社の御寮様
玉椿 沢
第1話「成合御寮縁起」
この国が千々に乱れていた時代。
蒼天によく映える、白亜三層の城。
端麗という言葉がよく似合う名城は――、命運が潰えようとしていた。
城を取り囲む兵は十万を超える。
天守に籠もる将兵は、誰も疲れを隠せていない。
その内、最も高貴な席にいる男が、この城の主である。
主は女達を前にしていった。
「城を出よ」
苦々しい言葉である。守るべき女はいれども、守れる力は尽きていた。唯一、できた事は亡妻の家に要請し、城を出る者の安全を請う事のみ。
男の眼前に膝を着いている女も、父の言葉はよく分かる。
年の頃は十代に差し掛かったばかり。顔つき、体つきなど、女というより少女だ。
しかし佇まいは、武家の子女のそれ。
女は頭を垂れ、父の言葉を聞くのみ。
その傍らには、更に幼年の男児が一人。
亡妻が遺した跡取りである。五つの子供でも、これが今生の別れだと悟っている。
「嫌です!」
舌っ足らずながら必死に出した言葉は、父に対する初めての拒絶。
「共に戦います」
胸の前で短刀を握る手は震えている。
父はその手を握り、
「父の寿命はここで尽きるが、幼いお前には先がある。無下にはせぬと約束を取り付けた。城を出て生きよ」
そして短刀を取り上げた。
男児が震え、涙を零れ落とすところへ、姉が手を添える。
「涙を零してはなりません」
そういわれると、益々、涙は溢れるのだが。
すすり泣きが起こったところで、やや遠くで控えていた男が動く。佩刀していないのは、彼がこの城の者ではない事を示している。
「今生の別れの途中に申し訳ございませぬ。刻限が迫っております」
城の者を逃がすための休戦である。
「わかっておる」
時間稼ぎではない、と父は娘と息子を使者の方へ行くよう言った。
「嫌です!」
幼い息子は尚も拒絶するが、父は突き放す様に姉の方へ押しやる。
「早く行け。お前がいては戦えぬ」
父は下らず、将として残る決意だった。
「父を、一族一人も守れぬ愚将にしてくれるな」
そのために取り付けた約束である。
「使者殿。何卒、よしなに」
「はい。我が主君も格別の御慈悲にて、若君と姫君をお待ちしております」
使者の言葉に、父は頷いた。
その最後に、父の瞳は娘に向いた。
「安心せい。お前たちが恥ずかしくない戦い振りを見せてやるわ。お前も、よい男を結ばれて、
城から女子供が退去して四半刻ほど後、城は炎に包まれた――。
***
果たして父の仇の家で、姉弟の安寧は得られたか?
否。
無遠慮に言葉をぶつけられる日々のみ。
「背と胸ばかり大きくなって、あの貧相な手足は何?」
奥方は独りごちているはずなのに、彼女を意識させる声ばかり。
亡き母の家が回してくれた手も、彼女にもたらしたのは身の安寧のみ。心の安寧までは得られなかった。母の生家とて代が替わる。既に祖父の代ではなく、身を助けられた時点で伯父の代。今となっては従兄の家だ。
それでも弟に託されたお家再興まではと、歯すら食いしばれぬ生活に耐えた。
しかし――、
「昨今、暴流に悩まされると訴えがあった」
ある日、太守となった父の仇はいった。女が直接、顔を見る事すら許されない程の身分である。
「野分でいちいち橋が落ちていたのでは、商売にならぬとな」
家の興りは様々だが、この家は武装商人であるという。治水は元より、商売してこそ政治が成り立つ。
何の用であろうか――それは教えられずとも分かった。
言葉にされるまでもない事だが、太守は言う。
「人柱を立てい」
誰を?
女を。
「さぞや、立派な橋となろう。決して落ちぬ橋にな」
笑ったのは、何故だろうか?
五尺八寸の女の背を笑ったか?
降ろし損ねた荷を始末できるからか?
しかし吐き出しているのは太守である。
聞くしかない。それでも――、
「恐れながら」
女は顔こそ上げないが、強い口調で口にする。
「拝命いたします。拝命いたしますが、遺される弟の事……」
「分かっている。皆まで言うな。長じた後には、遺領を任せてもよい」
「ありがたい事です。思い残す事もございませぬ」
彼女の約束は、果たして守られただろうか?
人柱になった姫君のため、領民が建てた社には、祭神の名にこう
家督の料となるべき人を指す言葉である。
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