第16話 英語ばかりでなく『北国の春』『夢追い酒』もチャートイン

 ってことで前回、YMCAとゴダイゴ急伸の件で触れた79年3月の月間チャートには『北国の春』『夢追い酒』も入ってて、で『夢追い酒』は年間1位になるわけだ。瞬時の爆発力じゃなく、ロングセラー的なノリで。これはSNS、Xなんかに常駐していると陥りがちな「世の中、先端思想をお持ちの方々だらけ」っていうのと同じような感じで、目には入ってなかったけど、当時「演歌」好きの勢いもなかなかなものだったってことなわけだ。英語の曲や、「ニューミュージック」系が、全てを覆い尽くしたわけではなかった、と。


 厨房の自分は、普通に、さすがに「演歌」にまで好意を示すってことはなかったなあ。紅白とか見ていても、演歌の時間早く終わらないかな、とか退屈してたもんな。

 ま、でも、「壮大」な曲のところで取り上げた『北の宿から』『津軽海峡・冬景色』などはそれはそれで別ですわな。


 アラ還の現在はどうかというと、そりゃかなり「好意的」スタンスの方向にきているとは思う。「演歌」に対し。しかし「曲による」ってところも残ってて、たとえばこの79年の『夢追い酒』に関しちゃ、あらためてきいてみたら良さがわかった、ってのはまったく無い。ま、でも歌詞がいかにも「女が男にすがる」感じだからダメ、とかそういうことではなく、『女のみち』とか『涙の操』は抵抗感ないどころか、むしろ凄い名曲なんじゃないか、と思うようになったくらいなので、あくまでメロディーラインやアレンジへの好悪だと思う。


 男だ女だっていうフェミニズム論争につながる要素皆無の『北国の春』に関しちゃ、特に今きいていいともわるいとも感想はない。物凄い名曲扱いする人もかなりいるのはわかってるんだが、特にどっちとも思わないんすよねえ。やっぱりこういう「好み」に関しちゃどうしようもない部分ありますわな。音楽ってものには。


 同じく「故郷」への郷愁に満ち溢れた歌詞のさだまさしの「案山子」は名曲と思うし。自分はどっちかといえば「故郷への郷愁」持たざる者であるが。


 といったような塩梅で、大概のものごとに対し「是々非々」で臨むのを旨とし、基本「個人崇拝」「盲信」はしないタイプなので、後年、「井上陽水好き」「中森明菜好き」を公言して周囲にかなりアピールはしたものの、ファンクラブに入会して追っかけやるとかまではしなかったし、陽水ナンバー、明菜ナンバー全曲100%必ずもれなく好むということでもなかった。


 さて、演歌なのか歌謡曲なのかニューミュージックなのか、分類に悩む、湿っぽくて悲しい感じの曲、で中学時分、あるいは小学校時分までさかのぼって、幼いながらもなんだかこれはいいな、と思った曲なんてのも考えてみればたくさんあるわけで、森山良子ナンバーのなかでももっとも演歌っぽい歌謡曲範疇の1969年『禁じられた恋(作詞山上路夫作曲三木たかし)』は物悲しいメロディーと音圧あるアレンジの対比が絶妙だと思うし、1971年奥村チヨ『終着駅(作詞千家和也,作曲:浜圭介)』あたりは一度メロディー思い浮かべるとなかなか頭から離れないってところあるし、1974年中条きよし『うそ(作詞山口洋子作曲平尾昌晃)』も変な中毒性あって小学生ながらに「ひとりの身体じゃない なんて」とか真似て歌ってた気がする。で、親が嫌な顔する、みたいな。ははは。あと急に思い出したけど、親好みってところで倍賞千恵子のベスト盤も1枚自宅にあって、演歌っていうよりは唱歌っぽい1962年『下町の太陽(作詞横井弘作曲江口浩司)』とか、ムード歌謡の範疇で光り輝く名曲といっていい『さよならはダンスの後に(作詞横井弘作曲小川寛興)』なんかも、時折しみじみ聴いてたわ。自分には全く無関係で知らない世界なのに感興をもよおす、みたいな。


 このへんの好き嫌いの綾みたいなのって、人間2人以上あつまると、どうしてもちょっとした波風たつことあるのは世の常であって、その場にいた人間にもよる、って話で、同じ職場のカラオケ、しかも幅広い年齢層で、って場合でもメンバーによって

『うそ』とか『涙の操』とかやめといた方が無難って時もあるだろうし、あとちょっと話ずれるが松山千春の『恋』あたりも誰かの地雷踏む可能性高そう。自分は『恋』けっこう好きですけどね。


 ずれたまま話続けると、自分は『空手バカ一代』、主題歌もアニメもそこそこ好きなので、会社のカラオケで主題歌うたったら、逆にそういうの好きそうな体育系の上司に「うわーやめろー」って拒絶されたことあったし、ほんとなにがどう作用するのかまったく見通せないのが歌の好き嫌いの世界だよなあ、とつくづく思う。


 西村賢太の稲垣潤一好きとかも、それを知ったときには意外な感じがしたり、とかね。


 音楽って耳防げない状況だと強制的な時間泥棒になるっていうような要素もありますからね。


 これまたずれたままの話だしSNSでも書いた話だが、後年JAZZ好き講じて本場ニューヨークまで行って、ヴィレッジヴァンガードでメル・ルイスオーケストラ堪能してたら、日本人ビジネスマン風ネクタイ族の集団客が「うるさいなあ。河岸変えるかあ」つってゾロゾロ演奏中に大挙して出て行ったのを目の当たりにしたとき、おいおい正気か!?と怒り心頭になったんだけど、ヴィレッジバンガードにライトユーザーお断りって書いてあるわけでもなく、観光スポット的な紹介のされ方してる面も当時もあったし、よくよく考えればいたしかたのないことなんすよねえ、みたいなね。


 さて、中3くらいまでに、1979年くらいまでに、好んで聞いた演歌、演歌風の曲、演歌なのか歌謡曲なのかムード歌謡なのかニューミュージックなのか分類が難しい曲、のなかで最も記憶に残る1曲はやはりなんといっても1975年小坂恭子『想い出まくら(作詞作曲小坂恭子)』ですかねえ。中森明菜もカヴァーしてますねえ。

中森明菜は同世代だけあってカヴァーやるときの選曲がいちいち納得なんすよねえ。


 小坂恭子はポプコン出身自作自演ミュージシャンだし、これはまあ「ニューミュージック」系統の曲と言えるんでしょうけど、1975年ってまだその語句なかったわけで、『シクラメンのかほり(作詞作曲小椋佳)』を布施明が唄ってレコード大賞とった年なので、歌謡曲と自作自演ミュージシャンの境目が無くなり始める勃興期、というか端境期というか、そんな時期の曲なわけです。


 で、人々の好みの違いによる空気の綾みたいなことで言うと、ウチの親はこれ完全に嫌ってました。なんかこう、しみったれすぎてる!!みたいな。いやまあそりゃまったくその通りなんだけど、それを言っちゃおしまいでしょ、みたいなもので、親がいないところでエアチェックのテープでひっそり聞きましたよ。


 小学生、童貞の小僧が、想像するわけですよ

「ねえあなた ここに来て 楽しかったことなんか 話してよ 話してよ」と煙草ふかしながら、酒飲んだりしながら、ひとりつぶやくのかささやくのかなんなのか「女」が嘆息している光景を。


 いや、べつに、サディスティックに小学生の分際で「女にこんなこと言わせてみてえ」などと野蛮で恐ろしいことを考えていたわけではありませんよ。そりゃもう。

そうではなくて、「そうだね、たいへんだね、さびしいね」とか共感して寄り添うような心持ってものをもちたいところであるよなあ、みたいな心境ですよ。いや、どうかな、ちょっともう昔のこと過ぎてわからんな。ははは。煙草ふかしながら、酒飲んでため息ついてる「女」のところに近寄って、そうだね、さびしいね、とかおれみたいな小僧が猫なで声で髪の1本でも2本でも10本でも撫でようものなら、「坊や 一体 何を教わってきたの(山口百恵『プレイ・バック part 2』作詞阿木燿子作曲宇崎竜童)」ってなるような世界がもうすぐそこに待っているような時代でもあったし。


 でも、この物悲しいメロディーライン、たまらなくいいなあ、とは今でも思いますからね。その気持ちは小学生時分もアラ還の今も変わらず同じってことで。











 










 






  






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