第1章 冒険の始まり

第1話 勇者の弟子

「嬢ちゃん、着いたぞ。それにしても、本当にここでよかったのかい?この奥にあるのは、町の人もほとんど知らないような小さな村だけだぞ?」


 馬車を操る年配の男性が振り返りながら、少し心配そうに少女に声をかける。


「ありがとう、おじさん!大丈夫、この先にちょうど用事があるんだ。」


 少女はにこりと笑い、軽やかな声で答える。その無邪気な態度に、男性は目を丸くし、あきれたように首を振った。


「まったく、変わった嬢ちゃんだな。」


 馬車が止まると、少女は冒険者風の装束を整え、案内の礼として小さな革袋を男性に手渡した。


「助かったよ。これで馬の世話にでも使って。」


 そう言いながら、少女は馬車から軽やかに降り立つ。


 男性が走り去るのを見送った後、少女――イリスは深呼吸を一つして村の方へと歩き出した。しばらく進むと、視界の先に農村らしき光景が広がる。


(噂では最東端のさびれた村に勇者の弟子がいるって聞いてたけど……なんだか随分違うみたい。)


 イリスの足が自然と止まる。目の前には、畑が整備され、家々もきちんと手入れされている立派な村があった。噂とは正反対の活気ある様子に、彼女は少し呆然と立ち尽くしてしまう。


 すると、畑仕事を終えた風の中年男性が、彼女に気づいて声をかけてきた。


「おい、そこの嬢ちゃん!見ない顔だな?こんななんもない村に何しに来たんだ?」


 イリスははっと我に返り、彼に向かって軽く会釈する。


「私はイリス。遠くの町から来ました。この村に、勇者様の弟子がいると聞いたのですが……おじさん、何か知っていますか?」


「勇者の弟子? ははは、そりゃ初耳だなあ。勇者がこんな村に来るわけないだろ。」


 おじさんは腹を抱えて笑いながら、続けた。


「確かに、この村のガキどもはやたら元気で鍛えられてるが、勇者だなんて大げさだ。まあ、せっかく来たんだ。なんもない村だけど、ゆっくりしていけよ。」


「そうですか……」


 イリスは肩を落としつつも、村の様子にどこか興味を惹かれ、その後も村人たちに話を聞いて回ることにした。


 村を歩きながら観察すると、この村の子供たちが、同年代の少年少女とは明らかに違う動きをしていることに気づいた。畑仕事や運動を通じて鍛えられたのだろう、体つきも引き締まっており、動きに無駄がない。


 やがて、村の子供たちに話を聞く中で、村のさらに東に広がる森に「ノア」という少年がいることを教えられた。彼こそ、この村で一番強いと評判らしい。


「ノア……その子が噂の勇者の弟子なのかもしれない。」


 イリスの瞳が興味で輝く。彼女は意を決し、森へと足を進めた。


 言われた方角に進んでいくと、視界に小さな小屋が現れた。風に揺れる洗濯物が陽光を浴びて優しく輝いている。小屋の近くには、干された服のすぐそばに簡素な的やかかしが立ち並び、地面には木剣が無造作に転がっていた。どれも使い込まれている様子で、その場がただの農村の一角ではないことを物語っている。


 イリスは少し緊張しながらも小屋のほうへと歩を進める。そして、その姿を目にして息をのんだ。


 小屋の前に立つ少年が剣を構え、黙々と素振りを繰り返していた。黒髪が陽の光にわずかに反射し、その一挙手一投足が研ぎ澄まされた鋭さを放っている。その太刀筋は無駄がなく、すべての動きが自然とつながっているようだった。


(すごい……この剣筋、どこかで……)


 イリスの脳裏に一瞬、かつて見た光景がよぎる。コロシアムで観客を圧倒した勇者の戦い。その時の剣さばきと、目の前の少年の動きが重なって見えた。


 しばらくその場で呆然と見つめていたイリスだったが、ふと我に返る。少年の集中を切らすのは少し気が引けたが、意を決して声をかけた。


「あの……ごめんね。私は勇者の弟子を探しているのだけど、何か知らない?その剣筋、もしかして勇者に関わりがあったりしない?」


 声をかけられた少年は動きを止めた。振り返るその表情は、明らかに不機嫌そうだった。鋭い眼差しがイリスを射抜き、どこか面倒そうに眉間にしわを寄せる。


「勇者?そんな奴、おとぎ話の中の話だろ。」


 少年は木剣を軽く地面に突き刺し、ため息をついた。


「この剣は師匠に教えてもらったものだ。もし勇者が本当にいるんだとしたら、たぶん師匠のほうがそいつより強いと思うけどな。」


 その言葉に、イリスは思わず目を見開いた。


「師匠が勇者よりも強い……?」


 心の中でその言葉を何度も反芻する。本当に勇者の弟子かどうかはわからない。しかし、目の前の少年がただ者でないのは明らかだ。そして、もしその少年に教えを授ける「師匠」が存在するのなら、確かに彼は噂に聞いた実力者――いや、それ以上の存在かもしれない。


(やっぱり噂は本当だったんだ!この村には特別な人がいるって!)


 イリスの胸が期待と興奮で高鳴る。旅を続ける中で藁にも縋る噂話が、ここで初めて形を持った確信へと変わった気がした。


 少年は相変わらず素振りを続けている。だが、彼の放つ気迫や剣筋から感じるものは、ただの「村の少年」としては到底片付けられないものだった。


「ねえ、君の師匠ってどんな人なの?もしかして、どこかにいるの?」


 イリスは期待を込めて少年に問いかけた。しかし、少年は素振りの手を止めることなく、一瞬だけちらりと彼女を見た。そして再び視線をそらし、そっけなく答える。


「師匠なら……とっくの昔に出て行ったよ。」


 その短い言葉に、イリスは拍子抜けしたように目を丸くした。


(出て行った……?じゃあ今はどこに……?)


 答えを深追いしようとしたその時だった。森の奥からかすかな物音が響く。それは、枯れ枝が折れるような不規則な音から、やがて何かが近づいてくる明確な足音へと変わった。


「っ……!」


 イリスは咄嗟に身構える。森の茂みを揺らしながら現れたのは、鋭い牙と目つきを持つ魔獣だった。全身を覆う漆黒の毛皮が陽光を吸い込むように鈍く輝き、その低い唸り声が空気を震わせる。


「……魔獣だ。」


 イリスは腰に下げた短剣に手をかけると、すばやく少年の前に立ちふさがるように動いた。


「危ない、下がって!」


 真剣な顔で振り返り少年に言い放つ。しかし、少年はそんな彼女の言葉を無視して、木剣を握ったまま、まるで待ち望んだ獲物が現れたかのように、口元に薄い笑みを浮かべた。


「今日は当たりだな。」


 少年はそのまま魔獣に向かって駆け出した。


「ちょっ、何して――!」


 イリスの制止の声も届かない。少年は軽やかに地面を蹴り、魔獣の前に躍り出る。その動きは鮮やかで、一切の迷いがなかった。そして――


「はあぁっ!」


 木剣が空を裂く音とともに、魔獣の体が斬り裂かれる。たった一撃。それも鉄や鋼ではなく木剣で放たれたものだった。魔獣は咆哮をあげる間もなく崩れ落ち、その場に沈黙した。


 イリスは目を見張ったまま、息をするのも忘れるほどの衝撃を受けていた。


(木剣で……一刀両断?本当にこんなことができる人がいるなんて……!)


 目の前で倒れた魔獣は、まるで刃物で切り裂かれたかのように正確な傷跡を残して沈黙している。木剣で放たれた一撃とは到底思えないほどの精密さと破壊力だった。


 少年はその異様な光景に驚きすら見せず、倒れた魔獣を無造作に一瞥すると、ため息混じりに木剣を肩に担いだ。そして、驚愕で立ち尽くしているイリスに見向きもせず、さっそく解体作業を始める。


「え……解体するの……?」


 イリスはようやく声を絞り出したが、少年は答える気配もなく、慣れた手つきで魔獣の皮を剥ぎ始めた。その動作は無駄がなく、まるで日常的に行っているようだった。


「ちょ、ちょっと待って!一体どうなってるの?君、木剣であんな大きな魔獣を……!」


「ちょっと待って。ここでは肉は貴重なんだ!無駄にしたらもったいないだろ。」


 少年はそう言うと、冷静な表情のまま解体を続ける。


 イリスは言葉を失ったままその様子を見守るしかなかった。少年の動きには力強さと落ち着きがあり、ただの村の少年とは思えない風格を感じる。


(この子……やっぱりただ者じゃない。この村に来たのは間違いじゃなかった!)


 胸の奥に熱いものがこみ上げてくる。イリスの瞳は決意に満ちた光を帯び、思わず一歩前に踏み出した。そして、少年の背中に向かって大きな声で呼びかけた。


「君!私と一緒に最強のパーティーを作らないか!」


 少年は手を止めることなく、ちらりとイリスを振り返る。その顔には少し呆れたような表情が浮かんでいた。


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