《第二部:魔物の森と暗黒の血脈》

第6章:森の夜明けと奇妙な気配

 夜の森は、肌を刺すような冷気と重苦しい闇に包まれていた。木々が密集し、空を覆い尽くすようにして月明かりすら遮る。そんな暗黒の中で、俺は木の根元に身を横たえ、眠りをやり過ごしていた。周囲の茂みからは小動物や虫の鳴き声が止むことなく響き、まるで森全体が生き物のように蠢いている。


 時折、遠くから狼の遠吠えが聞こえたが、最初の群れを倒した後に寄ってくる狼はいなかった。もともと夜目の利く狼が暗闇で奇襲を仕掛けてくる可能性もあったが、幸いにして大きな襲撃はなかった。


 やがて森の隙間からわずかに朝の光が射し始める。周囲が薄青い色彩を帯び、獣の鳴き声がぼんやりと遠ざかっていくのを感じる。俺はゆっくりと四肢を伸ばし、もぞもぞと起き上がった。まだ体中に、先日の剣士との死闘でできた細かい傷が残っているが、幸い回復は順調だ。捕食による成長と、自分で見つけた回復薬のおかげかもしれない。


 「メェッ……」


 短く一声鳴いて伸びをする。相変わらず人間の言葉は出せないが、自分が何を思っているかはちゃんと理解できる。これがまた奇妙な感覚だ。


 気配察知のスキルを研ぎ澄ますと、森の深い場所からなんともいえない邪気――ただならぬ“魔力”のようなものが伝わってくるのを感じる。まるで巨大な存在が眠っているかのような、圧のある気配。近づけば危険かもしれないが、同時に俺を惹きつける何かがある。


 この魔力の源を突き止めれば、大きな経験値を得られるかもしれない。あるいは、そこに待ち受ける“主”のような存在に出会う可能性もある。俺は森に入った以上、強くなる糧を求めて奥へ奥へと進むべきだ。


 夜が明けきらないうちに行動を開始し、湿った地面を踏みしめながら進む。朝の冷気は重く、吐息が白くかすむ。生い茂る下草に足を取られそうになるが、羊の四足歩行にもある程度慣れてきた。


 やがて、地図から推測するに森の中央付近へ向かうであろう道に差し掛かったところで、少し開けた場所を見つけた。そこには何かの廃墟のようなものが存在する。苔むした石造りの壁が崩れかけており、かつては人間か、あるいは異種族の集落だったのだろうか。


 重い空気が漂うその廃墟を警戒しつつ回り込んでみると、中央に井戸の跡があり、その周囲を樹木の根が取り囲んでいる。その姿はまるで、森が人間の遺構を飲み込もうとしているかのようにも見えた。


 「……メェ」


 思わず一声漏らす。そのとき、井戸の傍らに見慣れない植物を見つけた。赤黒い葉をつけた不気味な草で、根元からは僅かに蒸気のようなものが立ち上っている。触れるのは危険な気もしたが、何か魔力を感じる。


 ――ガサリ。


 背後の草むらが揺れ、咄嗟に身を構える。すると現れたのは、巨大なムカデのような魔物だった。体長は俺の体の三倍近くある。複数の脚が地面を這い、毒々しい光を放つ外骨格が艶めいている。


 「ジジジ……」


 甲高い摩擦音のような声を立てて俺に襲いかかってきた。どうやらこの廃墟を根城にしている魔物らしい。気味の悪い細長い体がうねり、先端の顎が噛みつこうと開閉している。


 だが、レベル4まで成長した今の俺には、そこまで恐れる相手ではない……はずだ。慎重に角を構え、突進のタイミングを計る。相手のムカデは毒を持っていそうだ。下手に噛みつかれると危険かもしれない。


 ムカデが突き出す顎を紙一重で避け、狂乱の一撃に繋げようとした瞬間、背後にもう一匹、同じような巨大ムカデが姿を現すのを視界の端で捉えた。


 「二匹……か」


 どうやら群れというわけではなく、つがいかもしれない。背後を取られた状態で戦うのは厄介だ。俺は一旦飛び退いて間合いを調整する。ムカデ同士は連携して攻めてくる気配がある。


 一匹目が横から飛びかかり、もう一匹が俺の逃げ道を塞ごうとするように回り込む。先にどちらかを仕留めなければ、挟み撃ちを受けてしまう。


 「メェエエッ!」


 獣じみた雄叫びを上げ、まずは最初の一匹に体当たりを仕掛ける。鎌のような脚がカサカサと動き、毒の顎がこっちを狙ってくるが、俺は角で外骨格を砕くように叩きつけた。甲高い金属音めいた音が鳴り、ムカデが苦痛にうなされるように身をよじる。


 その隙にさらに頭を振り下ろし、外骨格の隙間に噛みつく。まずい、このムカデの体液はかなり苦い上に不気味な味がするが、ためらっている暇はない。捕食しなければ、どこかのタイミングで再び襲われるだけだ。


 頭部をもぎ取る勢いで噛み締めると、ムカデはビクビクと痙攣しながら絶命した。ドロリとした濃い液体が牙の間から溢れる。


 ――「経験値を獲得しました」――


 脳内にシステムのような声が響くが、次の瞬間、もう一匹が背後から突き刺すように顎を突き出してくるのを気配で察知する。慌てて身を翻したが、背中の毛をかすめられ、ひやりとする痛みが走った。


 「クソ……!」


 声にならない声で苛立ちを吐きながら、今度は俺が突進スキルを使って先手を打つ。地面を蹴って体を低く飛び込み、ムカデの胴を横合いから角で貫こうと狙った。しかし、ムカデは素早く後退し、背後の壁に体を伸ばしながらこちらを射程圏に留めている。


 狭い廃墟の空間で戦うのは意外に難しい。相手は体の長さを利用して攻撃範囲を広げている。下手に懐に飛び込むと逆に首を噛み砕かれかねない。


 そこで俺は、つい先ほど食らったムカデの“嫌な”液体がまだ口の中に残っているのを感じた。独特の苦味と粘性。それを吐き捨てたいが、ふとその液体が何かの役に立つかもしれないという考えが閃く。毒性こそまだ分からないが、少なくともムカデ自身に有利にはたらく液体なのだろう。


 自分は羊の口の構造を最大限利用し、液体を吐き出すようにして相手の顔面を狙う――というよりも、相手の顎周辺を狙ってみた。


 「ジジッ!」


 泡のような粘液がムカデの目あたりにかかり、一瞬視界が奪われたのだろう。ムカデは狂ったようにのたうち回る。ここだ、と一気に距離を詰め、角で頭部を砕くように振り下ろす。


 メリメリと嫌な音がしたが、外骨格の割れ目を無理やりこじ開けると、ムカデは断末魔の声をあげて絶命した。


 ――「経験値を獲得しました。レベル4 → 5」――


 やった。ついにレベル5だ。身体が熱くなるような感覚とともに、さらなる力が湧き上がってくる。システムの表示が脳裏に浮かぶ。


 【新スキル】虫毒耐性Lv1

 【狂乱の一撃Lv1 → Lv2】


 どうやらこの巨大ムカデとの戦闘と捕食によって、虫系の毒耐性を得られたようだ。さらに、狂乱の一撃もレベルアップした。今後、毒持ちの魔物が多い森ではかなり便利になりそうだ。


 「メェ……」


 安堵の声ともつかない声を上げながら、まずは二匹のムカデを分割して捕食する。独特のグロテスクな味が胃に重くのしかかるが、これも成長の糧。時折吐きそうになるが、ぐっとこらえて食べきった。


 ……一息ついて辺りを見渡すと、この廃墟にはまだ何かが潜んでいるような気がした。視線をやや上にやると、崩れかけた壁の上部に、まるで人の顔のような模様が刻まれている。いや、かつては彫刻だったのだろう。何かの神か精霊を祀った施設だったのか。


 「ここに留まってもいいが、危険が多そうだな……」


 そう思いながら廃墟を後にしようとしたその時、井戸の近くからぼんやりとした黒い影がふわりと揺れたように見えた。幻覚か? あるいは、この場に残っている怨念めいたものか――。


 俺は一瞬そちらへ意識を向けたが、特に攻撃される気配もない。単なる見間違いかもしれない。気味が悪いが、深入りするのは得策ではないと判断して先へ進むことにした。


 今はひたすら経験値を稼ぎ、レベルを上げたい。それが“魔王”――まだはっきりとした目的ではないが、頂点を目指すならば、この森の覇権を握るくらいの強さは必要だろう。

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