二十一、人攫い

 ぱちっ──と意識を取り戻した桂の視界に飛び込んできたのは、薄闇の中でも色鮮やかとわかる百花繚乱の見事な天井画だった。

「ここは……──っ⁉ 昊っ!」

 横を見るとすぐ近くに昊が倒れていた。目を閉じ、ぐったりしているが呼吸は正常で血の臭いもしない。後ろ手にされた手首と足首をそれぞれ縄で縛られている。

 立ち上がろうとして桂は自身も昊と同じ状況なのだと気付いた。

 仕方がないので転がって周囲を見回す。

 板敷きの床。立派な柱。天井画。薄闇の中、それらがどこまでも続き、幅の違う階段が点在している。よく似た建造物を桂はつい最近、見たばかりだった。

「《社》……?」

「だよな」

「──っ⁉」あると思っていなかった返答に驚きつつ桂が振り返ると、昊が目を開け、先ほど桂がしたように転がりながら周囲を見回していた。

「昊っ! 大丈夫か? 怪我とか……」

「おれは大丈夫だ。桂は?」

「ぼくも縛られていること以外なんともない」

 二人は周囲に誰もいないことを確認してから上半身を起こし、身を寄せ合った。

「家にめり込んだ落石の前に《鳥居》が立っていたのは覚えてるか?」

「覚えてる。《鳥居》だ──って思った瞬間、気を失ったんだ」

 桂が声を潜めて問いかけると昊は頷き、やはり声を潜めて応えた。

「ぼくからは、昊が消えたように見えた」

「消えた? 突然?」

「うん。ぱっと消えたんだ。その時、昊の後ろに男が近づいてきてたから、そいつが何かしたんだと思う。ぼくも、そいつに小さな藁むしろで作った袋みたいなのを押しつけられて、そこで意識が途切れたんだ」

「──かます親父だ」

 桂の話に耳を傾けていた昊が、不意に聞き慣れない単語を口にした。

「かますおやじ? なんだそれ。親父はわかるけど……」

「叺っていうのは、藁むしろを二つ折りにして両端を縫って作る袋のことで、本来は穀物なんかを入れるんだ。で、叺親父は、叺背負いとも呼ばれる妖怪で、青森とか秋田の《迷宮》に現れて、二十歳未満の《撰師》を大きな叺に入れて連れ去るんだ。退治すると叺だけ残ることがあって、裏では、高値で取り引きされているって聞いたことがある」

「二十歳未満の人間を入れる袋を高値で取り引きって……なんか気持ち悪いな」

「そもそもそんな代物に需要があることが、おれは恐ろしいよ」

 二人は顔を見合わせ、「「はぁ」」とため息を吐いた。

「でも、昊、よくそんな妖怪知ってたな。本で読んだのか?」

「違う。教えてもらったんだ」

「店のお客さんにか?」

「いや……違う、と思う。おれ、誰に教えてもらったんだっけ?」

「ぼくが知ってるわけないだろう。──それより、ぼくに押しつけられた藁むしろがその叺親父の叺だったとして、ここはその叺の中ってことか?」

 言いながら桂は首を動かし再び周囲を見回した。

「わからない。でも、桂が見たのが小さかったのなら、そのものじゃなくて加工された《人工神器》で、人数とか時間に制限があるからずっと入れておくことができなくて、一先ず人気のないここに放置されているのかも」

「あり得るな。じゃあここは、やっぱり……──っ!」

 桂の聴覚は、草を掻き分けてこちらに近づいてくる複数の足音を捉えた。

 そちらに顔を向けると、ぽっかりと開いた出入り口があった。そこから足音と共に真昼の陽光が差し込んでいる。出入り口以外は、柱と柱の間に薄い布が垂れ下げられているので、外の様子はわからなかった。

「誰か来る。しかも複数──三人……いや、四人」

 二人は視線を交わし、どちらからともなくその場に横たわり目を閉じた。

 それから間もなく、昊の耳にも慌ただしい足音が聞こえてきた。


 ドタドタと室内に入ってきたのは、毛皮の外套を纏った三人の人物だった。顔に布を巻いているので人相はわからないが、荒い呼吸や血走った目から焦っていることは窺えた。

「本当に、いる」「うづき屋と燦々亭のガキだ」「嘘だろ……」

 声はどれも若く、しかし覇気がなく疲れ切っていた。会話をする気力もないのか、微妙に昊と桂から視線を逸らし、黙り込んでしまった。

 沈黙を破ったのは、ゆったりとした足音だった。

 三人はビクッと身体を震わせ、出入り口に身体ごと向き直った。

「先方から返事があったよ。夕方には取りに来てくれるそうだ。……──おいおい、化け物でも見たような顔は止めてくれ。君たちだって同じ穴の狢だろう?」

 そう言って小池千郎は、とびきり楽しそうに嘲笑を浮かべた。


               ※


 男たちを見回し、千郎は呆れたように肩をすくめた。

「何をそんなにピリピリしているんだい? やることは、いつもと同じだよ。時間になったらこの子たちを指定の場所に連れて行ってお金と交換──それだけだ」

「でもっ! こいつらは菜草村の子供だっ‼ すぐに捜索隊が組まれるぞっ‼」

「今までは別の村の子供だったから顔を見られても大丈夫だったが、こいつらは……」

「嫌だっ! 捕まりたくないっ‼」

「なら、今から君たちだけで《守の嶽一》を攫ってくるかい?」

 千郎は、すっと目を細め、常にない低く抑揚のない声で男たちに問いかけた。

 男たちは唇を引き結び、凍り付いたように動かなくなった。千郎は「はぁ」とこれ見よがしにため息を吐いてから、苛立たしそうに髪を掻いた。

「無理だろう? 二つ名持ちとはいえ、強いという噂は聞いたことがなかったから君たちでも捕まえられると思ったけど、アレは駄目だ。自分が狙われてるってわかってる。警戒心の塊だ。そういう奴は、強い奴より厄介だ。……まぁもう何を言っても後の祭りだ。そもそも、この子たちには、ここを知られてしまった。放り出すより売っぱらった方が金も時間も稼げる。その時間と金を使って、僕は村を出るよ」

「そんなっ! 俺たちはどうなるんだっ!」

「この二人をちゃんと引き渡せたら借金はチャラにしてあげるよ。後をつけられた僕も悪かったからね。そうすれば多少選択肢が増えるだろう?」

 男たちは押し黙り、意味ありげに視線だけ交わした。そして、先ほどから一番最初に口を開く男が代表して、「わかった」と言った。

 千郎は満足そうに頷き、

「そういうわけだから、君たちは逃がさないよ。宇津木桂くん。左東昊くん」と言った。

 男たちは目を見開き一斉に二人の方を振り返った。

 千郎は、くすくす笑いながら続けた。

「狸寝入りして、こちらの隙を窺っていたのかな? 中々賢いね。これなら先方も喜んでくれそうだ」

 ばれているのなら寝ているふりを続けても意味がないので、昊と桂は目を開いた。

 男たちはたじろいだが、千郎は笑みを貼り付けたまま、ゆったりと歩み寄ってきた。

「あぁでも、そうだね、君たちが岩蔵嶽一をここまで連れてきてくれるなら助けてあげてもいいよ。勿論、ここで見聞きしたことは一生他言無用だけどね」

 昊と桂は一度顔を見合わせてから、千郎を見上げ、

「絶対、嫌です」と昊が言い、

「お断りします」と桂が言い、

 二人そろって、べーっと舌を出した。

「そうですか……残念です」

 千郎は、くるりと踵を返し、身動きできずにいる男たちに、ニッコリと微笑みかけた。

「この子たち活きがいいから、逃げ出さないよう少し痛めつけて」

「それは……」

「斬るのと骨を折るのは駄目だよ。意味、わかるだろう?」

 三人の男の布からのぞくわずかな肌が青ざめていく。

 それでも三人に逆らうという選択肢は、用意されていなかった。重い足取りで縛られた少年二人に近づく。──と、少年たちは無言で、男たちを見据えてきた。強い意志が込められたその双眸を見て、男たちの胸中にあった躊躇する気持ちが、湧き上がったどうしようもない敗北感と強い苛立ちによって霧散した。

「見るな……そんな目で、俺たちを見るなぁっ‼」

 吼えながら男たちは足を振り上げた。

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