彼の頭の上の顔文字

中村ゆい

前編

 私ね、不思議な力で人の心が読めるんだ。


 ……なんて言ったら、何人が信じてくれるだろうか。

 中学生のときに親にスマホを買ってもらい、SNSを使うようになってから、私の目は少しおかしくなった。

 視力が低下したとかそういう「おかしくなった」ではない。変な能力に目覚めてしまったとか、そっち系。

 他人の感情が、その人の頭上にぽやんと顔文字の形で浮かび上がって見えるようになったのだ。

 例えば今。私は大学で講義を受けているところだけれども、教室には様々な顔文字が宙に浮いている。

 スクリーンに画像を写しながら喋っている教授の頭の上には、困ったような顔

(;´Д`)。

 わかりやすく聞きやすい授業をしてくれる先生だけど、大勢の学生の前で話すことに緊張しているのだと思う。本当は人前で話すのは苦手なのかもしれない。

 それから、受講している学生の半数程度は眠そうだ。(=_=)zzz といった顔が、ちらほら見える。前のほうから私の座っている真ん中あたりまでの席に座っている学生は真面目な人が多いから、メモを取るようなφ(..)とか。

 もっと後ろのほうに行くと、きゃっきゃと雑談に花を咲かせている人たちもいて、(≧▽≦)だとか、そんなのが混じっている。

 ちらりと後方に目をやって人間観察していると、大講義ではなかなかお目にかからない顔文字を見つけた。


(# ゚Д゚)


 ……怒っている。

 最後列で一人静かに授業を受けている男子の頭の上に、激怒の顔文字が浮かんでいた。


 なぜ? 何をそんなに怒っているんだ……?

 疑問に思ったものの、いつまでも後ろを振り向いているわけにもいかない。

 仕方がないので前に向き直り、私は授業に意識を戻した。

 休み時間になってから、そういえばともう一度後ろを確認したときには、その激怒男子の姿はもうなかった。



 一週間後、同じ授業でその男子の姿を見つけた。先週と同じ、最後列の席に座っている。

 私は興味本位で、彼と同じ最後列の数人分空いた席に座ってみた。

 講義が始まるまで、スマホを弄りつつさりげなく横を盗み見る。

 なんだか目つきが鋭い。良く言えばキリっとした、悪く言えば視線で人を成敗することができそうな顔をしている。そう、時代劇に出てくる侍のような……。

 ……はっ、いかん。つい横顔に見惚れていた。真横から見ると、濃い黒髪に目や鼻や口、耳に輪郭といったパーツがとてもバランス良く並んでいるのだ。これが横顔イケメンってやつか。目つき怖いけど。

 ぼーっと先生が来るのを頬杖をついて待っている彼の頭の上には、虚無を表すような(―_―)が点滅していた。


 ……と思っていたら、授業が始まって数分後。

 この席、近くに講義を聞く気のないお喋り集団が陣取っていて、けっこううるさい。

 集中力がそがれてふと横を見ると、先週のように怒りの(# ゚Д゚)が目に入った。

 まただ。また怒っている。何食わぬ顔でノートを取りながら、眼光だけはさっきの数倍鋭い。私はこっそり心の中で震えあがる。

 でも、この人の怒りの矛先はなんとなくわかった気がする。

 うるさくて授業に集中できないからイライラしていたんだ、多分。



 私はかなり真面目な学生で、授業も真面目に受けたい。彼が怒っている理由もわかったことだし、来週からは元のように前のほうの席に戻ることにした。

 そう思っていたんだけど。

 授業が始まる五分前。私はまた、一番後ろの席に座っていた。

 彼がコンビニのプリンを食べている。無表情で。

 しかし、頭の上には(*^-^*)が激しく光り輝いて主張している。よほどご機嫌なのだろう。

 今までの怒り顔とのギャップに吸い寄せられるように、私はついついそれを凝視してしまう。

 もはや盗み見るレベルでなくがっつり観察していた私に対して、彼はたじろいだ様子を見せた。


「な、なんすか?」

「え? あ……す、すみません。あまりにも美味しそうにプリン食べてるからつい……。甘いもの、好きなんですか?」

「好き、ですけど……。そんなに顔に出てました? 俺普段は無表情の鉄仮面とか言われてんだけどな……」


 顔じゃなくて頭上に出てました、とは言えず、私は適当に笑ってごまかした。

 彼は、横顔だけじゃなくて正面から見ても、すべてのパーツがバランス良く配置された顔をしていた。……目つきの悪さも二倍増しだったけど。

 でも、プリンで大喜びする様子を目の当たりにしたところなので、怖いとは思わなかった。


「あの、この席授業中は騒がしくないですか? もっと前の方に座ればいいのに」

「確かに騒がしい、とても。でも前の方は……」

「?」


 真顔でフリーズする彼の頭上に(-_-;)が見える。

 やがて、彼はゆっくりと口を開いた。


「ひとりぼっちで座っているのを後ろから何人もの人に見られるのが、苦手で」


 いつもひとりぼっちが当たり前の私にはよくわからない悩みをこの人は抱えているらしい。

 でも、それならすぐに解決できることだ。

 私は彼のパーカーの袖を少しだけ引っ張った。


「じゃあ、一緒に前の席に座りましょうよ。二人なら大丈夫」

「え……」


 一応頭上を確認すると、ぽかんとした(゜o゜)が見えた。馴れ馴れしすぎたかな。

 慌てて手を離す。そのタイミングで彼は立ち上がった。


「……ありがとう。俺、冬野ふゆの虎次郎こじろうです」


 名前まで侍みたいな人だった。極寒の雪降る地域で刀の素振りをする侍の姿が一瞬、脳裏をよぎった。

 でも何にせよ、私と一緒に席移動してくれるみたい。私のほうも、いつも一人だからちょっと嬉しくなってしまった。


「冬野くん! 私、花里はなさと絵麻えまっていいます! じゃああそこに移動しましょう!」


 元気よく前方を指さす私の隣で、ふっと空気が和らぐのが顔文字を見なくても感じられた。



 それから私たちは、真ん中あたりの席で隣に座って一緒に授業を受けるようになった。友だちが少ない私たちは、お互いに引き合うようにあっという間に仲良くなった。

 冬野くんは少し複雑な人だった。一人が好きだけど寂しがり屋。静かな場所が好きだけど、あまりにも静かすぎると不安になる。

 ずるいかもしれないけれど、私は顔文字で冬野くんの気持ちをある程度察することができる。だから彼が望む態度や反応を返すことができる。

 本当は顔文字で相手の心を知ることに罪悪感やしんどさがあって友だち作りを積極的にはしてこなかったのだけど、冬野くんについては仲良くなりたいという気持ちのほうが勝ってしまった。


 ニコニコの顔文字を浮かべながら無表情でプリンを食べる彼の姿に、惚れてしまったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る