全国高校生集団ジャーキング事件

曇天

全国高校生集団ジャーキング事件

 屋上から飛び降りた。


 ハートを捧げられるような輝かしい生活も、主人公になって誰かを救うような未来も、自分が立ち止まっている世界の延長線上にはないと知って。


 私に翼があったなら、今まで私の目にほんの少しの優しさとそれぞれの思惑をもって無責任に映し出されてきた世界へと、飛び立つこともできただろう。

しかし、不運なことか必然か。

そのような翼は、神様からも、親からも、そして今までの私からも、与えられていなかった。


 だから私は、飛び降りるしかなかった。


 僅かな浮遊感の後すぐさま地面へと、現実によって引っ張られる。


 ガタンっ。


 私の体にぶつかった机と椅子が、大きな音を立てる。


 私は、教室にいた。


 「ようやくお目覚めですね」


 私に向かって、教卓の前に立っている先生が言う。

その目は嘲笑っているようにも、安心しているようにも、申し訳なさを感じているようにも見えた。


 「......生きてる」


 「あなたはたった今、私たち大人が見せていた夢から覚めたのです」


 それを聞いて私は、これまで大それた夢を見ていたことを周りに知られたと気づき、顔を赤くした。


 「別に恥ずかしがることはありませんよ。周りの皆さんも同じですから」


 どうやら私以外の大半のクラスメイトも、ほとんど同じタイミングで、この高校の進路希望調査という時間に目を覚ましたようだった。


 現実という、今まで目を逸らし続けていた存在に突如立ち塞がれて動揺したのか、生徒の1人が先生に叫ぶ。


 「急にこんなことになって、いったい俺たちに何をするつもりなんだよ!」


 先生は他人事のように、実際他人事なのだが、言う。


 「何も。夢から覚めた君たちを縛るものはもはやありません。」


 もっとこう、具体的な何かを提示してくれるはずではないのか。

その場にいる生徒の誰もが思った。先生はそれを察してか察さずか、続ける。


 「もちろん、デスゲームを開催する、などのこともないので安心してください。とは言っても、君たちにとってはそっちの方が良いのかもしれませんがね。しかし、現実にはそういったドラマのような出来事は起こらず、君たちにはスポットライトも、観客の視線も当てられることはないのです」


 「そんな勝手な......」


 わかってはいた。わかってはいたが、それでも、つまらない現実を変える何かが起きて欲しかった。


 「夢から覚めてしまった君たちは、二度と眠ることはできません。実際、一度夢だと気づいてしまった夢なんて、もはや楽しむことができないでしょう」


 先生はゆっくりと私たちに言い聞かせた。

ただ、まだ私には気になることがあった。何人かの生徒が、依然として机に顔を伏しているのだ。


 「君たちも気付いているように、この教室にはまだ夢を見続けている人がいます。このことは君たちも知っておかなければなりませんが、世の中には才能や与えられた環境のために、いつまでも夢を見ることのできる人たちが一定数いるのです。しかし、今こちらを見ていない人のうち、全員が全員そうというわけではありません。それが夢だと分かっていても、現実から逃れるためにいつまでも目を閉じている人もいます。それも選択の1つです」


 先生は否定もしないし肯定もしない、できない。


 そしてもう1つ、私の中に違和感が残っていた。

その正体は、教室にいくつかの空席があったことだった。

私の視線に先生が気づく。


 「あぁ、もしかして誰も座っていない席が気になるのですか。それらの席に座っていた人たちの何人かは、君たちよりも前に夢から覚めて、それでもなお理想を求めて教室から飛び出していった人たちです。残りの人は、もう一度屋上から飛び降りてしまいました。なにも理想を捨てたからといって、一緒に命まで捨てる必要はないと私は思いますけどね」


 もしかしたらその人たちは、他の誰よりも夢に裏切られたのかもしれない、と私は思った。


 「別に現実をそこまで悲観的に捉える必要もないのですよ。私みたいに地に足をつけて生きるのも1つの選択肢ですし」


 そんな先生の言葉に、何人かの生徒は頷いていた。


 では、私はいったいどうするべきなのだろうか。


 もう少し、考える必要がある。

今はただそう思うことしかできない。

そのもう少しは、何時間も、何年も、はたまた一生かもしれなかった。


 先生は最後に言った。


 「とはいっても、今日起きたことは、君たちにとって記念すべき出来事であることは間違いないでしょう。事件と言ってもいい。何て名付けましょうかねぇ。おそらく君たちの年齢のほとんどの人が同時に体験している、夢から突如現実に叩きつけられる事件。うん、『全国高校生集団ジャーキング事件』とでも呼びましょうか」


 事件というのは、誰かにとっては不都合で、大勢にとって好都合なことしか報道されない。


 『全国高校生集団ジャーキング事件』は、僕らにとっては重大で、世間にとってはあまりにありふれた出来事だった。

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全国高校生集団ジャーキング事件 曇天 @donten_

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