男と少年
──幻想の殺し屋。
それは、世界を守るために設立された組織である。現代の闇──裏社会において、犯罪計画は常日頃存在しており、日々規模を拡大している。そしてそのような計画の中には、本当に世界を滅ぼす可能性を持ってしまうモノもある。
そんな計画と組織を事前に潰すために存在しているのが、彼ら幻想の殺し屋だ。
しかし、彼らは普通ではない。
彼らが動員されるのは、世界を滅ぼす計画がされた瞬間だ。その瞬間に彼らは計画犯の元へと派遣される。
それは常人には理解できないものであるが故に、突然現れた、と言われているのだ。
そんなことが可能なのは、彼らの所属が次元の高いところにあるからだ。
そう──彼らの雇用主は世界であり、世界に所属している。
世界の平和を維持する……とまでは行かなくとも、世界を崩壊から守る、ファンタジーめいた組織。
それが、幻想の殺し屋の正体だ。
────
「あぁ、着いたぜ」
黒いスーツを着た背の高い男は、隣を歩く少年へそのように伝えた。
彼らの眼前には絢爛な館。
森の木々に囲まれた洋館があった。
その館こそは、彼ら幻想の殺し屋の本拠地である。
なにしろ、幻想の殺し屋の構成員は全五名であり、その五名もまた幻想なのだ。
認知されることはない。
気づかれることはない。
そんな人たちが住んでいる館も、必然他の人からバレる心配はない。
男は少年と共に、館を囲むフェンスの門を開く。そしてそのまま玄関へと向かったとき──
「……その子、誰?」
庭にあるテラスの方から声が聞こえた。
そちらを見ると、テラスには一人の女が座っていた。ティーカップを片手に、目線は少年へと向けられている。
「なんだ、一人でティータイムか、黒猫?」
「……質問に答えて。
それと一人じゃない。さっきまで『ハリ』がいたけど、派遣された。『行きたくない』って泣きながら」
「そうか、あいつは仕事サボってたからな。いい気味だ」
黒猫──そう呼ばれた制服姿の女性は、凛とした態度のまま男と会話する。
彼女こそは構成員の一人。
最年少にして最新のメンバー。
首周りで整えられた黒髪に高校生らしい制服。黒いタイツを履いており、黒いインナーが首から指先まで覆っているため、顔以外の肌が見えない。
そんな彼女は普段はツンとした性格で、スンとした表情をしているが、情に弱かったりする愛らしさから、仲間内では『黒猫』と呼ばれている。
名前を持たない彼らは、そのように互いをあだ名で呼び合っていた。
「こいつは仕事ついでに拾ったんだ。行くあてもない子供を放っておけるほど無情じゃあないんでな」
「こんなところにまで連れてきて、その子が危険じゃない保証はあるの?」
「安心しろ、服をひん剥いて確認済みだ」
「……かわいそう」
そう言いながらも黒猫は少年を見つめる。
頭からつま先まで、一通り吟味して──
「……面倒と責任は、貴方にあるから」
手元のティーカップに目線を戻してながらそう言った。男はそれに、分かってる、とだけ返事をして、少年と共に館へ足を踏み入れた。
────
「……なるほど」
男が少年を館の一室──男の部屋に通してからしばらく、少年とコミュニケーションを図ろうとして分かったことがある。
──この少年は、言葉を知らない。
より正確には、相手が何を言っているかは何となく分かるものの、少年が言葉を発することはない──発することができない。
教育をまともに受けてこなかったのはもちろん、今までにしたコミュニケーションも一方的なものだったのだろう。
相手が命令し、少年はそれに従う。
そのように、一方的な。
「……よし、ここにいる間は言葉を学んでもらう。心配はいらない。俺が何を言っているのかが分かれば、後はそれを視覚的に当てはめていくだけだ」
椅子に座らされた少年はその言葉を彼の中で飲み込んで、小さく頷いた。
具体的に何をするかは分からないが、この人に従えばいいのだろう──と。
「とはいえ、今日のところはもう休むとしよう。……そうだな、まずは飯にしよう。お前、何か食べたいものはあるか?……って言っても答えられないよな」
適当に見繕うか……と男は小さく呟きながら部屋の扉を開ける。その後を少年はついて行こうとして──何か忘れていることに気づいた。
「…………ぁ」
そんな、小さな音が出た。
小さい、けれど確かな少年の声。それを男は聞き届けて──
「……そういえば、まだ名乗ってなかったな。
確かに名前はとうの昔に捨てたが、黒猫のようなあだ名はある」
少年自身も気づかなかった疑問に、男は当然のように答える。
「──リーベル。
それが、今の俺の名だ」
────
そうして、男と少年の日々は始まった。
「そうだ。やはり、お前にしてみればそう難しくはなさそうだ」
机に開かれる小学生用の漢字ドリル。
そのドリルに向き合う少年。
少年の側で教える男。
まずは数字から、と勉強を始めたものの、一通りはすぐに覚えた。もっとも、ここから常用漢字が四桁字あるのだが……全てを覚えるものでもないのは確かだ。
男がこのように言葉を教えているのには理由がある。それは、いつか少年が一人で生きていかなくてはならないからだ。生きていく上で言葉は必要である、という当然の理由だ。
そして当然のことだからこそ、この上なく大切なことでもある。
「この調子ならすぐに覚えられそうだな。今度からは算数も用意しておこう」
見た目とは裏腹に教育熱心な男だった。
これからの方針も決まり、ついいつもの癖で煙草に手を伸ばすが──やめておこう、と男は手持ち無沙汰になるのだった。
◇
「……じゃあ、今日はよろしく」
少年が館に来てから二週間ほど。
その日は珍しく男の部屋に黒猫が来ていた。
男が派遣されたこともあり、少年の面倒を見る役目を任されたのだ。
「よろしく、おねがい、します」
拙いながらも挨拶を返す少年。
ここ数日の勉強の成果か、日常会話ができる程には言葉を話せるようになっていた。
そんな少年の前には算数ドリルが開かれる。
並べられた問題を解きながら、分からないものは黒猫へと質問を投げかけていた。
「あの、ここ……」
「……あぁ、これは公式を使うの。
知ってる? 上底の下底を足して……」
黒猫はそのように問われた質問には返答しているが、基本的に少年は一人で問題が解けるため、無言の時間が続く。
部屋に置かれたベッドに腰を掛けながら、黒猫は問題に取り組む少年を眺める。
“……見た目から見るに八、九歳あたりだと思うけど……”
最近学び始めたにしてはよく出来ているな、と感心していた。
そんなことを思いながら過ぎていく時間。
少年も疲れが溜まったのか、ペンを置き、首をゆっくり回した時──少年の目線が壁棚に置かれた写真へと向けられた。
黒猫もつられて目線を向けたその先には、男と一人の女性が写った、ツーショットの写真が置かれていた。
「あぁ、あれは……」
そこまで言って、その先を本当に言っていいのか分からず口を閉じる。
黒猫はその写真のことを知っていたが、同時にむやみに広めるものでもないことも知っている。だが──
“……ま、少しならいいか”
疑問符を浮かべる少年へと、簡単に伝えることにした。
「あいつ──リーベルにも恋人がいたの。
私も詳しくは知らないけど……あいつがここに来たのも、その恋人が関わってるみたい」
────
そして、一ヶ月ほど経ったころ。
──その日は珍しく曇天だった。
人が出払った静かな館の中で男と少年はいつも通り、部屋で勉強をしていた。
ペンを持ち、問題を解き、言葉を覚える──いつものように過ごしていた、はずだった。
「……ぅ、ぁ……」
少年から小さくうめき声が漏れた。
鼓動を抑えるように胸に手を当て、痛みに耐えるように歯を食いしばる。
「どうした」
その異変を男は見逃さない。
苦しそうにする少年の肩を掴む。
その少年には、涙が浮かんでいた。
そして──
「ごめん、なさい……」
それが何に対する謝罪なのかは分からない。
それはどういう意味か、と男が問おうとして──
「────!」
部屋の窓が割れた。
何かが入ってきた。
──そのまま、世界は暗転した。
視界が消える最後に見えたのは、少年の目に浮かぶ涙だった。
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