訪問
「郵便とか?」
「……類だろ」
やっと私が折れると思っていた矢先に、邪魔が入る。
一気に機嫌の悪くなったハルをそのまま玄関に向かった。
「はーい」
鍵のかかっていた玄関を開けてみれば。
「こんにちは」
「類先輩」
ハルの言ったとおり類先輩が笑顔で立っていて、ひらりと手を振った。
「……来んなよ」
私の後をついて出てきたらしいハルが低い声を出す。
明らかに自分に向けられたハルの怒りに動じた様子もなく、類先輩はいつもの笑みを浮かべていた。
「どうせハルのことだからまともにやらないと思って。突然押しかけてごめんね?」
これ、一応手土産。と渡されたケーキの箱を受け取ろうとすると、それを横から取り上げたハルが類先輩につき返した。
「帰れ」
せっかくいい感じの雰囲気にできたのに邪魔されて機嫌がよろしくない。
同時に絶妙なタイミングで現れた類先輩に感謝した。
目の前で眉間にシワを寄せているハルの不機嫌を知っているはずなのに平然と笑みを浮かべている類先輩は、そんなハルはアウトオブ眼中で私に話しかけてくる。
「緑ちゃん大変でしょ?」
「大変てなんだよ」
「はい。困っていたところなので助かりました。上がってください」
「ちょっと待ってみどりちゃん。困ってたってなに?」
「じゃあ遠慮なく」
「類も勝手に上がってんな!」
ハルの言葉を無視して類先輩は上がる。
類先輩と同様にハルを無視し、ハルからケーキの箱を奪い取ってキッチンに入った私は、ついでだから3人用にお茶を用意することにした。
「類先輩、珈琲と紅茶どっちがいいですか?」
「珈琲かな」
「了解です」
「みどりちゃん、俺には?」
キッチンから見える類先輩だけに尋ねれば、ハルの普段の外面のときの声が聞こえてくる。
それは大抵私と類先輩以外の人に出す声で、他にはちょっと拗ねているときに出てくる。
この場合後者で、私が類先輩を勝手に家に入れて、なおかつ先輩にしか声をかけないから拗ねているんだろう。
変な独占欲のあるらしいハルは、こうなると後ずっと口を利かなくなるからめんどくさい。
だから、
「ハルはいつも通りのでしょ」
聞かなくてもあなたのことは全部知っているよ、というのを言葉で表す。
そうすれば視界の端に見えていた不機嫌面がちょっと緩んで、
「ん」
嬉しそうな顔をするから曲者だ。
その顔に何度瞬殺されたか知れない。
「お前相変わらず甘党だな」
ケーキを箱から出していれば類先輩の笑いとからかいを含んだ声が聞こえてくる。
それに相変わらずいきなり来た類先輩を邪魔者と思っているのだろうハルの
「うるせぇよ」
不機嫌な声が聞こえてくる。
あぁ、類先輩。あんなに甲斐甲斐しくハルの世話をしていたというのにこの恩を仇で返されている感じ。
見ていて同情を否めない。
類先輩だってハルが不機嫌なのを分かっていてからかっているんだから余計タチが悪い。
入れたての珈琲と紅茶、ケーキを持って行くと、類先輩は不思議そうな顔をした。
「緑ちゃん、どうしてハルの隣行かないの?」
「はい?」
「いや、緑ちゃんはハルの隣に行くんだと思ってたから」
至極当たり前のように言ってくる類先輩が不思議がったのは、飲み物とケーキを置いた位置なんだろう。
いつもは、当然ハルの隣。でも人前でハルの隣になんて行かない。ましてや類先輩の前でなんて。
ハルの隣にいて類先輩に私の気持ちがバレたら大変だから。
「おかしいですか?」
最初にハルのことを好きになるな、なんて暗に釘を刺したのは類先輩なのに。
その言葉に少し、違和感を覚えた。
「いや……だから、か」
「?だからって?」
「いや、こっちの話」
苦笑した類先輩は珈琲に手を伸ばす。
首を傾げながらもケーキに手を出そうとすれば、目の前で黙々とそれを食べている人の視線に気付いて。
何だか非常に食べずらい中、それを3人で食べ終わってお皿を片付けると類先輩が課題を出した。
「類ここでやるの?」
もう帰れよ、的な雰囲気マックスのハルの声が刺々しく聞こえる。
「だってハル、このままだとやらないだろ?」
それに大人の余裕を持って答える類先輩は、実にできた保護者であると思う。
「類がいなくてもやるし」
「て言いながら課題真っ白なんだろ?」
「これからやるんだよ」
「お前の『これから』はアテになんないからね」
すばらしい。類先輩、ハルの二歩三歩先をしっかりと見ている。
口では決して負けない類先輩に負け惜しみのように舌打ちしたハルは、それ以上口を開くことなく課題プリントを広げた。
それを見て自分も課題を広げる。
「緑ちゃんの課題ってなに?」
そのまま私なんかほっとけばいいのに、ちょっかいを出してくる類先輩。
その隣のハルの顔なんて恐ろしくて見れない。
「えっと、フランス史を少々…」
「そんな課題あるの?」
「ええまぁ。提出はまだなんですけどね」
どんどん空気が重くなっていく。
ますます類先輩の隣が見れなくなって視線をさまよわせた。
気付いている類先輩は楽しげに笑い、でもこれ以上機嫌を損ねたらマズイとばかりに、それ以上私に話を振ってくることはしなくなった。
さすが類先輩。引き際も心得ているなんて。
まだ空気は重いけれど冷や汗を流す視線はなくなったからホッとする。
そのまましばらく誰一人として何も言わず課題をやっていたけれど、類先輩の課題が半分に差し掛かったとき、絶妙なタイミングで自然と集中力というものが切れた。
「緑ちゃん、休憩入れていい?」
「あ、はい。珈琲入れます」
「悪いね」
立ち上がった私が珈琲を用意すれば、ハルの課題もどうやら半分は終わっているらしく。
やればできるんだ、なんて思って珈琲を出すと類先輩が苦笑した。
「こいつやれば出来るんだよ?やらないだけで」
「そうなんですか?」
「見えないでしょ」
「……まぁ」
「みどりちゃんヒドイ」
正直に頷けば、ハルの恨みがましい目で見られる。
思わず乾いた笑いを浮かべたとき、
ヴー、ヴー、
スマホが震えた音がした。
「……だれ?」
類先輩が真っ先にハルを見るけれど、
「俺じゃねぇよ」
ハルがソファの上を示せば、確かに震えていなくて。
「俺でもないよ?」
先輩がポケットから携帯を出して振ったから私のなんだと視線を向けた。
「私ですね」
長い機械音が着信だと知らせてくる。
それを手にとってディスプレイに表示された名前を見た瞬間、思わず溜め息が漏れた。
「……ちょっと、電話してきます」
「ここでしなよ」
相手が気になるらしいハルが私をとどめようとする言葉を出すけれど、さらりと無視して。
寝室に移動した私は通話ボタンを押した。
電話を終えて部屋に戻ってきた私に、2人の視線が向けられる。
……片方が、ちょっと不貞腐れているみたいだけれど。
「……みどりちゃん?」
元の位置に座り直した私の隣に来たハルが私の顔を覗き込む。
不貞腐れた顔は、他人がいるというのにやたらと近かった。
「今の、だれ?」
俺に言えない人?
その質問に、私は静かに首を横に振った。
「別にそんなんじゃないわ。地元の人」
「だれ?」
「だれって……」
ちょっと困ったような素振りを見せる私にハルの眉間にかすかなシワが寄る。
あ、機嫌が悪くなるかも。
そう思ったとき、
「もしかしたら緑ちゃん狙ってるヤツだったりね」
そういうヤツ多いじゃん。
平然と珈琲を飲んでいる類先輩がさらに機嫌の悪くなるようなことを言ってくださった。
案の定ハルの眉間のシワが濃くなる。
疑わしそうな視線が私に向いた。
「そうなの?」
「そんなんじゃないけど……」
「じゃあ誰」
気になるらしいハルはいつになく不機嫌そうに聞いてくる。
ハルが近付いてくるからどんどん後ろに上半身を倒していく。
でも普段運動なんてしないから、腹筋がヤバイ。
諦めてくれなさそうなハルと実に情けない腹筋に倒されそうになった時、
「そういえば」
類先輩が口を挟んできた。
「…なんだよ」
またも後一押しのところを邪魔されたハルは類先輩を睨むけど、先輩は気にしている素振りは全くなし。
私はホッとして肘を床についてから起き上がった。
「お前どうせ部屋こもってばっかじゃないの?」
「だから?」
「たまには緑ちゃん外連れてってあげたら?」
どういうフォローの仕方なんだろう。
真意が図りきれなくて類先輩を見れば、お得意の胡散臭い(ように見える)笑みを浮かべていた。
「お前完全インドア派だろ?緑ちゃん休日外出れないんじゃないの?」
「そんなことねぇし」
「お前休日外なんて行かないだろ。面倒だとか言って」
「……」
当たってる。
ハルとほとんど一緒に住むようになって、休日家から出たことは数える程度しかない。
それは2人して出かける用事がないこともあるんだけれど、何よりハルが外へ行くことを嫌がるから。
「今日はまったりしたい気分」
とか毎回同じことを言いながらベッタリへばりついて離れてくれないからだ。
それを分かっている類先輩は、さすがだと思う。
「だからデート行ってきなよ」
「行っても意味ねぇだろ。大体行くところねぇし」
「大丈夫。映画のチケットやるから」
先輩がポケットの中から出したのは、最近話題のアクション映画のチケット。
用意周到。
しかもベタな恋愛映画じゃないところがまた何というか。
恋愛映画のチケットなんて渡されても、私は興味ないしハルだって難色を示すだろう。
「映画ならこっから近いし、そこらへんぶらぶらして帰ってくればいいし。2・3時間くらいだし。それくらいなら良いだろ?」
「俺映画とか寝る」
「良いんだよ、別に。お前は関係ないから」
「は?」
「要は緑ちゃんを外に出してやれって話」
この話しが始まってから、類先輩がハルのことよりも私のことを考えて言ってくれているっていうのはすぐに理解できた。
類先輩ならハルの休日の行動パターンなんて知っているはずだから。
家に閉じこもり切りで、ハルはそれでも良いけれど、一緒にいる私に気を使ってくれたんだと思う。
ハルと生活するってことには色々制限がある。
夜は7時くらいまでに帰ってご飯の用意しないといけないから誘われてもほとんど遊べないし、休日はハルが離れてくれない。
たまには息抜きをさせようとしてくれているんだろう。
「ハルが嫌なら、美菜ちゃんに頼むけど?」
「美菜ですか?」
「うん。その間ハル預かるし」
「俺を荷物みたいに言わないでくんない?」
「だってお前緑ちゃんに迷惑かけてる張本人じゃん」
不機嫌なハルにさらに油を注いでいる発言。
そりゃあまずいんじゃないかと思って見れば、案の定ハルの鋭い眼光が類先輩に向いている。
「いいよ、行ってやるよ」
類先輩の思惑通りにハルは了承してしまう。
類先輩のハルの扱いの上手さは実にすごいと思った。
「じゃあレポート早くやれよ」
「言われなくてもやるし。てか帰れよ」
「なに?せっかくデート提案してあげたのに」
「頼んでねぇんだよ」
再来した2人の言い合い。
もはや私の了承は得ていません、なんて言える空気でもなく、静かに見守ることにした。
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