転生者に体の主導権を奪われた傲慢王子の選択

ある鯨井

前編

 アントニオは目を覚ますと、暗闇の中にいた。

 世界から星の加護が失われたような、無限に広がる黒。しかし寒さに苛まれる事もなく、光の下のように自身の姿を見れる、奇妙な場所だった。


「誰か! 誰かいないのか!」


「おう、いるぞー」


 呼びかけに応えたのは、今まで聞いた中で最もぞんざいな返事。


「こっちこっち」


 お前が来いと言わんばかりの物言いに、アントニオの眉は嫌悪感で歪む。しかし、返ってきた反応はその無礼者しかいないらしい。歯噛みしながら声の方向へ歩き出す。


(ここは、どこなんだ)


 歩いても、足音すら響かない。

 声の方角に向かっているはずなのに、進んでいる実感が湧かない。

 鈍る体の動きに対し、心臓は無意味に忙しない。


「おーい、遅いぞー。お前抜きでさっさと進めちまうぞー」


「ぐ……」


 不遜な声の存在は、この奇妙な空間にいる原因かもしれないというのに。不覚にも、安堵してしまった。苛立ちを誤魔化すために、アントニオは駆け出した。


 そうして辿り着いた先も、暗闇だった。

 しかし、光源が二つ。近付いていけば、窓のような四角と、ランタンのような丸く広がるものだとわかった。

 二つの光の前には四人は座れそうなソファ、その真ん中に腰掛けている広い背中が一つ。


「やっと来たか」


 男が振り返る。

 ぼさついた黒髪、荒れた肌、瞳孔の動きが読めない深い黒の双眸と向かい合ったアントニオは、全身を強張らせる。

 この空間の主だと言われれば納得出来る漆黒の化身に、喉が張り付いて声が出せない。


 何の反応もしないアントニオに、男は溜息を吐いた。

 はぁ、ではなく、はぁぁぁ~~と、無駄に長々と、心底呆れ果てた溜息を。


「お前さ、これどうなってんの?」


 指差した四角の光源に映し出されていたのは、見慣れた王城の庭園。そこには婚約者のシャルロット、そして――アントニオの姿があった。


「……は? な、何だこれは」


「倒れたお前の見舞いに駆け付けてくれた健気なシャルちゃんと、中庭でお散歩中。で、彼女は言うわけだ」


 男が手元には見覚えのない小さな装置。

 アントニオがその装置について尋ねるよりも男の手捌きの方が早かった。指先だけで容易く動く小振りなレバーを傾け、浮き沈みする丸と四角の突起を押し込む。


『思い悩むことがあれば、一緒に悩ませてくださいね』


「……!?」


 すると、シャルロットの声が聞こえてきた。

 彼女はずっと、泣きそうな顔で口を結んでいるというのに。


「で、このシャルちゃんの言葉に対して返した言葉がコレ」


『お前の父親が、そう媚を売れと言ったんだな。ご苦労な事だ。次期王妃から、ただの婚約者候補には戻りたくないか』


 続いて聞こえてきた高圧的で敵意に満ちた声は、アントニオのものだった。

 大きく目を見開き困惑するアントニオの視界に、顔を顰めた男が入り込む。ソファから立ち上がった男が上から覗き込んできたのだ。


「どう思う?」


「ど、どう?」


「婚約者が心配してくれたら嬉しいとか、男心にグッとくるとか、胸にくるもんがあるだろ! だのに、お前の返答はコレ! どうなってんだ!」


 主張しながら男は装置を連打し、その回数分アントニオの声が再び流れる。

 暗闇の中、知らない男に詰められて、言った覚えのない言葉が何度も繰り返される。訳のわからない状況に、アントニオは眩暈がしてきた。


『……申し訳、ございません。わたくしはここで』


「言ってる間に時間制限が! 引き留めッ……いや、絶対また余計な事言うか……」


 堪える声と青白い顔で何とか淑女の礼を残し、シャルロットが庭から立ち去った。

 男は慌ててアントニオから離れ、装置を持ち直すも結局項垂れて肩を落としただけだった。


「はぁ、とりあえず部屋に引き篭もるか。黙ってれば問題も起こすまい」


「――おい、まて」


 気を取り直して装置を動かし始めた男の腕を掴む。しかし、男は静止を物ともせず無心で操作し続けている。


 光源に映るアントニオは、男の指に合わせて庭から自室へと向かい始めた。

 その光景に嫌な予測が高まり、背筋を這うゾワゾワとした悪寒も比例して強まっていく。


「まて、待てと言っているだろう!」


「部屋に着いてからな」


「――このッ!」


 元凶は、この装置だ。

 直感を信じてアントニオは男の手から装置を奪い取る。

 しかし手に収まった瞬間、装置はアントニオの元から消え、再び男の手元に収まってしまった。


「……まぁ、そういう事だ。ちょい待っとけ」


 呆然と空の両手を見下ろすアントニオに、男は目を眇める。淡々と言い捨てながらソファに腰を下ろし直す。真ん中ではなく、片側に寄って。

 男と反対側の端に、アントニオも居心地悪く腰を落ち着けた。


 カチ、カチ。装置を動かす音だけが響く。

 話しかけてくる使用人達を無視し、自室の寝台に寝転んだところで、ようやく男は口を開いた。


「何からどう説明したら伝わるかわからんが、ここはお前の心の中。俺は別の世界からこっちの世界に転生してきた。そんで宛がわれたのが、この国の第二王子であるアントニオ・アーガイル、お前の体だった」


「……お前が何者かはどうでもいい。知った事ではない。だが私は、自らの体を他人に差し出した覚えはないぞ」


「そりゃそうだ。喜んで差し出す馬鹿はいねぇ。だがこの通り、お前の体は今、お前の意思で動かす事は出来ない。『コントローラー』が俺の手元から離れないのが、その証拠だ」


 そう言って男は手元の装置――コントローラーをアントニオにゆるりと放り投げる。結果変わらず、男の手元に戻った。

 アントニオは常軌を逸した不条理に、煮え滾るような怒りを覚えた。しかし、何もする事が出来ない。その事が余計に腹立たしく、ソファに爪を立てながら男をねめつける。


「そう睨むな。俺だってこんなクソゲー仕様の体、操作したくねぇよ」


「クソ!?」


「見舞いに来たシャルちゃんに『労う』を選んだら、出てきた台詞がアレ。他の選択肢は『黙る』か『追い返す』で論外。言動は制御不可能とか、控えめに言って超絶クソ」


 人の体を奪っておきながら、喜びもせず出るのは文句ばかり。

 アントニオが言葉を失ってる間も男は「固定カメラ位置も悪くて誤操作で何度も部屋に出入りしちまうし、あと――」と悪態は続く。

 知らない単語の羅列が、男が別世界の存在だと物語っていた。


「……どこに行くんだ?」


「こんな場所にいられるか! 出口を探す!」


「頑張れ」


「〜〜っ!」


 一刻も早く現実に戻って、体の主導権を取り戻さなければ。

 アントニオは勇ましく闇の中を駆け出し、男はその背中を見送った。




「おかえり。なんもなかっただろ」


「…………」


 男の言う通り、アントニオは何一つ見つけられず戻ってきた。

 出発前の勢いが完全に消沈したアントニオを見て、男はソファを叩いて座るよう促す。


「切り上げまで大体半日か、決断が早い。俺は四日くらい粘ったせいで、体を昏睡状態にしちまったからな」


「……言えば良かっただろう」


「見せた方が話が早い」


 何もしなかったのは、主導権を奪い返されまいとする抵抗や余裕などではなかったらしい。

 再び一つのソファに並んで座り、沈黙が流れる。


「俺の世界でこういう状況は、用意されている物が閉鎖空間からの脱出路になってる。何かあるはずだ、つーかあってもらわないと困る。お前も協力しろ」


「私に私の体を好き勝手される様子をただ見続けろと?」


「交代出来るまでは待っとけ」


 これまでアントニオが握っていた主導権コントローラーが今、男の手番になっているため取り戻せないと言う事だろう。苦い推測を飲み込んで、アントニオは頷く。


 取り返した後、この男は始末しよう。

 そうすれば二度とこの事態は起きまい。


「まず、シャルちゃんの攻略からやってみるか」


「――はっ? こ、攻略? いや、何故そこでシャルロットなんだ?」


「関係性の悪い婚約者との和解は鉄板だから」


「私は和解するつもりなどない!」


「はいはい、女の子と喧嘩して謝るなんて格好悪いよな。お年頃だもんな、よちよち」


「おい、私を誰だと心得る、アーガイルの次期王――頭を撫でるな無礼だぞッッ!!」


 傲岸不遜、傍若無人の第二王子、アントニオ・アーガイル。

 彼が幼い我が身を謎の成人男性に乗っ取られた、の時の出来事である。

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