第3話 「帰りを待つはずだったのに」

今日は、いつものようにお気楽な話を書く気分になれない。

正直に言うと「いつもと違う話になることをお詑び申し上げます」と、まずは断っておかなければならないほどの出来事が起きてしまった。

先日から、息子の帰りがやたら遅いと気になってはいたが、まさかこんな形で決着がつくなんて思いもよらなかった。


 息子が帰宅しない晩が続き、不安を抱えつつも「そのうちフラッと戻ってくるのでは?」と呑気な自分がいた。

ところが一日経っても、二日経っても姿を見せない。

さすがにおかしいと思い、警察に捜索願を出した。

まさか自分がそんな書類を出す日が来ようとは──こういう書面はテレビドラマの中だけの話だと勝手に思い込んでいたのだ。


 不穏な胸騒ぎは、ある朝、悪い現実として突きつけられた。

近くの河原で息子の遺体が発見されたと警察から連絡を受けたのだ。

普段なら「河原」と聞くとバーベキューや釣りのイメージが浮かぶのに、その日の河原の光景はどんなものであれ全く頭に入らなかった。

ただ、心臓がドクンドクンと鳴っていたことだけは覚えている。

うまく言葉にできないが、最初は「何かの間違いでは」と疑った。

呆然と突っ立っていると、妻が隣でくずれるように泣いていた。


 こういう事態が起こると、自分がいかに普段通りの日常に依存していたかを思い知る。

ラーメン屋に通うだの、冷蔵庫で牛乳を放置しただの、そんな出来事はすべて遙か遠くの思い出話のように感じられた。

人間の脳というのは、ショックが大きいといきなり過去の記憶を棚に押し込めてしまうらしい。

自分が仕事をしていた頃の記憶までもが、まるで古いアルバムの裏に貼りつけられた写真のように色あせている。


 告別式と葬儀では、同級生たちが列をなして涙を拭っている姿が印象的だった。

子供というのは大人が考えている以上に純粋に悲しみを共有するものらしい。

その光景を見ても、自分の胸のうちに渦巻いているものは“実感のわかない悲しみ”というか、身体の一部がすぽっと抜け落ちたような感覚だけだった。

妻はずっと息子の写真を握りしめていたけれど、私にはそれを見て話しかける言葉すら出てこない。


 何もかも“どうでもいい”という気持ちが唐突に押し寄せ、仕事も手につかず、パソコンを開いても視線が虚空をさまようばかり。

それまではちょっとした買い物でも息子を呼び出して「一緒に行くか?」と声をかけていたが、その相手がいなくなった生活は戸惑いしかなかった。

家の空気が変わったといえばいいのか、あるいは色彩を失ってしまったのか、表現のしようがない。


 いつもならこんな文章を書くときは、最後に「さて、また次のラーメン店でも探してみますか」とか冗談で締めくくるのが常だった。

だが今はそれができない。

だから今回ばかりは“しめっぽい”と言われようと、申し訳ないと思いつつ、ここで筆を置くことにする。


 「いつもと違う話でごめんなさい」──これが今の私にできる最大限の言葉だ。

こんなことになるなら、あの冬の寒さだって喜びに変えられるほどのエネルギーが息子にはあったのに、と悔やんでも悔やみきれない。

それでもページの上で何かを伝えるしか手段がないから、こうして書き残しておく。

私たち家族にとって、長く果てしない闇の入り口に立っているような、そんな心持ちでいるのだ。

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