黒歴史と普通という感覚
森本 晃次
第1話 異常気象
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年3月時点のものです。時代背景と時代考証とは、必ずしも一致するわけではありませんので、ご了承ください。一種のパラレルワールドでしょうか?
その事件が起こったのは、ある風の強い日の夜中のことだった。
一月も終わり、そろそろ二月の声が聞こえ始めていた頃、
「いよいよ、一年で一番寒い時期だね」
という声が聞こえてきそうな状態で、実際に、それまで、
「暖冬なんじゃないか?」
というウワサがあり、季節外れと思われたほどの陽気が続いている時だった。
前の日まで、最高気温が15度以上の日が数日続いているという、異常気象といってもいいくらいだったが、その前日に雨が降ったことで、一気に気温が下がるということであった。
風が強いのは、その影響だったのだ。
もっとも、昨日降った雨は、最近の異常乾燥という状態から脱却するという意味で、ありがたかった。その風の強さが、一気に寒気を呼び寄せるか、
「典型的な冬型気圧配置になる」
という天気予報の通り、実際に、雪がちらついているようだった。
さすがに一月ということもあって、この冬、雪が降るというのは、初めてではなかった。
クリスマス前には、雪が降り、
「ホワイトクリスマスではないか?」
と期待されたが、さすがにそこまではなかったのだ。
それでも、年末までに寒波が襲ってきて、ホワイトクリスマスには間に合わなかったが、「年内には雪が降った」
ということで、
「これで年末らしくなった」
ということで、やっと冬の訪れを感じたのだった。
昨年の夏は、猛暑というよりも、酷暑といってもいいくらいのもので、異常気象を絵に描いたような夏だった。
五月から、
「史上初」
と言われるような記録的な気象が続いた。
最高気温30度以上を、猛暑日というが、その年は、五月にそれを記録した。しかも、西日本の大都市は、軒並み30度以上を記録していて、
「もう真夏に近いんじゃないか?」
というほどであった。
気温30度以上というのは、真夏であれば、大したことはなく、むしろ、低いくらいといってもいいだろう。
しかし、その数日前までは、五月晴れということで、気温が20度を少し超えたくらいの過ごしやすい状態だったものが、一気に気温が上がったものだから、身体が慣れていないということで、
「真夏の様相」
を感じさせたのであった。
そんな日が数日続いたかと思うと、今度は、天気は下り坂、雨の日がしばらく続くという天気予報であった。
今は、
「10日先くらいまでの天気予報が、ネットの天気予報サービスでは見れるので、すでに、六月に入るまでの10日間のうちの半分以上が、雨マークだったのだ」
それが分かっているからか、
「もう、梅雨入りなんじゃないか?」
というウワサが流れ、天気の関心は、
「いつ梅雨の入るんだろう?」
ということが噂になっていた。
「まさか、五月に、梅雨入りなのか?」
という事態であった。
実際に、気象庁が観測し始めてから、五月の状態で、梅雨入りしたことがあったかどうか、正直分からないが、それこそ五分五分だろう。
しかし、五月で梅雨入りというのは、間違いなく異常気象ということで間違いない。片津を飲んで待っていると、やはり、西日本のほとんどが、梅雨入りというものを果たしたのだった。
梅雨入りの声を聴くと、それまでの暑かった日差しに照らされたアスファルトから、雨上がりの合間に、蒸気が上がっていき、また新しい雲を作る。
その繰り返しがしばらく続いて、六月も中旬になったかと思うと、
「梅雨が明けるのではないか?」
というウワサが流れるようになった。
気象庁も、
「梅雨明けには早い」
と思ったのだろう。
数日晴天が続いたくらいでは、容易に
「梅雨明け宣言」
というものを出すことはなかった。
それは、実際には正解だったようで、数日でまた、梅雨空が戻ってきたのであった。
梅雨明け宣言というのは結構難しく、今までにも数年に一度くらいは、
「一度出された梅雨明け宣言が訂正となり、実はまだ梅雨が明けたわけではなかった」
ということが判明したということが、何度かあったようだ。
それを思えば、
「今年はやっぱり異常気象だ」
ということが分かっているのか、なかなか梅雨明け宣言をしなかったが、それは実際に、
「正解だった」
といってもいいだろう。
それが、結局いつもは一か月くらいしかない梅雨なのに、終わってみれば、約50日くらい、梅雨だったということになったのだ。
それが、異常気象の始まりだった。
実際に夏が始まったのは、すでに、八月が近まっていた頃だった。雨が降らないと思うと、一気に夏空に変わっていた。
それまで待っていた夏の景色が一気にやってきたという感じだった。
しかし、どこか、
「いつもの夏ではない」
という雰囲気だった。
「何かが違う」
と思ったのだが、何が違うのか最初は分からなかった。
それは、
「確かに気温も高く、暑いのは間違いないのだが、その割に、けだるさのようなものがいまいちなんだよな」
と、会社で話をしている新入社員の連中がいたが、それは同じ気持ちだったのだ。
そのうち一人が、ボソッと呟いた。
「セミの声が聞こえないんだよな」
と言ったことで、皆、
「おぉ」
といって、感嘆の声を挙げた。
これを聴いた時、自分も同じように、感嘆の声を挙げそうになったが、やめておいた。恥ずかしいという気持ちもあったが、
「急に興ざめした」
と言った方がいいかも知れない。
なるほど確かにセミの声は聞こえなかった。
そして、セミの声がしないと、夏の暑さであっても、そこまでけだるさを感じなかった。セミの声の混じった暑さであれば、呼吸困難に陥りそうになるくらい、貧血気味になってしまうという思いを何度もした。
それは、きっと、
「熱中症ではないか?」
と言われるが、
「自分は子供の頃、おばあちゃん子だったので、よく昔の話を聴いたりしたものだ」
ということで、よく言われていたものとして、
「日射病」
という言葉があった。
帽子をかぶらずに出かけようとすると、よく、
「日射病になるから、帽子をかぶりなさい」
と言われたものだった。
母親も、たまに、
「日射病」
という言葉を使っていたので、学校で一度、
「日射病」
という言葉を使うと、
「熱中症のことでしょう?」
と先生から訂正されたものだ。
しかし、その当の先生から。
「どうして、日射病ではないのか?」
という理由を聞かされることはなかった。
つまりは、
「先生もその理由を知らない」
ということになるのだろう。
先生から注意されたこともあって、使ってはいけない言葉という認識から、家で日射病という言葉を使われても、それについて否定はしなかったが、家以外で話す時は、熱中症という言葉を使うようになった。
何といっても、先生がわざわざ訂正したからである。自分は、わざわざ訂正しようとはしない。それは、気を遣っているからだということになるのだろうが、それよりも、変に訂正し、何か言われるよりも、目で、
「余計なことを言うな」
と言われることがショックだったからだ。
「目は口ほどにものをいう」
というが、子供の頃の自分は、そのまわりの視線が怖かったのだ。
ちなみに日射病というのは、
「読んで字のごとし」
ということか、
「直射日光を頭に浴び続けると、その影響で、頭痛がしたり吐き気がしたりすることがある」
というものである。
だから、おばあちゃんが、
「帽子をかぶりなさい」
というのは正解であり、決して間違ってはいない。
しかし、最近では、
「日射病というよりも、熱中症」
という症状を引き起こす人の方が多いようで、熱中症というのは、
「暑熱環境における身体適応の障害によって発生する状態の総称」と定義されます」
ということのようだ。
そして、日射病は、熱中症の、
「最重症状態のことをいう」
と定義されている。
だから、今の熱中症は、何も暑くて、晴れた時に、表にいた時だけになるものではない。
夜、寝ている時になることもあるというくらいで、
「直射日光を浴びた時だけに発症する日射病というもの」
という限定された状態で引き起こされることで、重症化するということだ。
そういう意味で、熱に対して、今の人間の身体は、多岐に分かった反応してしまうということになるのだろう。
だから、身体が耐えられるかどうか、それが問題で、
「日射病にならなければいい」
という昔の言われ方だけでは、
「夏を乗り切ることはできない」
といえるだろう。
それは、異常気象というものがもたらしたともいえるだろう。
しかし、身体が、クーラーなどに慣れてしまったということから、
「やわな身体になってきた」
と言えなくもないだろう。
だからと言って、昔のように、
「頑張って耐える」
というには、人間の身体は対応できなくなっているのであった。
昔であれば、運動部の部活などでは、
「練習中に水を飲んではいけない」
と言われていた。
今であれば、
「それって体罰なんじゃない?」
と言われるかも知れないが、それはそれで、
「ちゃんとした理由があった」
といえるからだった。
というのも、
「水を飲んではいけない」
という理由は、
「水を飲むとバテるから」
という理由や、
「水を飲んでいきなり運動すると、お腹を壊す」
などという理由があったからだ、
確かに、喉が渇いたからといって、一気に冷たい水を飲んで、急激な運動をすると、身体がびっくりするのか、運動に追い付いていかないということになるだろう、
ただ、それも、身体が耐えられるだけの状態だった場合においてのことである。
今の時代は、身体がある程度やわになっているということと、さらに、異常気象というものが、それに拍車をかけることで、今度は、水分を摂らないと、
「脱水症状」
となり、それが、身体に異変をきたすことになるのだ。
それが、
「身体適応の障害」
というもので、
身体が、自分の身体ではないという状態になってしまうことに繋がるということではないだろうか?
特に最近は、最高気温がうなぎ上りになってきている。
特に、30年くらい前から言われ出した、
「地球温暖化」
というものの影響がひどいようで、その頃に比べても、最高気温の上限が、五度くらい上がっているではないか。
昭和の頃の暑さでは、
「最高気温が、33度もあれば、うだるような暑さ」
と言われていたものだ。
それから、10年もしないうちに、
「35度の最高気温」
というものが、数日間続くという状態になり、今までは、
「最高気温30度を真夏日」
といって。それ以上の気温になった日が、
「今年の夏は何日あった」
あるいは、
「何日続いた」
などということを言って、その年の夏が、どれだけ暑かったかということを話題にしたものであった。
だが、それが、10年ちょっとくらいで、最高気温35度という日が、数日間も続くという日が出てきたのだ。
そこで、今度は、
「最高気温が35度を過ぎる」
ということになれば、
「猛暑日」
ということになり、かつての、真夏日が、夏の暑さの基準であったが、それが猛暑日が当たり前という時代に突入していた。
実際に、毎年暑さで有名なところなどでは、一か月のうちの10日以上もが、
「猛暑日」
と言われるようになった。
この猛暑日というのが設定されたのが、2007年ということで、今から15年以上前のことであった。
しかも、さらに今は、
「体温よりも高い」
という日も年間に何日かあるようになり、
「これが体温であれば、死が近い」
と言われるほどの気温だということで、インフルエンザなみの高熱ということで、
「最高気温が40度以上になった時」
ということで、酷暑日というのが設けられた。
これが、2022年ということで、猛暑日が設けられてから、15年が経ってからということである。
ということは、
「15年間で、最高気温の上限が、5度上がった」
といってもいいだろう。
何といっても、昭和の頃であれば、
「クーラーがなくても暮らせた時代」
だったのである。
同じ気温でも、暑さの基準のようなものが違う。
ということで、昔は、
「クーラー病になるから、なるべく、使わない方がいい」
と言われた時代もあったが、今では、
「我慢せずにエアコンを使ってください」
と、マスゴミなどが呼び掛けている。
そもそも、運動部の練習で、
「水を飲んではいけない」
ということは、今では都市伝説だったかのように、
「適度な水分は必ず取ってください」
ということになっている。
もちろん、
「水のがぶ飲みは危ない」
ということはいわれているだろうが、それでも、水分を摂らないことで、熱中症になるということを考えると、まだマシだということであろう。
それだけ、
「昭和の時代から、現代の令和の時代までの30年間で、まったく環境も変わった」
ということで、
「身体もついてこれなくなった」
ということになるのだ。
それで、
「地球温暖化」
というものを防ぐということで、
「持続可能な開発目標」
というものが、全世界で言われるようになったのだ。
ただ、すでに手遅れなのか、どんなに努力しても追い付かない。
かつては、
「地球温暖化」
と言われていたものが、今では、
「地球沸騰化」
とまで言われるようになったくらいである。
そのうちに、
「地球火災化」
などと言われるようになるのではないか>
今、世界的に問題になっている、
「森林火災」
というのも、その異常気象の弊害ではないかと言われている。
実際に、
「地球沸騰化」
というものと見た目はあまり関係がないように見えることでも、
「実際には、そこから派生している」
と言われるが、それも、すぐに判明することではなく、検証にもしばらくかかるということで、対策が、
「後手後手に回る」
ということになるであろう、
それを考えると、
「なるほど、対策が追いつかないのは、そういう状況からか」
ということで、それが悪いといえるかどうかは、専門家でしか分からないということになるだろう。
しかし、専門家は、
「世間には黙っておく」
という習性がある、
それを思うと、プレス発表なども、
「額面通りに信じて言うのか?」
と思えてならないのだ。
それだけ、政治家などは、
「都合の悪いことの隠蔽に躍起になっている」
ということで、
「本来であれば、早急に解明しないといけないことを放っておいて、保身に走ることがあるので、後手後手に回るのも、しょうがない」
というところであろうか。
しかし、そんな悠長な連中と、
「心中する気はない」
政府が必死になっていったとしても、
「今までの前歴を考えると、
「どうしても真面目に聞くということもできない」
といえるだろう。
だから、
「政府がいかに正しいと言われることをしてきていないか?」
ということが問題となり、本当に、信じていいのか分からないまま、国民の方も、
「面倒なことを、国民に言ったって、結局政府は自分たちの保身しか考えていないのさ」
と言われて終わりである。
結局今年に夏は、始まるのが遅かった分、終わるのも遅かった。一応暑さのピークはお盆から、八月の終わりくらいまでで一段落したが、それでも、猛暑日がなくなったくらいで、真夏日は九月いっぱいくらいまで続いた。
その分、今年は飽きが短かったのだ。
もう十一月くらいになると、すでに寒くなってきていて、一気に冬の気配が感じられた。
しかし、異常気象というものは実際にあるもので、日本に上陸こそしなかったが、十一月まで、台風の発生はあったのだ。
ということは、
「南海上の海水温は高かったということか?」
ということであり、その分、今年の冬は寒いのか?
と思いきや、
「暖冬だ」
という。
実際に、十一月くらいまで、最高気温が20度以上という日が続き、ここから恐ろしいことに、その三日後には、何と、初雪が観測されたのである。要するに、
「一気に二日間で、最高気温は二十度近く下がった」
ということになる。
しかも、その寒さも一過性のもので長続きしなかった。それからしばらくは、
「数日間での温度差」
あるいは、
「一日の中の温度差」
というものが結構激しく、体調管理が難しいところであった。
急に空が曇ってきて、いきなり、ひょうが降り出すなどということも普通にあったりしたのだ。
それでも、今年は確かに暖冬で、クリスマス前後は寒かったが、正月明けてから、また暖かくなったのだった。
そんな正月も終わり、あっという間に二月になった。
「いく、にげる、さる」
という言葉にあるように、一月から三月まではあっという間に過ぎていく。その季節をいかに過ごしていくかということが問題であり、今年も、同じような感覚で、あっという間に二月の声が聞こえてきたのだった。
年末の後半の繁忙期が終わって正月に入ると、それまでの忙しさからまったく変わってしまう。
正月などになると、今でこそ、店が閉まっているということもなく、スーパーや都心部の百貨店なども、二日くらいには初売りをしている。
「年中無休」
などという百貨店もあるくらいで、昔の正月とは、まったく変わってしまった。
年賀状のやり取りというのも、ほとんどなくなった。会社でも、
「年賀状のやり取りはしないように」
などという通達があったりして、ほとんどなくなったことだろう。
そもそも、年末の忙しい時、
「なんでそんな面倒なことしないといけないのか?」
ということである。
「正月は、家族水入らずで」
などという昔の悪しき風習もなくなってきた、
「おせち料理」
というものを作る風習もなくなり、ほとんどが、注文して大みそかに取りにいくというのが当たり前になった。
「共稼ぎしているのに、おせち料理なんか作る暇はない」
というのが当たり前だった。
それでも、初もうでの人出はあまり変わらないようで、一度、
「世界的なパンデミック」
のせいで、人数制限が掛かったので、爆発的に減ったが、今はその制限も解除され、人手は戻ってきたという。
しかし、
「感染したくない」
ということで、
「もう、初もうではいかない」
といっている人も結構いる。
それでも、
「ほとぼりが冷めたら行くさ」
ということで、急いでいくことはないというだけになったのだ。
その勢いのまま、年末の反動か、一月からは、ほとんどのところが繁忙期になる。年末の喧騒とした状況が一気に人手がなくなり、閑散としてしまい、歓楽街などでは、新年会のシーズンが終わると、ゴーストタウンの様相を呈してくる。
もちろん、三月になれば、卒業シーズンと期末での、転勤シーズンから、
「送別会などが多くなり、また少し忙しくなる」
ということになるだろう、
そんな閑散とした繁華街の夜ともなると、あまり人通りもいない。それは、経営者側も従業員も分かっていることなので、それもしょうがない。
それでも、常連客の一定数はいるので、店を開けたら、ある程度のにぎやかさがある店もあるだろう。
だが、全体的には寂しいもので、その寂しさを感じながら、寒くなってきた中を歩いていた。
いつ頃からなのか、昔のような、
「動的なネオンサイン」
というのがなくなった。
目に悪いからなのか、節電のための、
「LED電球」
というものが使われるようになったからなのか、どちらにしても、寂しくなったのは間違いないようだ。
その日は午後九時くらいまで、会社の人間と一緒に飲みに行った。
あまり、会社の人間と飲みに行くことはなかったが、最近は、仕事も大変ということもなく、
「たまにはいいか?」
ということで、
「とりあえず九時まで」
ということで、都心部の繁華街に飲みにいくことにしたのだ。
久しぶりの繁華街、なつかしさもあって、ゆっくりと、食事をするというくらいのつもりで飲んだ。
時間的にもちょうど九時、店には、
「二時間」
ということで予約を入れていた。だから、ちょうど九時には出なければならない。
それも分かっていることだったので、二次会も皆で決めていたようだ。
しかし、自分は、
「俺はいいや」
ということで、その団体についていく気はなかった。
それも最初から伝えていたので、
「ああ、そうか、じゃあ、ここで」
ということで、二軒目に行くという連中を見送ってから、一人になった自分は、そこから、もちろん、そのまま帰るという気はしなかった。
「せっかく来たんだからな」
ということで、繁華街から、歓楽街、そして、さらにその奥に行ってみることにした。
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