第23話 『夜明けのマイウェイ』合唱アレンジに取り組む
さて中学の年中行事にクラス対抗なのか対抗しないのかもうよく覚えてないんだが、っていうのは順位とかつけたのか?賞をだしたのか?とかまで全く覚えていないんだが、何しろクラス単位で歌う「合唱祭」だか「合唱コンクール」といった類のものが、どこの学校でもあるように普通にTD中学でも毎年開催されており、以前にも触れたが自分は1,2年時に指揮をやった。なんかその指揮をやった、という大雑把な記憶しかない。そして中3を迎えてどうなったかというと、指揮ではなく「編曲&ピアノ伴奏」に回ったのだった。(催しの名称は以下「合唱祭」で統一する。便宜上)
これはまあ当時としてはかなり異例のことだったらしいので、さすがに当事者たる自分もよく覚えているわけだ。
そこで合唱祭の開催時期どうだったかって話なのだが、現在の中学のホームページを見るとその手の催しは「合唱コンクール」と呼ばれ、概ね5月6月あたりに実施する流れのようだが、自分らの時はどうだったのだろう?はて?となった時に、なにしろ取り上げた曲が旬のヒット曲だったので、そのリリース時期を確認すればよいのだな、とパル『夜明けのマイウェイ(作詞作曲荒木一郎)』のことをウィキで調べたところ、発売日は1979年10月21日で、チャート最高順位は、オリコン週間18位、1980年度オリコン年間80位、売上40万枚、とあり、「そこそこ」な感じのヒットぶりであり、しかしかなりな「ヒット」した感を当時の厨房が抱いたのはそりゃもうドラマの主題歌だったので、見てるやつが聞き知ったし、おなじみ「コーセー歌謡ベストテン」でも流れたし、とにかく自分はエアチェックでフルコーラス音源をカセットで持ってたと思う。というかそれがなきゃ「耳コピ」できない。
ということを鑑みるに自分が中3の時の合唱祭開催は秋口以降、それもかなり深まった秋口以降だった、ということになる。
ドラマ「ちょっとマイウェイ」の放映期間が1979年10月13日~1980年3月29日ってことだし。
で、自分はそのドラマをキッチリ、カッチリ全部見た、という記憶はない。
なにしろ誰が決めたのか?とかそういう細かいことは一切合切全然覚えていないのだが、合唱祭に間に合うように「耳コピ」して歌のパートを譜面に書き起こしてクラス全員に配布し、なおかつ自分はピアノ伴奏をせねばならぬ、っていういきなり上から仕事が降ってきたような感じで、ドラマ鑑賞は「後回し」にならざるを得ないのであり、というかよくよく考えればこれ「受験」追い込み時の話だよなあ。凄い無茶ぶりだな、おいおい。
が、とにもかくにも「仕事」完遂した。
パルのバージョンの通り冒頭イントロのストリングスの動きとかきっちりピアノ伴奏に入れ込んで、歌のパートも4部以上にしたはず。
ただ、伴奏のピアノ部分までは五線紙に起こしはしなかったと思う。そんな余裕なかったし、そこはいつもの「コードブック派我流」で通した。
で、流れとして当然だが事前練習の「指揮」というか「指導」もほとんど請け負ったかたちなので、1,2年のクラスのときに指揮担当してるときとやってることはあまり変わらなかったということでもある。練習の面では。
さて、ではこういう経験をしたから「編曲」の道へ進もう、あるいは大編成曲の作曲家の道に進もう、などと考えたのかというと、全くそんなことはなく、実際これ以降、同様のことは大学のビッグバンドに居たころにほんのちょっとやったくらいで、やはり「プレイヤー」でいることの快感最重視の路線を選んだ。
というかまあ「プロ」の人に『夜明けのマイウェイ』音源確認してもらって、中学生の合唱用にアレンジしなおす、っていうようなことを頼んだとしたら、フライパン片手にパスタでも作りながら、数時間で終えちゃうような作業だとは思う。
それくらいのことなので、「編曲」うんぬん言い募るのもおこがましいというかなんというのか。
まあいつも「さだまさし&アリスコピーバンド」でやってるようなことのちょっとした延長線上で、人数増えました、譜面書く手間が増えました、ってだけのこと、って考えでやってたし。
とはいえ、これは後に、ジャズやるようになって、「耳コピ」の質量、精度等、「うたもの」とは労力ちがうよなあ、っていうのの前準備にはなったと思う。間違いなく。この厨房当時はそんなことはまったく意識していなかったが。
さて、その『夜明けのマイウェイ』やドラマ「ちょっとマイウェイ」そのものの件だが、まずドラマはリアタイ当時ほぼまともに見ておらず、ウィキ読めば読むほど面白そうな印象どんどん深まってくるのであって、これはなんとか見る算段をつけてみようと思う。何しろ桃井かおり売り出し真っ盛りの頃のドラマなんだもんなあ。そして『夜明けのマイウェイ』の曲のこととか諸々のことなんけど、実は作詞作曲荒木一郎の軌跡をたどる大著『まわり舞台の上で 荒木一郎(文遊社 2016年10月発行)』をつい昨日図書館で借りてきて、まずサラっと目を通してみたんだが、この本そのものがびっくりするくらい濃い内容であり、これはちょっとじっくり腰を据えて読まねば、という気分になっているのであり、『夜明けのマイウェイ』というか「ちょっとマイウェイ」ドラマそのもの、というかもう桃井かおりの売り出しプロデュースの流れ全体そのこと自体を荒木一郎ががっつり取り仕切っているさまが詳細に語られていたりなぞして、ちょっとここで自分がああだ、こうだって曲についてなんか言うって気分にならない感じだ。
まあ、なにしろ荒木一郎ですもの。あの「最も危険な遊戯」の荒木一郎ですもの。そりゃもう存在の仕方がちょっとそこいらの普通の芸能人と違いますわ、ってのがページめくって、いろいろ見出しの文字サラっと追っただけでもひしひしと伝わってくる。
ああ、『バス通り裏(森山良子)』の回で出した森山良子の歌う『バス通り裏』のその歌詞のなかにオマージュ的に引き合いに出されてる感じの、十朱幸代主演の元祖「バス通り裏」のドラマそのものに出演してた、っていうそういう人物ですからねえ。
なんか、その桃井かおりとのいろいろのやりとりも迫力あるんすよねえ、あれやこれやの物事の経緯やなにやかや。
自分のような小市民にはうかがい知れないスケール感とでもいうのか。
ってことで、ちょっと腰引け気味な感じになってますけど、
突然、合唱用にアレンジしなおすようなことになった荒木一郎作品『夜明けのマイウェイ』いい曲だと思います。これはあの時中3くらいの者であれば感涙にむせぶこと間違いなしですね。ドラマをリアタイで追ってた人なんかはほんと涙なしに聞けないんじゃないでしょうか。
と今後、荒木一郎学習に時間を費やす、ということを心に誓いつつ、話題を変えると、アレンジというか譜面に書き起こすとか、そういうような行為についての件だが、結局のところ今現在やっているユニットなんかもそうだが、ずーっと「ヘッドアレンジ」でいいや、ってことにした。ま、ようは譜面作らない口承伝承的なやり方ってことです。
いまやってるユニットの相方もそっち側の人間なのでその方が話早いし。
これもまた「軽音楽」やるにあたっては、好き好きでいいと思いますよ。
前の方の回で取り上げた富澤一誠著書を読めばたちどころに把握できることなんだけど、ニューミュージック系自作自演系の人らほとんど8割以上そういうタイプの人だし。欧米の軽音楽ミュージシャンもそうでしょう。むしろ西洋古典音楽の作法でガッツリやってます、って方が1割以下なんじゃないですかね。
吹奏楽で譜面側の世界もかなりやりましたけど、まあ、自己顕示欲を満たすことの早道はヘッドアレンジ側にあるってことですね。
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