第3話 僕は今日、高校生活をやり直す。

 夏休みが終わり、二学期が始まると同時に、浴内さんは教室内の羨望を独り占めにした。

 よく耳にする「夏休みに垢抜けしちゃった!」なんてレベルではない。 

 人間鏡餅が夏を境に、一気にグラビアアイドルへと進化したのだ。


 これを仕掛けた側の人間としては、浴内さんが話題になればなるほど、一人ほくそ笑んでしまう。

 僕が人生で一番大事な高校一年生の夏の全てを費やして今の浴内さんを造り上げたんだ。

 そんな彼女が受け入れられない訳がない、どうだ鷹野、驚いたか。

 お前なんかの為に、僕は一番大事な夏休みの全てを使い切ってやったぞ、クソが。


「鷹野君、今日の放課後、時間ある?」

「おお、別に構わねぇぞ。しかし浴内、綺麗になったな」

「ありがと……じゃあ、放課後ね」


 教室の隅っこから聞き耳びんびんに立てて、二人の会話を聞き入れる。 

 こうして生まれ変わった浴内さんは、鷹野君が美味しく頂きましたとさ。


 ちゃんちゃん。


 鷹野はボクシング部だっけか、やっぱりああいうのがモテルんだろうな。

 ピンポン部だって別に悪い部活じゃないんだろうけど、ヤル気が出ないんだよな。

 一年生、僕ともう一人しかいないし。

 三年生は既に引退ムードで、二年生は三人しかいないし。


 そんな事を考えている内に、放課後へと時間は過ぎてしまっていた。

 きっと今頃、体育館裏か、どこかの空き教室か、なぜか開放されている屋上か。

 いずれにせよ、浴内さんが鷹野に告白して、お付き合いすることになってんだろうな。

 終わりよ終わり、これでまた僕は教室で独りぼっち。 

 何も変わらない日々が舞い戻ってくる訳ですか。


「あーあ、死にて」

「死ぬなんてダメだろ」


 は? 独り言に返事とか、一体どこの酔狂な奴がしてんのよ。

 って、顔を上げてみたら、そこにはいつかの眼がありました。

 

「お前と浴内が交際してるってのをネタにしようとしたのに、ネタにすらならないとかな」


 鮫田ヒラリ、なんでコイツが僕の側にいるんだよ。 

 周囲を見るも、誰もいない。 

 なんだ? 直接制裁を入れにきたのか?

 コイツも暇人なんだな、誰もいなくなるまで待つとか。


「というか、やっぱりか。いきなり浴内さんが告白して来たから、何かあったのかと思ってたけどさ」

「は? 何勘違いしてんのか知らないけど、アタシは何もしてないよ」

「言っとけ、どうせ鷹野を通じて、浴内に告白させろとか言ったんじゃないの?」

「言わせる訳ないだろ。アンタに言わせたところで、意味なんか何もないし」


 なんだ? 結局コイツ何が言いたいワケ?


「大体、鷹野はアタシのことなんか、これっぽっちも見てねぇよ」

「まぁ、そんな感じなのは、見てて分かっけどな」

「アタシだって別に、鷹野のことを見てないし……っていうか、そんな話をしに来たんじゃねぇんだよ」


 どんな話をしに来たのよ。

 オラ、殴りに来たのか? いいぜ、一発ぐらい喰らってやんよ。


名月なつきが、アンタと話がしたいって」

「名月?」

春夏冬あきなし名月が、アンタと話がしたいって言ってんだよ」


 一瞬、誰が何を言っているのか分からなかった。

 でも、春夏冬あきなしの名前を聞いて、一瞬で頭の中が五月に戻った。

 

 僕が距離感バグらせて、攻め立てて、イジメて、不登校になってしまった最愛の人。

 肩口までの髪、日に焼けていない真っ白は素肌、耳にするだけで尊い声。

 浴内さんがグラビアアイドルなら、春夏冬あきなしさんは清純派アイドルだ。

  

 再会することが出来たら、謝罪しようと思っていた。 

 僕が登校する一番の理由は、春夏冬あきなしさんへの謝罪だったから。

 むしろ、それが無くなってしまったら、僕はもう、この学校へは通えないと思う。

 ある意味、心の支えだったんだ。彼女がいないことが、心の支え。 

 登校を再開してしまったら、僕はこの学校に通うことが出来なくなる。

 申し訳なさ過ぎて、やっぱり、死にたいと思う。


「それで、会ってくれるのか?」


 会ってくれるのか? その言葉は間違っているよ。

 強制的にでも会わせたいんだろ? だって、僕の謝罪が聞きたいのだろうから。


「ああ、会うよ。それが、僕の一番の望みだったから」


 緊張して、声が震える。

 ありえないぐらいに怖いと思っている自分がいる。

 言うなれば、僕は加害者だから。

 加害者が被害者に遭う怖さを、どれだけの人が知っているのだろうか。

 加害者のくせにと思われるのかもしれない。

 でも、絶対に許されない相手との邂逅は、とても怖いんだよ。


 怒られたくない。 

 しかし鮫田が連れて来た場所は、あろうことか春夏冬あきなしさんの自宅だった。

 夏が過ぎ、けれども残暑の余暇が残るこの道程において。 

 僕は、汗が止まらなかった。冷たくて、頬を伝い続ける嫌な汗が、止まらなかったんだ。


 門に飾られた大理石で作られた表札には『春夏冬』と綴られている。

 間違いなく特注なんだろうな、こんな素敵な苗字、他に見たことがないし。

 素敵な苗字に相応しい、素敵な豪邸。三階建て? 屋根が三角じゃない。

 四角くて、屋上も併せたら四階建てかな? って、そんな感じの家だ。


 俯き、何も言えずにいるのに、鮫田は容赦なくインターフォンを押した。

 押した後、聞こえてきた声は、間違いのない春夏冬あきなしさんの声。


『開いてるから、入ってきていいよ』


 家の中に入ると、とても静かで、母親の存在を感じさせなかった。

 昨今、共働きはいたって普通だ。恐らく、働きに出ているのだろう。

 

 女の子の家、というだけで、空気が違う。

 ふわりといい匂いがして、これだけで、気恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。

 

「アタシが一緒なのは、ここまでだ」


 一階の突き当りの扉、そこが春夏冬あきなしさんの部屋。

 三階建てだから、二階やその上はまた別の部屋なんだろうな。

 すぐに出かけられる場所に部屋がある、なんていうか、生活の格差を感じる。


「アタシは二階にいる。何かあったらすっ飛んでくるから、そこんとこ、わきまえて接しろよ?」


 言われなくてもわきまえるさ、何ならこのまま扉越しに謝罪して終わらせたいくらいだ。

 鮫田さんが階段を上ると、その音を聞いてか、春夏冬あきなしさんの部屋から声が聞こえてきた。

 とても懐かしい、毎日聞いていたいと思っていた、彼女の声。

 

「有馬君、だよね。入っていいよ」

 

 僕は、面接に来た生徒の如く、二回扉をノックし「失礼します」と言いながら、扉を開けた。

 室内へと足を踏み入れると、まずはつま先が、彼女の部屋のカーペットの感触を伝えてくる。


 ピンク色の敷き詰められたカーペット、下げた視線を上げると、楕円の小さいガラステーブル、テーブルの上にはメモ帳やペンが転がっていて、その先にあるベッドに、果たして彼女は腰かける。


 春夏冬あきなしさんは、室内でも靴下を穿くタイプの女の子らしい。


 更に視線を上げると、茶色くて長いスカートに、袖部分だけに柄が入った長袖のTシャツを着こんだ、彼女の姿があった。Tシャツを押し上げる双丘、そういうのを見ていいはずがないのだけど、そこにはやっぱり、一目惚れしてしまうだけの神々しい女神様のような美しさが、間違いなくあるんだ。


 整った前髪、絶対に合わせようとしない視線、丸くて可愛い形の耳。

 隣にいて、横顔を見ているだけで、僕は満足すべきだったんだ。


 僕は、女子に話しかけていい人種ではなかった。

 人種ではなかったから、会話をしただけで、相手を傷つけてしまう。


 やり直せることが出来るのであれば、高校一年生の最初からやり直したい。

 どうすれば春夏冬あきなしさんと付き合える未来があるのか、何百回でもリセマラしたい。

 失敗したこんなルートは、こんな下らないアカウントは、削除して消してしまいたい。


 なんていう、自分勝手極まりないことを考えながら、僕は彼女へと深々と頭を下げた。

 膝小僧を合わせて座り、頭をこすりつけながら、俗にいう誠意を見せる姿を取った。


春夏冬あきなしさん、僕のせいで、すいませんでした」


 何もかも僕のせい。 

 僕がバカだったから。

 この部屋に来るのだって、本当はもっと違う理由で来たかった。

 恋人として遊びに来たかった。

 もう、死にたかった。


 けれど。


「有馬君、有馬君は、勘違いをしているよ」

「勘違いなんかじゃない、僕が春夏冬あきなしさんに、ちょっかいを出したから」

「それは、むしろ嬉しかったよ」


 むしろ、嬉しかったよ。

 むしろ、嬉しかったよ?


「それって、どういう」


 顔を上げると、恥ずかし気に目を泳がす、春夏冬あきなしさんの姿があった。

 太ももの間に片手を突っ込み、残る左手で頬をいじる、そんな姿だ。


「私ね、ホントは私立じゃなくて、県立の高校に通いたかったんだ」


 僕は正座のまま、彼女の言葉を聞いた。


影立かげだち高校は、すべり止めで受けただけの高校だったの。でも、受験の日にお腹壊しちゃってね。私、自分で思っていた以上にプレッシャーに弱かったみたいで、もう受験ボロボロでさ。なんて、言い訳かもしれないんだけど」


 苦笑すらも可愛らしい。 

 そんな顔でデートの遅刻に言い訳されたら、万人が許してしまうよ。


「それで、影立高校に通うようになったんだけど。……あのね、クラスに同じ中学の子がいてね。私、中学の頃からその子にずっとイジメみたいな事をされててさ。生理用品盗まれたり、カンニングをしてるって言われたり、なんか臭いとか言われたりさ」

春夏冬あきなしさんが臭い訳ないだろ」

「ふふっ、ありがと。有馬君が必死になって話しかけてくれること、本当に嬉しかったよ」


 嬉しかったよ。

 本当に嬉しかったよ。

 僕も、本当に嬉しかったです。


「他にも、五月にちょっとした事件があってね。それで、あの子がいる学校に行けなくなっちゃってたんだ。でも、今日も来てくれたけど、鮫田さんがね、私の家に何度も足を運んでくれたの。それで、問題の子はアタシに任せろって言ってくれたんだ。それと同時に、有馬君がイジメられているってことも、その時、初めて知ったの」


 床に正座する僕と同じように、春夏冬あきなしさんも僕の前に正座した。

 そして、ゆっくりと頭を下げたんだ。

 

「ごめんなさい、私のせいで、有馬君を傷つけてしまいました」

「そんな、春夏冬あきなしさんは何も悪くない」

「でも、有馬君はクラスの全員から無視されているって聞いて、私、謝りたくて」

「そうなったのは僕がバカだからだ。入学初日に可愛いなって思って、それで声を掛けちゃっただけのバカ野郎だから。中学の時に女子一人と会話したことがない陰キャオタクの僕なんかが春夏冬あきなしさんに声を掛けるなんてことをしたから。だから全部僕が悪いんであって、春夏冬あきなしさんは何も悪くないんだ」


 もっともっと、頭を床にこすりつけてめり込むぐらいにもっと頭を床にこすりつけて。

 この時の僕の感情は一体何だったのか、喜びなのか、恥ずかしさなのか、申し訳なさなのか。

 下げた顔を上げることが出来なかった。女の子風に言うと、多分僕、酷い顔をしているから。


「私、陰キャオタクって、嫌いじゃないよ」


 耳が熱を持った。


「私も、似たようなものだから」


 どうしようもなく嬉しかった。

 喜びってどこまでも突き抜けると、涙になるんだって初めて知った。

 

「明日から学校に通うから……宜しくね、有馬君」


 こうして、僕は今日、高校生活をやり直すチャンスを、与えて貰ったんだ。

 女神のように優しい、天使のような春夏冬あきなしさんと共に。

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