【16 変わるということ】

・【16 変わるということ】


 陽菜はあれ以来、あまり喋らなくなってしまった。

 静かに俯いていることが多くなった。

 僕もどうすればいいか分からず、陽菜と距離を取っていると、溝渕さんが僕に近付いてきて、こう言った。

「ほら、陽菜さんと年齢の近い、信太くんが陽菜さんのことを慰めにいってほしい」

 すると陽菜が、少し怒っているような強い声で、

「聞こえてるよ。アタシのことは気にしないで」

 と言った。

 でも溝渕さんは僕の背中を促すように押したので、僕は立ち上がり、陽菜の隣に座った。

「いいよ、別に」

 そう言って伏し目がちにそっぽを向いた陽菜はまた口を開いた。

「そういうさ、気を回す説教オジサンみたいなことウザいんだけども」

 それに対して溝渕さんは頷くだけで。

 僕はちょっと気になって、

「オジサンとか言うの止めなよ」

 と言っても、

「事実じゃん」

 と言うだけで。

 溝渕さんは優しく柏手を一発叩いてから、

「まあオジサンがこれ以上喋ってもしょうがないから、俺はちゃんとどっかを向いておくよ」

 と言って体はまだ僕と陽菜のほうだけども、首はじゃないほうを向いた。

 沈黙。

 何を言えばいいんだろうか、溝渕さんに丸投げされてしまって。

 でも言葉は浮かんだ。

 それを言うことにした。

「陽菜、僕は元気に喋る陽菜のほうが好きだよ」

「でもさ、あんなの見ちゃったらもう終わりだよ、元気なんて出ないし」

「陽菜はさ、この空間を変えようとしていたじゃん、僕はそれにすごく感銘を受けていたんだよ」

「でも変わらないし、変わる必要も無いよ、あんなヤツら、死んでしまえばいいんだよ」

「悪い人しか来ないわけじゃないよ」

「いやでも今までだってさ」

 という言葉を遮るように、僕はこう言った。

「だって陽菜が悪い人じゃないじゃん」

 ビクンと体を波打たたせた陽菜。

 僕は続ける。

「溝渕さんも僕は良い人だと思う。僕はまあ自分のことだからよく分かんないけども、少なくても溝渕さんと陽菜は良い人だよ。溝渕さんはこの空間を熟知していて導いてくれるし、優しい言葉も掛けてくれるし、この空間を変えようと思って行動していた陽菜は絶対に悪い人じゃない。それに、実際本当に悪い人じゃなくて穏やかに死んでいった人だっているんだよ」

「アタシは……」

 そう言って俯いた陽菜に僕は畳みかけるように、

「死にたいよ、すごく死にたいよ、でも陽菜と一緒ならつらくないかもしれない。前よりは死にたいと思う気持ちが減ったかもしれない。きっと死ねる……なんて死を肯定している時点で死ねないんだけどさ、何だか僕も良い方向に変化できたような気がするんだ。それ

は絶対に陽菜のおかげだよ」

「そんな……」

「そんな、じゃなくて。やっぱり変化するには、この空間を変化させるには自分が変わらないといけないと思うんだ。この空間は自殺室にやって来た人によって変わる、僕たちにとってはいわばリアクション型の世界だけども、それを越えて、超えて、変えるなら、この死ねないという運命を変えるなら、自分で変わらないといけないと思うんだ。そして僕は変わったんだ。陽菜が来てくれたことによって、好転したんだ」

 すると溝渕さんもゆっくりと喋り出して、

「僕も、信太くんが来たことによって、そして陽菜さんが来たことによって、徐々に掴めてきたモノがあるよ。二人には感謝しているよ。本当に。だからこそ陽菜さんにはまた元気に喋ってもらいたい。結局は俺のエゴイズムだ。陽菜さんが元気に喋ってくれると俺にとって良いことが起きるんだ。深部は勿論、表層的に、単純に面白いからな。信太くんと陽菜さんの会話は」

 それに対して、ピクンと耳を動かすように反応した陽菜は顔を上げて、僕と溝渕さんのほうを見渡してから、

「何で信太も弥勒さんもそんなに優しいの……?」

 と言ったので、僕はハッキリと、

「それはおあいこさまだよ、陽菜だって優しいじゃないか。何も知らなかったとは言え、自殺室にやって来た人が死なないように動こうとしたり、陽菜が一番優しいんじゃないかな。僕が最初にここへ来た時はもう悟った風で溝渕さんの言われた通りだったよ」

「そんな、アタシなんて優しくないよ、ただ自分が快適に生活できればそれでいいだけで」

 何か言いたそうな顔で生唾を飲み込んだ陽菜は、続けて喋り始めた。

「でもこの高校にいる限り、アタシの快適って無いなと思って。アタシはアタシの快適なためトップになりたかっただけなのに、こんな周りの死が苦しいなんて思わなかった。もっとアタシは非情だと思っていた。もっと非情だと思い込みたかった。だからアタシはこの自殺室で生きることになった時、信太を振り回しても別に良い存在だと思って喋りまくった。弥勒さんのことはお客さんだと思って関わらなくてもいいと思った。全部全部アタシのため。それなのにそれを肯定するなんて、どういうこと……?」

「結果論なのかどうかは分からないけども、僕は陽菜の喋り、好きだよってもう一回伝えとくよ。何なら何度でも言おうか? 大事なところだからね」

 溝渕さんも口を開き、

「俺も観客になったおかげで、客観的になれたよ。陽菜さんのおかげなんだよ。だから元気を出してほしい。これからも信太くんと喋ってほしい。まあ話したければ俺と会話してもいいけどな」

 陽菜はまた俯いて、うなだれて、そして泣き始めた。

 泣く声が真っ白い空間に響き渡った。

 僕は優しく陽菜の背中をさすった。

 こんなどうしようもない空間だし、ずっと死にたいだけなんだけども、一緒にいる限り僕たちは同志だと思う。

 変わるには、いや変えるなら何か正していかなければならない。

 陽菜とも、溝渕さんとも、何かを変えていけば、きっとその先に何か待ってるかもしれないから。

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