ラボータ
野志浪
ラボータ
西暦2125年。
社会のホワイト化によって労働者の待遇が是正され尽くした結果、『汎用労働アンドロイド』が多くの仕事を任される世の中となった。
介護、清掃、土木工事…。
人間が「もうやりたくない」と放棄した業務は全て彼らが代行し、当の人間たちはベーシックインカムを受け取って一般的な生活水準を担保する。
心にゆとりのできた人類はスポーツや芸術活動に精を出し、むしろさらに金が欲しい者であればAIのデバッグ活動等に参加することで報酬を得る選択肢も与えられていた。
皆が文化的な生活を手に入れたことで、人は攻撃性を失い善良になる。
犯罪率は大幅に減少し、もはやこの時代は「人類の最終到達地点」と評価されるに至ったのだ。
…しかし今日、欠陥アンドロイドのラボータは嫌なものを2つ見た。
1つ目は、博士に頼まれていたスクラップの廃棄を忘れていて、回収時間ギリギリにゴミ捨て場まで走ったときだ。
カラスの食い散らかした生ゴミまで一つずつ丁寧に拾い上げた業務アンドロイドは時間通りに仕事を終えて、既に収集車を発進させようとしていたのだが、ラボータが後ろから「おい、待ってくれ!」と叫ぶと、青信号のチャンスを棒に振って停車してくれた。
アンドロイドは運転席から降りると、「おやおや、走らせてしまいましたね」と紳士に呟いてゴミ袋をすぐに受け取り、爽やかな笑顔を浮かべて去っていった。
2つ目は、夕べの買い出し帰りに、いつもの通りで立ちんぼアンドロイド2体の会話が聞こえたとき。
「…今日のお客さん、久々にちょっと乱暴だったわ。」
「あら、良かったわね。人間どうしでトラブルになる前に発散してもらえて。」
「ほんとよ。この仕事を任されてる甲斐があるわ。気に入ってくれたなら、また来てくれるといいのだけど。」
ラボータは腑に落ちない顔をしたままその前を通り過ぎたとき、博士に頼まれていたサランラップを買い忘れていたことに気が付いたが、同じ道を戻りたくなかったので、そのまま研究所に帰った。
「博士、ただいま戻りました。」
「おう、おかえり。部品の方は手に入った?」
「はい、まだ店も開いてました。」
「よしよし、ラップの方はレンジの横に置いといて。後で使うから。」
「あー、ラップもでしたっけ?すいません、忘れてました。」
「えぇ…お前…。ラップの方メインで頼んだじゃん……。おにぎりカピカピになっちゃうよぉ…?」
博士はションボリ顔で肩を落としたが、すぐにゴミ箱から使用済みのラップ片を回収し、水道水で洗いはじめた。
「博士。僕は博士のだらしない性格から作られたAIだから、ダメなアンドロイドになってしまったんでしょうか。」
「コイツ…。親ガチャの概念覚え始めたよ…。」
博士は悪態をつきながら洗ったラップでおにぎりを包んでいるが、どこか嬉しそうな表情だ。
「僕はゴミ収集も接待もしたくないです。きっと僕にはもっと向いてる仕事があるし、やりがいがあって、褒められて、カッコイイことをしたいんです。」
「…そんじゃ、ここの雑用もイマイチだろ。何か他の仕事探してやろうか?」
「いえ、僕は……僕は、人間のようになりたいだけなんです。自由で、創造的で、温かい…。ここで働いていれば、博士がそれを教えてくれる気がします。それに、僕を造ってくれた恩返しもしたいんですよ。プログラムされた義務感とかではなく、自分の心で。それが、人間らしさの一歩になると思うから…。」
博士は「ふーん」と言って背中を向けると、炊飯器の底に残っていた米粒をしゃもじで掻き出していた。
後日、ラボータは博士から休暇をもらった。
アンドロイドに休日を与えるオーナーは他に見たことがないが、とにかく彼は「今日お前の仕事は特にない」と言って自室に閉じこもった。
仕事をする必要がない人間たちは、普段どのように時間を過ごしているのだろうと考えたラボータは、偶然近所で開かれていた高齢画家の個展に赴くことにした。
実に人間らしい。貼り付けたような笑顔で労働に勤しむ他のアンドロイドたちとは違い、今日の自分には人間と同じ優雅な時間が与えられているのだ。
だが、展示されている作品の数々は、ラボータが想像していたようなものではなかった。
「挫折」、「苦脳」、「悲哀」、「孤独」。
もの重しい表題と筆使いによって描写された一枚一枚には、アンドロイドでも感じ取れる気迫と狂気が満ち溢れている。
他に客もいないアトリエで固まっていた彼は、不意に背後から声をかけられた。
「珍しいね。いつもは誰も見に来やしないのに。」
振り返ると、パンフレットの広告写真と同じ顔のお婆さんが立っている。作者さんのようだ。
「お婆さんの絵は、人気がないんですか。」
「そうさね。100年も前の社会描写なんて、みんな興味がないんだ。」
「100年前、人間はこうだったんですか。」
「そうさ。」
ラボータは改めて『労働』と書かれた作品に目を通した。
「僕がアンドロイドを辞めたら、どんな人間になると思いますか。」
お婆さんは老眼鏡を外して、ラボータの瞳をじっと見つめた。
「おや、あんたは人間かと思っていたよ。」
夕方、ラボータが研究所に帰ると、博士が客人と何やら口論をしているところだった。
「博士、あなたの作るアンドロイドからはAIの不具合が大量に発見され、全てリコールの要請が届いています。」
「あー…。悪い悪い、ちょっと寝不足だったんで凡ミスかな?」
「嘘はやめてください。あなたは世界一の技術者です。どうしてわざと反抗的なプログラムを設計するのですか?」
博士はポリポリと頭を掻いていたが、戸口から隙間風が入ったことで、ラボータの帰宅に気が付いたようだ。
「あ、もう帰ってきちまったか。」
「ただいま戻りました。…どうしたんですか?」
「いや、なんだ、ちょっとな…。」
客人はラボータを一瞥したが、すぐに博士に向き直った。
「とにかく、今後は欠陥品の製造を停止してください。そうでなければ、この研究所は閉鎖されてしまいますよ。」
「うん…ハイ…。」
客がラボータと入れ替わりに玄関から帰っていくと、博士は腕を組んで椅子に座り込んだ。
「…博士。わざと不良品作ってたんですか。」
「まあそうなんだよね。」
「僕がポンコツなのもわざとなんですか。」
「うーん、半分そうだね。」
「どうして……。」
博士は背もたれに体重をかけて言った。
「お前、やっぱり他の仕事探してみろ。もうこの研究所では自由に動けん。出ていった方がいい。」
「そんな…!」
ラボータは身を乗り出して声を荒げた。
「僕には造ってもらった恩があります!研究所がどうなっても、博士にはついていきますよ!」
「……お前は人間になりたいんじゃないのか?」
博士は机の引き出しから求人情報誌を引っ張り出し、ラボータの前に投げた。
「ラボータ、恩などここに捨てていけ。自分の意思で選んだ道に自分で苦しみ、自分のことだけを考えて生きろ。辛くて、孤独で、涙が出るまで自分のために精一杯働いてみろ。人間というのは、100年前からそういうもんだ。」
ラボータは俯いたまま、何も言うことができなかった。
そのまま「ありがとう」も言わないで、情報誌を抱えて研究所を飛び出した。
きっともう、ここに帰ってくることはないだろう。
そう思って、最後に走りながら一度振り返ろうとした。
だが、博士に買ってもらった靴の紐が解けていたのに気が付き、立ち止まる。
結局彼は振り返らず、それを結び直しただけだった。
そうすることしかできなかったのだ。
ラボータ 野志浪 @yashirou
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