと子供を抱きしめる姿を見た。はーくんと子供を抱きしめると、黒い人影は、筋骨隆々とした長髪の益荒男に変わった。
益荒男は、一度だけ嶽一に視線を向け、
──子供たちを助けてくれたこと、感謝する──
と、言った。
白い光が最上階に満ちる中、紙片が一枚、嶽一の元にヒラヒラと舞い落ちてきた。
手に取ると、そこには、はーくんの絵姿が描かれていた。
「……お守りが役に立ったようですね」
呟きながら、嶽一は白い光に包まれた。
※
白い光が瞼の向こうから消えるのを待って嶽一が目を開くと、そこは、夕暮れが迫る集落のただ中だった。周囲には、他にも《撰師》と思しき老若男女が立っていたり、座っていたり、横たわったりしていた。
嶽一は、すぐに《鳥居》があった家に向かった。
裏手に回り込むと、昊、桂、鳴が家屋にめり込んだ巨石に寄りかかって眠っていた。《要石》だった巨石だ。しかし、《鳥居》は、跡形もなく消えていた。
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