せっ、先輩、来ちゃったんですか??

さーしゅー

先輩来ちゃったんですか?

 バイトのシフト間違いで、突然できた休日には、ちょうどやることがなかった。

 

 休みと決まった時点で、とりあえず友達の一樹(かずき)と亮(りょう)に声をかけてみた。だけれど、どちらにも「部活があるから」と断られてしまった。


 他に何人か当てはあったけれど、彼らも部活だろう。だから、連絡はしなかった。


 それでも、何もしないにはもったいない。見慣れた面白みのない自室を見渡していると、勉強机の上の課題ノートが目につく。塾で使用しているノートで、昨晩ガラでもなく夜遅くまで復習した名残だった。

 

「先輩、次のテストで私が勝ったら、一つ言うことを聞いてください! もちろん負けたら先輩の言うことを聞きますから!」


 そんな勝負を仕掛けられたのがつい昨日の話。


 なんて約束をしてしまったんだ……。


 可愛らしさと勢いについ負けてしまったのだと思う。勝負をするならば、すべきことは一つしかない。だけれど、自室でやるには味気ない。だったら……。

  

 机の上のノートと筆記用具をトートバッグにまとめると、俺は軽い気持ちで部屋を後にした。これが後に、大きな後悔を生むことになるともつゆ知らずに。

 

 

 * * *

 

 自転車で十数分、近くも遠くもないファミレスは、まだお昼には早い時間なこともあって、店内はガラガラだった。


 店員さんに「お好きな席にどうぞ」と案内され、どこの席にしようか迷っていると、ドリンクバーの前に見知った顔を見つける。


 学校指定の紺色のブレザーを身に纏う彼女は、テキパキとジュースを注いではお盆に並べている。彼女こそが、昨日とんでもない勝負を仕掛けてきた塾の後輩、平野 結奈(ひらのゆな)だった。


 同世代に比べ比較的小柄で、あどけなさが残る童顔。(本人に言うと、頬を膨らませて怒ってくる)その見た目に反して、お世話好きなお姉ちゃん気質(本人に言うと、照れて背中を叩いてくる)。そんな彼女とは、塾の休憩時間によく話すほどの仲だと思っていて、今日も自然と声が出た。


「平野さん?」


「ふぇっ! …………せっ、先輩、来ちゃんったんですか??」

 

 ガチャン。グラスが大きな音を立てて、お盆に着地する。


 彼女はあたふたしながら、目をキョロキョロとさせている。どうやら、彼女がびっくりして、手を滑らせたらしい。運よくお盆の上だったので、グラスは事なきことを得た。


 そして、ガラスの大きな音を聞いて、平野さんの元に一人の同世代の男子が駆けてきた。

 

「平野さん、大丈夫? …………って、岡田?」

 

 その私服姿の彼に、俺は見覚えがあった。彼はこちらを見るなりピタリと、凍りついたように動きを止める。

 

「一樹? ……今日部活があったんじゃ」

 

 バサリ。俺はトートバッグを手からこぼす。


 ふと一樹が駆けてきた方向を辿ると、奥のテーブルに亮の姿も見えた。あと平野さんの友達らしき女子二人も見える。


 目の前の一樹はバツが悪そうに俯いていて、目が合う気配がないし、テーブルにいる亮も明らかに俯いている。平野さんは、あたふたしていたけど、ぴたりと止まり、次第に顔は青ざめていく。

 

「ごめん、邪魔したわ……」

 

 俺は落ちたカバンに手を伸ばすと、汚れをパンパンと軽くはたき落とす。


 彼らに背を向けて、ファミレスの出口に向かう。もちろんこんな場所で落ち着いて勉強する気になんてならないし、勉強へのやる気すらも失せていた。


 案内してもらった店員さんには申し訳ないけど、一言断りを入れて帰ろう。そうやって歩き出すも、左手の手首がぎゅっと引っかかって、前に進むことができない。

 

「先輩、待ってください! ……こっちに来ませんか?」

 

 彼女の瞳は、俺の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。よく笑う小さな口にはぎゅっと力がこもっているし、いつも大きく見開いている目元は少し潤んでいた。

 

 それだから、彼女の腕を払うことなんて出来ない。だけど、彼らのテーブルには絶対に行きたくない。

 

 お互い譲ろうとしない結果、しばらくの間、二人の間に言葉は生まれない。


 だけど、後ろに並んでいるドリンクバー利用客からは、苦情が生まれる。


 いつの間にか、後ろに他校の制服を着た二人が並んでいて、「……あの」と迷惑そうな声をあげられる。


 俺は「いい加減にしろ」と平野さんを軽く睨むも、平野結奈は首をゆっくり横に振る。決して、手を離そうとしない。


 これはもう、負けだった。

 

「わかったよ……行くから離して」


 俺がため息混じりに呟くと、俺の手首は素直に解放された。

 

 彼女は後ろの二人に「すいません」と深く頭を下げると、お盆を抱えて素早くドリンクバーの前を去る。

 

 

 * * *

 

 俺が渋々そのテーブルに向かう頃には、テーブルの誰一人も喋っていなかった。

 

 

 テーブルの上には二冊のメニューブックが広がっていて、ジューシーなハンバーグや賑やかで楽しそうなお子様ランチが映っている。とりあえずドリンクバーだけ頼んで、次に食べるものをワイワイと考えていたのだろう。


 テーブルの奥側には、亮と、今戻ってきた一樹が座っていて、手前側には平野さんの友達が二人座っている。


 平野さんは立ったまま、一樹の隣に座るよう促してくる。でも、座ったら逃げられなくなるので、立ったままでいる。


 

「偶然岡田先輩に会ったから、参加してもらおうと思って」

 

 平野さんが俺を連れてきた経緯を説明すると、その言葉は不味かったのか、皆が顔を近づけあって、コソコソ話を始める。


 『さすがに、岡田本人の前では……』とか『ちょっと、結奈落ち着いて!』とか、『またの機会にしない?』とか、いくらヒソヒソばなしでも、この距離だと丸聞こえだった。


 心の中のヒリヒリとした痛みは、次第に増していく。 


「じゃあ、やっぱりどこか行こうか?」

 

「絶対ダメです! 早く座ってください!」

 

 彼女は即座に俺の手首を握ってくる。その手はどこか震えていた。


 しばらく、掴まれた手首に視線を送ってみても、彼女の手が離れることはない。俺はその手首をみて、どうしたもんかと頭を抱えていると、ずっと黙っていた一樹が口を開く。

 

「平野さんはああ言っているけど、岡田はどうする? たぶん俺らのことを信じることはできないと思うけれど、俺は去ったほうがいいと思うよ」

 

 普段はそれなりに信頼している一樹。だけど、この状況で俺はどうやって彼を信頼すればいいのだろう。もちろん、彼がいう通り、去った方がいいことは明白だ。だけど、それ以上に嘘をついた彼の言葉を飲み込むのがあまりにも癪だった。

 

「じゃあ、お邪魔させてもらうよ」


 俺は無理矢理に笑顔を作ると、拳二つ分の隙間を空けて、一樹の隣に腰をかける。目の前の席に平野さんも座る。平野さんの友達とは軽く面識があるので、軽く会釈をしても、彼女らは苦笑いをするばかり。

 

「これ、もう頼むもの決まったの?」

 

 あまりにも気まずい雰囲気に耐えられなくて、俺はメニューブックに目を落とす。なんか、お子様ランチのページが開いてある。


「大体は」


「じゃあ、……これかな」

 

 そう言いながら適当にペラペラとメニューブックをめくって、目についた唐揚げ定食を指さす。ベルを押して、来た店員さんに注文を伝えて、店員さんが去っていって……。


 そこまでずっと無言でそれからも無言。わざわざハブられてるだけあって、本当に嫌われているのだろう。みんな面識はあって、仲はそれほど悪くないと思っていたけれど、本心はそうでは無かったらしい。


 これはもしかしたら、旅行とかみんなで遊ぶ計画を立てようとしてたのでは? それだったら、俺がいたらだいぶ都合が悪いし、これまでの言動と辻褄が合う。


 一応注文はしたけれど、胃がもう食べ物を受け付けられる状態ではない。ここは、毒を喰らえば皿まで。なんなら毒瓶まで煽ってやろうと、俺の方から切り出す。

 

「これは何の会なの?」

 

 その瞬間、空気がピリッとした。「えっと……」と平野さんの友達が、ためらいがちに言いかけた時、「えっとね!」と、平野さんが大きな声を出して立ち上がる。その声は震えていた。

 

 そして、彼女の次の声で、今回の目的を知る。ここの全員と、絶交になるくらいの何かが出てくるのだろう。一周回って楽しみになってきた。膝上で握る拳は、はっきりと震えていた。

  

「今日はそっ、その……みんなに相談があって……………」


 彼女はそこで一つ言葉を止めると、チラリと俺をみた。それは、遠慮か、配慮か、はたまた別物か。彼女は足まで震えていて、極度に緊張していることが目に見てわかる。


 彼女は一瞬目を瞑り、ゆっくり大きく息を吸った。





 





「告白のアドバイスを教えて下さいっ!!



 私、同じ塾に好きな先輩がいまして……」






 平野結奈の瞳は、間違いなく俺を見つめていた。途端に、心臓の鼓動はうるさいほどに早くなる。頬が一気に熱くなるのがわかる。


 でも、これは決して自分のこととは限らない——


「次のテストで、勝負してて、勝ったら、告白を聞いてもらおうと思ってて……」

 

 まだ、彼女は俺の瞳を見ているする。もう頭の中が、沸騰しすぎて、まともに直視できなかった。逃げるように周りを見ると、ニヤニヤとした生暖かい目線が突き刺さる。


「(……これ、あれだ。絶対来ちゃダメなヤツじゃん!!!!!)」

 

 

 後悔した時には、すでに時おそし、そこから二時間以上に渡り告白のアドバイスは続いた。






 ……告白される側の、当人を目の前にしたまま。






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