シャーペンカチカチ無双

Unknown

2015年、学校をサボりつつ18歳か19の時に本気で書いた小説。93800文字の短編です。いまさら見直すの面倒だから推敲せずに丸ごと載せる

【ユーザ情報】

ユーザID: 574753

ユーザ名: Unknown


【Nコード】

N5354CX


【タイトル】

シャーペンカチカチ無双


【作者名】

Unknown


【種別】

連載小説


【完結設定】

連載中


【年齢制限】

年齢制限なし


【ジャンル】

学園


【キーワード】

R15 シャーペン カチカチ 高校生 現代(モダン) 学園 孤独 シャーペンの芯 ぼっち


【あらすじ】

人と話すのが極度に苦手で、いつも組織全体から浮いていて、悩みばかりで、未来が見えなくて、生きる意味すら分からないけど、






俺はシャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶速い。





【掲載話数】

15


【初回掲載日時】

2015-10-09 17:14:20


【最終掲載日時】

2015-12-31 19:41:44


【感想受付】

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【評価】

総合評価: 311pt

評価者数: 22人

お気に入り登録: 50件

文章評価: 平均4.8pt 合計105pt

ストーリー評価: 平均4.8pt 合計106pt


------------------------- 第1部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

1話 音読しか口数を稼ぐ機会が無いのに、音読すると声が震えるから死にたい


【前書き】

1話の後半からカチカチします。





【本文】

 俺は何も取り柄の無い人間で、暗くて、クラスで浮いていて、悩みが多くて、生きる意味すらよく分からないけど――――シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い。


 今日も俺は雑念だらけの心にフタをして、登校した。

 俺と対比したような、雲一つない快晴だった。




 教室の扉の前に立つと、大きな喧騒が聞こえる。一つ一つが幾重に連なって、誰が喋っているのか分からない。多分、ほぼみんなが喋っている。


 みんな、毎日ずっと喋ってて飽きないのか?

 どうして大声で喋れるんだ?

 そもそも、なんで学校でコミュニケーションを図る必要があるんだ?


 俺は疑問を抱くと同時に、今この瞬間、一日で最も気分が沈んだ。


 入りたくない。


 みんなの声を聞くと、自分の世界が壊れる。


 ここに来るまで色んな妄想をした。


 学校に殺人鬼が現れて、休校になる妄想。

 通学の電車がジャックされて、永遠に駅に停車しない妄想。

 学校が火事になる妄想。

 台風が直撃する妄想。

 風邪を引く妄想。


 全て自分の世界。

 俺の心だ。


 でも、ここに立ってみんなの声が聞こえた瞬間に、世界が粉々に破壊される。


 心が霧散する。


 散った心を拾い集めるより先に、暗い気持ちが俺を突き刺す。


 俺はいつも一人ぼっち。


 今日も明日も明後日も明々後日も、学校……。

 それから先もずっと人生が続く。

 学校に行っても行かなくても嫌なことばかりあって、逃げ場がなくて、学校を卒後しても嫌なことはきっとある。


 毎日が今日の連続。


 しかしそれを倒しても、明日になればまた新しい今日が来る。同じ強さで俺の所に来る。

 良いことなんて何もない。

 嫌なことしかない。

 苦しまず死にたい。

 引きこもって生きたい。










 でも俺は、シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い――。







 ◆







 俺は教室の扉に手を掛けて、少し息を吸ったあと、扉を開いた。


「――」

「――?」

「――!」

「――」

「――!」

「――」

「――!」

「――」


 喧騒に飲まれた俺はただの背景と化す。人物としての価値はこの瞬間ゼロになる。いや、マイナスだ。生きている価値なんて微塵もない。今まで生きていていいことなんて無かった。この中の誰かを笑わせたことも、この中で笑ったこともない。もう駄目だ。終わっている。人々から需要が無い。

 だけど俺は、シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い――。


 この教室で交わされる全ての会話が、俺にかすらない。俺は浮いている。


 教室には既にほとんどの人がいた。その姿を見ると、恋とかではなく、胸が苦しくなる。集団の中に存在していることに落ち着かないのだ。


 下を見ながら流星のように一直線で自分の席へと向かった。

 人が沢山いるはずなのに何の弊害も無く着席できる自分が恥ずかしい。生きている価値がない。


 座った俺は、すぐに突っ伏した。


 視界には何も映らない。


 これが俺の生活。


 いつも突っ伏して時間を潰す。生きている価値が無い。


 友達が居ない。


 きっと陰口を言われてる。きっと嫌われている。居場所がない。


 あらゆる場面で笑われる。


 生きている価値が無い。ゴミだ。もう死んだ方がいい。そうしたら世の中のためにもなる。


 しかし俺は、シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い――。



「……」



 俺は顔を上げ、鞄に手を突っ込み、ペンケースを取り出した。


 そこから一本のシャーペンを取り出した。


 今日も、カチカチするか。


 俺は深呼吸をして、周囲を見渡した。みんな誰かと何かしらを喋っている。喋るということが、俺には難しい。

 喋ったら嫌われるんじゃないか。喋ったら心を全部見透かされるんじゃないか。喋ったら後で悪口を言われるんじゃないか。

 でも、みんな喋っている。喋ることが普通なんだ。だから喋ることが怖く感じる俺は普通じゃない。生きている価値が無い。

 しかし俺は――――



 手に握られたシャーペンを見る。


 何も変哲が無いただの、シャーペン。


 俺は、静かにノック部分に親指を置いた。耳にはみんなの声がする。軽く目を閉じ、集中する。


 そして――


 全力で目を見開き、全身全霊を込めてシャーペンをカチカチした――。


「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ!」

「ゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 ――シャーペンのカチカチ音と俺の声が、共鳴(キョウメイ)した。


 光の速さでノックされるシャーペン。

 光の速さで天上から下界へ降り注ぐシャーペンの芯。

 カチカチし始めた瞬間、閃光を纏った俺の全身。

 勢いよく降り注ぎ過ぎて、机に突き刺さる0,5の芯。


 全て現実。俺の現実。


 俺が光の速さでシャーペンをカチカチした瞬間、教室の中には烈風が吹き荒れ、天災が発生した。あまりに素早くカチカチしたことで風が生まれるのだ。


 窓ガラスは全て割れて、机は全て吹き飛んで、喧騒は叫びへと変わった。


 瞬間最大風速75966829――。


「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「あああああああああああああああ!」

「何だこれ!!!!!!!!」

「うわあああああああああああ!」

「もしもしママ! ごめんね、私今日で死ぬの!!!!!!」

「俺まだ死にたくない!!!」

「えーん!」

「俺童貞のまま死ぬのか!!」

「もうやだ!!!!!!!!!!」

「あああああ携帯飛んだ! モンスト課金したばかりなのに!!!!」

「みんな落ち着け!!!!!!!」

「あああああああああああ!!」

「ふざけんな!!」

「ああああああああああああ!」

「またいつもの風か!!!!」

「きゃあああああああああああああああああ!」

「なんで毎朝こうなるんだよ!!!!!!!」

「この辺の雲おかしい!!」

「雲死ねよ!!!!」

「最悪! 髪ぼさぼさになる!!!!!」

「があああああああああああああああああああああ!」


 荒れ狂う、教室。

 みんながパニックになって走り回る間にも、無心で俺は着席したまま、シャーペンをカチカチする手を止めなかった。

 俺の体全体には、黄金の光。

 力が集中する手元には、白い光。

 とうの昔にシャーペンの芯は全て放出され、骸となっている。

 それでも、カチカチは止めない。


「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチィィィ!」

「ゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 今だけは、俺の心からの叫び声も、シャーペンのカチカチ音と教室の烈風が掻き消してくれる。今しか叫べる機会はない。だから、声が掠れるまでシャーペンをカチカチして叫び続ける。

 負の感情を、全部シャーペンの芯と一緒に解き放ちたい。


「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ!」

「ゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 気が付くと、何故か涙を流していた。どうしてだ。


 大丈夫。

 涙なんて、カチカチによって生まれた烈風が一瞬で乾かしてくれる。

 本当に、涙は一瞬でどこかに飛んで消えた。

 俺が泣くことに意味はない。泣くくらいなら、カチカチした方がマシだ。



 ――きーんこーんかーんこーん。



 一日の始まりを告げるチャイムが、烈風をすり抜けて微かに俺の耳に入った。


 今日は、これで終わりだな。


 約三十秒のカチカチ。まだカチカチしていたいが、これ以上やると教室を全壊させてしまう。せめて窓が割れる程度に力を留めておかなければ、まずい。


 俺は緩やかに、カチカチスピードを落としていった。


「カチカチカチィ」

「ああああああぁ」


 叫びもそれに合わせて、スケールダウンしていく。誰にも俺の声を聞かれたくなかった。だから喘ぎ声みたいな変な声を出してしまった。


「カチィ」

「あ」


 そして、ちょうどカチカチスピードが最低になった時、シャーペン自体が粉々になって机の上にぱらぱらと落ちた。

 黒い粉。

 これがついさっきまでは、ただのシャーペンだった。それを誰が信じるだろう。俺しかきっと分からない。

 お疲れ様。

 今日も、ありがとう。

 値段以上の物をシャーペンは俺の心にくれた。

 俺は黒い粉を僅かに手に取り、舌で舐めた。


「まずい」


 俺の人間性のような味がした。


 ◆ 


「おーおー、今日も酷いな。こりゃあ……」


 担任がやがて廃屋同然の教室に現れた。もう現存している席は俺の席しかない。後の席は全部倒れたり、遠くにある。俺はずっと座っていたから、机もそのままだ。


「よし、じゃあ週番。挨拶!」


 しかし、担任は何事もないように教壇に向かい、そう言った。


「起立、礼」


 日直も、何事もないように号令を掛けた。

 担任が視線を生徒に巡らせながら、流暢に喋り始めた。


「今日も嵐。これで一ヶ月連続で異常気象が起きてる。しかも毎回同じ時間帯だ。なんかもう誰かが作為的に起こしてるとしか思えない。でも、そんな事が可能だとも思えない。まぁよく分からないが、業者さんに今日も来てもらったから。みんなでお礼を言おう」


「ありがとうございます」


 教壇に立っているのは先生だけではない。担任の脇を固めるようにして、窓を取り付ける業者が真顔で立っている。


 この光景も、もはや日常だ。


 みんなは口々に業者にお礼を言ったあと、すぐに立ち上がり、それぞれの机や椅子を元の位置に戻し始めた。担任の指示が無くてもそうしている。


 一ヶ月も烈風が発生しているので、もうみんなの動きが洗練されているのだ。


 動きに一切無駄がなく、最短距離で机を運んでいる。


 そんな様子を、俺はずっと自分の席から見ていた。


 ◆


「では、いいですかね」


「はい、お願いします」


 全ての生徒が自分の席を取り戻し、着席したたのを確認してから、二人の業者がすごいスピードで窓を取り付け始めた。


 俺は心がすっきりして、机に突っ伏した。


 今日も、一日が始まる。ほとんどの人が知らない日本のどこかの高校で。


 ◆


 一時間目は国語だった。こころをやった。音読したら声が震えた。そのとき丁度Kが自殺した。俺も便乗して死にたい。死ぬ気はない。



【後書き】

予告 2話はカチカチしません。


------------------------- 第2部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

2話 文房具屋さんに咲き誇る、笑顔の花


【本文】

 今朝のカチカチ無双で、一本の心(シ)象(ャ)投(ー)影(ペ)機(ン)を他界させてしまったから、放課後、学校帰りに古い文房具店に向かうことにした。


 そこで新たなシャーペンを補充するのだ。


 今日の分で筆記用具は無くなってしまった。ついでに消しゴムでも買おう。


 俺が目指すのは、老夫婦が個人で経営している店だ。

 目立たない場所にあってほとんど人が来店しないから、俺はよく通う。

 風情はあるが売っているのはどこにでもあるシャーペンだ。だから文房具通みたいなのは来ない。来るのは俺のような人間だけ。俺がもし店主をしていて来る客が俺だけだったら店を畳む。


 平日の四時台、帰り道には学校帰りの高校生ばかりいた。

 同じ高校の人や他校の人、高校生は多種多様だ。


「――!」

「――」

「――?」

「――」

「――」

「――!」

「――」


 なのに、ほとんどの人が二人以上で帰っている。多い人は五人や六人。信じられない。

 どうしてみんな喋ることが怖くないんだろう。

 どうしたら、気負わずに話せる間柄に発展させられるんだろう。

 

 自分の心の壁の壊し方が分からない。


 複数人で歩いてる人は、俺からしたらまるで神だ。

 

 周りの人が複数で歩いているところを一人で歩いていると、途端に劣等感が浮上した。


「……」


 大丈夫。誰も俺のことなんか気にしてないし見てない。別に嫌われてない。堂々と歩いていいんだ。俺は。もっとはっきり歩け。気負わなくていい。一体何にびびってるんだ。


 自分にそう言い聞かせるのが、辛かった。


 俺は劣等感を消せぬまま、あまり高校生には目を配らせず、足元を見ながらゆっくり歩いた。


 周囲の喧騒は雑音。トラックが走る音や、テレビの音や、雨音と種類は一緒。

 

 今日も何事もなく。学校が終わった。


 明日も学校だけど、ひとまず今日はお疲れ。

 

 何もしてないけど、よく頑張った。存在しただけ頑張ったよお前は。毎日よくやってる。誇っていいよ。嫌になったらまたカチカチ無双ですっきりすればいいじゃん。


 俺は自分で自分を慰めた。


 ――あれ、そんなに何が辛いんだっけ。別に一人でいるなんてよくあることだよな。そんなのどこにでもいる。


 自分で自分を慰めると、途端に自分が小さい人間に思えて、恥ずかしくなった。


 世の中もっと辛いことを抱えている人ばかりだろう。だから俺程度がとやかく言うあれは無い。この程度ではまだまだ嘆く資格は無い。


 もっと楽しいことを考えよう。陰毛が縮れる理由とか。


 俺はやがて駅のある方向から逸れて、小さい道に入っていった。ようやく視界から高校生が消えた時、ようやく劣等感は消えてくれた。


 劣等感の代わりに、陰毛が縮れる原因を考察した。多分大事な部分を守るために縮れさせてクッション性を持たせているんだろう。


 人体はよく出来ている。

 よく出来てないのは心だ。未熟なのに剥き出しだから、心にも陰毛があればいいんだ。


 ◆


 俺は一瞬立ち止まってから、文房具店に入った。自動ドアは、俺の影が薄いからかあまり反応してくれない。

 今日も相変わらず寂れている。

 店内に人がいる様子はない。

 ほとんどの照明が明滅している。これは店としてどうなのか。

 一応店として存在しているんだから、蛍光灯くらいちゃんとすればいいのに。

 と思ったが、そういうところがまともだったら俺はここに来なかったかも知れない。

 ここは人を寄せ付けないような雰囲気があって入りやすいのだ。


「……」


 俺は無心でシャーペン売り場へと向かった。

 中は広くはない。


 シャーペンの場所は入り口からすぐそばにある。


 多様なシャーペンがあるが、俺は心(シ)象(ャ)投(ー)影(ペ)機(ン)の消費量が半端ないので値段だけで選ぶ。

 たまには1000円以上する高いシャーペンを教室で全力でカチカチして、安物との感覚の違いを楽しみたいという願望がある。人間だから欲はある。

 でも、さすがに1000円はどうだろう……。


 カチカチするために買うのって、メーカーに失礼じゃないか?


 100円なら別に許容されるだろうけど、1000円はメーカーの気合も100円のものと違うだろう。


 1000円は、道徳的にちょっと買えない。


 高いシャーペンへの憧れを募らせながらも、俺は100円のシャーペンが陳列された場所に立ち、物色を始めた。

 正直言って値段さえ決まれば、後は何でもいい。

 だってすぐ粉々になってしまうのだ。

 俺はとりあえず無難なデザインの物を手に取った。黒い、どこにでもあるようなやつ。

 あと消しゴムも手に取った。


 よし、さっさと帰ってゲームしよう。


 レジを本能的に見やる。


「いない」


 人がいない。

 そういえば、気になっていたのだ。

 いつもは言われるのに今日はいらっしゃいませって言われなかったことを――。


 ――いらっしゃいませって言ってくれないのは俺の影が薄いからか。それとも、「お前みたいな終わった客は正直要らない」という拒絶の意思表示か。だったらいいよ。帰るよ。でも、嫌だったらそんな遠回しじゃなく直接言ってくれよ。その方が整理が付くんだよ。全部そうだよ。陰で本人がいない場所で、本人に分からないようにこそこそされるより、直接言ってくれた方が良い。


 とまで考えていた。


 俺を無視していると断定してしまっていた。


 でも良かった! 俺を無視してるんじゃなくて、いないだけだった!


 きええええええええええええええええええええええい!!!!!


 俺はポーカーフェイスを保ちながらレジに向かった。レジの奥は多分普通に家なんだろう。

 今は多分油断して休憩中なんだろうけど、待っていればそのうちレジに来るはずだ。

 自分で呼ぶという選択肢は毛頭ない。

 

「……」


 ◆

 

 そのまま十分くらいが経っても来なかったが、こんなに時間が経ってしまったら逆に呼びづらい。

 ドアが開いた気配なかったのに、いつから待っていたの? もしかしてかなり待った? という話になるし、逆に気を遣わせてしまう。

 別に俺は店の人を呼ぶほどシャーペンが欲しいわけじゃない。家にもある。ましてや100円のシャーペンだ。別にガチ感を出すような場面じゃない。

 

 なら、ここはレジの前で立っているより、文房具を物色するフリをしていた方がよさそうだ。


 そうすれば自然な流れで全てが進む。


 俺はレジから離れて、万年筆の場所に向かった。


 台の上に試し書き用のメモがある。


 そこには、子供らしい字で『うんち』と書いてある。うんちのイラストも添えて。


 微笑ましい。


 俺にもうんこに夢中になるような時期があったな。幼稚園くらいか。


 ことあるごとに「うんこ」って言う時期があった。


 ――今では言葉すら発さなくなったけどな。


 よし、俺もなんか書こう。


 俺は万年筆を手に取った。そして無意識に、「うんち」のすぐ横に「んちん」と継いで書いた。








「ははははは!」








 俺はあまりに自然に笑っていた。

 思いもしなかった。

 ――まさか自分が高校三年にもなって「うんちんちん」ごときで笑うなんて。

 笑いの壺どうなってんだ。

 ずっと一人でいたから絶対どこかおかしくなったんだ。退行してる。もう駄目だ。

 俺は自分自身に衝撃を受けた。

 

「……」


 やがて、万年筆を静かに元の位置に戻した。

 

「――山田君……?」


「え」


 直後、俺のすぐ横から、深刻なトーンの声がした。

 

 ◆


 俺の頭は瞬時に真っ白になった。

 この店内に人がいない前提でずっと生きていたから、その大前提が覆されたことにより、真っ白になった。

 ひとりでに笑っている姿を見られるという、最悪の事態。


 ああああああ死にたい! 

 

 真っ白になった頭は、それしか考えられなくなった。


 しかも聞いたことがある声だった。関わったことが無いから名前と顔は一致しないが、聞き覚えはある。教室で一番多く「それな」って言ってる奴の声だ。


 俺の名字を知っているということは、クラスメイトで間違いない。


 いつの間に……。

 

「……」


 顔が真っ赤になるのが手に取るように分かった。

 思わず走って逃げたくなったが、体ががちがちに強張って、結局棒のようになってしまった。

 


「へー。山田君って、笑えるんだね。笑ってるとこ初めて見た」



 俺とは極力関わりたくないという意思を感じる口調だ。

 とても横なんて見れなかった。だからひたすら真っ直ぐ、試し書き用のメモをぼーっと見ていた。――早く帰れ早く帰れ。


「何書いてたの」


 ――この時の俺は、思考が停止してしまっていて、正常な判断が下せない状況にいた。笑っているところを目撃された時点で、全部どうでもよくなった。


「……」


 俺は隣の人が試し書きのメモを見やすいように、少し横にずれた。


 その時、初めて視界にその姿を捉えた。


 同じ高校の女子の制服を着ている。


 後ろ姿でクラスメイトだと分かった。名前と顔が一致しない分、恐ろしい。


 今日は最悪だ。早く解放されたい。


「え。うんちんちんって……」


 そう言って、女子が振り返ろうとする。


 俺はその瞬間、自分の行動の全てがばれたことを察し、絶望した。どうしてさっき素直に少し横にずれてしまったのか。


 俺は女子が振り返るより早く、俯いた。


 俺はゴミだ。


 暗いのに真面目ですらない。なんだ、うんちんちんって。そういえば宿題とか一切出さないしな。もう死んだ方が良いんだ。シャーペンをカチカチするのが速いからって何だよ。将来役に立つのかよ。


「まぁいいや。そのシャーペンと消しゴム、買うの?」


 ――え?


 俺はその飄々とした声色に拍子抜けし、現実に引き戻された。

 言われて気付いた。

 俺は手に、100円のシャーペンと50円の消しゴムを握っている。


「……け、消しゴムは別に」


 頭がパニックになって、俺は何故か消しゴムを床に置いてしまった。


「なんで置いたの」


 女子は溜息をついたあと素早くしゃがみ、消しゴムを拾い、慣れた手つきで消しゴムを元の配置に戻した。一体何者だ――。


「じゃあレジ来て」


 女子は颯爽とレジに向かいながら、俺に背を向けてそう言った。


「……え?」


 俺が困惑していると、女子はレジに向かって歩きながら衝撃の一言を口にした。


「ここ私の家だから」


 嘘だろ。あのお年寄りの夫婦は?


「今日はおじいちゃんとおばあちゃんどっちも町内会の旅行でいないから。私が店番。あー最悪、カラオケ行きたかった」


 全ての謎が解けた。

 だが、この人が二人の孫だともっと早く知っておきたかった。そうしたら今日、全てを目撃されることもなかったのだ。


 ◆


「108円」

「……」


 俺はストレス発散に一万円を出した。

 女子は困惑した口調で、俺に問いかけた。


「えっと、山田君小銭無い?」

「ない」


 嘘だ。本当はかなりある。


「そっか」

 

 だが、今日はこういう悪事を働きたくなる気分だ。自暴自棄になった。

 女子は慣れた手つきでおつりを渡してきた。


「面倒だから9900円でいい?」


 俺は9900円を財布にしまい、走って帰った。


 ――この店には、二度と来ない。


 ――どうしよう……俺が今日したことがSNSで拡散されて、明日からクラス全員に馬鹿にされたら…………。


 机にうんちんちんって彫られてたら不登校になろう。


 領収書は道の途中でくしゃくしゃにして投げ捨てた。風に乗って俺の知らないどこかに飛んでいった。俺も便乗して飛んでいきたい。ドローンになりたい。

 


【後書き】

予告 3話はカチカチします。




------------------------- 第3部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

3話 うさぎ組VSシャーペンカチカチプレイヤー(世界ランク34258位)


【本文】

「――!」

「――」

「――?」

「――!」

「――」

「それな」

「――」

「――!」

「――!」

「――?」

「――」

「あー分かる、それな」

「――」

「――」

「――!」

「――!

「うん、ほんとそれ」


 今まであまり意識してなかったが、喧騒の中から、「それな」だけがかなり目立つ。他の話し声ははっきりと聞こえない。 

『それな』の声量が大きいからか、それとも俺が強烈な畏怖を抱いているからか。

『それな』と言っているのは、昨日俺に接触してきたあの女子である。名前は知らない。


 俺は今、朝の教室で自分の席に突っ伏している。


 教室に入る時は、本当に怖かった。


 うんちんちんがクラス全体に広まっていると思うと若干吐き気がしたし、クラス全体の笑い声が俺を嘲るものに思えてしまった。視線が怖かった。

 最悪「お前の席ねえから」と言われることも覚悟していた。


 ――しかし、表立って何かが変わった様子は感じ取れなかった。


 もしかして、昨日の女子はあれを何とも思っていないのかもしれない。


 そうだ。そうだよ。冷静に考えて、クラスでいつも一人でいる奴のことなんてどうだっていいだろ。だから気にするな。大丈夫大丈夫。何も問題ない。昨日のことは忘れるんだ。きっと向こうももう覚えてないから。


「――?」

「――」

「それな」

「――」

「――!」

「――」


 まずい。

 無意識に女子の集団の会話に聞き耳を立てている。

 ていうか、一人でいると結構聞こえてしまう。聞きたくないものまで。

『山田君って全体的にやばいよね』とかはこの前聞いた。

 だから今日も聞いてしまうかもしれない。

『山田君が昨日、一人で笑っててかなりあれだった』と。


 こういう時は、昨日買ったシャーペンに名前を付けるに限る。

 何かして気を紛らわさないと、精神が蝕まれそうだ。


 俺は鞄からペンケースを取り出し、昨日買ったばかりの100円のシャーペンを手に取った。


 しかし、よくある黒くて無難なシャーペンだったから、名前を付けようにも困る。せめて名前だけは輝かせてやるか。


 おちんちん……、


 違う。駄目だ。


 うんちんちんから離れられない。


 あああああああああああああああ!


 どうしてこんなに気にしてしまうんだ!


「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」「それな」


 やめろやめろ。もう聞くな。何も聞くな。俺の耳。


 俺はすぐに耳を塞いだ。


「それな」


 それでも聞こえた。今度は、俺の呟きだった。


 ――――まずい。逆に俺がはまってきている。


 ていうか、それってどれだ。


 自分の言葉で言えよ。勝手に俺が笑ってるとこ見やがって! 108円なのに9900円渡すなよ! おつりちゃんと計算しろカス!


 シャーペンを握る手が、震えていた。あまりに強く動揺したことで、震えたのだ。


「ふぅ……」


 深く溜息をつく。少し落ち着こう。


 ごめんな、名前もまだ付けてないのに痛めつけて。


 お前の名前はフェルナンデスだ。


 由来は無い。


 でも名前がないよりマシだろ。名前があったってことは、この世界に存在していたってことだから。存在していないものなんてこの世にいない。誰だって死なない限り生きている。


 だが今は生きている心地が無い。


 俺はシャーペンを優しくさすりながら、ゆっくり周囲を見渡した。俺を見ている人はいない。

 大丈夫、問題ない。


 視線は、やがて昨日の女子の所で止まった。


「……」


 今一瞬こっち見た……。

 まずい、もう終わりだ!

 行け! フェルナンデス!


「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチィ!」

「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 俺はデスボイスで叫んだ。


 ――シャーペンよ、烈風で今までを全部無かったことにしてくれ。

 

 きっと、あいつは俺が昨日やった事を話す寸前だったんだ。俺と一瞬目があったのはそういうことだ。だから少しカチカチさせてくれないか。


 煩わしいもの全部壊してくれ。

 窓ガラスを割ってくれ。

 机を薙ぎ払ってくれ。

 みんなの会話を中断してくれ。

 鬱陶しいから俺の心も一緒に飛ばしてくれ。


 俺は今日も、いつもと同じようにカチカチした。いつものように烈風が発生し、俺の体は閃光に包まれた。

 いつもみたいに、窓ガラスが全部割れた。

 いつもみたいに、俺以外の机が全部吹っ飛んだ。

 いつもみたいに、みんなの会話は叫びに変わった。


 だからいつもより何倍も必死になってカチカチした。


 でも俺の心だけは、いつもみたいに、一ミリも変わってくれなかった。


 俺は何故かいつの間にか泣いていた。


「カチカチカチカチカチカチカチカチィ!」

「あああああああああああああああああ!」


 涙はすぐにカチカチの風によって乾き、どこかに霧散する。

 しかし泣いた事実は消えない。

 このままじゃいけない。このままだとずっと一人だ。

 そう思う。

 でも怖いんだ。

 自分の中の何かを変えることが。



 そして今日もいつもみたいにチャイムが鳴って、業者が窓ガラスを取り付けて、みんなが席を元に戻して、一日が始まった。

 何も変わらない一日。

 何も変わらないから、永遠に俺は自分の自意識に悩み続けるのかもしれない。

 器用に生きたい。

 シャーペンをカチカチするくらいじゃ、何も世界は変わらない。自分自身を変えなきゃ意味がないんだ。今が嫌ならそれしかないんだ。でも怖い。




 ――昨日買ったシャーペンはただの灰になった。


 ◆


 昼休み。

 教室で弁当を食った後、寝たふりで時間を潰していると、聞きたくもないのに自然と会話が耳に入ってきてしまった。


「――」

「――」

「それな」

「――」

「――」

「そういえば昨日――君が――」


 もう俺は昨日の女子の声だけ抽出してしまう現象を受け入れていた。うんちんちんの拡散を恐れるあまり、昨日の女子の声しか聞けないのだ。

 俺の脳がいかれている。


「えっとなんて書いてあったんだっけな……」


 ふいに、はっきり聞こえた。


「……ッ!」


 終わった。もう終わった。

 これで俺の事はばれて、クラス全員から馬鹿にされる未来が確定した。

 俺は絶望を確かにするために、机に突っ伏して寝たふりをしたまま、脚だけを小刻みに動かして、女子の集団に近づいた。例えるとナウシカのオームみたいな動きだった。

 高校生活で寝たふりをしまくっていたからこそできる、匠の技だ。


 そのままオームみたいに移動していると、徐々に距離が狭まってきたため、女子の会話が耳に入るようになってきた。


「――メモになんて書いてあったの?」

「んー、なんだっけな。うん……うん、」

「うん?」

「あれ、ごめん。ちょっと忘れちゃった」

「えー! ほんと彩香ってそういうところすっとこどっこいだよねー」







 しゃああああああああああああああああ!!







 俺は高速で動かし続けていた脚を止め、ポーカーフェイスのまま狂喜した。


 ――昨日の女子は俺が『何を書いたか』を忘れている。


 つまりまだ、修正が利く。


 これは好機だ。


「あ、そうだ。彩香、今日もカラオケ行けない?」

「うん、また店番しないと……」

「そっかー、それっていつまで?」

「今日までだよ」

「じゃあ、明日みんなで遊ぼう」


 今日もか。

 なら今日の放課後、あの女子より早く昨日の文房具屋に向かい、うんちんちんの後にこっそり「電車」と書き足せば、ちんちん電車っぽくなって印象が薄れ、全て丸く収まる。

 それが済んだら、最初にうんちと書いた元凶を捜索し、説教したい。

「万年筆でうんちなんて書いてたら将来ろくな人間にならないよ」と言いたくてしょうがない。

 どうやら今日の放課後は、血で血を洗う闘争に――――


「――――あれ、そういえば山田君の席ってこんな近かったっけ!?」

「なんでうちらの輪の中心にいるの!?」

「うわーきしょい」

「いつの間に……?」

「まさか、私たちに接近しつつ寝てるの?」

「それとも、うちらが寄ってるの?!」

「きゃあああああああ!」

「怖いこと言わないで!」


 まずい。

 影が薄いのをいいことに調子に乗って接近しすぎた。

 気がつくと、女子たちの声は五十センチくらい前で、かなり鮮明に聞こえる。それどころか、全方位から聞こえる。

 輪の中心にいつの間にか入ってしまったようだ。




 ――下手すれば、うんちんちんより遥かにやばくないか?




 俺は突っ伏して寝たふりをしながら、女子の中心で絶望した。

 どうしたらいい?

 今起きたら確実に今までの会話を盗み聞きしていたのがばれる。そして引かれ、やがてクラス全員に嫌われる。


「ねぇ、山田君起きてると思う?」

「逆に起きてたら犯罪者じゃね。今までの会話全部聞いてたってことだよ」

「でも寝てたとしたら、寝たままどうやってここまで移動してきたの?」

「夢遊病みたいな?」

「どっちにしろきもいね」

「それな」


 それなじゃねえよ。

 お前のせいで俺は今こうなってるんだ。

 うんちんちんと書いたメモを、お前が強奪したせいでな!


「ねぇ男子! どうして山田君がこんな位置にあるか、分かる人いるー!?」


 俺は慄然とした。

 突然、女子の誰かが、鋭い声で男子全体に問いかけたのだ。


 ◆


 女子が男子に問いかけたが、案の定ろくな返事は一つもなかった。


「よっしゃルシファー当たった!」

「は? お前俺より全然ランク雑魚のくせにルシファー当てんなよ!」

「うるせえな。課金しろ課金」

「俺は絶対課金しないって決めてんだよ!」

「バイトしろよ」

「バイトめんどくせえ!」

「うんきょくで行くわ」

「山田君、今日初めて見たわ。なんで女子に囲まれてんの」

「もしレアガチャで山田君出てきたらどうする? 強化に使う?」

「いや、あれを合成されるモンスターの身にもなれよ。多分モンスターも嫌がってすごい勢いで吠えるぞ」

「お前らあんま山田君いじめんなよー。かわいそうだろー!」

「ははは」


 みんなモンストにはまっている。


 しばらく経って、かなり近くにいた一人の女子がぽつんと呟いた。


「可哀想、山田君ってガチで一人も友達居ないんだね…………」


 ガチで居ねえ!!!

 早く帰りてえ!!!!!


 ◆


 その後、周囲にいた女子は自然と教室を去っていった。

 やがて男子もみんな去った。


 次の時間が体育だからだ。


 俺は、一人になってからようやく立ち上がり、机を元の位置に運んだ。


 体育クソめんどくせえな。


 今日マラソンだし。


 ……もう全部どうでもいいや。もういい。今日は疲れた。


 俺は保健室で寝ることにした。


 保健室でサボって、1日は終わった。


 ◆


 放課後、正直あまりモチベーションは高くなかったが、走って昨日の文房具屋に向かった。

 うんちんちんより、女子の中心に位置してしまったことの方が罪がやばかったかもしれない。

 だが、とりあえずうんちんちんを、うんちんちん電車に変えよう。そこから全部やり直そう。

 そういう意味を込めて、俺は全力で走った。


 走ったこともあり、すぐ文房具屋に着いた。


 ゆっくり自動ドアを通ると、どうやらこの中には誰もいないようだった。


「あの女子は、まだ来てないか……」


 息を荒げながら呟く。


 よし、早くあのメモに電車って付け足そう。

 ちんちん電車に運命を捻じ曲げるのだ。

 俺は勝つ。


 俺は走って試し書きメモの場所に向かった。


「ッ!!!!!!!」


 その姿を見たとき、俺は衝撃のあまり衝撃を受けた。


 試し書き用メモの前に向かうと、そこには嬉々として万年筆を走らせる、小さな男の子がいたのだ。


 その子は俺に気付かず、ペンを走らせている。


 まさかと思い、俺はそっと上から覗き込んだ。


『きょうはようちえんのといれでうんちをしりました。うれしかったです。あと、おおきいこえでせんせいにあいさつしたらほめてくれました。うれしかったです。うんちをしりたいです』


 やべえ絶対この子だ。


 俺は確信した。


 そして、僅かに口角を吊り上げた。


 仕方ない。

 俺が君に、大人の世界を教えてやるよ。


 俺は今、全く緊張していない。

 小学生くらいともなると、物心もだいぶちゃんと付いてしまうので、話すのは怖い。

 だが、この子くらいの幼さであれば行ける。

 ……俺もまだ、人と話せるんだ。


「こんにちは!」


 俺は、できるだけ不信感を与えないように明るいトーンで挨拶した。

 すると、男の子はすぐに振り返った。きょとんとしている。

 俺は自然と笑っていた。


「あらゆる挙動が初々しいね。君はまだ挫折と孤独を知らない無邪気な幼稚園生?」


「うん。うさぎぐみ」


「そうか。じゃあ、今回の件は仕方ないね。今日は大目に見てあげる。でも、君の未来のために少し注意するからよく聞いてね」


「うん」


「君は今、この試し書き用のメモに、なんて書いた?」


「うんちのこと」


「そうだよね。それがどういうことだか分かる? このメモは君だけのものじゃないんだ。このお店に来た全員のものなんだよ。そこにうんちって書いてあるのを見つけた人は、どんな気分になるかな?」


「……いや」


「そうだね。嫌な気持ちになるよね。でも君はとても偉い。自分で自分の失敗を認めるのは、大人でも難しいことなんだ。でも君は、それをうさぎぐみで出来ている。本当に偉い」


「ありがとう」


「でも、そんな君だからこそ、偉い君だからこそ、厳しいことを言うよ。うんちなんて書いてたらね、ぶっちゃけ将来ろくな人間になれないよ」


「――ちんちんってかいたひとにいわれたくない」




 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 今日初めて人間と喋れたのに幼稚園生の方が正しい!

 大体、なんで高三なのに高三と話せないんだ? あかんでほんま。

 



「なんで、俺がちんちんって書いたこと知ってるのかな」


「きのうおねえちゃんがいってたから」


「……お姉ちゃん?」


「おねえちゃんが言ってたよ。変な人がメモにちんちんって書いたって」


「変な人っていうヒントだけで俺だって分かったんだね。俺ってそんなに変かな。自分では結構普通だと思ってるんだけど。そもそも普通って何だろう。何がどうなったら普通じゃないの? 俺には分からないんだ。一体何をどうに変えたら、俺は普通になれるの。ねえ、なんで人は生まれたの? なんで人は争うの? なんで彼女は手首を今日も切るの? 俺たちはどうすれば幸せになれるの? 教えてくれよ。誰か、ねえ!!!」 


「おねえちゃん、この人怖い!」



 ――――え。



 怯えた男の子は突然叫び、俺の横をすり抜けて、走っていった。


 男の子が走った方向に、『おねえちゃん』がいるのか――。俺の後ろに。


 振り向きたくない。


 未だかつてこんなに振り返りたくなかったことは無い。


 体中が熱くなる。


 またか。


 またこの裂けるような恥ずかしさか。


「……ずっと後ろで見てたけど山田君って普通に喋れるんだね。学校でも喋ればいいのに。なんで誰とも喋らないの? もったいないよ」


 ああああああああああああああああああ!


 後ろから、昨日と同じ声がした。


「弟と遊んでくれてありがとね」


 俺は遊ばれただけだ。


 俺は一体、何がしたかったのだろうか。


 余りの恥ずかしさに振り返ることができず、俺はその場で硬直した。


 ◆


 しばらく、空間を沈黙が支配した。


「おねえちゃん。なんでこのひといきなりしゃべらなくなったの。さっきまであんなにしゃべったのに!」


「うーん、なんででだろうね」


 本当になんでだろうね。なんでうさぎ組の子は怖くなくて、同じくらいの歳の人が怖いんだ。

 人の、何が怖いんだろう。なんで教室で一言も喋れないんだろう。

 俺はよく分からなくなった。

 もうずっとそうだから。なんで喋れないかも忘れる程、喋らないことが俺には普通なんだ。

 

 でも喋りたくないわけじゃない。本当は喋りたいんだよ。


 でも怖くて無理なんだ。

 何が怖いのか、自分の中で言葉には出来ないけど。

 人と関わることが怖いんだ。

 

「――またきてね」


 突然、俺の視界に小さい子が現れた。上目づかいで俺の目を見てくる。

 俺はすぐに目を逸らした。



 分かった/嫌だ

「…………」

 俺は怖気づいてそんな簡単なことすら言えない。



 何が怖いんだ。何も怖くないよ。別に話したくらいじゃ嫌われないよ。世の中そんなに悪い人ばかりじゃないよ。

 頭では分かっていても心が付いてこない。


 俺は逃げるようにしてその場から走り去った。


 誰とも目を合わせなかった。


 ガチでここにはもう来ない。


【後書き】

お疲れ様でした


------------------------- 第4部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

4話 鳥と新聞配達とデスボイス


【本文】

 ソロで高笑いしているところに加え、幼稚園生に本気の説教をしているところを目撃された。しかも幼稚園生の方が普通に正しかった。


あの女子は、今まで俺の事をただ暗いだけの人間だと思っていただろう。

今まで俺は人との接触に怯えるあまり、自己紹介と音読以外の感情表現をただの一度もしてこなかったのだ。

教室で人間に何を問われようとも「あ、うん」「あ、はい」で済ませてきた。

私語を幾星霜も慎み続けて、今の俺がある。

だが、俺の化けの皮が完全に剥がれた今、俺はきっとただの暗い人間だと思われていない。









――確実に頭がおかしい奴だと思われている。









俺の高校生活はきっと今、転換点にある。

ただでさえクソみたいな歯車が、更に狂い始めた。

自分でもこれ以上狂うとは思っていなかった。


その日の夜。


眠くても、全然寝る気にならなかった。

いつも寝るのは大抵三時だ。しかし、今日は五時になっても寝る気にならず、ひたすらベッドに横になってスマホを弄っていた。死ぬほど眠いのを我慢して。

一日の内容があまりにゴミなので、できるだけ夜更かしをして『今日』を引き伸ばし、少しでも充足感を得たい。少しでも楽しい時間帯が欲しい。学校から帰ってすぐ寝てしまったら、すぐ学校に行かなきゃいけない。それが嫌だ。

つまり、明日を迎えることが嫌なのだ。 

永遠に今日に留まりたい。

家にいたい。制服を着たくない。教室にいたくない。

でも、そんな抵抗は、五時にもなればボロクソになって終焉を迎える。






「ほーほー」

 鳥が鳴き始めた。


「ぶろろろーん」

新聞配達のバイクが通り始めた。


「ああああ……ぅぁああ……嫌だ嫌だ…………もう朝だ……死ぬ死ぬ……誰か、酒……を、酒をくれえええええええええええ! ヴァアアアアアア……!」

俺がベッドの上でデスボイスで呻いた。



【鳥・新聞配達・デスボイス】の三つどもえ。


様式美である。





――夜は終わった。

抵抗した分、全部自分に跳ね返ってきた。


この瞬間、俺は一睡もしなかったことを途轍もなく後悔する。


なんで寝なかったんだろう……。馬鹿じゃねえの!? 一日中ずっと眠いじゃん。ああもう最悪だ。


……明日学校行きたくねえな。いや、もう今日か……。


『うぇーい! もう五時だぜ。あと二時間しか寝られない! ざまあああああ! ほら、そんなに眠ければ今からでも寝ろよゴミ! 一睡もしないとかきっしょ! うわー引くわー! 学校の何がそんなに嫌なん!? お前の同級生、今みんな寝てるよ。起きてんのお前だけだよ』


鳥が俺にそう言ってる気がする。

この理由から、俺は鳥が好きではない。鳥はカスだ。


朝になるまで起きてしまったなら、どうせなら一睡もしないで学校に行ってやる。

あ、でもそうすると、学校から帰ってすぐ寝てしまう……。

それは最悪だ。

あー、なんで今日寝なかったんだよ……。


「――」


俺は、光が差し込み始めた天井をぼーっと見上げながら、思った。


――そもそも、なんで毎日こんなに学校に行きたくないんだろう。


言葉で言い表せるような辛いことがあるわけでもない。むしろその辛いことを避けるために、心に壁を作って一人でいる。人から逃げている。


なら無駄な事を考えず、機械みたいに通えばいい。


そしたら、いつか絶対終わるのに。


俺にはそれが出来ない。


 ――――――考えてしまう。見てしまう。比較してしまう。


周りには自分という人間がどう見えているだろう。


他人を避けて生きているくせに、他人の視線を異常に気にしてしまう。


なんて馬鹿なのか。



――学校がめんどくさい。

朝を迎えた今、それしか思うことは無い。



でも、このままでは寝てしまいそうだ。もう限界が近い。


シャワーでも浴びて眠気を取ろう。

そしてそのまま、学校に行こう。


「よっこいしょおおおおおおおおおおおおおお! ゴルァアアアアアアアアアアアアアアアア!」


ベッドから立ち上がった時、叫んでストレスを発散した。でも二秒後には、またストレスが俺を包んだ。

何故なら今日はまだ水曜日。

土曜日は遥か彼方だ。

でも、いつかきっと俺が迎えに行くから。

絶対俺が守るから! それまで待ってろよ! 土日!!!



 シャワーを浴びた後、俺は、あの女子のことを思い出した。

 今思い返しても、顔が真っ赤になる。

 むしゃくしゃしてシャーペンの芯を食った。

 バリバリ音を立てながら咀嚼していく。

 まずいじゃがりこみたいだ。


「シャーペンの芯美味しいな。多分フライにしても美味しい」


俺は揚げて食った。


「わーこんがりきつね色。こんなん絶対うまいに決まってますやん」


食った。


「うまあああああああああああああああい!!」


 俺は泣きそうになりながらシャー芯を食った。まずかった。終わり。


 ◆


 その後、しばらくリビングでゲームをして過ごしていると、母が起床してきた。


「うわっびっくりした、もう起きてたの? 早いね」

「うん」


 眠気に殺されそうになりながら、返事した。

 ……日が登る。

 飯を食って歯を磨いて制服を着て、シャーペンを持って学校に行った。


 ◆


(――大丈夫だ。友達が一人もいないという時点で、充分周りからはおかしい奴として認知されている。だからこれ以上おかしい奴だと思われてもそんなにダメージない。超然と寝たふりをしろ)


 今では、そう教室で自分に言い聞かすようになってしまった。


 自分がおかしいこと前提で言い聞かせなければならないので、言い聞かせることによりむしろメンタルが蝕まれるようになった。何も意味がない。


 今日も、俺は教室の中央で、自分の席に突っ伏して寝たふりをしている。


 紹介が遅れた。


 俺の席は教室のど真ん中だ。よろしくな!


 ◆


「おはよう」

「おはよー。なんかこの教室臭くね」

「分かる。慢性的に臭いよな」

「誰が臭いんだよ」


 ――もしかして俺?


 俺は突っ伏しながら、自分を嗅いだ。


 無臭だ。


 だが、ネットで見たことがある。体臭は決して自分では気付けないと。


「……」


 俺は無意識にシャーペンを手に取っていた。


 もし俺が臭いなら、今すぐカチカチして、全部無かったことにしたい。


「田中、お前だよ!」

「は? 俺臭くねえし!」

「臭いよ。朝練したら着替えろよ。くっせえなあああああああ」

「しょうがねえだろ。着替え持ってくるの忘れたんだから」


 良かった。俺じゃなかった。

 俺は押す寸前だった親指を、ゆっくり離して、シャーペンを机に置いた。


 まぁ、特に理由もないが、もう一か月以上も続けてきたし、カチカチするかな。


 今日寝てないしな。全部吹き飛べ。学校なんてクソくらえだ。


 俺は、机に突っ伏しながら今日も本気でカチカチした。体を閃光が包み、窓ガラスが割れ、机が吹き飛び、みんなが叫ぶ。気持ちいい。



「――!?」

「――!」

「――!」

「――!?」

「――!」

「ねぇ、なんで山田君の席だけいつも飛ばないの? なんでいつもこの時間帯だけ体が光ってるの!? なんか知ってるんでしょ!? 変だよ!」 

「――!」

「――!」

「――!」

「――!」

 

 俺の耳元で、あの女子の叫び声が鮮明に聞こえた。

 

 ――思わず、カチカチ無双を反射的に中断した。


 頭がまた真っ白になって、俺の世界の中でシャーペンだけが音を立てて、ころころ転がって、床に落ちた。


【後書き】


行頭がガタガタですいません。



------------------------- 第5部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

5話 シャーペンカチカチプレイヤーの本懐


【本文】

「うわああああああああああ!!! ……あ?」

「もしもしママ!? ごめんね私今日で死ぬの! ……ん? あれ、ごめん。やっぱり生きる。うん、うん、じゃあ切るね。はーい」

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!! ……あれ?」

「きゃああああああああああああああ!!! は……なんで?」

「やばいスマホ飛んだ! モンスト課金したばかりなのに!! ……あれ、飛んでない」

「あああああああああああああああ! ……は?」

「また嵐かよ! ちくしょおおおおおおおおおおおお! ……おい、なんだこれ」

「もう一ヶ月連続だぞ! 何がどうなってんだよ! 俺たちが何か悪いことしたのかよ! なあ! 神がいるとしたら俺たちの問いに答えてくれよ! ……ん?」

「俺童貞のまま死ぬのかよおおおおおおおおおお! ……え、止まった?」


 俺が衝動的にシャーペンを床に落としたことにより、烈風は志半ばで消失した。

 ――それと同時に、クラス中の叫びは止んだ。

 本当に一瞬で教室全体が静寂に包まれた。

 一方俺は、ただ生命活動を続けるだけの肉体と化した。感情はもはや無い。遂に、遂に……ばれた。

 カチカチ無双が……!

 俺のすぐそばに、奴はいる。

 どうしようどうしようどうしよう!


 俺が絶望の渦中に突っ伏す中、静かな教室の中では、人間達の会話の応酬が繰り広げられた。


「え、お前って童貞だったの。俺に偉そうに『女っていうのは肯定してもらいたい生き物なんだよ。だから悩みとか相談されたら具体策を言うんじゃなくてとりあえず大変だねとかそうなんだ、って言っておけば間違いねえよ。ただ愛は忘れるな』って言ってたのに!?」

「……そうだよ。童貞だよ。女子となんて目を合わせたことも無いよ。てかお前も人のこと言えねえだろ! 何だよ。俺たちの問いに答えてくれよって」

「うるせえカス! 風にかき消されるから、恥ずかしいこと大声で言っても平気かな、みたいな感じになるだろうが誰でも!」

「さやかっていつも風が起こるたびにお母さんに電話してたの……?」

「う、うん……だって怖いし」

「通話料もったいないからやめたほうが良いよー。だって、いつも人に被害は出ない程度の嵐しか起きないじゃん。何故か」

「で、でもっ、怖いんだもん……」

「かわいー! 生後二ヶ月のモルモットみたーい!」

「どうして今日はこんなに早く風が止んだのかな……」

「ほんと、なんでだろうね」

「なんか風の時間が短くて寂しい。私、叫ぶために学校来てたようなもんだし。単位とか要らねえし」

「俺もだわ。風でかき消されるから、別に意味はなくても叫んじゃうよな」

「なんか調子狂うよね。机と椅子吹っ飛ばないと張り合いがないわ」

「今日宿題出てたっけ」

「古文」


 こんなにはっきり人々の会話が聞こえるなら、これは夢じゃない。

 現実だ。

 さっき、あの女子は俺になんて言った?

 烈風でよく聞き取れなかったが、明らかに俺を疑ってる口調で、なんか言ってたぞ……。


 あ、そうか。俺は疑われているだけで、確信されたわけじゃない。




 ――だったらまだ修正が効くッァゥ!!!!




 まだいける……。


 今、俺はコンマ数秒の間に、全てを賭ける覚悟を決めた。初めて教室の中で、自分から声を出すという覚悟を。

 あの女子にカチカチの容疑を掛けられている恐怖に比べれば、一瞬の恥なんて気にすることない――。







「風が強い」







 俺は突っ伏したままそう呟き、机ごと思いきりダイナミックに横に倒れた。

 声は小さい上に棒読みだったが、その分、転倒に力を込めた。

 容疑を晴らすため、自分なりには声を張り上げたつもりだ。

 なら、その結果が呟きであったとしても、悔いは無い。

 前に進んだ失敗は、九割成功だ。


 俺は今、自信に満ちて床の上にいる。


 これで、俺が風によって転倒した感を演出することに成功した。

 目立つのは恥ずかしいが、風を起こした容疑が固まるより全然いい。


「山田君、なんで風が完全に収まってから倒れたの?」


 えらく静かになった教室の中。

 きつく目を閉じて倒れていると、頭上から小さな声がした。


「――え」


「今、完全に風が無くなってから倒れたよね」


 嘘だと言ってくれ。

「嘘」

 俺じゃない。


「ん? 何が嘘なの、山田君」


「え、あの、いや、その、ああ……」


 俺はうつ伏せになり、最大二文字で戸惑った。視界には床しかない。


 教室はとても静かだ。

 ここに、俺とこの女子の二人しかいないんじゃないかと思うほどに。


 しかし――


「山田君が、喋った」

「山田君が喋った」

「喋った、山田君が」

「あの山田君が喋った」

「声、初めて聞いた」

「声帯、あったんだ」

「嘘、だろ」

「『風が強い』ってちゃんと言ったぜ。あの山田君が」

「山田君、今日学校来てたんだ」

「口があるところ初めて見た」


 ――ざわついていた。


 倒れながら、顔が真っ赤になるのを感じる。

 最近、真っ赤率が高い。

 俺はただ床をぼーっと見た。

 時間が流れることだけに希望を託し、努めて無感情であろうとした。

 だが頭のすぐ上で、人の気配がする。呼吸音が聞こえる。

 それだけで空間が凍結されたような気がした。


「倒れるタイミング遅いよね。なんで」


 俺にしか聞こえないであろう、噂話のような声量だった。

 耳がこそばゆくなる。


「……」


 俺は何も言わない。


 やがて、俺の耳には別の声が入ってきた。


「ねえ彩香。なんで全然驚かないの?」


 その問いに対し、俺の頭上にいた人は平然と答えた。


「だって山田君普通に話せるもん」

「え、そうなの?」


 そうだ。

 俺はもう何度もこいつに恥をかかされてきた。

 彩香っていうのか。

 どうでもいい。


 そんなことを考えていると、やがて俺と彩香という人の近くに、もう一つの足音が近づいてきた。


 それは、俺のすぐそばで停止した。


 圧迫感がすごい。

 早く帰りたい。




「ねぇ山田君。あいうえおって言って」




 強制されると言いたくない。

 あいうえおって何だ?

 そんな頭悪そうな台詞言いたくない。せめてiPS細胞とかにしろや。


 何も言わない俺を見かねたのか、彩香という人が溜息をついて、ぽつんと呟いた。


「昨日弟とあんなに喋ってたんだから、あいうえおくらい言いなよ。本当は喋れるんだから」

「そうなの?」

「そうだよ。普通に喋るよ」

「へぇ」


 言えない。

 言えるはずがない。

 あれは幼稚園生だから全く緊張しなかっただけだ。

 同年代となれば話は違う。

 

「……」


 俺は黙った。


「変なの」


 そう呟いて、あいうえお女子は去って行った。

 気が付けば、もうほとんどの人が席に着いて談笑している。床だけを見ていてもそれは分かった。

 安心した。別に、風が止んでから『風が強い』と言って思いきり横に倒れても、気にする人なんていないのだ。よかった。俺は考えすぎだったんだ。

 そして今、初めて気が付いた。

 ――みんなの机が微動だにしていないことに。ちゃんと全ての列がある。倒れているのは俺だけだ。馬鹿か?

 

「そもそもなんで倒れたの?」


 彩香と言う人が俺に問う。

 

 本当になんで倒れてしまったのか。

 若気の至りだ。

 焦りすぎて倒れてしまった。


 俺は咄嗟に立ち上がり、机と椅子を元の位置に直した。

 

 立ち上がった時、初めてその顔を見た。


 どこにでもいそうな普通の顔をしている。

 

 やがて目が合った。


 俺から見ただけでは何を考えているのか分からない目をしている。


 普通の目。


 俺はすぐに目を逸らした。

 目を見るのは苦手だ。

 多分頑張れば見ることはできる。でも、そこからどのくらいの頻度で目を逸らすのが適切なのか分からない。ずっと目を合わせてるのは奇妙だし、全く合さないと印象悪い。

 目を見たら人に失礼なのではないか。

 最終的にそう思う。


 俺が目を下に逸らすと、尚も女子は俺の目を見ながら、周りに聞こえない小声で呟いた。

 

「なんでシャーペン落としたら風が止んだんだろう……。どうして山田君は不自然に倒れたんだろう。いつも山田君の席だけは飛んでなかったはずだよね?」

「……」

「何か後ろめたいことがあったから倒れたのかなぁ。すごい怪しいよね。毎朝体が光ってるのも変だし。絶対何かあるんだよ。そういえば山田君に声かけたら風が止んだね」

「……」

「もし山田君が何かしてるんだったら先生にちくっちゃおうかなぁー。毎朝迷惑だからちくっちゃおうかなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああどうしようかなああああああああああああああああああああああああ」


 間違いなく言えるのは、

 ――逆効果だった。

 倒れたことは、逆効果だったということだ。

 倒れ損だ。

 全国の高校を探しても、これほどの倒れ損は多分無い。

 

「反論しないってことは……?」

 

 やばい。

 このままだとちくられる!


 俺は反射的に女子の目を再び見た。

 

 ――女子は笑っていた。


「……いや、何もしてない……」


 咄嗟に漏れた言葉は、ホームルーム開始のチャイムに丸ごと被さって、自分すら何を言ってるのか聞き取れなかった。

 声量がゴミだ。

 チャイムに負けるとかもう生きてる価値ないだろ。


「今何か言った? まあいいや。チャイム鳴ったから席につこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっと!!! どうしよう! このあとすぐちくっちゃおうかなああああああああああああ!! ぴゃー!!!!」


 そう言って、女子はスキップして自分の席に向かった。そういうキャラだったのか。


 もう勝手にしろ。

 

 ちくられたら多分退学だろうな。

 それだけ悪いことを俺はしてきた。それが矯正されるだけのことだ。

 悪は淘汰される。当たり前だ。中退したら高認とって大学行ってニートになろう。

 窓代、何円弁償することになるんだろう……。

 それだけが嫌だな。


 俺は、金に絶望しながら席に着いた。



 でも、何故か心は少しだけ軽かった。

 

 ◆


「うわあ、今日も酷い荒れようだ。これで異常気象は一か月連続だな。学校側としても今必死で対策練ってるところだから我慢してくれ。教室の引っ越しも検討して…………え?」


 担任は教室に入って少ししたところで固まった。


 そして、破顔して両手を上げて叫んだ。


「うぇーーい!!!! うぇーーーーーーい!!」


 普段物静かな人なのに、テンションがおかしい。絶対うぇーいとか言う種類の人ではない。もうすぐ定年だ。

 だが、それだけ、カチカチ無双はみんなにとっても日常の一部だったのだ。


 ――そしてそれは、担任に限った話では無かった。


「嘘、だろ……」

「嘘だと言ってくれよ。なぁ……」


 担任の後に続いて教室に入ってきた、若い二人の業者。

 彼らは、まるで世界が終わったかのような絶望に満ちた顔をして、崩れ落ちるように膝をついた。


「え、なに?」

「どうしたん」

「ん?」

「なになに」


 あまりに深刻そうに崩れ落ちたので、クラス全体の注意も業者に向かった。俺も業者を思わず見た。

 

 喜んでいた担任は咄嗟に業者へ駆け寄り、二人の肩に手を置いた。


「すいません。仕事、今日は無くなってしまいました」


 担任がそう言うと、二人の業者が、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、歩きはじめた。

 ――やがて業者は勝手に教壇に上がった。

 業者は泣いていた。


 ◆


「――僕は学生時代に友達がいなかったんです。

 いつも学校早く終わんねえかなあって窓の外の景色ばかりを眺めている人間でした。それで窓の外ばかり見てたらそのうち窓が好きになって、窓とかで抜くようにもなり、窓を扱う仕事に就きたいなって思うようにもなりました。そして業者になった。最初はうまくいかないことばかりで、上司に舌打ちとかされまくって、ロッカーにゴミとか入れられてて、それでも窓が好きだから! ……僕はこの仕事を続けました。

 そんな時、この学校で嵐が起き始めた。

 そして、毎日ここの窓を替えるようになった。その時思ったんです。

 こんな僕でも学校に居ていいんだなって。生きてても良いんだなって。この教室の窓を変えるようになってから、そう思うようになりました。まるで失われた学生時代を取り戻したようでした。僕が皆さんの第二の担任だと言っても過言ではありません。皆さんのことが好きです。大好きです。本当に好きです。窓以上に好きです。

 でも、もう、嵐は起きてくれないみたいだ……。なら僕に生きる価値は無い。今日で僕この仕事辞めて無職になります。みんな、お元気で……」


「こんな不器用な俺らだけど、本当に窓が好きです。今までありがとうございました」

 

 二人の業者は並んで泣いている。

 教室はしんみりしていた。

 泣いている理由が何であっても、泣いているというだけで場はある程度のしんみりさに包まれる。

 誰も声を出す人はいない。

 そんな中、業者は揃って嗚咽を上げ始めた。


「えーん!」

「えーん!」


 大の大人が泣くなよ。

 生きてていいんだよ。

 生きる価値が無いとか言ってるが、生きてちゃいけない人間なんていないんだよ、業者――。


「えー、今日の一時間目は予定を変えて、業者さんを送る会をやろう。なぁ、みんな」

 

 教室に業者の涙が染みていく中、担任が明るい口調で言い放った。すると、歓声が上がった。


「やろうやろう」

「業者今までありがとう」

「業者ー! 俺らの事忘れんなよー!」

「業者最高!」

「送る会って何やるの」

「業者のライン教えてー」

「業者に感動した」

「やばい、泣いちゃった。今日は泣かないって決めてたのになぁ」


 みんなが暖かい言葉を掛けていく。

 教室が暖かい。

 すると業者は更に泣く。これで終わりなんだと、すべて終わりなんだと泣いている。別れは寂しい。終わりは切ない。


 なんだよ。


 なんだよもう。






 ――俺がシャーペンをカチカチするしか、ねえじゃねえか……!!






 俺はもらい泣きをしそうになりながら、床に落ちているシャーペンを拾い上げ、深呼吸した。

 

 ――業者、お前らを送る会は、また今度の機会にしようぜ。お前らはもう立派なクラスメイトだから。

 

 親指をノック部分に乗せる。

 あとはカチカチするだけ。

 それだけで業者は涙を流さなくてよくなる。

 嗚呼、業者。

 お前らの笑顔が見たい。


「……?」


 ふいに、視線を感じて横を見る。



 ――にやけながら、あの女子が俺を見ていた。なんだあのにやけ方は。常人のそれではない。しかもスマホをこっちに向けている。動画を撮って証拠をきっちり押さえるつもりだ!



 まずい……これでカチカチしたら、もう確実に俺が犯人だとばれる……。

 そしてちくられるのだろう。

 そして退学、弁償。

 四面楚歌。

 カチカチしても地獄。カチカチしなくても地獄。

 

 ――けれど俺は、例え危機であろうとも、泣いてる人をほっとくことはしたくない。自分のために何もできない分、他人のために何かする。そういう人間でありたい。

 

 俺のこのシャーペンは、そのためにあるんじゃないか?

 そうにしたいのに、そう生きられずに一人でいたから、俺はカチカチの度に泣いていたんじゃないか?


 この力を、他人のために使おう。


 自分のためじゃない。


 他人のために!


 吹っ切れた俺は、彩香と名の付いた女子の持つスマホに一瞬だけ微笑み、今までになく全力でカチカチした。


「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチィ!」

「業者アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 ――共鳴する、カチカチと俺。

 業者へ届け。

 この思い。


 俺の体は閃光に包まれた。


 そして、烈風が教室を駆け巡った。


「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「うわああああああああああああああああああああああああああ!」

「風だああああああああああああああああああ!!」

「あああああああああああああああああああああ!!!」

「俺は童貞のまま死ぬのかあああああああああああああああああああああああああ!」

「もしもしママ! ごめんね私今日で死ぬの! 今度はほんと!」

「かわいー! 生後二か月のモルモットみたーい!」


 窓が割れていく。皆の席が飛んでいく。誰もが烈風に乗じて叫ぶ。

 風が俺の視界を遮る中、業者の笑顔が視界に入った。嬉しそうに笑っている。

 良かった。

 人は笑った顔が一番だと思った。


 これで、担任にちくられても悔いは無い。


 ああ、悔いは無い。




 俺は、教室で初めて笑った。

 

 



------------------------- 第6部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

6話 人生最大の危機


【本文】

 吹き荒れる風が火照った頬を引き裂くように走る。

 慟哭に似た叫びが教室を埋め尽くす。

 机と椅子が生き物のように飛び交う。

 教室の治安がやばい。


 気が付いた頃には、カチカチしていた得物はただの粉塵と化していた。

 掌から堕ちてゆく、シャーペンの亡骸。


 俺は心を恍惚で満たし、ぽつり、と滴り落ちる水滴の如く流麗な声色で独り言を残す。


「成った……心(シ)象(ャ)投(ー)影(ペ)機(ン)超絶(カチカチ)乱舞(むそう)――――」





 カチカチを終えた後、窓の外の静かな景色を見て、ふいに過去のことを思った。


 シャーペンカチカチプレイヤーとして過ごしてきた高校生活――。


 内容がうんち過ぎて記憶に無い。


 クラスの友達はシャーペンだけ。ラインの友達は公式アカウントだけ。

 ラインをとりあえずインストールしておかないと、常人感が失われてしまう気がする。時代にはぶかれてるような気がする。

 それが怖くて、意味もなくインストールしたが、全く必要ない――。

 教室で過ごす休み時間。

 一人でいると、他人の目ばかりが気になって、自然に生きることができない。

 あまりに気になりすぎて、ラインの設定画面から通知音を最大音量で鳴らしまくった。ラインが来まくっていることを装い、常人感を演出した。

 その度に心に通知が届いた。


『ちょっと辛い』


 望まない場所に生きていると何度も思った。

 本当の居場所はここじゃない。

 本当はもっと明るく誰かと話せるはずだ。家族とは明るく話せるんだから。

 それでも、人が怖くて仕方なかった。

 声が出なかった。

 普通に話す人がいて、普通に遊ぶ人がいる。それが普通の高校生。

 だったら、それが一人もいない俺は普通じゃない。 


 ――普通じゃない。


 一人を受け入れようとする自分がいた。いつしか、普通を諦めていく自分がいた。何かが折れる音がした。


 性格の問題だ。しょうがない。人と関わるのが怖いならずっと一人でいよう。

 俺は普通になれないゴミだ。

 高校生として終わっている。人間としても終わっている。



 でも、終わっているだけであって、決して“間違いではない”と、業者の笑顔を見た今なら思える。



 俺が生きていることは、終わってはいるが、間違いではないのだ。

 自分が望んだ位置から遠く離れていても、間違いじゃない。

 笑うことは出来るんだ。誰かを笑わせることは出来るんだ。

 それで充分じゃないか。

 業者、ありがとう。二人の笑顔を見て気付きました。大事なことを気付かせてくれて……本当にありがとうございました……。あなたたちへの感謝は一生忘れません――。


「先生! 山田君が窓を割りました!」


 業者死ね!!!!!!!!!


 ◆


 あの女子は俺の予想以上に一瞬でチクった。みんなの前で。

 心はあるのか?

 それが人のやることか?

 高校三年にもなって、チクるよって言って本当にチクるか?

 普通もっと泳がせるだろ?


 俺が業者の存在価値を取り戻し、悦に浸っていたのも束の間、一転して人生最大の危機が訪れた。


 動悸がする。汗が流れる。


 俺がチクられたのは、みんながそれぞれの席を元の位置に戻し終わり、業者が窓の取り付けに着手する寸前だった。

 なのでチクられた時、教室は静かになっていた。その声は誰の耳にも届いたはずだ。


「先生! 山田君が窓を割りました!」


 念を押した。

 信じられない。

 さっきので充分届いただろ……。


 俺は吐きそうになりながら、思わず声がする方向を見た。


 みんなが席に着く中、あの女子は一直線に起立し、俺と担任をどや顔で交互に見ていた。あんな圧倒的などや顔は今まで生きていて見たことが無い。


 ふいに目が合う。

 そして俺の目を見ながら、


「――先生、山田君が窓を割りました」


 ――俺の目をちゃんと見た上で、更にチクった。駄目だ。もうこいつはそういう人間なんだ。口が滑ったわけではなく、純粋に俺をチクっているのだ。


 汗が止まらない。やばい。帰りたい。多分滅茶苦茶怒られる。

 そのあと親に連絡されて、停学か退学になり、多額の弁償が待っている。

 何より、クラスでの俺の立ち位置が、無関心から嫌悪へと変わる。それは間違いない。


「うわぁ、停学かよ。あいつやばくね?」

「将来犯罪者になりそう」

「既に犯罪者だろ。器物損壊で」

「冷静に考えて生きてる価値ないよね」

「いるだけで場が盛り下がるし」

「あいつ毎朝風起こしてたの? 何の為に? 頭おかしくね」

「目障りだからそのまま死ねや」

「山田って誰だっけ」

「社会のクソ」

「あ、思い出した。あいつか」

「クソで思い出すなよ。今は亡き山田君が可哀想だろー」

「どうに生きたらああいう人格になるのか分からん」

「いつも一人できもいよね」

「夜中に藁人形に釘打ってるオーラ出てる」

「自分で自分のこと闇属性とか思ってそう」

 

 ……嫌な予感しかしない。だけど、俺はあの女子を責める資格が無い。


 いつも一人でいる奴なんて、周りの空気を乱すだけだし、嫌われて当然なのだ。


 それに、俺はあの女子がチクることを事前に知らされ、承知していた。

 その上でカチカチしたのだ。だからチクられるのは仕方ない。






 ――――全部業者が悪い。






 人の良心に訴えかけやがって!

 生きてる価値ねえよカス!


 俺の右手は業者への怒りに震えた。今ここにシャーペンがあれば、確実にカチカチし、死傷者を出していたであろう。


 教室は突然のチクりに、ざわついている。


「山田君がどうしたの?」

「彩香、いきなりどうしたの?」

「え、なになになに」

「何が起きた?」

「何だいきなり」

「ん?」

「何かがおかしい」


 知ろうとするなよ。人類はいつもそうだ。知らないことを知ろうとし、時代を発展させ、豊かにし、歴史を紡いできた。

 このゴミのような生活の一秒一秒もいつか、俺を紡ぐ歴史になるのだろうか。

 なったとしても黒歴史なのではないか。

 そんなものを紡いだところで、それに何の意味があるのか。

 紡ぎたくない。

 何も。

 

 早く帰りたい。


「――何言ってんだ久保彩香。真面目な山田がそんなことするわけないだろ。それに、今窓を割るなんて不可能だ。いつもの異常気象だよ。立ってないでさっさと座れ」


 しゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

 そうだ、そのまま俺を疑わずに全て終われ。

 普段ずっと黙ってれば、それだけで大抵の先生は勝手に『真面目』にカテゴライズするからな。

 こういう時だけ得をするんだ。

 だからチクったところで意味ない。 

 ざまあ。


 俺は有頂天になった。

 

 ――業者さん、さっきは死ねとか思ってすみませんでした。本当に感謝しています。僕は今の僕が嫌いだけど、僕は、今のままでも良いんだなって。業者さんの笑顔が、『君が生きることは間違いじゃないんだよ』って言ってくれたような気がして、本当に救われました。僕はこれからも生きます。ありがとうございます。


「――先生がそう言うと思ったので証拠もあります」


 業者死ね!!!!!!!!!!!


 ◆


 俺が有頂天でいられたのは、せいぜい二秒だった。

 再び絶望感に包まれる。


「え!? 証拠? なになに! やばくね!」

「山田君が窓割った?」

「山田君、ずっと席にいたじゃん!」

「うぇーい!」

「やべえな。わくわくしてきたわ」

「こういうの小学校以来だわ」

「なんか楽しい」


 みんながざわつく。

 生きている心地が無い。

 今まで高校生活を送ってきて、こんなに俺がクローズアップされた経験はない。

 突然、近くの席の人達が話しかけてきた。


「山田君。マジなん?」

「おはよう、山田君!」

「山田君って下の名前なんて言うの?」

「窓割った? ガチで窓割った?」

「どうに割ったん!? 凄い気になる!」

「いや、割るわけないよね。山田君が」

「割るわけないじゃん」

「現実的に考えて無理だろー。な、山田君」


 一斉に話しかけられると何が何だか分からない。

 こういう事態を人生で想定して生きていなかったから、全く対処できない。

 話したこともない人まで、俺に声を掛けている。

 頭が真っ白を通り越してパンクした。

 

「え、あ、え、あ……」


 やばい!!!

 挙動不審になりながら、群衆にヒントを与えてしまった――。

【air】

 空気振動。

 常軌を逸したカチカチによる空気振動で割っていることを、教えてしまった……!!

 ああああああああああああ!! もう終わった! 死ぬ! もう死ぬ! この中に探偵が居たら終わりだ!


「おい山田君困ってるだろー。いじめんなよー」

「わりいわりい、山田君!」

「ごめんね」

「割ってるわけないよな」

「ははは、ごめん山田君」


 ……俺に話しかけることは、いじめに見えるのか?

 話しかけられてちょっと嬉しかったんだけどな。


 やがて、みんなそれぞれの話し相手との会話に戻った。


 一瞬の、嵐のような出来事。


 話しかけられる前に、3,2,1ってカウントでも頭上に表示されてれば、対処できたかもしれない。

 でもそんなものはない。


 いじめとか言うなよ。いじめられてないから。でも、周りからしたら友達が居ないのっていじめと同レベルなんだろうな。全然違う。俺はいじめられてない。自分で勝手にこうなっただけだ。でも周りはそういう目で見てるんだろうな。もう手遅れだわ。


「――」

 



 凹んだ。




「――お前らうるさい。久保の声が全然聞こえないから全員黙れ」


 担任の鋭い声が、俺を凹みの螺旋から連れ戻す。

 しかし、連れ戻された場所は絶望である。

 結局凹んだ。

 ……なんでカチカチしたんだろう。

 カチカチしてなければ、そのまま卒業できたのに。


 やがて、教室が無音になる。業者は窓を真顔で取り付けている。別に今思えば、業者が職を失おうと、どうでもいいよ。

 後悔しかない。


 久保と呼ばれた人間は、依然真っ直ぐ立ったまま、どや顔で俺と担任を交互にちらちら見ている。


 今、初めてフルネームを知った。

 

 もしかして久保彩香は心に闇を抱えているのではないか。

 そうじゃなかったらここまで熱心にチクらないだろう。

 逆に闇が無いとしたら何なんだ。何があそこまで掻き立てるのか。分からない。


「で、証拠ってなんだ。ただの言いがかりだったら山田に謝れ」


 いいぞ担任。今のところ俺が優勢だ。全てはお前が俺を疑うかどうかに掛かっている。頼むぞ。あとはもうお前だけだ。頼みの綱はもう、お前だけだ。

 

「言いがかりなんかじゃないです。ちゃんと割ってるとこ動画に撮りましたから。山田君、ちゃんとカメラ目線で笑いました。完全に割ってます」


 久保彩香がポケットからスマホを取り出し、担任に向かって勢いよく掲げた。

 

 その瞬間、

 

「はい没収ううううううううううううう!! はい携帯使ったあああああああああ!」


 担任が嬉しそうな顔で叫んだ。

 思わず久保が表情を凍らせる。

 

「い、いや! これは違います! 違うんです!」


 手を振り、狼狽する久保。

 久保に近づく担任。

 ざわつく教室。

 ゲンドウがよくやる姿勢で微笑む俺。


 完全勝利――。


 この高校は携帯に関する校則がかなり厳しい。授業中、休み時間問わず、携帯の使用が発見された場合、携帯は没収され、職員室の金庫に厳重に保管される。

 そして、教員の一覧を渡され、その一覧を全て教員のハンコで埋めない限り永遠に携帯は戻って来ない。

 俺もラインの通知音をぽんぽん出して常人感を出してたら、先生に取られた。二週間かかった。

 噂によれば、出張などの兼ね合いで、ハンコの回収に一か月かかる者もおり、中には諦めて新たな携帯を買う者もいるとか。

 異常だ。

 しかし、この異常な校則が功を奏した。天が味方した。

  

 業者さん、ありがとう。あなたたちが笑ってくれて僕のカチカチは報われた。僕は生きてていいんですね。死ねとか思ってすいませんでした。もう、思いません。ありがとう。

 

「え? ちょっと待って? え、ガチ? 先生違うの! 今のは違うから!」

「何が違うんだ。ほれ、今ポケットにしまった携帯を差し出せ」

「やだやだ! ほんとに無理! 携帯ないとか無理だから!」

「今のは完全に校則違反だからなあ。気の毒だが、没収だ」

「…………」


 担任が久保に近づく。

 久保はうなだれて意気消沈している。さっきまでの覇気はどこ吹く風である。ざまあ。

 人をチクると自分に返ってくるんだよ。いい勉強だ。久保。

 俺は勝利を手にし、喜んだ。


「ほれ、携帯」

「先生はそれでいいんですか……」

「ん?」

「携帯を見せるのは、窓を割るより悪いことですか!」

「……ッ!」


 担任の手が、久保に向けられる途中で、ぴたりと止まった。

 それに畳み掛けるように、久保が流暢に言う。

 

「証拠を撮ったんです。完全に割ってます。今まで誰も気付かなかったけど、異常気象なんかじゃないんです」


 業者死ねやおら!!!!!

 

「割るのはいけませんねー」

「もー、仕事増やさないでくださいよー」


 窓を慣れた手つきで付けながら、業者がそう呟いた。

 は? お前らの為に割ってやったんだが?


「――え、まじで割ったの?」

「どうに?」

「山田君、まじで?」

「なんかやばくね」

「は?」

「いやいやいや」

「本当なの?」


 教室全体がざわつく。


 ああ、帰りたい。

 こんなに帰りたかったことは今までない。

 本当に帰りたいときに帰れなくて、何が帰宅部だよ。

 無力だよ。帰宅部は。

 本当に。

 何もかも。

 

「――そこまで言うなら、久保が撮った証拠を見せてみろ。没収はそれからだ」

「え……結局没収するの?」

「没収に決まってるだろうが。お前なあ、考えがゲスだよ。罪で罪を薄めようとするな。薄めるのはカルピスだけでいい。でも薄めすぎるな。人に飲ませた時、薄過ぎたら『あ、こいつんち貧乏だ』と思われるからな」

「…………は? 没収かよ……最悪なんだけど」


 俺も最悪なんだけど。


 大人しく携帯没収されろや……。ほんとお前って奴はもうあれだわ……。

 絶対ばれるわ……。

 自首した方が罪軽くなるかな?


 そんなことを思っているうちに、久保が希望の無い目をしながら携帯を横にした。それを担任が覗きこむ。

 他の人も動画が気になるのか、久保と担任のところに集まってくる。クラスの殆どが集まった。

 座っているのは俺しかいない。

 すごい人口密集率だ。東京みたいだ。

 すると、担任がそれを大声で払いのける。

 

「邪魔邪魔! 見れないから寄ってくんな」

 

 俺にも見せろ、私にも見せて。


 そう言った類の言葉が声高に発せられる。

 俺はそんな様子を希望の無い目でぼーっと見ていた。

 

 ◆


 一度起きた騒ぎはなかなか鎮まらず、いつまで経っても席には俺しか着いていなかった。

 その様子を見かねた担任は、衝撃の言葉を残した。


「じゃあプロジェクターで見るか。一時間目は予定変更して、視聴覚室移動な! うぇーい!」


 ……は?


 その動画に映ってんの俺だぞ。著作権は? 俺のプライバシーは?


「ほれ、さっさと移動しろ!」


 担任は悪魔のような笑みを浮かべている。

 こいつが一番のクソじゃねえか。


「よっしゃあああ!」

「行こうぜみんなァ!」

「待ってろ視聴覚室!」

「俺、視聴覚室の匂い好きなんだよなあ!」

「うぇーい!」

「あ、私、視聴覚室に忘れ物してきたかも」

「何を忘れたの?」

「夢、かな」

「かわいー!」

「きゃあああああああああ!」

「視聴覚室の馬鹿やろー!」


 みんな、大声で何か言いながら教室を出て行く。

 俺は、絶望に潰されて席から立てなかった。机に突っ伏した。目には何も映らない。

 すぐ、教室には誰の声もしなくなった。

 がらんどう。

 ……なんで。

 なんで、全部が最悪の方向に転がってしまったんだろう。プロジェクターで見るとか、もうクラス全員に行き渡るじゃん。俺は、そんなに悪いことをしただろうか。したな。

 でも、それは純粋に窓を割りたかったからじゃなくて、もっと別の感情で――


「山田君、ごめん」

 

 思考を遮って弱々しい声がした。

 突っ伏している中、突然聞こえたのは久保の声だった。

 

「正直、全然こんなに大きくするつもりなくて……」


 言い訳に思えて、ふつふつと怒りが立ち込めた。それでも声を出す気にはなれなかった。


「山田君ってあんなに普通に喋ったり笑ったりできるのに、ずっと一人ぼっちでいるの見て、なんか勿体ないと思って……だから、ああいうのが何か変わるきっかけみたいなのになればいいかな、なんて」


 ぼろを出さないように、言葉を選びまくっているのが伝わる、しどろもどろな口調。


 どうせ、そんなこと思ってもいないんだろう。

 裏があるんだろう。

 人なんてみんなそうだろ。

 大体、三回もチクっておいてそう言われても説得力が無い。

 どうせ裏がある。裏がある。


 ――でも、もしかしたらこいつ俺の事好きなんじゃね。毎朝シャーペンをカチカチする姿を見て、惚れたんじゃね。


 俺は今、話しかけられて舞い上がっている。


 話しかけられてちょっと嬉しい。

 さっき大勢に話しかけられた時も、本当は嬉しかった。それが本当の気持ちだ。


 裏があるんじゃないかと疑う自分と、話しかけられて喜ぶ自分。


 どっちの自分が良いか? 


 自分に聞く。


 俺は机から顔を上げた。

 目の前にいる、何を考えてるか分からない表情の久保と目を合わせる。


「ありがとう、俺の為に」


 俺は、話しかけられて喜ぶ自分を取った。





 ――もうすぐ、視聴覚室で俺の裏が上映される。




------------------------- 第7部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

7話 鉄筋コンクリートに怯える


【本文】

「え。気持ち悪い」


 そう言い残して、久保は走り去った。

 驚くほど淡白に。



 ◆



 教室に独りになった瞬間、高校生活最大の後悔の波が押し寄せてきたことは言うまでもない。

 あんなこと言わなきゃよかった。言わなきゃよかった。なんで言ってしまったんだ。馬鹿か?



『ありがとう。俺の為に』



 そんなの、教室で一言も言語を発さない人間が言う台詞じゃないだろ……。話したことも無いのに、いきなり飛躍しすぎだ。何で数秒前の俺はそんなことも分からなかったんだよ。馬鹿か。

 いつもみたいに「あ、うん」って言っとけば全部済んだだろうが。なんでそんなことも分からないんだよ。いつも死ぬほど「あ、うん」って言ってるだろ。そう言えば良かった。今日に限って何で言わなかった?

 

 高揚していた何かが瞬時に死んで、再び深い絶望が俺を飲み込む。


 今日だけで何回絶望すればいい。

 絶望が俺を求めているとしか思えない。

 人間に求められたい。

 絶望とではなく人間とやりたい。

 そんな普通の感情は全てここに捨てた方がいいかもしれない。

 全然普通の人間じゃないのに普通に憧れるせいで、苦しむのだ。

 期待をするせいで絶望するのだ。

 いつも黙ってる奴なんて気持ち悪くて嫌われてるに決まってるだろ。ただ嫌いだからチクられただけに決まってるだろ。他に意味なんてない。何を期待してるんだよ。

 

「……くぅうううううううううう!」


 今は誰もいない教室を見渡しながら、喉を締め付けて変な裏声で叫んだ。

 そして机をばんばん叩いて、その反動で椅子から落ちて、床の上で思い切りのた打ち回った。まるで無理矢理海から陸に上げられた魚だ。


「あああああああああああああああ……死にたい死にたい、俺はなんであんなこと言った……馬鹿だ馬鹿だ、死にたい。気持ち悪い、あああ……」


 それはシャーペンカチカチプレイヤーの鳴き声。誰かに届くことの無い、鳴き声である。

 勝手に溢れ出してきた声。

 でも教室だと、家みたいな大声は出せない。

 勝手に溢れるものにすら制限をかけてしまう。どうしてだ。

 今、みんな視聴覚室に移動してる。だから声を小さくする必要なんてないんだ。みんなもういない。 


「あ」


 しかし俺から放たれた声は、教室にいるというだけで、無条件に塵のように小さくなった。情けない。

 学校なんてただの建物だろうが。

 何が怖いんだよ。

 建物なんかに怯えるなよ。

 建物は何も喋らない。何も怖くない。

 

「あ」


 それでも小さい声しか出なかった。

 建物の中。

 俺の耳にしか入らない言葉。


 今、日本中の俺以外の人間は何を聞いて、何を見て、何を思って、何を言っているのか。

 

 誰もいない空間に一人で悶えて「あ」と呟く、シャーペンのカチカチが上手い高校生、俺以外にもいるといいな。一人は嫌だ。


 少なく見積もって二、三人はいるかな。

 その二、三人も俺と同じような気持ちを抱えているといいな。

 見えない場所に期待した。

 

 ◆


 埃だらけの床でのた打ち回ったので、制服が汚れだらけになった。

 それを手で落としながら、視聴覚室へ続く廊下を歩く。

 知らないクラスの授業中の教室を通るとき、なんとなく早足になった。なんとなく怖くて俯いた。

 それを繰り返しながら、やがて階段を上って、四階の視聴覚室に着いた。

 俺の制服のポケットには、一本のシャーペンが入っている。

 スペアだ。

 不慮の事態でカチカチしてももう一回カチカチできるように、常時ストックを備えているのだ。それを使わなくてはならないかもしれない。

 もう、使うしかないだろう。


 ――この状況をひっくり返す力。


 それが俺にはある。

 シャーペンをカチカチすれば、俺は誰よりも強くなれる。全てを無かったことにできる。


 ◆


 視聴覚室の扉の前に立つと、そこから足が鉛になって動かなくなった。

 

『え。気持ち悪い』


 さっきの言葉が扉に隙間無く、びっしり貼り付けられている気がした。

 入りたくない。

 帰りたい。それだけがしたい。

 部屋の中から、みんなが騒ぐ声がする。

 みんな、学校でも大声を出せる。学校とかいうコンクリートの塊なんかに萎縮してるのは俺だけだ。どうしてみんな学校で大声を出せるんだ。

 俺の声帯が終わってるだけなのか。

 

『え。気持ち悪い』


 俺は純粋に嫌われていたのだ。

 好かれる要素なんてどこにもない。嫌われる要素しかない。勘違いも甚だしい。少し話しただけで調子に乗ったのが悪い。

 俺にはもう、シャーペンしかない。


 俺は、音を立てないようにゆっくり視聴覚室に入った。


 無意識に呼吸も止めていた。

 部屋の中は既に暗い。

 席は自由なのか、万遍なく散っていたが、運よく存在を気付かれたり視線を向けられることはなかった。

 一番後ろの端の席に着く。すぐ目の前に人がいるが、多分気付かれないだろう。

 

「――これで大丈夫ですね」


 ふいに、業者の声が前方から聞こえた。

 それと同時に、視聴覚室に歓声が上がる。


「業者かっこいい!」

「さすが業者さん!」

「業者、てめーは俺らの仲間だ!」

「業者って彼女いるの?」


 前の奴の背中がでかくて何も見えない。

 何事かと思い立ち上がると、業者がにやけながら頭をかいていた。

 何を業者がしたのか、いまいち飲み込めない。

 そのまま少し経つと、業者の横にいた担任が大声でこう言った。


「スマホの動画をパソコンに移してくれた二人の業者さんに、皆でありがとうございましたって言おう」


 ――は? 

 お前らは永遠に窓の事だけに携わってればいいんだよ。無駄なことするな。なにしてんだクソ。

 どうして俺は業者の為なんかにカチカチしたんだろう。俺の為になることを本当に何一つしてくれないのに。

 

『ありがとうございました』


 クラス全体がお礼を言う。

 何のお礼だ? 全員死ね。

 

「いやー、ほんと一時はどうなる事かと思いました。あと彼女はいません。18歳以上の人誰か僕と付き合ってください」

「プロジェクターで見れないんじゃないかな、という一抹の不安がよぎりましたが何とかなってよかったですね」


 業者が講評をしたあと、担任が遂にパソコンを操作し始めた。

 これで、あとは見るだけ。

 久保に向かって一瞬微笑んでカチカチする姿がみんなに見られる。


 無意識にゆっくりポケットからシャーペンを取り出し、握る。

 手が汗に滲んで震えている。落ち着け。シャーペンがあれば何でもできる。

 大丈夫だ。

 俺は前方の画面に釘付けになる。この担任が操作する画面が俺に切り替わった瞬間、この視聴覚室は阿鼻叫喚の地獄と化す――。

 

「――先生! 動画パソコンに移し終ったじゃん。携帯返して!」


 予期せぬ声を聞いたとき、俺の体がびくんと震えた。思考は中断された。

 久保の声だ。

 俺は視線を無意識に久保の方に向けた。久保はパソコンを操作する担任のすぐ横に立ち、きゃんきゃん騒いでいた。

 それを担任は見向きもせず、淡々と返す。


「往生際が悪いなあ。抵抗せずにさっさと没収されろ」

「無理」

「ちょっとは山田の往生際を見習え。あいつ、ここまでしても文句一言も言わねえんだぞ。お前もああいう往生際になれ」

「……」


 いきなり俺の名前が出るとは思ってなくて、びっくりした。

「ここまでしても」ってなんだよ。俺にひどいことしてる自覚を持った上でこうしてるのか。あいつ一番の糞だな。


「久保、お前携帯依存症ってやつか? それとも携帯が無いと人間関係が保てないのか?」

「は?」

「携帯が無いくらいで壊れる人間関係なら最初からその程度でしかない。だから安心して没収されろ」

「そういうのじゃない。今時携帯持ってない人なんていないし、無いと生活できないから」

「そうか。ちょっと前に山田の携帯を没収したとき、あいつはお前と違って一言も言わなかったけどな」

「あれは人間じゃないもん」

 

 久保がそう言った瞬間、周りに笑いが発生した。

 何も聞きたくなくて、俺は耳をふさいだ。目を閉じた。

 そうだ。俺は人間じゃない。

 人間じゃない。 

 人間がみんな人間だと思うな。

 俺は自分に言い聞かせた。

  

 ◆


 それからずっと目と耳を閉じて、無を作っていたが、しばらくして目と耳を開けると、もう担任の横に久保はいなかった。

 担任は久保に何を言って、久保を諦めさせたのか。

 少し気になったがどうでもよかった。

 どっちにしろ、もうすぐ全てカチカチで吹き飛ぶのだ。

 

「それじゃあ見るか」


 担任が再生しようとする。間もなく、この空間は廃屋と化す。 

 俺はシャーペンを右手に持ち、親指をノック部分に乗せ――――


 無い。

 

 キャップが無い! 消しゴムも無い! なんで! 何で無いんだよ! 


 俺は何度も親指の腹で感触を確かめ、何度も目で確かめる。何度確かめても無い。キャップも消しゴムも、どこにも無い――。

 嘘だろ。何で無いんだよ。

 どこで落とした。

 ああああああああああああああああああああ!

 嫌だ、嫌だ!

 誰かに言って、シャーペン貰うか。……でも誰かって誰。

 

『え。気持ち悪い』


 その声が、俺の体を再び鉛に変えた。人には借りられない。もし奪ったとして、その後なんて言えばいい? 大体、この中の誰とも話したこと無い。

 

 シャーペンのキャップか消しゴムが無いと全力でカチカチできない。全力でカチカチすることができなければ、風なんてまず起きない。

 プロジェクターを壊すこともできない。

 いや、待て。

 爪を立てて、カチカチすればいいだけじゃないのか。親指の腹でカチカチするスタンダードなフォームでは、ろくにシャーペンをノックできない。だが、爪を立てれば深部まで行き届き、ノック可能だ。

 一か八か。

 俺は爪を立てて、ノック部分に置いた。

 これでカチカチすれば、ぎりぎりプロジェクターを壊す程度の烈風は生じるかもしれない。しかし、生じたとしても普段の二割程度のクオリティであることは確定している。長年カチカチしてれば、キャップも消しゴムも無いこの状況が過去最大に絶望的であることは解る。

 でも、立ち向かうしかないのだ。生きるなら。

 

「じゃあみんな、10からカウントしよう。0になった瞬間再生するからな」

『gれvbへうhぅchrvしgjぃjすぃmcふぃcx!!!!!!!!!!!!!』


 歓声が大きすぎて、誰が何を言っているのか分からない。カウントダウンで、視聴覚室は年越し並みに盛り上がった。

 喧騒が半端ない。いくら俺がおちんちんと叫んでも誰の耳にも届かないような気がする。

 叫んでみてえ。おちんちんと叫んでみてえ。

 

『10!』

『9!』

『8!』


 数が小さくなるのに反比例して増す声量と心拍数。

 手が震える。

 果たして上手くいくのか。

 保証はない。

 もし全く風が起こらなかったとしたら、どうなるんだ。想像したくない。

 今日、俺は何度も絶望に飲まれてきた。

 その度に期待し、その度に絶望した。

 でもその度に、強くなった気がする。

 俺は今日、自発的に声を発し、感謝の言葉さえ発した。

 よくやった。俺は今日頑張った。

 

 これがきっと最後だ。


 様々な絶望を乗り越えてきた俺なら、できる。


『3!!』

『2!!!』


 俺は銀河系最強の――


『1!!!!!!!』


 ――シャーペンカチカチプレイヤーだ!!!!!!!!!!



 ◆



「うおおおおおおおおおおおおおおお!」

「カチ」


 ――俺は、第一カチカチをした瞬間、真の絶望に飲み込まれた。


 共鳴しない。


「あぁあああ……」


 絶望に負ける瞬間の、信じられない虚無感。

 風を起こせず落ちていく無力なシャーペン。

 プロジェクターで映し出される、間抜けな俺の微笑み。ぶん殴りたくなる顔だ。

 沸く視聴覚室。

 床に落ちていく血の雫。


「…………」


 俺は、真っ二つに割れた自分の爪を見て、抵抗を諦めた。

 割れた爪からは血が流れ出て止まらない。

 流れる。

 血に混ざって、俺が今まで心に封じ込めてきたものまで流れていく。


 俺はその場に立ち竦み、耳と目を塞いで無に逃げ込んだ。


 なんで学校なんて来てるんだ。

 こんな思いしてまで、学校にいる意味あるか?

 何もしたくない。もういい。ただ高校出たから何だって言うんだ。俺は何もしてない。

 俺がいることで、どの層に需要がある?

 働きたくねえ。学校で終わってたら、社会人になったらもっと終わる。生涯うんこだ。見下されながら、見下しながら、誰とも対等になれず生きていくのだ。

 学校にいたくない。

 なんでそう思う人間になっちゃったんだろうな。


『あれは人間じゃないもん』


 耳を塞いでも声が聞こえてくる。

 無の外でみんなが騒いでいる。

 爪からは血が流れる。

 

 俺は目を開けた。


 ほとんど全員が俺を見ている。


 笑っている。


 爪が痛い。今になってやっと痛くなってきた。



 俺は耳を強く塞ぎながら、走ってその場から逃げた。血以外何も出なかった。

 勝手に早退して、爪の痛みに耐えながら電車に乗って逃げるように家に引き返した。


 ――電車の中の人が別の科の動物に見えた。普通の顔をして誰かと誰かが話している人みんな、頭がおかしい人間に見えた。

 

『見て見て、あれ人間じゃないよ』

『ほんとだ、気持ち悪い』


 視線が怖い。みんなが、電車に乗る俺を見てそんな会話を交わしてる気がする。被害妄想。

 目のやり場が無い。俺は電車のどこを見ればいいのだ。



 俺は次の日から、学校に行くのをやめた。ただの鉄筋コンクリートに怯えた。その中の人に怯えた。


------------------------- 第8部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

最終話 永遠に流れないもの


【本文】

 今日も寝なかった。一分も寝ないまま朝が来て、母が寝ていない俺を起こしに階段を上る音がした。

 もう七時か。既にカーテンの隙間から日が差している。ずっと夜ならいいのに。

 俺は咄嗟にスマホを裏返しにして枕元に置き、いかにも弄ってない感を作って、天井をぼーっと見上げた。

 眠い。目がすごい疲れた。

 今、目を閉じたら、三十秒と経たないうちに眠れる気がする。


 やがて、母の足音が俺の部屋の扉のすぐそばで止まる。

 

 そして何秒か経った後、母がドアを開き、俺の部屋に入ってきた。

 俺は天井を見ている。


「今日はどうするの?」

「行かない」

「……はぁ」


 一瞬の間の後、母が溜息をつく。


 母は無言でしばらく突っ立っている。早く消えてくれないかな。


「もうこれ以上休んじゃだめだよ。辛いのは分かるけど、行かなきゃ。行かないと、全部終わっちゃう」


 きんきんした不快な声でそう言って、俺の上の布団を全て剥がしてきた。

 寒い。

 しかし、俺は布団を再びかぶる気にならなかった。

 母がここから消えた瞬間、かぶるが。まだここにいるときはそういう気にならない。もう今では僅かになった罪悪感がその気にさせない。


「ねぇお願い。お願いだから」

「……」


 やかましい。


 俺は母に背を向けて、この時間が早く過ぎることだけを祈った。


 母はまた無言になるが、しばらくすると俺の腕をつかんで、引っ張る。


「本当に。もう休めないんだよ。お願いだから」

「……」

「もうやめてよ。こんなこと。幼稚園生じゃないんだよ? 高三なんだよ?」

「……」


 腕が引っ張られる。俺は少し腕に力を入れて、抵抗する。


 俺は黙ってこの時間が過ぎるのを待った。母に泣きそうな声で何か言われても今では響かなくなった。

 二学期の終盤。十一月。


 ◆


 数か月前、俺は全てから逃げ出して、雑念に支配されて不登校になった。

 一度勇気を出して休めば、あとは信じられないような速さで俺は学校をさぼることへの抵抗を無くしていった。

 最初は演技をした。

 体調の悪いふりをして、親を騙した。

 でも、何日もさぼりが続くと演技はやめて、ただの不登校になった。


 母は泣き、父はそういう母を見て俺の部屋に来て、何時間も同じような話をループさせ、学校に行かせようとする。


 誰でも言えそうな当たり前のことを言って、学校に行かせようとする。


 両親は何度も学校に行かない理由を問いただす。俺は一度も学校に行かない理由を説明しなかった。言葉にするのが難しく、無言になるだけだった。言いたくなかった。


 俺を一番長く見てきたはずなのに、親は俺が不登校になった理由が分からない。


『昔からそういう性格だったから』『最初からずっとおとなしい子だったから』


 そもそも性格ってなんだ。

 その人がこの世に生まれた瞬間、全ての人間の性格は既に決まっているのか。それとも生まれた後の出来事や経験で決まっていくのか。

 先天性か後天性か。

 俺には分からない。

 親は元から俺がこうだったと言う。

 でも俺はずっと覚えている。遠い昔に父に殴られたこと。怒鳴られたこと。そんなこと普通だ。殴られても怒鳴られても明るい性格の人はいくらでもいる。元から性格が決まっているのなら、ガキの頃に何をされても関係ない。

 父と話すとき、目を合わせられない。母と話すとき、目を合わせられない。

 心のどこかで親を拒絶している自分がいる。

 心を通わせる気が無い。心から話せない。上辺だけになる。

 母とも父とも。

 どんな人とも。

 でも、嫌いになりたくない。だから嫌いだとは言わない。

 

 ネットで病気や障害の事を色々調べる。

 俺に当てはまる項目があると、「やった、俺は発達障害だ。不登校になったのは甘えじゃない」「やった、俺は対人恐怖症だ。不登校になったのは甘えじゃない」「やった、俺は回避性人格障害だ。不登校になったのは甘えじゃない」「やった、俺は社交不安障害だ。不登校になったのは甘えじゃない」と喜ぶ。

 

 ――公衆便所で隣に人が立っていると、小便が出ませんか?


 よし、全く出ない。やった。俺は対人恐怖症だ! 家にいるのは甘えじゃない! うぇーい!


 そうやって喜ぶ。心のどこかでほっとする。

 

 俺は、自分のことを自分のせいにしたくないのだ。生活が全て上手くいかないことを親の教育と人格のせいにして楽をしたいだけなのだ。自分ではコントロールできない病気や障害のせいにして楽をしたいだけなのだ。


 知恵袋で「いじめられてもないのに不登校になるのは甘えですか」と質問するのは、甘えている自覚が自分にあるからだ。


 いつだって何かのせいにしたいのだ。


 今すぐ学校に行かなきゃいけない。学校に行って、将来の為に勉強をして、勉強したら進学して、進学したら就職して、そうやって生きなきゃいけない。

 

 でも、楽をして生きたいのだ。


 今朝も、無言の母がすぐそばに立っている。布団を剥がされて、腕を引っ張られる、幼稚園児のような高三。

 

 ◆


 先日、担任が家に来て、両親と話し合った。

 俺はずっと部屋にいた。


 担任は二枚の紙を持ってきた。

 どの授業をあと何時間休めば単位が出なくなるか、というのが書かれた表だ。


 その日の夜、その表を見た俺は驚いた。

 もう自分がこれほど休んでしまったのか。案外すぐに留年になりかけるんだな。

 すぐに留年の現実味は帯びてきた。

 もう一週間くらいしか休めない。それ以上休んだら留年が確定する。


 担任は、もう一枚紙を持ってきた。ルーズリーフだ。


 それはおそらくクラス全員が俺に宛てた、寄せ書きだった。

 俺はそれを親に渡され、視界に入れた瞬間、裏返した。

 一秒も見ていられなかった。


 それでも、いくつかは見えてしまった。

 

『クラスの仲間が待ってるよ』『学校で待ってるよ』『頑張れ』


 担任に無理矢理書かされたんだろうな。

 俺は自分の部屋に戻った後、その紙をぐちゃぐちゃにして引き裂いてゴミ箱に捨てた。


 ◆


 その日、母はすぐに俺の部屋を出て、一階に戻った。

 その後、母が学校に電話する声が聞こえてきた。

 さっきの俺への口調とは全然違う。いつも通りの母だ。

 俺はさっき剥がされた布団をかぶり、スマホで「不登校 甘え」と検索する。他にも「コミュ障」「ぼっち」「根暗」「引き籠り」「自殺」といったワードを検索するのが大好きだ。

 こうしているうちにやがて眠気に限界が来て、勝手に眠ってしまうだろう。

 でも、何時間経っても寝られなかった。

 眠いのに寝られない。

 

 そのまま何時間か経って、十時ごろになる。


 すると、また階段を上る音がした。俺はすぐに弄っていたスマホを枕元に裏返して置いて、天井を眺めるふりをした。


 ドアを開いた人を見て、俺は驚いた。


 そこには父が立っていた。


 父は悲しそうな顔で俺を見ている。


 仕事を抜け出してきたのだそうだ。俺は驚いた。


『仕事なんかより○○の方が大切だから』と父は言った。


 今の父は俺を殴ることは無い。怒鳴ることも無い。


 父は母と同じような位置に立ち、俺に向かって話しかけてきた。


「学校に行こう。な?」

「……」

「辛いのは分かるよ。でも、行かないと」


 母と同じようなことを言う。何度も、何分も言い続ける。


 俺は黙る。


 やがて、父は俺の腕を引っ張り、起き上がらせようとする。


 母と同じことをする。


 俺は気が付くと泣いていた。


 今までで一番泣いた。涙が止まらなかった。


 俺が泣くと、父も泣いた。今まで泣いているところを見たことがなかった。いつも強い人だった。そんな父が初めて俺の前で泣いた。父は殴ることも怒鳴ることもせず泣いた。


 ◆


 何度も引っ張られて、何度も泣いているうちに俺はベッドから起き上がった。

 

 そしてシャワーを浴びて、腫れた目のまま学校に行った。


 車で学校まで送られた。


 久しぶりに制服を着た。久しぶりに鏡を見た。随分髪が伸びていた。違和感があった。


 久しぶりに学校に行った。玄関には担任がいた。俺を笑って受け入れた。いくら先生が笑っても、学校に来ることが何のためになるのか、全然分からない。

 でも父が顔をぐちゃぐちゃにして泣く姿は二度と見たくなかった。

 俺はそのうち学校を卒業した。


 ◆


 高校を卒業して進学した俺はある日、「シャーペンカチカチ無双」という小説を書いて、ネットに投稿した。


 俺に似た人間を最後まで学校に通わせて、何かに立ち向かわせて何かを救う、どこにでもある話にしたかった。


 でも、徐々に私情が混ざって、誰かに読ませることなんて考えなくなって、何かを救うどころか、主人公はかつての俺と同じように不登校になった。


 もうこれ以上は書けないな。


 そう思って、もう二度と俺がシャーペンカチカチ無双を更新することは無かった。


 そのまま、完結も更新もせず、連載なんて二度としないのに連載中と表示される小説になった。


 ◆


 シャーペンをカチカチしてみる。

 出るのはシャーペンの芯。ゆっくりとしか降りてこない。

 風なんて起こらない。

 何も起こらない。

 変わらない。

  

 そういう世界に俺は生きている。


 変わりたいと思うことはあっても、変えはしない。


 この世界が小説なら、「」を使ってすぐに大声を出せる。いつでも人に何かを言える。嬉しければ笑えて、哀しければ泣ける。好きなら好きだと言えて、嫌いなら嫌いだと言える。助けたければ助けられる。

 でも、現実は小説より遥かに難しい。




 小説の中で人間を操って何かを乗り越えさせて、その様子を誰かにディスプレイ越しに偉そうに見せて喜んでも、書いた俺の現実や読んだ誰かの現実は何も変わらないし、明日も明後日も来年も再来年も何も変わらず、嫌なことは訪れる。文を書いたり文を読んだりしたところで、俺や誰かの嫌なことは一つも消えないのだ。




 小説と違って「」なんて一つも見えないし、人の心の中も見えないし、そう簡単に次の日にならない。


 例えば誰かが俺という人間を小説にしたとき、その人は俺にまず、一体何を喋らせるだろう。

 この世界が誰かに書かれた小説だとしたら、俺はその小説に何行出られるんだろう。

「」を使う機会はあるだろうか。活躍の機会はあるだろうか。


 そういうことを考えているうちに、今日も一日が終わる。


 この文を書いた後も、この文を読んだ後も、多分誰も何も変わらない。


 寝て起きて職場に行く人がいたり学校行く人がいたり家にこもる人がいたりして、時間が流れる。


 そんな繰り返しの中にいることに少し嫌気が差しそうだ。


 小説みたいに全部世界をコントロールできて、自分を鮮やかに変えられる勇気を持てればいいのに。


 せめて永遠に流れないものがあればいいのに。

 


------------------------- 第9部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

X話 神に放棄された世界で


【本文】

 突然のことだった。 

 俺が人の視線や目線に怯えて、爪の痛みに耐え、びくびくしながら電車に乗っていると、視界が全て真っ暗になったのだ。

 あまりに唐突に全ての照明が消え、電車の中は深淵と化した。明らかな異状だった。

 


 深淵に呑まれた瞬間、視線や目線のことがどうでもよくなった。



「……え、何!」

「停電?!」

「ママ!」

「怖い怖い」

「うわっ!」

「きゃあああああああ!」


 電車の中には戸惑いの声があった。小さい子供の泣き声がした。赤ちゃんが泣いていた。それをあやす声がした。

 空いている電車の乗客全員が確実に平常心では無かった。俺も、早退したことや人に怯えていたことを全て忘れるくらい、この異変に戸惑っている。それに全ての意識を注いでいる。心臓の鼓動が早まる。

 真っ暗になった電車はしばらくの間運転をしていた。 

 早く止まってくれ。真っ暗で進まれると、バランスが全然取れなくてずっこけそうだ。

 俺は今、つり革にも銀の棒にも触れていなかった。

 ただでさえバランスが危ういのに、真っ暗になられると本当にやばい。


 それは俺だけではなかったのか、何も掴めていなかった他の人達がさっきから闇の中でばんばん俺にぶつかってくる。



「きゃ! あ、ごめんなさい!」



 そんな中、突然俺の背中に柔らかいものが当たった。


 ぶっちゃけ早退して良かったと思った。

  

 さっきまであんなに沈んでいたのが信じられなかった。プロジェクターでカチカチを見られたとき、本当に世界が全部終わったような気分になったのに、今ではそんな気分を忘れていた。

 大きな極限が、俺の小さな極限を全て塗りつぶし、拭い去っていったのだ。


 それにしても本当に真っ暗だ。

 何も見えない。


 一体何なんだ。


 停電か?


 しばらくして平静を取り戻し始めた俺は、その時初めて自分の置かれた状況に対し、慄然とした。


 ……いや、違う。これは停電じゃない。




 ――停電だったら、どうして外まで真っ暗になってるんだ。




「……!」


 全身が総毛立った。

 真っ暗なのは電車の中だけじゃなかった。

 電車の外。

 そこから見える全てが黒。全部黒。本当に何も見えないのだ。ここにどの位人がいたか、気配や吐息の音でしか分からない。でも一人じゃないというだけで気分は落ち着いていた。

 さっきまで全員死ねと思いながら電車にいたはずなのに、何も見えなくなった今ではみんなが仲間のように思えた。

 やがて、どの人も、これが停電なんかじゃないことに気付いたのか、より一層の動揺が空間を支配した。

 赤ちゃんの泣き声が止まない。誰かの話し声が止まない。

 それから幾許か経過し、電車はゆるやかに停車した。でも、時間感覚的にそこが駅だとは到底思えなかった。多分、どこか関係ない線路の上だ。焦って止まっただけなのだ。

 それを察し、少し恐怖感が増した。

 

 ――そうだ、連絡しないと。

 家族は無事なのか。この現象はここ限定なのか。それとも全部がおかしくなっているのか。よくわからないがNA○Aの発表とか無いのか。


 気が付けば、いくつものスマホの光が、電車内をまんべんなく照らしていた。


 こういう状況で考えることはみんな同じなのか。


 幼い子供やお年寄り以外、ほとんど全員が無言でスマホの光を発していた。俺もそうだった。

 俺はあまり人にスマホの画面を見られることが好きではなく、いつも画面を暗くする。自分でも見えないことが多いが、周囲が暗い今ははっきりと見えた。誰かに画面を見られたとしても、今は全然気にならない。


 10時10分――。


 それが、俺のスマホに表示された今の時間だった。

 とりあえず、親に電話をかけてみようと思ったが、それはつまり電話帳をここで開くということ。惨憺たる電話帳が後ろの人とかに覗き見されるかもしれない――。

 いや、もうそんなのどうだっていいだろ。何でかは分からないが、今、極限状態なんだぞ。

 家族しか電話帳に人がいないのも、今では普通だ。ラインが普及してるからな。ラインしか知らないこともよくある。

 気にするな。


 俺は深呼吸し、電話帳を開こうとした。


 その瞬間、


「だめだ。何度かけても、電話が繋がらない……」


 俺の横のおっさんが嘆く声がした。俺は思わず手を止めた。


「――僕もです」


 おっさんの近くの青年が呟いた。


 すると、おっさんと青年が喋りはじめた。


「多分、今通話が殺到してて通信規制かかってるんでしょうね」

「地震の時もこうでしたね……」


 通信網が麻痺している。

 俺は、数年前の地震を思い出した。

 あの時も今みたいに電話が全然繋がらなかった。


 だが、電車の中から普通に通話らしき声は聞こえてきた。

 電話できないのはおっさんと青年くらいだった。


「もしもし――」

「もしもし――」

「もしもし――」


 え?

 なんで電話できてるの?

 俺は無言で戸惑った。おっさんと青年も戸惑っていた。


「ラインはインターネット回線だからな」

「うん」


 ふいに、高校生らしき人達の声がした。


 俺は初めて焦った。


 ――やばい。ラインの友達公式アカウントしかいねえ。しかも公式アカウントなんて完全に上辺だけの付き合いだからな……

 連絡の道を断たれた。

 まあいいや、多分平気だろう。ただ暗くなってるだけで、災害とかではなさそうだし。

 

 俺はとりあえず、そのまま立ち尽くした。


 ◆


 周囲の人が安否を確認していく。

 勝手に会話が耳に入っていく。

 会話を聞いた様子では、怪我はあっても死んだりはしていなかったようだ。

 

 そういえば、いつになったら電車から出られるんだ? 長い。しかもアナウンスが何故か無い。


 もう止まってから結構経つが……


 俺はスマホの電源を点けた。


「あれ」


【10:10】


 故障?

 

 何分も経ったと思ったけど、さっき見た時間と一緒だ。10時10分。


「――あの……今、携帯何時になってますか?」


 時間を調べると突然、目の前の女の人に話しかけられた。


「あ、10時10分です」

「私もなんです。故障ですかね……」

「それは不思議ですね。僕には原因が分からないと言っても過言ではないです」

「はあ」


 ――嘘だろ。

 どうしてこんなスムーズに話せるんだよ。

 しかも全然噛んでいない。しかも『過言ではない』なんてきもいフレーズ、今まで生きてて一回も言ったことないぞ。

 いつもは「あ、はい」が限界なのに。

 なんでこんなに喋れるんだよ。


「やっぱりみなさんもそうなんですね。自分も10時10分から動かないんです……」

「俺もです」

「私も」


「――え、まじですか。一体何が起きてるんですかね」


 ――嘘だろ。

 俺が普通に喋っている? 普通に、喋っている? 喋っている? 普通に?

 不思議なことに、全く緊張していない。

 人が怖いとか、嫌われたくないとか、そういうことが全然頭に無い。


 これからどうなるのか分からなくて怖いのに、ふわふわしているような気分だ。ここが現実じゃないような気がしている。

 

 だから喋れるのか? 


 一体感を感じる。周りの人が仲間に見える。こんな感覚は初めてだ。


「――電車どうなってんだよ!」


 俺が奇妙な感覚に陥っていると、やがて男の人の苛立ったような独り言が車内に響いた。

 たしかにどうなってるんだ。

 放送も何も無い。何故か運転手も来ない。もしかしたら故障してるのかもしれない。一体何が起きているのか、全く分からない。

 こんなに真っ暗でしかも周りが知らない人ばかりで、密閉されている。

 ストレスは無意識にかかっているだろう。

 俺も気付いていないだけで、苛立っているのかもしれない。でもそれ以上に、嬉しさのようなものがあった。こういう状況を嬉しく思うのは不謹慎だが、スムーズに喋れたというのが自分の中で一番大きな衝撃だったのだ。


「とりあえず、何か動きがあるまで待つしかないですよ」


 俺の横のおっさんがなだめるように呟く。

 すぐに独り言は止んだ。電車の中はやがて静寂が支配した。

 今は待つしかない。

 時折、小さい子の泣き声が響き渡る。

 すると、遠くの方から誰かの舌打ちが聞こえた。舌打ちするくらいなら屁をしれ。


「暗くて怖いね、怖いね、でも大丈夫だよ」


 母親が静かに子供をあやす。

 俺だったらどうに泣き止ませるだろうか。

 いや、童貞だから考えても無駄か。

 童貞だから考えても無駄か。考えても無駄か、童貞だから。無駄か考えても。童貞だから。

 でも今は、童貞でも気にならなかった。

 謎の一体感が、俺の心を非童貞に変えた。心が童貞じゃなかったら、もうその人は童貞じゃないんだ。



 俺はもう童貞じゃない。



 ――それから体感で10分くらいすると、前の車両の方がざわついてきた。どうやら、運転手がコックピットからようやく現れたようだった。


 ざわざわしていて、何を言っているのかは分からない。

 そのまま少し経つと、運転手の足音がこっちに近づいてきた。


「――すみません。電車が突然動かなくなってしまいました。原因は不明です。幸いすぐ数十メートル先に駅はあるのですが……」

「あの、今一体何が起きてるんですかね」


 誰かがそうに訊ねた。


「全く分かりません。何故か、通信も全く取れない状況です」


 運転手なら何か知ってるんじゃないかと何となく思っていたが、この人もただの人なのだ。

 

「みなさん。とりあえず、何か動きがあるまで待っていてください。申し訳ありません」


 運転手がそう言うと、いくつかため息が聞こえた後、運転手が質問攻めにあった。

 

「いつになったら出られるんですか……」

「早く出たいんだけど」

「申し訳ありません。ドアも開かなくて」

「じゃあ窓から出られるんじゃないですか?」

「申し訳ありません。この車両は窓が開かないんです」

「え、なんでですか」

「空調の高性能化に伴って室内の空調整備が自由にできるようになり窓が開かない電車も最近では増えています」

「そうなんですか……」

「ご協力よろしくお願いします」


 今のままじゃ、外には出られないということか。

 

 やがて、運転手は後ろの車両に歩いていった。

 

 ◆


 それから、体感で30分くらいが過ぎた。


 30分経っても暗いままで、たまに時間を確認しても10時10分のままで、電車はいつまで経っても開かなかった。

 ずっと立っているので疲れた。

 座りてえ。

 右足に体重をかけたり、左足に体重をかけたり。

 その繰り返し。

 あぐらかきたい。

 誰か座らないかな。そうしたら俺も便乗して座るんだが。

 誰か座れや!

 あまり混んでないだろ!


「……っ!」

 

 気が付くと、心がささくれ立ち始めていた。駄目だ。座るのは良くない。


 更に体感で30分くらいが経った。


 もうずっと立ってる。

 さすがに座っていいかな。座りてえ。

 なんでここに座席を作らなかったんだよ。この電車カスだな。大体窓が開かないっておかしいだろ。そんな電車あるのか? ああああああああああああああああああああああ! hcぐへxmhfhfchxfぅfrhgchbxjvsxじぇjぎrbjxj、えfjxmhふぇjgc、lbxmrgj、x、えjfxrjvrjgrkgjrgjrrfんbfcvbんm


「……っ!」


 まずい。

 精神力が思った以上に貧弱だ。

 気が付くと俺は苛立っていた。

 でもみんな黙っている。みんな表に出していない。これがモラルか。


 そういえば、学校は今どうなってるんだろう。俺が早退しなければ、俺は今どこで何をしてたんだろう。やっぱり早退したくてもよかったかな。知ってる人が一人もいないのは心細い。でも学校にいれば一人ということは無い。周りに知ってる人がいる。それだけで気の持ち方はだいぶ違っただろう。


 ――みんなに見られた。化けの皮が剥がれた俺の、真の姿を。


 深読みして、「ありがとう俺の為に」と言ったら、久保に気持ち悪いと言われた。「人間じゃない」とも言われた。クラス全員にカチカチを見られた。

 それで世界が終わったような気でいたけど、今では何とも思わない。


 割れた爪が今も痛い。爪を割るなんてシャーペンカチカチプレイヤーとして有り得ないことだ。カチカチプレイヤーたるもの、いつだって優雅にカチカチしなければならな――――


「――ん?」


 俺は、今更になって、かなり大事なことに気が付いた。




 窓もドアも開かないなら、カチカチして窓を割ればいい。




 俺は今まで何回業者を見てきた? 何枚無駄に割ってきた? 学校なんてどうでもいい。今こそ割るべきじゃないのか。

 

 ◆


 タイミングよく、ちょうど運転手が巡回してきた。


「――具合の悪い方いませんかー? みなさん、大丈夫ですか?」


 話しかけるんだ。俺の近くに来たとき、話しかけるんだ。大丈夫、今日の俺はなんか喋れる。だから行ける。

 やがて、運転手が俺の目の前に現れた。

 空間が真っ暗でも、さすがに何時間もいれば暗順応して、姿が見えた。 

 俺は勇気を出して声をかけた。


「あ、すみません」

「はい。どうしました?」


 よし、一発で聞き取ってもらえた。


「窓を割って外に出ることは、可能でしょうか?」

「それはやめていただけますか」

「……はい」


 そりゃそうか。電車の窓を割るなんて無理だよな。常識的に考えて。


 俺が落胆していると、俺の横のおっさんが、ふいに死にそうな声を上げた。


「――すいません。大便が漏れそうです……もう、限界です……トイレに向かう間に絶対漏れます。そういうパターンだこれは」


 おっさん……

 立場を弁えろ。お前のうんことかコアな層にしか需要ねえだろ。


「早く窓を割れえ!!!!!!!!!!!!!」


 ええ!!!!!!!?


 これほどの短時間で意思を曲げた人間初めて見たぞ。

 運転手はすごい顔をして俺にそう叫んだ。そんなに近くないのに、俺の顔に唾が容赦なくかかる。

 それだけ、うんこ漏れを回避させたいのだろう。


「俺からも頼む。どっちにしろ俺はうんこを漏らす。その運命は変えられないとしても、せめて周りの人間だけは巻き込みたくないんだ――」


 おっさんが俺に懇願した。

 こういう大人にはなりたくない。


「――お願い、早く窓割って!」

「割ってくれ!」

「頼む! 臭いを嗅ぎたくない」

「やだやだやだ!」

「もう既に臭い気がする!」


 俺に声が向けられる。それは嘲笑でも怒りでもない。

 希望だ。

 さっきまでの俺とは無縁だったもの。

 絶望しかなかった俺の心が、優しくなっていく。

 ああ、いい気分だ。カチカチプレイヤー冥利に尽きる。

 絶対に窓を割ってやる。


 でも、俺はシャーペンを持ってない。


 誰かに借りよう! 俺は周りを見渡して、言った。


「どなたか……しゃ、シャーペン、持ってませんか」

「童貞を捨てさせてください? この状況で何言ってんだ! 早く窓を割れよ!!!!!!!!!!!」


 ――まずい。声が小さすぎて聞き間違われた。

 運転手の叫びがエスカレートしてしまった。


「いえ、シャーペンです」

「シャーペンだぁ? なんでシャーペンなんだ」

「説明する時間はありません。とにかくシャーペンがあれば、皆さんを外に出せます」

「んん……」


 運転手は、唸った。

 きっとシャーペンなんかで信用を得るのは無理だ。でも、割るしかないんだよ。

 

「俺を信じてください! お願いします」

「いや、しかし……」


 駄目か。もうこのままじゃ……


「――今は、この高校生を信じるしかねえんじゃねえのか。希望が目の前にあるなら、とにかく掴むまで信じてみろよ。疑うのはそれからでも遅くねえ」


 漏らしそうなくせに良いこと言うじゃないか! おっさん!


「分かった、ここは君に任せよう。誰か! シャーペンをお持ちの方はいませんか!?」


 駅員が呼び掛けると、電車の中がざわつく。

 そして俺の四方八方から、荷物をあさる音がする。みんな協力してくれてる。なんて心強いんだ。


 やがて、俺の背中がちょんちょん触られた。


 振り返る。


 そこにいたのは女子高生だった。暗闇に慣れきった目なら分かる。顔も普通に可愛いということが。久保みたいに可愛いのか可愛くないのか分かりづらい顔ではない。今考えたら久保ってうんこだよな。

 

「どうぞ、私のでよかったら」

「――粉々になりますけど、悔いはありませんか」

「? 全然大丈夫ですよ」

「――ハッ!」


 その手からシャーペンを受け取った瞬間、気が付いた。さっき俺の背中に当たったのはこの人の胸なのでは?

 しかもシャーペンを貰った。

 呼吸が止まった。

 俺はこの人が好きだ。

 

 シャーペンを受け取る。


 すると、今まで沸いたことのない決意が湧いてくる。


「……みなさん、ここは危険なので、できるだけ窓から離れてください」


 俺はドアの近くに行き、中腰になった。

 そしてノック部分に親指を乗せる。自分以外のシャーペンは、どうしてこんなにも私物感が無いのか。


「頑張って」

「頑張れ」

「行けー」

「頑張れー」


 深呼吸している俺を周りの人々が応援してくれる。昨日まで無関係の他人だったはずなのに。俺が思っているより、人は優しいのかもしれない。


 俺は爪の痛みを感じながら、昨日までの無為な日々と見えない今後を思いながら、希望を抱きながら、シャーペンを全力でカチカチした。


「ゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチィ!」


 共鳴する、俺とシャーペン。

 誰よりも激しい閃光を放つ。揺れる電車。

 爪の痛みなんて無い。人のシャーペンをカチカチしているということだけで、爪の痛みなんて吹き飛んだ。俺は一人じゃない。

 人はいざというとき協力できる。それだけだ。


 ◆


 窓はちょうどいい具合に割れた。飛び散って人に当たることはなかった。

 シャーペンは粉になった。

 歓声が上がった。

 みんなが笑った。

 俺も笑った。


 時刻はこの瞬間もきっと10時10分のままだった。原因不明の暗闇はまだ明けていなかった。


 でも笑った。


------------------------- 第10部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

X+1話 高三でしょんべんを漏らすと聞いても、引くだけで嫌いにはならない


【本文】

 その後、乗客は全員割れた窓から抜け出した。遂に解放されたのだ。

 あのカチカチは今までしてきたどんなカチカチよりも、心が満たされた。人の為に何かをするのはいい気分だ。今までは自分の為だけにカチカチしてきたがそんなもの虚しいだけだった。

 

「――すいません。シャーペンを粉々にしてしまって。弁償します」


 今、この世界には不思議なことしかない。

 全てが真っ暗。外灯や電光掲示板の明かりもない。暗いのに星も月もない。無論太陽もない。

 ただの半端ない電波障害という線もあるが、携帯の画面に映し出される時間が一分も変わらない。

 世紀末のような状況。

 しかし、恐れは全くない。

 今起きている現象の中で一番の衝撃は気象の変化ではなく、俺のコミュニケーション能力が“飛躍的に向上していること”だからだ。

 俺は今、真っ暗な街の中で、シャーペンを貸してくれた人に謝罪している。弁償する気など皆無だが、財布を漁ってジャラジャラと小銭の音を鳴らして誠意を演出すれば大抵の人間が少し申し訳ない気分になり、「いや、弁償なんて全然いいですよ」とでも言うであろう。それが人間という生き物だ。


 しかし――自発的に謝罪をするなんて芸当、今までの俺に出来ただろうか。出来ない。



 ――何故、これほどまでに喋れるんだ。いきなりどうした。



 俺は巨大な疑問を抱きつつも、財布の中で小銭同士を死ぬほどかき混ぜ、滅茶苦茶音を立てた。


「いや、弁償なんて全然いいですよ! それより、どうやって窓を割ったんですか? あの時私よく見えなくて」

 ――計画通り。

「カチカチしただけですよ」

「ほんとですか!? すごいですね!」

「冷静に考えてみると本当にすごいですよね。科学的に有り得るんでしょうか。あんな芸当」

「えっと……あ、その制服、X高校のですよね?」


 女子高生にそう言われて気が付いた。

 目の前の人が俺と同じ高校の制服を着ていることに。

 今、俺とこの人は互いを携帯で照らしあっている。あまりに暗すぎて照らさないと何が何だか分からないのだ。


「本当だ。すごい偶然ですね。僕は三年六組のシャーペンカチカチプレイヤーの山田って言います」

「あ、同級生だ。私一組の佐藤です。知ってますか?」

「知らないです」

「そうだよね。六組ってたしか、飯塚君とかあの辺の男子がいるクラスだよね」

 

 同じクラスの久保ですら最近名前を知ったくらいだ。正直飯塚君なんて見たことない。


「じゃあ好きな体位はなんですか」

「……え? 分かりません」

「そうですか。僕も分かりません。やったことがないのでね。HAHAHA」

「はあ」


 まずい。会話に全く緊張しないことが嬉しすぎて会話が支離滅裂だ。

 このままいけば確実に嫌われる。

 だが支離滅裂になるほど嬉しいんだ。人とスムーズに話せるということが。

 人と話す時に恐怖がないだけでまるで自分が神になったみたいだ。

 人生が楽しい。

 今の俺はすぐに話題を逸らすための話題を思いついた。

 

「あ、そういえば、なんでこの変な時間に電車に乗ってたんですか」

「寝坊したからだよ。山田君は?」

「……」

「ん?」


 ん? と言われたが、俺はそれからなんと言えばいいのか分からず、ただ沈黙の時が流れた。

 思わず周りを見渡す。何も見えない。

 多くの足音や話し声だけが、孤独ではないことを証拠づけてくれる。

 決して言えない。プロジェクターでカチカチを見られて死にたくなって早退したことなんて。

 

「まあ」


 とお茶を濁すのが限界だった。

 

「なんか山田君って個性的だね」


 いくら会話に緊張しないとはいえ、やはりシャーペンカチカチプレイヤー独自のオーラが隠しきれてないようだな。もう関わりたくない。


 ◆


 しかし、そのまま流れで佐藤さんと一緒に学校に行くことになった。

 学校には一応電話してみるが、一度も繋がらなかった。繋がると知っていたら電話しなかった。

 幸い電車が停まったのは学校からあまり離れていない場所だった。明かりが全く無いことを考えても三十分あれば確実に着くだろう。真っ暗な道を照らすには携帯に頼るしかなかった。と思いきや、公道には渋滞が発生し、車がライトを付けて徐行していたため、その必要は無かった。

 交通機関が麻痺しているため、歩道は人で埋め尽くされた。

 それぞれの居場所へ歩いている。

 家に帰りたいという気持ちが無いと言えば嘘になる。

 しかし、家に帰ればこの割と可愛い佐藤との縁は切れるだろう。今の謎のコミュニケーション能力がいつ保てなくなるかも分からない。何より、この気象の謎が晴れない限りできるだけ一人ではいたくなかった。

 

「――どうしていきなりこんなことになったんだろう……」

 

 横にいた佐藤さんが独り言のように呟く。


「なぜ、でしょうね」


 俺が普通に呟く。付き合うってこういうことなのかもしれないな。お互いが気を張ることなく、同じ歩幅で歩いていく。それが――


「――ねえ、山田君ってクラスの誰と仲良い?」

 

 嘘だろ。こいつもう俺に友人がいないことを察したのか。

 そうしてそれ以降は特に話すことなく、学校に辿り着いた。

 友人のいない俺には分かる。これが今生の別れだと。でも悲しくはなかった。よく見ればそんなに可愛くもなかったからだ。弁償しなくて済んでよかった。



 やがて校門に着いた。

 それと同時に俺は踵を返した。

 帰る場(い)所(え)があるから。


「着きましたね。じゃあ僕はこれで」

「え、なんでここまで来て帰るの? 一緒に行こうよ」


 まさか呼び止められるとは思っておらず、俺は瞬時に佐藤に振り返った。

 言葉は、堰が切れたように溢れだした。

 暗闇で顔が見えないせいか、かなり溢れた。


「一緒に行こう? 何を言っているんだ。あなたは俺を間違いなく嫌っているはずだ。小銭を過剰に鳴らすことで弁償を遠回しに拒み、あまつさえ好きな体位を尋ねた。それらが過去になった今なら分かる。あなたに対して失礼な言動を取ったと。そして、俺は人や社会と接する力が異常に低いと。……佐藤、と言ったか? 実は俺はクラス全員にガチで嫌われてるんだ。味方はいない。高校三年間ずっとそうだったせいでもう心に余裕が無い。今の段階で限界なんだ。だからこれ以上人には嫌われたくない。傷つきたくない。俺はもう、人と接することを辞めようと思う。世界が闇に包まれ静止した瞬間から何故かコミュニケーション能力が格段に上昇しているが、上昇したところで人間性が終わってるんだから何も意味が無いと今更気付いた。ずっと前から思ってるがやはり俺は死んだ方が良い存在だ。そもそもシャーペンをカチカチするのが早いからってそれが就職に有利になるのか? 絶対ならない。そもそも就職したからってその先に何があるんだよ。社会の荒波に立ち向かう俺のバックには、何の思い出も無く一人きりでシャーペンをカチカチしてきただけの空虚な過去しかない。人なんていない。頼りなさすぎる。人じゃないものが俺の後ろにあったってただ虚しいだけだ。俺が歩んできた道の後ろにはシャーペンしか無い。孤立し続けた過去しかない。そんな過去を武器に社会に出ても、そんなゴミは社会側がお断りだよ。俺なんてもう全部終わってんだ。自尊心なんて一ミリも無い。始まる前から既に終わってんだよ。社会も迷惑だろう俺みたいなコミュニケーションカス・協調性カス・友人ゼロカスの三拍子揃った無能が来たら。俺はどうせ仕事できないカスだ。絶対除け者にされて陰で悪口合戦だろ。集団は自分より下の人間を作ることで安心するんだ。俺はそのダシとしての存在価値しかないよ。人々に『あいつより下じゃないからまだましだ』と安堵を与えることしか秀でた点が無い人間だ。人間として生まれるべきじゃなかったな。どうせダシなら昆布にでも生まれればよかったよ。おい親父、なんでてめえは人間とやったんだ。昆布とやれよ。昆布とのハーフならまだ健やかに生きられたはずだ。人間社会に絶望すれば人間側の自分を捨てて昆布側に転向すればいいだけのことだもんな。それで料理のダシになって死ねばみんな幸せだろ。人として生まれて人のダシになるより、昆布として人のダシになる方が余程良い。あなたも俺と接して分かっただろう。俺はガチでもう生きている価値が無いということがね。佐藤さん、次に僕らが会う場所は冥土だ。帰ったら痛くない方法ググって自殺するから。五年前に買った完全自殺マニュアルも読み直す。あなたも暇があったら読んでおくといい。それじゃあ僕はこれで。ああ昆布になりてえ」


 俺はそう言って、踵を返し直した。

 すると、再び背中に声がかけられた。その声は少し怒気を孕んでいた。


「何言ってるの? 山田君のことを嫌いかどうか決めるのは、山田君じゃなくて他人でしょ。『ガチで全員に嫌われてる』なんて、ただの思い込みだよ。私は山田君が変な事言っても大して気にしてない。別に嫌われるようなことしてないし。逆に窓割ってみんなの為になったじゃん。どうしてそんなに自分に自信が無いの逆に。あんなにすごい力があるんだから自分に自信持ってれば彼女くらいできると思う。私はならないけど」

「それもそうだな。よし一緒に行こうぜ学校! 学校大好き! ぴょー!」


 ――原因が分からないが、俺はかなりポジティブになっていた。そんな自分が恐ろしい。

 心が軽い。

 俺の心とは思えない。今まで一トンくらいあったはずの枷が全て取れたような感じがする。

 なんでこんなにポジティブなんだ。

 これは本当に何かがおかしい。

 まさか、この世界が一変して突如闇に包まれたことと何かが関係しているのか。絶対そうだろ。

 

 ◆


 校庭に人は無い。

 暗闇を携帯で照らしながら進んでいく。

 廊下を歩いている人間は皆無だ。


「みんな体育館に避難してるのかな」

「一斉に動いたら危険だし教室待機だと思う」

「根拠は?」

「シャーペンカチカチプレイヤーの勘だ」

 

 俺と佐藤はそれぞれの教室へと向かった。俺の胸中には、もう負の感情は無い。何かがおかしい。上手く言葉にできないがまるで何かの支配や呪縛から解かれたかのような感覚がある。 

 全てが軽い。

 ――これが本来の俺の心象なのではないか。

 

「なんか喋り声がするね」


 佐藤が呟く。

 適当な学年の教室に近づいた時、ざわざわと有象無象の声がした。何故教室の中のざわつきは100%の確率で毎日存在しているのか。いつも教室は十割の確率でうるさい。今まではその当たり前が少し嫌だった。


「よかった。人がいて」


 俺はそう呟いた。


 それから階段を昇って廊下を少し歩くと、三年一組の教室の前に辿り着いた。

 教室の扉から内部が伺える。携帯の光が飛び交うようにして空間を照らしている。

 電気は依然ストップしている。

 このまま携帯を使ってたらいつか充電が切れて、真の暗闇が訪れるであろう。

 やがて佐藤が立ち止まり、俺に向き直った。


「ここまで来てくれてありがとう。私暗いところ苦手だから。今だから言うけど夜中トイレで起きた時は未だにお母さん起こしてる。高三なのに起こしてるから。たまに起こしに行くのすら怖くてそのまま部屋で漏らす」

「そうなのか」

「山田君それ聞いてどう思った? 死ねって思った?」

「引くだけで、死ねなんて思わない」

「そうでしょ。だから山田君ももっと自分に自信を持っていいよ。大抵のことが無い限り人は人を嫌いにならない。おしっこ漏らしてることを言っても嫌われないくらいだから、君の場合思ったこと全部言うくらいで良いと思う」

「分かった」

 

 もう既に問題は解決している。

 俺がここまで高い水準で人間との対話をこなした時点で、もう俺は今までの俺ではない。あ、うんで済ませていた頃とは違う。


 佐藤はやがて教室の扉に手を掛けた。


 よし、じゃあ俺も教室に戻――

 

「…………」


 足が動かなくなった。

 これからクラスの中に戻っていくことを思うと、いくら突然変異した状態でも気分が萎えた。


 ――カチカチしているところを見られた。

 

 ――それを見て、人はどう思うのだろうか。


 普段備品のように其処に存在しているだけの無表情の人間が、意思を持って学校の備品を毎日崩壊させている。それがクラス全員にばれた俺に、戻る資格があるのか。罵倒されるんじゃないのか。全員にガチで嫌われたんじゃないのか。

 怖い。

 怖い。怖い。行きたくない。



『きめえ』

『人間じゃねえ』

『生きてる価値あるの?』

『窓割るとか頭おかしい。死んだ方がいいよ』

『ていうか誰だよ。初めて見たわこんな奴』

『人間としてレベルが低いよね』

 


「どうしたの?」


 佐藤の声が俺の思考を引き裂く。


 ……そうだ。ここには俺と佐藤しかいない。クラスの人は一人もいないんだ。


 恐れる必要なんて無い。見えないものを怖がる必要は無い。

 俺は佐藤がしょんべんを漏らすということを聞いても、引きはしたが別に嫌いにならなかった。

 だったら、シャーペンをカチカチして窓を割るくらいなんてそれより全然ましだ。

 なんで怖がる?

 何がそんなに怖い?


 俺は深呼吸して言った。



「なんでもない、行ってくる。だって俺は、シャーペンカチカチプレイヤーだからな」

 


------------------------- 第11部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

X+2話 魔王再臨


【本文】

 三年一組の教室の扉を開き、中に入っていく佐藤を見届けた。佐藤さんは俺に手を振った。嬉しかった。俺は手を振りかえせなかった。手を振られるという行為を人生の中で全く予測していなかったので反応できなかったのだ。


 結局その場に、棒のように立ち尽くした。


 ああ、佐藤さんみたいに普通に教室に入れる人が羨ましい。

 思えば、何も考えずに教室に入ったことはなかった。

 登校して教室に入る時は、100%の確率で嫌な事を考えていた。『早く帰りたい』『めんどくさい』『見られたくない』『なんとなく苛つくからシャーペンをカチカチしたい』『休みたい』『時間を十年くらい飛ばして学生時代を一気に終わらせたい』『見られたくない』『Uターンして帰宅したい』『カチカチしたい』『めんどくさい』『帰りたい』

 朝、皆がいる教室に入ると、絶対に誰かがこっちを見てくる。

 それだけのことが怖かった。

 別に、おはようと言われたいわけじゃない。言いたいわけでもない。

 心の中で思い直せば、何が怖いのかよく分からない。

 ただ視界に入るだけ。

 しかし既に人がいる教室に入る時、怖かった。だから床だけを見て自分の席に一直線に着いた。そんな愚かな俺を誰かが笑っているような気がした。教室の笑い声が、一人でいる俺を笑ったものに変換されて聞こえた。自意識過剰だと自分に言い聞かせても意味は無かった。

 教室に行きたくない気持ちが消えない。

 でも、入ってしまえばそんな気持ちは消える。

 背景の一部になる。

 その繰り返し。授業が終わればすぐ教室を出て、家に帰って寝て起きればまた教室のことが怖くなる。

 そんな高校生活をしばらく続けてきた。それだけの毎日だった。教室に存在するだけで精一杯で、他のことをする余裕はとてもなかった。勉強もバイトも部活も遊びも。有意義も、教室に吸い取られて無意義になった。


「……俺がこの力(チカラ)に目覚めて、もう何か月経つんだろう」


 俺は三年六組の教室に向かいながら、ぽつんと呟いた。

 一組と六組の教室は最も遠く位置している。 

 佐藤さんから対極の位置に向かう。自然と歩行速度は落ちていた。

 怖くて独り言まで出ていた。

 別の組の教室から声が聞こえる。

 それを聞きながらゆっくり教室に歩いていく。


 ――この力に目覚めたのは、突然のことであった。


 高校一年、二年と備品のような生活をしてきた俺だが、高三になったある日の小テストの時。

 異変は起こった。

 シャーペンを一回カチカチしたら、体が光った。ついでにみんなの答案が飛んでテストが中止になった。

 自分に何が起きたのか分からなかった。とりあえず、ボールペンをカチカチしてみたが、ボールペンでは何も起こらなかった。

 だが、シャーペンをカチカチした時に限り、俺は滅茶苦茶早くカチカチできるような体にいつの間にかなっていたのだ。それからというもの、俺は破壊の限りを尽くした。

 手始めに、便所の鏡の前に立って髪を整えて入り口を通せんぼしている男子生徒の髪をカチカチでグチャグチャにした。ワックスでせっかく入念に整えた髪を水泡に帰すのは楽しかった。彼らは面白いように気を立てた。だが怒りの矛先は超常に向かい、俺に向けられることはなかった。まさかシャーペンで風を起こしていたとは思わないだろう。やがて、その便所で髪を整える人間は皆無になった。ちなみに俺は朝起きて、カチカチで風を起こしてランダムに髪をセットする。大抵ゴミのような髪型に変わるが、たまにいい感じになる。

 そんなことを繰り返しているうちに、俺は備品の窓を壊すようになった。

 備品のように黙って生活していた俺が備品を壊す。

 今思えば、俺は自分のことを壊したいから窓を割っていたのかもしれない。

 教室に入ることが怖い。入れば俺は人間では無く備品になる。意味もなく毎朝そこに在るだけのもの。

 でも俺は人間だ。

 だから毎朝カチカチするようになった。カチカチが俺と教室を繋ぎとめた。しかし、それがばれた今となっては――――


 無駄な事を考えていても、やがて教室の前に辿り着いた。


 足が教室の扉の前で止まった。


 声が中から聞こえる。

 いつもの声。

 教室に電気が点いていない。

 ただ、懐中電灯の明かりが一つ空間を突き刺すようにあるのが見えた。

 俺がいない教室。俺以外の全員がいる教室。

 俺がいてもいなくても変わらない教室。毎日続いていく教室。俺は何を守るために毎日ここに来ているのだろうか。【出席日数・評定】そういうものを守るために来ているのだろうか。

 そんなものはどうでもいい。

 俺は人間としての俺を守るために、教室に存在していなければならない。

 ここで帰って家に引きこもることを選べば、俺はもう本当のボロクソになってしまう気がする。二度と家を出られない気がする。

 帰りたくても、居たくなくても、耐えきれずにカチカチしながらでも、俺は教室に存在していなければならない。周りの人が嫌だと感じないことがクソのように嫌だと感じても、俺はここにいなければならない。自分を守るために。


 ……いや、どうしてそんなに鼓舞してるんだ。学校がそこまで嫌なら別にスパッと辞めて家に籠って痛くない方法ググってそのうち死ねばいいだろ。


 ――そもそも人生に価値はあるのか?


 生まれた理由は親がセックスしたから。

 死なない理由は親が悲しむから。

 別に価値なんてないんだ。

 朝、駅のホームで電車を待っている人達。

 もしその中の一人が死んで、二度と駅のホームに来なくなったとして、それを悲しむ人は駅のホームの中にいるのだろうか。死んだことに気が付く人はいるのだろうか。空気中の二酸化炭素が増えてもそれを感じないように、人が一人消えたところで何も気付かないのではないか。ニュースで殺人事件が報道されて、殺されるなんて可哀想だと思っても、ちょっとすればそのことは忘れる。別の事が報道される。誰も話題にしなくなる。

 当事者と当事者に近しい人以外の人の価値なんて二酸化炭素だ。

 父親が人生でもしも一回でも多くオナニーをしていたら、射精の数が一回でも狂っていたら、母親の生理が一瞬でもずれていたら、俺の代わりに全くの別人がこの世に生まれていたのだ。ただそれだけなんだ。全部脆い。別の人が生まれれば別の人が生きる。俺や誰かが死んでも世界は終わらない。人一人は塵のようなもの。

 生きる価値を見つけようとするのは、価値が無いからだ。

 父親のオナニーの数で全てが決まる。神がかり的にちょうどいい射精の配分のお蔭で俺が生まれてきた。新しい命はコウノトリが運ぶのではない。オナニーが運ぶのだ。世界の人類みんなそうだ。明るい奴も暗い奴も強い奴も弱い奴もクラスで一番可愛い奴もクラスで一番不細工な奴も男も女もオカマもみんなオナニーで全部成り立ってるんだ。例えば、いじめをして人を傷つける奴だって父親の射精の配分が神がかってたから生まれただけだ。弱い奴より強いから生まれたんじゃない。オナニーのお蔭で生まれたんだ。全人類が生まれた時は平等。オナニーだ。人生とはオナニーだ。自己満足。自己満足でいい。自分が満足すればいい。周りは見なくていい。

 今まで生きてきて、俺はどういう人間になれたんだ。

 周りの目ばかり気にして、どういう人間になりたいんだ。

 意味が無い。人生に意味が無い。

 探すこと自体無意味。

 でも意味が無かったら俺の生活があまりに虚しい。

 ただ座ってカチカチして終わる。

 本当に、それに全く意味がないとしたら……、










 ――俺は何を考えているんだ?










 気が付くと、二十分くらいずっと教室の前で突っ立ってぼーっとしていた。馬鹿か?

 教室に入ることが嫌すぎるあまり人生の価値を熟考してしまった。

 ただ入るだけ。

 一瞬注目されて、一瞬声を掛けられて、多分終わる。それだけ。

 人生の価値を考えるほどのことじゃない。

 いける、俺はシャーペンカチカチプレイヤーだ。シャーペンをカチカチするのが早い。カチカチに対する造詣が深い。

 だから教室に入るくらい造作も無い。普通に入れ。普通に。

 いける、いける。


 ……いけない。


 無理だ。

 教室に入ることができない。

 どうする。やっぱり帰るか。

 でもここまで来て帰るのか? でも俺が教室にいることに何の意味がある。父親が人生で一度でも多くオナニーをしていたら、俺はこの世に生まれてこなかったんだ。一度のオナニーで数億の精子が死滅すると言う。あんなにくだらない行動で数億の命が死ぬ。ただのオナニーに左右される程度の価値しかないんだ。そんな奴が教室にいたからって何になる。生きることに意味があるのだろうか。意味はない。意味はないから俺は今も教室に入る意味を探している。もう家に帰ろう。人生なんてそんなもんだ。俺は死ぬ。痛くない方法をググって自害する。それが無理なら引き籠る。一生ニートでいいや。もう知らね。きゃあああああああああああああああああああああああああああああ! びょびょびょびょびょびょびょびょびょびょ! ちぎぎいぎぎっぎぎっぎぎぎぎぎぎいぎぎぎぎぎい!


「――あ! 山田君だ!」


 唐突に後ろから声が聞こえた。


「」


 俺の心臓が死んだ。肩が跳ねた。

 しかもこの声は――。

 思考が消えて、全ての絶望が俺を覆う。振り返ることはせず、俺は無意識に声を発していた。


「kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk久保」


 唐突に現れたことにびびり、どもってしまった。


『気持ち悪い』『人間じゃない』


 俺は多分ガチで全員に嫌われている。嫌われている。この人にも。いや、大丈夫。人類は生まれた時はみんな平等。だから気にするな。何も気にするな。久保だって父親の神がかり的な射精配分のお蔭で生まれただけの存在。

 久保と言えどルーツは所詮金玉。

 恐れなくていい。敵じゃなくて人なんだ。問題ない大丈夫。ルーツは所詮金玉だから。恐れるな。俺が人を怖がるということは、つまりおっさんの金玉を怖がるのと意味は同じだぞ。おっさんの金玉のどこが怖いんだ。


「なに」


 間違いなく久保の声。久保が後ろにいる。俺の背後に。

 なんでここに。


「ルーツが金玉のくせして、どうしてここに」

「トイレ行ってた」

「そう」

「山田君こそなんでいきなり消えたの? みんなほんの僅かに心配してるよ。私だってほんの僅かにしてたから」

「元は全て久保のせいだ。立て続けにチクったな。人間のすることとは思えない」

「は? なんで私のせいにするの。私はあれが山田君が変わるきっかけになると思ってチクったんだけど。……携帯没収されてまで」

「ざまあ」

「え、ちょっと待って。山田君が明るくなった。この短時間に何があったの。もしかして私がちくった効果?」

「ハッ!」


 言われて気が付いた。俺が普通に恐れていた人間と話せている。

 言葉が自然に溢れた。

 佐藤限定で、そのうち終わる突然変異だと思っていたのだが、久保に対しても緊張が一切無いとは。どういうことだ。

 

「よかったじゃん。喋れるようになって。私のお蔭だ」


 それは分からないが、俺は久保に果たして嫌われているのか。相手の心は見えない。だが、本当に嫌いだったら声をかけることもしないのではないか。だが、仮に嫌われていたとしてもルーツは金玉。実家が金玉の奴なんかに嫌われても何も気にするな。

 気に食わなかったらこう言えば良い。


「うるせえ。金玉がルーツのくせに」

「は? 何言ってるの」


 言わない方が良い。


 ◆


「……」

「……」

 

 それから一分くらいが経った。

 俺はまだ教室に入ることができていなかった。

 すぐ後ろには久保がいる。

 嫌っているのかそうでないのか分からないが、気にしないことにした。ルーツが金玉だから。


 やがて、後ろから声がした。

 

「なんで入らないの? 怖いから?」

「うん怖い。だって俺はきっと全ての人間から嫌われている。どうでもいいあるいは死ねと思われているはずだ。三年間教室でずっと黙って座ってる奴なんて絶対嫌われてるに決まってるんだ。陰で笑われてるに決まってるんだ。絶対陰で馬鹿にされてる。俺はもう人と関わりたくない。もはや人で在りたくない。木と化したい。集団の中にいたくない。実在していること自体が憂鬱だ。戸籍なんていらない。嫌だ。自分という存在が鬱陶しい。根本的に人と接することが向いてない。話せない。怖い。もう死んだ方が良い。もう生きている価値が無い。未来に期待は無い。俺はもう、もう、もう――」

「うるせえ!!!!!!!!!!!!!」


 背後で怒号がした。背中を強く殴られた。

 たしかに滅茶苦茶うるさい。佐藤と話したときもこうだった。俺の辞書に学習という二文字は無い。

  

「ぐ!」


 変な声を出して前のめりになるも、扉に触るギリギリのところで止まってしまった。

 

「……はぁ」


 久保の溜息が聞こえた。

 自分が矮小に思える。

 どうせいつまで経っても入れないなら、勢いのまま突っ込めばよかったかもしれない。


「銘柄」

「え」

「だから、銘柄」


 体勢を立て直していると、突然後ろで久保が無機質な声でそう言った。銘柄とは、なんのことだ。頭を回転させても分からない。

 

「銘柄は何?」

「じゃ、じゃあ、一番安いの」

「解った」


 訳も分からずそう言うと、久保は突然暗い廊下を走って、足音だけ立てて消えた。


 ◆


 俺はひたすらその場で立ち尽くした。

 五分、十分、十五分。

 その間、教室からはみんなの声がした。

 俺の事を話していたらどうしよう。

 不安は消えない。

 幸い、便所とかで教室を出てくる人はいなかった。


 このままずっと独りだったらどうしよう。このままずっと世界が暗いままなのか。大体なんなんだ。この現象。災害? 何? 訳が分からない。


 帰ろうかな。


 と思った矢先だった。


 こつこつ足音が聞こえてきた。こっちに近づいて来る。それが久保だと分かった瞬間、銀の煌めきが俯いた俺の目に入った。

 

「はい、一番安いの」

「……」

「後払いでいいから」


 見渡しても深淵しかない中で、その銀の煌めきは、一縷の希望に見えた。

 この煌めきを見る瞬間まで忘れていたことがある。

 俺が一体誰かということだ。

 人間はみな、オナニーのさじ加減で生まれる。

 だから人生に価値は無いのかもしれない。

 生きている意味なんて無いのかもしれない。

 でも俺は――――




 ――――シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い。




 俺は学校に来てから初めて笑顔を取り戻し、浮かべて呟いた。


「――108円払うの面倒だから、100円で良いか」

「良いよ。別に」


 俺は暗闇の中で手を伸ばす。銀の煌めきは、シャーペンの先端。

 それを手に取る。

 ああ、どうして人から貰ったシャーペンはこれほどまでに私物感が薄いのか。

 今なら分かる。私物では無いからだ。


「ありがとう」


 お礼を言ってシャーペンを受け取り、今日初めて久保の顔を見た。

 久保は笑っていた。

 嫌われていたのは被害妄想なのか事実か。それは分からない。だが笑っている。

 俺は笑っている。


「あれもう一回見せてよ。教室なんてもう、全部ぶっ飛ばしていいから。今度はチクらない。……山田君、ずっと窓割ってたのがばれてみんなに嫌われたと思ってるんでしょ。そのくらいじゃ誰も嫌いにならないから」


 俺は一度深呼吸し、教室の扉に向き直った。

 右手にはシャーペン。

 横には久保。

 未来には希望。

 大丈夫。問題ない。やれる。

 何故なら俺は、シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早いから。

 

「ドゥオルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ!」

 

 共鳴する俺とシャーペン。

 ずっと入りたくないと思っていた教室の扉は、引くほど簡単に真っ二つに折れ、やがて霧散した。

 ずっと聞きたくないと思っていた皆の声が引くほど明瞭に耳に入ってきた。

 皆の顔が見える。

 教室の中が崩壊していく。

 机と窓が吹っ飛ぶ。

 俺の体が閃光を纏う。

 何も怖くない。教室に入ることに何の抵抗もない。何故なら俺は、シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早いから。


「きゃあああああああああああああああああああああああああ!」

「ごめんねママ! 私今日で死ぬ!」

「ああああああああああああああああああああああ!」

「業者さん! 仕事だ!」

「あああ携帯飛んだ! モンスト課金したばかりなのに!」

「地獄の門が開いた!」

「あああああああああああああ!」

「ちんこちんこちんこちんこちんこちんこちんこ!」

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「風がああああああああああああああ!」

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」

「レールの敷かれた人生を歩みたくない!」

「今だから言うけど俺は童貞だ!」

「あああああああああああああああああああああああ!」


 普段より気合を込めたカチカチ無双。教室の備品ほとんど全てが霧散していく。

 真っ暗な教室を俺の閃光だけが照らした。

 ――やがて、手に持っていたシャーペンは実体を失くし、ただの粉になった。久保から貰ったシャーペンは役目を終えた。俺は、廃墟同然の教室に入っていく。後ろから久保の足音もする。

 久保無しでは俺は教室に入ることができなかった。

 やがて俺は深呼吸し、呟いた。


「――心象投影機神速奏者(シャーペンカチカチプレイヤー)、推参」

「先生、山田君が教室を全壊させました!」

 すかさず後ろから久保が叫んだ。

「業者死ね!!!!!!!!!!」

 俺も乗じて叫んだ。


「僕は生きる。この中で出会いを探したい」

「我々二人は社内で嫌われてるからあまり戻りたくない。実は今転職先を探している最中でね。それが決まるまでは今の会社に居座る。空白期間は作りたくないから」


 教壇のある辺りから、二人の業者の声がした。

 お前らまだいたのか。


【後書き】

性的な表現が出てきます。苦手な方は気を付けてください。


------------------------- 第12部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

X+3話 シャーペンカチカチ講座


【本文】

「あ、山田君だ」

「山田君じゃん」

「山田君」

「あれ、早退したんじゃないっけ」

「山田君だ」

「山田君」

「下の名前なんだっけ」

「光ってるじゃん」

「ちょっと光ってる」


 ――俺は、カチカチしているとき体全体から発される閃光に持続性があることを初めて知った。

 カチカチを終えて十秒程経過した今も、俺の体は薄く発光していた。豆電球程度の、ちょうど個人を判別できる明度である。

 クラス全員が着席し、俺を見ている。


「……」


 思わぬ事態に頭が真っ白になる。

 みんなの顔を見渡す。俺の方を見ている。みんなの視線が俺の目を貫通して心臓に刺さる。息をすることを忘れた。

 そして最悪の考えが再び脳を埋め尽くす。

 見られた。プロジェクターで見られ、そして現物を見られた。嫌われたんじゃないか。引かれてるんじゃないか。死ねと思われたんじゃないか。


『そのくらいじゃ誰も嫌いにならない』


 佐藤と久保の言葉。


 ――本当か?


 建前じゃないのか。


 俺は今、本当に間抜けなことをしてしまったんじゃないのか。

 消えたい。この場から今すぐ。死にたい。全員の脳から俺の記憶だけを消したい。絶対気持ち悪い。俺は気持ち悪い。人間じゃない。何調子に乗ってるんだ。


「どうしたの」


 すぐ後ろで久保の声がした。

 勢いで入ってしまったが、これほどまでに教室を出たかったことは無い。絶対こんなことするべきじゃなかった。馬鹿だ俺は。人間の前で調子に乗るなよ。俺は人間じゃないんだから。俺は人間っぽい外殻に覆われただけのゴミだ。

 俺は頭を真っ白にして突っ立った。空気中のどこかをぼーっと見て。

 三秒くらいそうしてから俺は踵を返した。



『また逃げるのか』



 俺が昔、心の中に押し込んで殺したはずの“人間”がそう囁いた。



 俺は人間じゃない。ゴミだ。

 人間は全員金玉が実家だが、俺はシャーペンカチカチプレイヤーなんだぞ。

 金玉なんて怖がらなくていい。

 金玉から生まれた人なんて、怖がらなくていい。

 でも俺も金玉から生まれたただの人間だろ。

 

 今日の俺は何故か喋れる。だから行ける。


「毎朝シャーペンで窓割ってました。迷惑かけてすいません」


 俺は視線の嵐の中で謝罪した。それは、俺の人生の中では歴史的快挙だった。

 教室の中で音読以外で声を出した経験すら数えるほどしかない俺が、人間的な感情と語彙を用いて発声している。俺の人生において、一番多くの勇気を消費した瞬間だった。

 

 ◆


 未だ俺は若干発光している。

 だからみんなの顔が見える。みんな俺を見ている。それだけは分かる。何を考えてるかは分からない。だがこれが生きるというなんだ。この圧倒的な謝罪感。圧倒的な不透明。視線に自分が押しつぶされるような感覚。

 脳がぐるぐるする。

 

「すいません」


 みんなが何も言わないので、念を押した。

 

 それから少しが経った頃、


「……山田君ずっときょどってるぞ、誰か反応してやれよ」

「いや俺一回も話したことないし」

「俺も」

「僕も」

「某も」

「おいどんも」

「拙者も」

「わしも」

「朕も」

「我輩も」

「うちも」

「私も」

「あたしも」

「私も」

「俺も」

「うちも」

「朕も」

「俺も」

「うちも」

「朕も」

「私も」

「俺も」

「朕も」

「朕も」

「俺も」

「私も」

「朕も」

「朕も」

「我輩も」

「朕も」

「朕も」

「朕も」

「朕も」

「朕も」

「俺も――」


 朕多くね。

 

「お、今日は全員出席か」


 やがて、教壇付近の担任が呟いた。

 知らぬ間に俺の謝罪が出欠の役割を果たしていた。いつの間にかクラス全員が声を発していた。

 つまりクラス全員ほとんどが、俺と全く喋ったことが無い。


「ねえ山田君って本当は喋れるんだね。あいうえおって言ってみて」


 と、名前の知らない女子が突然ぽつんと呟いた。


「あいうえお? そんな知的じゃない台詞言いたくない。せめてiPS細胞とかにして」

「じゃあiPS細胞って言って」

「iPS細胞」

「「「「「うぇええええい!!!」」」」」

 

 俺がみんなの前で普通に喋れている?

 しかもこの反応は何なんだ。俺はそんな嫌われていないのか? 

 


「ほら。気にしすぎだったんだって」



 俺の後ろで久保の声がした。


「………………」


 ああ、呆気ない。本当に呆気ない。

 

 何か、思い悩む必要とかあったのかって感じだな。

 勇気を出して言ってみれば、こんなに呆気ないものなのか。

 ずっと悩んできて、ずっと悩んできて、何年もずっと自分を自分の中に閉じ込めてきて、それがこんなに呆気なく終わってしまうのか。

 喪失感。

 自分の中の何かが消えたような気がした。

 俺はずっと誰とも喋らないでここまでやってきたのだ。


「……」


 ……何だ。この感覚は。


 虚しい。


 ◆

 

 その後、担任は職員会議か何かで教室を去った。そのまま二度と戻ってくるな。

 俺は自分の机に座った。

 世界が終わったように感じて、あれだけの思いで早退したのに、戻ってくれば、なんということはなかった。特に話しかけられるというわけでもない。嫌悪されない。いつもと全く同じ。

 あんなに怖がっていたのが本当に馬鹿みたいだ。

 

「――ねえ山田君、あれってどうやんの」


 五分くらいずっとぼーっとしていると、前の席の人が振り返ってそう言った。名前は知らない。


「あれって?」


 俺は予測していなかったにも拘わらず平然と返せた。どうしてこんなにあっさり返せるようになったのか、今でも分からない。

 呆気ない。


「あれだよ。シャーペンで窓割るやつ。俺らやることなくて暇だったから、視聴覚室で一時間くらいずっと山田君の姿リピートしてた。うけたわ」

「へえ。よかった。エンターテインメント提供できて」


 勝手に見んな。みんなでしりとりでもしてろよ。


「あれのやり方教えてくんね? 俺もやってみたい」

「いいよ」

「まじで? ありがとう」

「あれは指ぱっちんとかと同じでさ、繰り返してればできるようになるから」


 格の違いというものを見せてやる。

 俺でさえカチカチできるようになった理由は分からないのだ。

 努力なんて全く報われないということを教えてやる。世の中天才が勝つようにできてるんだ。搾取する側とされる側。カチカチできる側とできない側。世の中そうやって動いてる。俺は、カチカチできる側だ。


「じゃあちょっと俺一回やってみるから。何が駄目か指導して」

「うん」


 そいつは椅子ごと俺の方を向いて、シャーペンをカチカチした。一般人のそれだった。センスは全く感じられなかった。

 

「どう? 山田君? 俺ぶっちゃけセンスあるでしょ」


 暗闇の中で、名前も知らない男の白い歯が光る。

 

「……カチカチ以前って感じだな。なんか、信念が無いカチカチってすぐばれるんだわー。俺クラスともなるとさ、『とりあえず風起こせればいいやー、とりあえず閃光纏えればいいやー』みたいな適当な気持ちが出てんのがすぐ見えちゃうわけだ。まずはそこを隠すようにしようか。技能的な指導はそれからだな。やれやれ、これだからゆとりはよぉー」

「突然どうした」


 俺は調子に乗って適当なことを並べた。上から言うのって滅茶苦茶楽しいな。将来、教習所の教官になろうかな。


『君さー、どうしてこんなこともできないの? 他の教習生は言われなくてもできるんだよ? 教本とか読んでんの? やる気ある?』

『すいません』

『すいませんじゃないよ、やるんだよ。できるようにならないとー。言われてからやったんじゃ遅いんだよ。言われる前にできないといつまで経っても上手くならないよー?』

『……』

『返事は?』

『はい』

『はいじゃないよ、できるようにしなよ。教本を読んで復習しておくとか、イメージトレーニングをしておくとか、それだけでだいぶ違うんだから。ああほらほら、また速度超過ー。ここは40キロに留めておくんだよ。今ここ何キロ制限か分かる?』

『40キロ』

『全然違う! たった今50キロ制限になっただろお? ちゃんと自分でやれよー。自分の意思を持って物事に取り組め。全て俺の指示頼りってのは人間としてどうなんだ? 俺に言われてからじゃ遅いんだよー? ねえ? 真剣に取り組まねえとほんとにハンコやらねえぞ。おい』

『すいません、ちゃんとやります』

『じゃあ、そこの信号左ねー』

『はい。……巻き込みよし』

『ああああああああまたそこ! 違う違う! 減速チェンジだって言っただろー。言われてからじゃ遅いよ。ちゃんと減速しながらギアをチェンジするんだよ! 今チェンジしなかったろ? それとちゃんと目視したか? 何が巻き込みよしなんだ?』

『……自転車とか』

『あと人だろ? 大事なのは自転車よりも人だー。特にお年寄りがいないか。そういうことをちゃんと目視で確認してから、巻き込みよしって言えよー』

『はい』

『……君はさー、高校生だろー? 将来の夢とかある?』

『え。いや、特に無いです』

『だろうね』

『』


 うわあ、なんか変な想像を働かせてしまった。

 教習所なんて行きたくねえ。 

 教官になるのもやめよう。

 

「あれ? 山田君どうしたん。ぼーっとして」

「あ、ああごめん。はい、じゃあもう一回やってみて」

「しゃあ!」


 男は再びカチカチした。見た感じさっきと何も変わっていない。そもそも俺はカチカチに関する専門的な知識を全く備えていない。ただカチカチが早いというだけだ。


「さっきより改善されたね。方向性としては誤ってない。でも、まだ君の中で『俺ならすぐできそう』っていう驕り高ぶってる感情が拭いきれてないのもまた事実だ。俺には分かる。専門的な知識だってあるしね。どう? 驕り高ぶってない?」

「え、あ、まあ少し」

「うん。それじゃあ駄目だわな。なんつうか、今度は『これが駄目なら俺は痛くない方法ググって死ぬ』っていうくらいの意気込みでやってみ。絶対いい方向に転がるからよ」

「なんか山田君めっちゃ喋るな」

「知らね」

 

 その後、名前を知らない少年はしばらく俺にカチカチを見せた。

 はっきり言って俺には全く違いが分からなかった。


「オッケーオッケー。気持ちの面は問題ない。カチカチが何なのか、分かってきたね。つまりそういうことね。俺が言いたいのは。まあ感覚的なことで分かりづらいと思うけど」

「……なんか、早くなってる感じが全然しねえんだけど。これから早くなる?」

「うん」


 多分、十分くらいカチカチしていた。この人は暇なのだろうか。

 

「――おーい小池、便所行こうぜ。俺のうんこをお前の目に焼き付かせてやるから」

「……あーめんどくせ」


 目の前の男が、溜息と共に、小さな声でそう呟いた。

 この人小池っていうのか。初めて知った。


「あの人呼んでるし、一旦トイレ休憩にする? 小池君」

「いや、よかったら休憩なしで教えてほしい。あいつ自分のしったうんこを俺に見せて記憶させて書かせるから」

「へえ、じゃあ続きやろうか」

「――私にも教えてくれない?」


 俺の横から突如久保の声がした。


「別にいいよ。カチカチする上で信念があるなら」

「やったー」


 ……そういえば久保って友達いるのか?

 顔は普通だが、いつも女子の会話でも「それな」くらいしか言ってないし、金魚のフンっぽい立ち位置なんじゃねえのか。そうでもなかったらわざわざカチカチを早くする方法なんて会得したがらないだろう。それに今知り合った小池君もおかしい。うんこを書かせるような奴とつるむなんて。嫌なら断ればいいのに、断れないんだろう。二人ともろくな人間関係築けてないんじゃないか? 若いのに可哀想だぜ。

 やがて、久保が椅子を持って俺の机の横に座った。

 良い匂いがした。

 

 ◆


「ああああああああああああ!」

「カチィカチィ」


 小池君がカチカチした。

 

「駄目だ、シャーペンが泣いてるわ。叫べばいいってもんじゃないよ。叫ぶのは心技体が全て備わってからだ。形から入っても、中身が無かったら意味ない。死ね」


「あああああああああああああああああああああ!」

「カチカチカチカチ」


 今度は久保がカチカチした。

 一般の範疇を出ないが、小池君よりは素質があった。

 

「んー。そうだな、親指をトップの位置からインサイドアウトに振り下ろせ。その軌道じゃ風は起こせない。あと、カチカチ前のテイクバックをしっかり取ったほうがいい。常に最短距離でカチカチすることを心掛けるんだ。それとよくノック部分を見てカチカチすること。そうすればフォームが安定し、自然と速度も増す。分かったか久保」

「長えよカス」


 その直後、小池君がぼそぼそ呟いた。


「……え、指導が俺と全然違くね? なんで専門用語が出てるの」

「それは、小池君が男だからだ。……あ」



 ――俺はこの瞬間、教習所の教官になってJKを指導しようと決意した。


 

 その後も、小池君と久保を交えたシャーペンカチカチ講座が続いた。

 そのうち、段々人が集まってきて、最終的に10人くらいになった。

 楽しかった。


【後書き】


教習所は嫌な思い出が沢山あります。俺に風当たり強い教官が、女子高生とかにはずっと笑顔で接するんです。美少女に生まれたかった。

それで自撮り棒使って自分の写真撮ってツイッターとかに上げたい。


------------------------- 第13部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

ガチ最終話 Unknown補完計画発動


【本文】

 教習生が久保と小池君の二人だったのが、今や十人の受講生を抱えるまでになってしまった。

 

「ねぇ、俺のどう?」


 見知らぬ誰かが俺に問う。


「カチカチ前のテイクバックをちゃんと取った方が良い。それ以外は大丈夫。自信持っていい。まぁ、カチカチっていうスポーツは八割が準備で決まるから。ゆうて俺も色んな大会で結果収めてきたし。カチカチの心得なら俺に聞け」

「うるせえ」


 現在十人の教習生を抱えていたが、俺はそつなく教習をこなせていた。

 俺の机の周辺で十人くらいがずっとカチカチしている。

 久保を除いて全員男である。

 もしかしたら教える才能が俺にはあるのかもしれない。カチカチの知識なんて全く無いが、それっぽい用語を並べるだけで教習生が増えた。詐欺だ。

 事業に発展させようかな……。


「あ、彩香こんなところにいたの?」

「ほんとそういうところすっとこどっこいだよね」

「どうして勝手に消えるの」


 俺が調子に乗っていると、俺の横の久保の頭上から三人女子の声がした。

 

「ごめん、山田君にカチカチ教えてもらってた。みんなもやる?」


 かくして教習生が十三人になった。




 その後も、俺は適当な専門用語をどや顔で放ち続け、悦に浸っていた。

 

 何故か、今は普通に喋れる。


 俺はずっと誰かと喋りたいと思っていた。

 寂しかった。

 ただ仲良くなりたかった。

 人に臆しない人が羨ましかった。複数人でいる人に嫉妬していた。帰り道、誰かと一緒に帰ってる人が神に見えた。いつも一人で帰った。寂しかった。周りにどう見られているか、気になってしょうがなかった。一人でいる自分がゴミだと思えた。そのうちゴミとしか思えなくなった。

 ずっと喋ってみたいと思っていた。本当の自分は無言のつまらない人間ではない。本当の自分はこれじゃないとずっと思っていた。

 普通に憧れていた。 

 普通になりたかった。

 ……でも勇気を出していざ喋ってみたら、別にそんなに感動なんてなかった。呆気なかった。別に嫌われてもない。ずっとみんなに嫌われてると思っていたけど。

 呆気なかった。

 何だか気分が晴れなかった。

 

 ――俺は、もしかして最初っから一人が好きなんじゃないか?


 本当に寂しいのか?


 言うほど寂しいか?


 言うほど誰かと一緒にいたいか?


 一人でもよくないか?

 

 そんなに駄目か?


「――どう? 俺のカチカチ。ちょっと早くなった?」


 小池君の声が俺の思考を引き裂く。

 みんなのカチカチの違いなんて全く分からない。そもそもカチカチって何だ。資格になるのか。就職の役に立つのか。意味はあるのか。そもそも就職したから何だ。幸せになるのか。

 そもそも、なんでみんなカチカチしてるんだ?


 ――ていうかなんで俺の周りに人が13人もいるんだ。


 俺が哀れだから? さっきクラス皆の前であんなにきょどって謝ってたから、それがあまりに可哀想で集まってきてくれたのか? 介護的な?


「俺小池君にさっき死ねって言ったのになんでまだいてくれるの? 嫌いになってないの? もし俺に死ねって言った奴がいたら、俺はすぐそいつのこと嫌いになってそのまま一生関わらないけど」

「え」

「なんでいるの? 俺のことが哀れだから? 逆にそうじゃなかったら何。何でここにいるの。おかしいでしょ。早くどっか行け。え? ていうかみんな何? なんでカチカチしてるん。俺別にカチカチのこととか一切詳しくないし。カチカチってそもそも何だよ」

「いきなりどうしvtvjs目jfぁcJヴィRcgbmd㎝v毛svk、G背jfwhdtjfgvch、絵fvファmslgへrうgへtgじぇfghjtvvgjsdsfhうぇあうfhrつhdjふぇvg日rcgjさwrhふぇうkshgtjhbtfj目SdghれfghrgjれcJ話FwじぇrJ毛rjg背jgjfhtrjgrjでhふぇfhgjhjれjfhghgjhtjrjふえhghthrtdじぇfjrhgthcふぇhふrhgbtfgcjdsjfへsfhsふぇfvhvrgじぇgヴぇfじぇjvgscjjふぇxjぎrjhtjjふぃじcじvgjrgjvgjvgjrfvcSXmcJBFんhvjcdンsddchんdcgvhbxvchsbgbtdjvkfmdscghgvhcdsfjdwkfcjxfzsンdvfh微づygfyfdxsfじぇksjんmっすdsxdfbっぐjjjふhhcgふぇwbgdwchxjcrgvjchjjfんhxせchdhfkhcふぇjfjfhvrgへちぇれhthbjヴぇwhfhrfhヴぇchghふぇhfcrgjg

 

 俺には価値が無い。

 だからシャーペンをカチカチするんだ。


 でもシャーペンをカチカチしない可能性もあったのだ。シャーペンをカチカチしていない自分も存在しているのだ。


 俺は自分のことが嫌いだ。


 でも、俺は自分のことを好きになれるかもしれない。好きになっていいのかもしれない。

 俺は俺でしかない。

 俺は俺だ。

 俺でいたい。


 俺はここにいる。小説なんて書かなくてもここに生きているんだ。だからいくら唐突に最終回を迎えてもいいんだ。別に良いことを書こうとしなくてもいいんだ。伝えなくてもいいんだ。面白いこと思いつかないのに面白いことを書こうとしなくてもいいんだ。人を笑わせようとしなくてもいいんだ。自分の気持ちを書かなくてもいいんだ。俺はここにいるんだ。小説なんて書かなくても、ここにいる。

 俺はここにいていいんだ。




 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。

 おめでとう。




「ありがとう」


 


 ―完―



































------------------------- 第14部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

真:最終話 前編 


【本文】

 気が付くと、俺は立っていた。


 ――教室で教習生たちのカチカチを指導してたところまでは覚えている。


 だが、それ以外何も分からない。頭がこんがらがって記憶が無い。

 寝起きのような感覚。

 全身がぼやけている。目から頭に入る情報が全部ぼやけている。

 しばらくして、それが見覚えのない場所だと気付いた。

 汚い・狭い・臭い・暗い・寒いのファイブツールが揃ったクソ部屋。ファイブツールプレイヤー。

 俺の部屋じゃない。

 どこだここ。

 誰の部屋だ。


「……」


 ようやく意識が覚醒してきた。だが頭が痛い。知らない場所にいる恐怖を頭の痛さが悠に上回る。正常に思考が働かない。それでも、俺が何故か右手に一本シャーペンを握っていることだけは分かった。それが分かると少し楽になれた。


「……」


 頭痛に耐えながら部屋を見渡すと、狭い部屋にはゴミが散乱していた。そのゴミに混ざって、多くの小説や漫画が床を埋め尽くすように転がっていた。本棚に入れないのか。

 ただでさえ狭い部屋がさらに狭く見える。

 全体的に汚い。小さいテレビは埃を被っている。俺の足元のゴミ箱からは異臭が漂う。だが、馴染みのある異臭だ。ゴミ箱に直接出してるのか。俺以外にそのタイプがいたとは。

 部屋が暗い。カーテンは閉めきってある。隙間からしか光は入ってきていない。この日差しの感じは朝か。

 日差しがあっても寒い。頭痛。車が通る音がする。鳥が鳴く声がする。嫌な音。朝。学校に行かなきゃ。今日も行かないと。あーめんどくせえ。あー死にてえうんこうんこうんこ。だるい。

 朝というだけで、耳や目から入る情報の全てが俺の頭をしっちゃかめっちゃかにさせる。今までそうだった。

 でも、今はそれが不思議と全く無い。

 俺は近くにあったストーブをすぐに押すが、給油のテーマがコミカルに流れるだけだった。ちゃんと灯油入れろよ。

 そして、一番見たくないものが、部屋の隅にあった。今まで無意識に視界に入れていなかったもの。

 ――ベッド。

 人が潜っているのだろう。布団が盛り上がっていた。布団が生き物のようにゆっくり上下している。幸い、寝ている。頭も布団を被っているから姿は見えない。だが、なんとなくそれが男であることは確信できた。ゴミ箱から出る異臭が決め手だった。

 それだけではなく、何だかこれは“俺の部屋”に似ている。

 間取りは全然違う。

 部屋の閉塞感。給油になっても灯油を入れない。カーテンを閉め切る。小説や漫画を本棚に入れずに床に散らかす。

 そういった根底の部分が似通っている。

 この部屋にいるのが俺でないにしろ、まともな人間ではないのは分かる。


「……なんで」


 数分して冷静になっても、なんでこんなところに自分がいるのか全く把握できなかった。恐ろしい。嫌悪感が募るだけだ。早くここから抜けよう。どこだここ。もうこんな場所にいたくない。きしょい。

 俺はすぐにここを出ようとした。

 だが、どうやってここに来たのか分からないから、怖くて動けなかった。何もわからない。

 そのまま立ちすくむ。

 寝てる人が起きる前に行動しないとまずい。でも、何故か一歩も動けなかった。頭が痛い。頭痛が俺の身体中を縛っているような気がする。

 そのうち、ベッドのふくらみの中で、目覚ましが大音量で鳴ってしまった。

 俺は全部諦めた。

 溜息が出た。


 ◆


「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ゴルァ!!!! アアアア糞がよぉ! 死ぬ!!! 死ぬ!! ガアアアアアアアア!!! ヴァアアアアアアアアアアアア!!」


 俺は慄然とした。

 寝起きに叫ぶところまで、俺と被っている。しかも、叫びのスタンスがほぼ同じ。

 どういうことだ。

 俺が疑問を抱いたのとほぼ同時に、その人物が布団を剥いでベッドから起き上がった。

 思考を介さず目だけ合う。


「え」

「え」


 俺は驚いて床にへたりこんだ。俺と目を合わせた人もベッドにへたりこんだ。

 俺と目が合ったのは、俺だった。


「あ、え、え、な、うぇ、え? なん……えぇ? え? あ、え?」


 “俺”はベッドにへたれこみ、瞬時に布団で顔を隠してよく分からない言語を小声で矢継ぎ早に発した。さっきあんな猛々しい叫びをあげて起きていたのが信じられない落潮。

 それを俺は床から茫然と見ていた。

 少し引いた。


「大丈夫ですか」

「……」


 俺が思わず声を掛けると、“俺”は一言も発さなくなった。

 ただ布団で顔を隠しているだけだ。

 そのまま五分くらいが経った。

 “俺”は何も言わない。

 あまりに何も言おうとしないから、俺はフランクに話題を提供した。


「なんでゴミ箱に直接出してるんだ。この部屋臭いよ」

「……」


 依然何も言わない。この無言感、本当に俺みたいだ。

 だが、当然の反応だ。起きたら突然人がいたらびびる。


 でも俺はそんなにびびってない。一体なんなのか。

 そもそもどうして俺はこんな部屋にいるのか。

 目の前にいる奴は俺なのか?

 だとしたら、なぜ俺なんだ?

 誰だ……?


 それに、今ようやく気付いたが、世界が普通に明るい。さっきまで10時10分で止まっていて真っ暗だったはずだが。何もかも分からない。分からない。全部分からない。謎。

 とりあえずこいつと喋らないことには始まらない。


「……どうして、ゴミ箱に直接出すんだ?」

「……」


 彼は布団で依然己を隠している。バリケードのようにピンと張られた布団がぶるぶる震えている。俺は今、何も怖くないのに、“俺”は人を怖がっている。見ているこっちが悲しくなる。


「どうしてゴミ箱に直接出す?」

「……」


 言わない。

 三回聞いても言わない。布団が震えている。

 大抵ならここで会話を諦める。それか話題を変える。だが、これが本当に俺なら、聞き続けた方がいい。

 百回でも千回でも一億回でも不可説不可説転回でも聞いた方が良い。

 永遠に聞き続ければいつかは答える。目の前にいるのが俺なら。

 俺はもう知っている。俺が本当は喋れることを。勇気を出せば声が出ることを。ただの人間だということを。

 だから何回も聞く。


「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

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「……」

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「……」

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「……」

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「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「……」

「どうして、ゴミ箱に直接出すんだ」

「母親に……」

「うん」

「……一回母親に普通に見られて、それ以降ゴミ箱に出すことに抵抗が無くなった。行為そのものを普通に見られてるなら、別にゴミ箱に出すくらいどうでもいいと思った」

「何を見られたんだ? 隠さなくていい。自分を閉じ込めなくていい。言っちゃいけないことなんてこの世には一つも無いんだ。恥ずかしいことなんて何もない。だから言おう。何もかも全部俺に言ってくれ。無礼講だ」

「……」

「何を見られたんだ。正式名称を含めて、言い直してくれ」

「半年くらい前母親にオナニーを普通に見られた。それ以降、ゴミ箱に直接出すことへの抵抗が無くなった。オナニーそのものを見られてるなら、別にゴミ箱に直接出して、部屋が臭くなろうがどうでもいいと思うようになった。オナニーに関する感情を失った」

「どうして母親に見られたんだ」

「……イヤホンしてて、部屋に入られたことに全く気付かなかった」

「話してくれてありがとう。今の言葉ではっきり分かった。“君は俺”だ。確認にもう一つ聞くが、何か月か前にオナホールのパッケージも母親に見られなかったか?」

「見られた」

「場所は?」

「洗面所」

「見つかった時どう思った」

「オナニーそのものを事前に見られていたから、そんなにダメージ無かった。半日したらどうでもよくなった」

「差し支えなければ、オナホールの名前を教えてくれ」

「初々しい妹」

「……嘘だろ。完全に……俺と人生が一致している?!」


 俺は全身が震えた。総毛立った。

 間違いなく俺だ。

 目の前にいるのは間違いなく、俺だ。俺自身だ。母に直接オナニーを見られた数か月後に初々しい妹のパッケージを洗面所で見られた人間なんて日本に数える程だろう。完全に俺だ。全部が俺だ。


「……」


 やがて、彼は布団のバリケードを取り、顔をこちらに向けた。

 その顔はやはり俺そのものだった。

 目が合った。

 鏡を見ているようだ。

 だが、やがて“俺”が先に目を逸らした。


「質問していいですか」


 俯いた“俺”が今日初めて自発的に喋った。俺は少し驚いたが、“俺”の変化にほっとした。


「名前はなんていうんですか?」

「山田」


 俺は即答した。

 すると、“俺”は一瞬だけ少し驚いたような顔をして、すぐ真顔になった。そして、再び淡々と声を並べた。


「下の名前は?」

「……」


 俺は、その質問に答えることが何故かできなかった。下の名前……。下の名前?

 下の名前。

 下の名前。

「」

 下の名前――に関する記憶が無い。俺は、自分の下の名前を答えられない。どうして答えられないんだ。どうしてだ?


「……ごめん、全然思い出せない」

「……分かった」

「あ、じゃあ、そっちの名前は?」


 と、俺が訊ねた瞬間だった――。


『Unknownー! 起きないと遅刻するよー!』


 一階から、母親の声がした。俺が知る母親の声。

 Unknown。俺とは全然違う名前。


「俺の名前は、Unknown」

「そうなんだ」


 俺はあたふたしてしまった。頭の中で整理が付かなくて、何が何だか分からなくなってきたのだ。

 俺がそうしていると、“俺”の方まで動揺し始めた。


「……ごめん。ちょっと下行ってくる」


 Unknownはそう言い残して、部屋を去った。声が小さすぎて何を言ってるのか分からなかった。

 しかし、さっきゴミ箱に直接出す理由を何万回も聞いたことで少しは打ち解けられた実感がある。

 何もすることが無い。

 俺の右手にはシャーペンがある。

 シャーペンをいじって時間を潰した。


 ◆


「――ごめん、俺、学校行かないと」


 五分くらいして、部屋にUnknownが戻ってきて、呟いた。声が小さくてなんて言ってるのかよく分からなかった。

 造形が全く同じで変な気分になる。

 Unknownはそのまま床を見て数秒固まり、やがて無言で部屋を去った。


 俺はどうすればいいのだろうか。


 しばらくそのまま部屋にじっとしていたが、結局Unknownを尾行することにした。あれは他人ではない。完全に俺だった。ていうかあいつはよくあんなに冷静でいられるな。普通起きて自分が増えてたらもっと動揺しないか?


 俺はゆっくり部屋を出て、階段を静かに下り、玄関で適当な靴を履いて外に出た。幸い誰にも見つかることは無かった。


「……」


 家を出る。辺りは全く知らない場所。

 そういえば、俺はどこに住んでたんだっけ。

 思い出そうとするが、何故か記憶が無かった。色々あって頭がおかしくなっているのかもしれない。


 俺は学校の制服を着ていた。


 しばらく辺りを見渡すと、通学・通勤中の人や自転車に混ざってふらふら歩く私服のUnknownを見つけた。全く知らない場所。Unknownを見失ったら行動できない。俺は歩くスピードを上げて、距離を詰めた。

 Unknownのすぐ後ろについた。

 しかし、彼がそれに気付く気配は皆無。下を向いて歩いている。ほとんど全ての人に抜かされるほど遅いスピードで歩いている。その姿から負のオーラが漂っている。

 それでも、やがて駅を前にすると、Unknownは少しの間立ち止まり、結局駅の中に入って行った。

 人に混じって改札を抜けていくUnknown。

 俺は適当な切符を買って改札を抜けた。

 まずい。

 人が多すぎて見失ってしまった。

 と思ったら、Unknownは構内の端の椅子に腰かけてぼーっとしていた。

 ひたすら空気中をぼーっと見ている。人が流れていく。

 俺は遠くからじっとその様子を見ていた。気がつくと、二時間くらいそうしていた。


 そこで俺は気がついた。


 Unknownが学校に行ってない。


【後書き】

何度も最終回を迎えてきた本作ですが、ガチで次話で最終回です。今回はガチです。綺麗さっぱり終わります。


------------------------- 第15部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

最終話


【本文】

「学校行かないのか」

「……」


 二時間が経過した頃、俺は椅子に座るUnknownに思わず接近して声を掛けた。朝でも昼でもない半端な時間。もう駅はだいぶ空いている。学生らしき人間はほぼ皆無。

 Unknownは俺の存在に気付いていたのか驚いた様子はない。流れるように俺の顔を一瞥したあと、流れるように俯いて深刻そうに呟いた。


「ここ最近、一週間くらいずっと無断欠席してる」


 さっき俺がゴミ箱に直接出す理由を数万回聞いていたからか、彼に緊張した様子はなく、流暢に返答した。

 すっかり打ち解けた。

 人間と打ち解けるためには、ゴミ箱に直接出す理由を何万回も聞くだけでいいのか。なんだ。その程度のことで人間と人間は親しくなれるのか。今までの十数年間の悩みは何だったんだ。

 俺は衝撃を受けた。


「そうなんだ。無断欠席界の貴公子だね」


 俺もこの人に対しては、何故か全く緊張が無かった。


 ◆


「それより、俺は今のこの状況が理解できない」


 俺が二人いる。

 学校どころではない。

 この駅も知らない場所。

 持っているのはポッケの中のシャーペン一本。携帯も無い。


「俺にもよく分からない。あなたは誰なんだ。何歳?」

「山田。17歳。高三」

「俺の一個下か。何処から来たの?」

「教室にいたはずなのに、気付いたらあの部屋に立ってた。それ以外は、全然思い出せない」

「記憶喪失?」

「いや、今までの記憶はちゃんとある。謎なのは、どうしてここにいるかってことだけ」

「……余計分からないな」


 そう言って、目の前の男が溜息をついた。

 俺の一個上ということ以外、何も分からない。

 万事休して、その場で固まることしかできなかった。

 それからしばらく経った時、Unknownの全身が突然びくんと跳ねて、均衡が破れた。


「うわあ最悪だ。学校から電話がかかってきた。電源切っとけばよかった」


 ポケットから携帯を取り出す手が震えている。

 そのまま彼は人差し指と親指でつまむように携帯を持って、画面を凝視し始めた。まるで汚物を扱うように見えた。


「出なくていいの?」

「絶対出たくない」


 彼はそう答え、手を震わせながらずっと画面を見ていた。

 それから一分くらいが経ったが、未だに携帯はぶるぶる震えていた。


「早く切れろよ……」


 彼の願いは届かず、携帯の振動が全然止まない。

 さらに一分くらいした時、ようやく学校側は彼とのコンタクトを諦めた。これだけ長時間振動する携帯を見たのは生まれて初めてだ。

 こいつ本当に一週間無断欠席してるのか……。

 俺は嫌でも学校に毎日行ってるのに。


「……」


 彼は携帯の電源を切り、ポケットにしまい直した。その顔が蒼白になっている。呼吸が荒くなっている。きっと色々考えるところがあるんだろう。俺からは彼が何を考えているか分からないが、多分色々考えている。この人も大変だな。

 俺は話題を振った。


「そういえば、さっきまで時間が10時10分で止まってた。電車に乗ってたら突然辺りが真っ暗になって、何も見えなくなったんだ。でも、気付いたらあの部屋に立ってて、時間も動いていた」


 彼は俯いている。十秒くらい経って、尚も俯きながら返答した。


「そうなんだ。今は10時半くらい。他に何か手がかりみたいなのは無い?」

「あとは、何でか分からないがシャーペンがポケットに一本ある」

「シャーペン?」

「ああ。紹介が遅れた。俺は、天下無双のシャーペンカチカチプレイヤーだ。よろしく」


 右手を差し出してそう言った途端、彼は勢いよく顔を上げた。その顔は茫然としていた。青天の霹靂を食らったみたいな顔だ。そのまま彼は目を見開いて俺の全身を凝視してきた。様子がおかしい。

 そのまましばらく凝視された。しばらくすると彼は何かに納得したような顔をして、俺の右手を静かに握る。握手したその手が震えている。

 震えた手のまま、彼は呟いた。


「もしかしたらと思ってたけど、今の言葉ではっきり分かった。君が誰なのか、どこから来たのか、全部分かった。ちょっと着いてきて」

「え」


 ◆


 その後、すぐ彼に連れて来られたのはネットカフェだった。

 駅から徒歩十分くらいの場所にあった。

 その間、互いに言葉を発することはなかった。俺はこの人に聞きたいことが沢山あるはずなのに、声を出そうとすると喉に詰まって出てこない。

 なんとなく、聞かない方が良いような気がした。

 彼も、俺に一言も言おうとしなかった。

 そのままネットカフェに辿り着く。俺は一つ疑問に思って呟いた。


「あれ、俺今何も持ってないよ。身分証明できるもの。こういう場所って会員にならないと使えないんじゃ……」

「俺影薄いから二人同時に入っても絶対ばれない」


 ばれるだろ。

 と思ったが、全然ばれなかった。悲しかった。


「席はどうなされますか」

「あ……えっと……に、29……」

「19番ですね。ごゆっくりどうぞ」


 ちゃらい男の店員がUnknownに伝票を渡した。

 明らかに俺とUnknownが二人で入ったはずなのに、店員は気付かない。

 伝票を持ったUnknownについていった。俺はネットカフェに来るのは初めてだ。

 彼は何事もなかったように19番に入っていった。声が小さいのが悪い。

 俺も続けて入る。

 本来一人しか入れない空間に二人入ると狭かった。

 一人掛けのリクライニングチェアに彼が座り、俺は後方に突っ立った。これから何をするのか何も言われていないので、そうする以外なかった。


「これから俺が言うことは頓珍漢なことだから、信じられないかもしれない。俺も驚いている。でも、明らかに被りすぎてる。全部同じなんだよ」


 彼はパソコンの画面を見ながら無機質な口調で呟いた。

 俺は何も飲み込めず、とりあえず質問をする。


「何が同じなんだ?」

「俺が書いた小説の主人公と、君が」

「は?」

「本当に同じなんだよ」


 彼はそう言ってキーボードを軽快に叩き始めた。

【小説家とやりたい】と打ち込んで、エンターキーを叩いた。


 バシコーン!!!!!!!


 こいつエンターキー滅茶苦茶強く叩くタイプか。俺は優しく叩く人が好きだ。と思いながら画面をぼーっと見ていると、今度はそのサイトにアクセスした。サイトの名前からして小説投稿サイトらしい。今度はそこから、【シャーペンカチカチ無双】と打ち込んでエンターキーを叩いた。


 バシコーン!!!!!!!!!!!!!!


 検索結果1件。

 そこまでしたところで彼がゆっくり立ち上がり、俺の目を見た。


「これ、最近まで俺が書いてた小説なんだけど、読んでみてほしい。何言ってるかよく分からないだろうけど、とにかく読んでみて。途中で書くのやめてるから、多分ちょっとの時間で読める」

「あ、分かった」

「そういえばこのサイト知ってる? 小説家とやりたい」

「知らない」

「そうか。まぁいいや。――ちょっと俺には行かなきゃいけない場所があるから。行くよ」


 そう言い残して、彼は足早にブースから出ていった。

 そして便所に向かった。

 いや、学校だろ。お前が行かなきゃいけない場所は。


 ◆


 それから二十分程度でシャーペンカチカチ無双を読み終えた。

 読み終えて、Unknownがこれを読めと言った理由は全部分かった。

 たしかに、何もかもが“俺”だった。

 考えたこと、やったこと、出てくる人物、喋った内容、言われた内容。何もかもが俺の記憶と同じだった。

 俺は下の名前を思い出せないのではない。下の名前なんて最初から存在していないのだ。住んでいた場所を思い出せないのも、元から住んでいた場所なんて無いからだ。何も思い出せないんじゃなくて、最初から無いんだ。何も。

 それが分かると少し泣きそうになった。

 悲しいわけではない。虚しいわけでもない。ただ頭がパンクしそうだ。脳のキャパシティを越えている。

 俺は誰なんだ。


「……」


 最後まで読み終えて茫然としていると、やがて後方から足音が近づいて来るのが分かった。俺は身構えた。

 予想通り、足音は俺のすぐ後ろで止まった。


「全部読み終わった?」

「うん」


 後ろからの問いかけに、パソコンの画面を見ながら答える。

 返事をすると、それからUnknownは一言も発しなくなった。元から失われている言葉が更に失われたのだろうか。

 三十秒程沈黙が続いて、気まずくなってきたから、俺はUnknownに質問した。


「これ、なんで7話で止まってるの? 明らかにまだ話の途中なのに」


 ごめん、と前置きしてから、Unknownが言った。


「ぶっちゃけなんかもう7話の時点で書くのが嫌になった」


 シャーペンカチカチ無双は7話で更新が停止している。もう何ヶ月も書かれていないようだ。


 7話 鉄筋コンクリートに怯える

 思っていたことが何もかもうまくいかず、全員にカチカチを見られて情けなく電車に乗って早退し、最終的に不登校になるのを決意する話である。

 俺にとってはまるで世界が終わったように感じた日。


「あ」


 頭で整理しているうちに“それ”に気が付いて、俺は思わず声を漏らした。


「突然暗くなって時間が止まったんだ。俺が無断で早退して、電車に乗ってる時――」


 俺は今まで自分のことを人間から生まれたただの人間だと思ってきた。今もそう思っている。だが、言葉だけが事実を伝えるために溢れるように出てきた。冷静だった。


「俺が居た世界の時間が止まったのは……この7話が終わった瞬間からだ」


 俺は椅子に座りながらゆっくり後ろに振り返り、Unknownに呟いた。

 彼は何を考えているのか分からない無表情をしていた。その顔を見ながら続けた。


「電車に乗って時間が止まったあと俺は、佐藤っていう人と一緒に学校に戻った。それで久保と話して、久保にシャーペンを貰って、教室の扉を壊して中に入った。そのあと勇気を出してみんなに今までのことを謝った。でもみんなは全然俺がしたことなんて気にしてなくて。全部俺の自意識過剰だったんだ。俺が一人で勝手に終わってただけなんだ。みんな本当に俺のことなんて何とも思ってなかった。嫌ってなかった。久保もシャーペンくれるいい人だった。そのあとクラスの何人かと話してみたけど、別に思ってたような感動は無かった。ずっと人と話すことに憧れてたけど、多分俺は本当は一人が好きだったんだ。それに気付いたあと、なんか突然ここにいた」


 そう。気付いたらUnknownの部屋に立っていた。


「……そういう話は書いてない。俺が書いたのは7話まで。それで終わり。途中でもなんでもそこで終わり。それ以来何も書いてない。もう何ヶ月も何も書いてない。小説を書くこと自体馬鹿馬鹿しくなった。結局全部作り物だから。小説なんて全部時間の無駄だよ。パソコンの前で一人でカタカタ文章打って、それで何がどうなる。目の前の嫌なことは何一つ消えない。嫌なことを小説の中の俺にどんなに乗り越えさせたって現実は何も変わらない。嫌なことは永遠に消えない。まず俺は生きること自体向いてないわ。女子更衣室に生まれたかった。

 ていうか小説とか全部うんこだ。例えば、村上春樹の小説ってセックスばかりしてるけど、実際に書いてるのはダンディ気取ったじゃがいもみたいなスワローズファンのおっさんなんだよ。おっさんが書いた小説を好きになるってことは、おっさんの指を好きになるってことだと思っている。もし文庫本を買ったら、それはおっさんの指の動きを何百円かで買ったってことだ。おっさんのタイピングで生まれた、ただの字の集合体。小説の中の世界に入りたいと思うのは、つまりおっさんの指の中に入りたいってことだよ。かなり馬鹿馬鹿しくないか。それに気付いてから小説読むのが超苦痛になった。まあ村上春樹の小説一冊も読んだことないけど。村上春樹に限らず、どんな小説も全部現実の人間の指のタイピングから生まれてるんだ。都道府県のどこかに属してる人間が一人で部屋にこもって間抜けな体勢でカタカタ打ってるんだ。それは絶対だ。どんな小説もみんな同じだ。生まれ方に差なんて全く無い。ベストセラーもネット小説も同じ。結局何が言いたいかというと、現実には良いことなんて何も無い。小説の世界は何もない現実から生まれてる。現実にいいことがあれば、小説みたいな架空の世界を作ってまでいいことを起こす必要が無い。現実には何もない。小説みたいに起承転結が無い。何も見えない。どれが合っててどれが違うかなんて一つも分からない。ただぼやけた将来があるだけだ。でも俺も19才になってちょっとだけ見えてきた。うんこ色の未来が。このままいったら多分うんこに染まる。まあそれでもいいかと思ってる。今まで特に良いこととか無くてもそれなりに生きてるから」


 Unknownがよく分からないことを、抑揚のない声でぼそぼそ呟いた。蚊より声が小さかった。なのに話が長い。

 俺は彼から目を逸らして、前のパソコンの画面を見ながら、全く別のことを喋った。


「そういえばなんか、時間が止まってからいきなりコミュニケーションに支障が無くなったよ。人が全然怖くなくなったんだよ。本当に別人みたいになっちゃって。人とも余裕で話せた。人格自体変わったような気がした。多分それって、小説っていう枠から外れたからなんじゃないかと思う。今考えると」

「俺が小説書くのをやめた瞬間、設定が意味を持たなくなったのか。まぁよく分からないけど、小説とか全部うんこだよ。麻痺させるためのものでしかない。何も無い自分を麻痺させるだけの存在だ。うんこうんこ」

「……」


 思案した。

 俺が本当に小説の中の人間だとしたら、俺がコミュニケーションを取るのが苦手なことは性格ではなく設定だ。

 だから小説としての世界が終わった瞬間、小説としての俺の人格が変わったのではないか。設定が振り払われて、あの世界に生きる俺としての本当の人格がああして現れたのだ。

 という仮説を立てた。

 本当に合ってるかどうかなんてどうでもよかった。

 大事なのは俺が俺の中で納得に近づけるかどうか。

 自分が小説の中の人間だなんて、非現実的で、最初から受け入れられるわけない。それでも、もう受け入れるしか道は残されていない気がした。俺は、自分の下の名前も、住んでいる場所も、小説の埒外の出来事も、何も思い出せない。最初から何一つ無いからだ。記憶や思い出は無い。

 何も最初から無いから、次第に、俺の頭の中にもやもやが広がる。

 それは徐々に怒りのような形になる。


「ていうか小説書くのが馬鹿馬鹿しく感じるなら、なんで小説なんて投稿してるんだよ。大体俺の前でうんことか言うな。勝手に作られて勝手に馬鹿にされるって何だよ」

「ごめん。本当は寂しくて書いただけだ。別に何もうんこじゃない。村上春樹最高。村上春樹に掘られたい」


 その小さい声を聞いて、怒りがどこかに消えた。瞬時にどうでもよくなった。

 俺は別のことを喋った。

 聞くまでもないことを聞いた。


「……“俺”が今までの生活の中で嫌だと感じてたこととか、苦痛とか、悩みとか、その全部は最初から何もかも他人に用意されて、仕組まれてたことなのかな」

「そうだよ。7話まで全部“俺”が一人で書いたんだから」


 即答された。

 不思議な気分がした。

 俺の今まで感じたあらゆる苦痛は、俺だけの、俺にしかないものだと思っていた。

 でもそうではなかった。

 俺の生活における全ての懊悩は、人から分け与えられたものだったのだ。

 俺は孤独に悩んでいた。だが、俺が今まで感じていた孤独すら、俺の目の前の一週間連続無断欠席糞野郎、Unknownから分け与えられた概念なのだ。

 俺の孤独は、Unknownから分けられた孤独。

 つまり俺は、俺の人生は、物語が始まった最初の一行から一人なんかじゃなかったのだ。


「俺今まで仲の良い友達とか全然いたことないけど、もしかしたら友達ってこういう感じなのかな」


 俺はパソコンの画面を見たまま、脈絡なく呟いた。

 俺は、Unknownに友達がいない人間として作られた。なので当然友達がいない。友達の感覚もよく分からない。

 やがて、Unknownが答えた。


「分からない。冷静に考えたら、仲の良い友達とかいたことないから。ていうかいなくても今まで生きてきた。闇属性として。高校の頃学校嫌で不登校になって、専門学校に進んだ今ですら学校嫌で不登校になったけど、それは俺が闇属性だから、という言葉で全部説明がつく。こういうのはもはやしょうがないと思う。学校が嫌だって気持ちはいくら小説にしても絶対消えない」

「不登校とか甘えるな。俺は学校が嫌でも毎日学校行ってるぞ」

「それは、小説だから」

「現実でもちゃんと行ったほうがいいよ」

「それは分かってる。でも無理。一週間無断で休んだんだ。今更行きづらい」

「まぁ自分の人生は自分の好きにしなよ」


 こいつが学校に行こうとサボろうと、俺には直接関係のないことだ。仮にニートになろうと、俺にはあまり関係が無い。


「そういえば初めてだ。人とこんなに緊張しないで話せたの。多分初めてだ」


 Unknownが後ろからぽつんと呟いた。

 それを聞いて俺は何も言えなくなった。何だか虚しくなってきた。


 俺はふいにパソコンの画面を見た。


 シャーペンカチカチ無双。

 俺のいた世界。その名前。

 形にすればこんなに小さい。わずかな文字数。

 この世界は何も無い現実から生まれた。

 現実にいいことは何もない。

 小説の世界の中にいたはずの俺の生活にもいいことは無かった。良いことは何も無い。

 でも俺は――

 それでも俺は、シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早いのだ。何も良いことなんて無い。劣等感ばかりある。現状に満足したことはない。将来の事を考えると落ち込む。未来が見えない。うんこ色が透けて見える程度だ。嫌な事ばかりが浮かぶ。生きている意味があまり分からない。だから仮に今この瞬間死んだとしても、走馬灯はゴミクオリティだと確信している。それでも俺は、シャーペンをカチカチするのが、この世に生きる全人類の中で一番早い。


 どうして生きているのか。

 よく分からない。


 もう何年かして少し大人になったら、そんなことどうでもよくなるのかもしれない。あと一時間したらどうでもよくなるかもしれない。それどころか、今の段階でもう徐々に生きる意味なんてどうでもよくなり始めているのかもしれない。今俺が脳で考えることの全部を鼻で笑えるくらいになれるのかもしれない。

 でも、“今”の俺が思ってきたことは、全部事実だ。 

 今ここにいる俺が、生きる意味を考えたという事実は、どんなに時間が経っても消えない。


 小説の中の世界の俺は、ずっと生きる意味を考えていた。

 そんなものが最初から無いことも知っていた。


 ああ、学校なんて嫌な事ばかりだ。今日も浮いた。毎日浮いた。浮き輪の擬人化。生活がうんこ。嫌だ。全部に意味が無い。自分に価値がない。何もしたくない。良いことが無い。なのに母親にオナニーを見られたことがある。最悪だ。得る物が無いのに何かを失い続けている。不審者に追われて殺される夢をよく見る。童貞のまま死ぬ気がする。アマゾンでオナホールを買ったあの日、俺の中で一線を越えた気がした。使ったオナホールを洗面所で洗っているとき、鏡に反射した自分を見た。機械のような無表情。なのにどうして性欲はあるんだ。音読でしか声を発さないのに、どうして何時まで経っても感情は消えないんだ。滑稽だ。鏡の向こうでオナホールを洗う自分がゴミに見えた。深夜四時、俺がオナホールを一人で洗っていた最中にも、この世のどこかで誰かが産まれている。おめでとう。今日は君の誕生日だ。

 そんなのどうでもいい。学校めんどくせえ。電車に乗りたくねえ。今日も朝が来る。

 四時になると『おはよん』とかいうニュース番組が始まる。明日が来るのが嫌でまだ寝てない。結局寝ないで学校に行く。眠い。

 学校から帰ってくれば『ニュースエブリィ』。七時近くになると天気予報。ソラジローと木原とガキとその保護者。その空間に奇声をあげて全裸で乱入したい。大声で何度も「まんこ」と叫びながらソラジローをぶん殴りたい。伝説になりたい。だってまた明日も学校だ。教室に入るんだ。ああ。もういいよ。そんなことしても2ちゃんとかで少し話題になるくらいで、何も生活は変わらない。

 明日も明後日も。

 もしかしたら死ぬまで、何も変わらないかもしれない。なんで生まれたんだ。


 何で生まれたんだっていうけど、大体、何がそこまで嫌なんだ。

 そんなに何が嫌なんだよ。いい加減に慣れろよ。充分幸せだろう。世の中見渡せ。戦争飢餓テロ。

 それがないだけ恵まれてることに気付け。

 そうだ。俺は恵まれている。今の時点で幸せなんだ。

 いや違う。そうに言い聞かす時点で何か違うんだ。

 理由なんて分からないけど俺はこの生活が全部嫌なんだ。死のうとは思わないけど、目に映る全部がクソ以下なんだ。心が満たされてないんだ。ぶっちゃけ知らない国の戦争の勝敗より、母親にオナニーを見られたことの方が俺にとっては一大事なんだ。

 今日も朝が来る。色々考えても意味なんて無い。俺は大層な人間じゃない。ただの根暗。ちんちんぶらぶらソーセージ。嫌だ。全部嫌だ。















 ――だけど俺は、シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い。















 シャーペンをカチカチするのが、滅茶苦茶早い。

 そう。シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早いんだよ。俺は!!


 気が付くと俺は、ポケットの外側から、シャーペンの輪郭をゆっくり辿っていた。これがシャーペン。俺のシャーペン。俺だけのシャーペン。ここにある現実。

 輪郭を辿る手を見る。

 ソラジローとか色々なことをぼーっと考えているうちに、勝手に高揚して、叫んでいた。

 全部鬱陶しい。全部壊したい。もう全部。

 俺はもっとやれるよ。


「Unknown。お前さっきから小説がうんこだの現実がクソだのごちゃごちゃ小さい声で呟いてたけど、これから俺が本当の“現実”を見せてやる。現実がクソじゃないことを教えてやる。お前の全てを変えてやる。だから現実を俺に委ねろ。全部俺が変えてやる。俺がお前を変える。だから俺についてこい」

「え!?」

「え!? じゃねえぞクソが。お前、俺を誰だと思ってる。俺は銀河が誇る史上最強のシャーペンカチカチプレイヤー、山田。神に寵愛されし男。物語の主人公。選ばれし者。覇道を歩む者にして、高三の童貞。下の名はまだない。永遠にない。それでいい。何故なら俺は、何故なら俺は――シャーペンをカチカチするのが本当に滅茶苦茶早いからな!!!!! ハハハハハハハハ!!!!!! ハッハッハッハッハッハッハッハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!! ゴルァアアア!!!!」


 俺は椅子から勢いよく立ち上がり、全力で叫んでUnknownの顔を見た。

 何を考えてるのかよく分からないゴミのような顔で突っ立っていた。 

 俺は、Unknownの手首を思いきり掴み、全力で走って一緒にネットカフェという牢獄を抜け出した。

 会計という概念すら超越し、自動ドアを光速で走り抜けていく。ちゃらい店員が何かを言っている気がした。でも聞こえない。今の俺は光。現実をクソから変えてやる。今は小説の中の人間じゃない。誰にも操られていない。俺は、俺だ!

 もう、何にも縛られていない! 自由なんだ!!


「え、金払わないと……」

「金ェ!? そんなの払うな! もういい! お前はもう苦しまなくていい! お前はこれからクソのような現実から抜け出すんだよ! ついてこい! 俺がお前の事全部ぶっ壊してやるから!! ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! ぎああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 俺がUnknownの手首を掴んで走りながら叫ぶ。

 ネットカフェを光速で置き去りにする。そのまま潰れて職を失って死ね! クソ店員!


「お前が一週間連続で無断欠席するほど行きたくない学校はどこだ! ゴルァアアアアアアアアアアアアアア!!! オラアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!! まんこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! 答えろや!!!!! あああああああ!!!!!! 死にてええええええええええええええええええええええ!!!!」


 俺がUnknownの手首を掴んで走りながら叫ぶ。あらゆる通行人が俺をガン見してくる。そうだ見ろ。俺を見ろ。俺をもっと見ろよ。本当の俺を見ろよ。ゴミの俺を讃えて伝説にしろ。あああああああああソラジローぶん殴りたいよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 天気予報に全裸で乱入してソラジローをぶん殴りてえんだよ俺は!!!!!!! それだけが将来の夢なんだよ!!! それ以外は何もねえぞこの野郎!!!!!! はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!?!!? 


「ここ、こ、この横断歩道を渡って、ずっと左に真っ直ぐ行けば、学校」

「声が小せえんだよクソ虫!!!!!!!!!! お前それでも生きてんのか!!!!!!! 生きてるなら一回くらい死ぬ気で声張ってみろやああああああああああああああ!!!!!! まんこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 俺はUnknownの手を離し、赤信号を無視して横断歩道を光の速さで走った。車に死ぬほどクラクションを鳴らされながら。


『あぶねえな! てめえ死にてえのか!』

「うるせえクソドライバー!!!! 今は俺が信号だ! お前が死ね!! お前なんて俺のシャーペンで一捻りじゃボケェ!!!! ファーーーーーーーック!!!!!!! ファックファーーーーーーック!!!!!!!!! ぎええええええええええええええええええええええ!」


 大型トラックの運転手の叫びに対し、中指を立てて、無意識に慟哭を上げていた。天地を揺らすほどの大声。全身の血管が全部ぶちぎれそうだ。体が沸騰したみたいに熱い。ああ、小説の世界の支配から解かれた俺は、本当はこんなにでかい声が出せるのか。

 最高だ。

 俺はそのまま横断歩道を駆け抜ける。

 シャーペンカチカチプレイヤーである、ということを自覚しているだけで俺は強くなれた。

 そのまま叫びながら信号無視した。真の俺は赤信号を超越できる。

 横断歩道を渡り切り、光速で後ろを振り返る。

 Unknownは無表情で突っ立って信号待ちしていた。死ねチンカス!!!

 俺はUnknownを置き去りにし、左に向かって全力で走り始めた。

 ここでようやく衣類に意識が向く。

 今まで毎日着てきた高校の制服。

 着るようにあらかじめUnknownに仕組まれていた制服。着る設定だった制服。

 毎日あんなに着たくなかった制服を、俺は今清々しい気分で着ている。自分の意思で着ている。今は小説の外だから脱ぎたければ脱げる。

 でもこれでいい。これが俺だ。

 生きている。

 俺は今生きているのだ。Unknownではなく俺自身の力で。

 俺は思わず飛び跳ねた。


「生きてる!!!! 生きてるうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!!!! やったあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!! ぎょぎょぎょ!!!!!!!」


 そのまま左に真っ直ぐ走り続ける。奇声を上げながら全力で走る。

 時々後ろを振り返る。

 Unknownが視界に入っては消え、入っては消える。

 それでも速度を緩めることなく全力で走り続けた。通行人にガン見されて、避けられた。野良犬に死ぬほど吠えられた。通報は時間の問題だろう。でもそれでもいい。俺の人生は俺が法律。

 そのまま五分くらい走ると、学校らしき建物が現れた。


「はぁ……」


 ようやく息をつく。

 ずっと全力で走っていたから疲れた。

 この学校で確定なのか分からないから、しばらく校門のそばで突っ立ってUnknownを待つ。

 しばらくすると、Unknownは走ってこちらに近づいてきた。

 俺は大きく息を吸い、天地を揺るがすぐらいの気持ちで叫ぶ。


「専門学校ここでいいのかゴルァ!!!!!!!!!! チンカス!!!!」

「はぁ、はぁ………………こ、ここです……」


 彼は肩で息しながら、かなり苦しそうに頷いた。


「声が小せえええええええええええええええええええええ!!!!!!!!! ここで良いのかよ!!!!!! ああああああああああああああああああん!!!!!!?」

「な、なんで突然……」

「現実が全くクソじゃないってことをこれから俺が教えてやる!! 学校ここでいいのかああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

「……はい!」

「聞こえねええええええええええええええええええええ!!!!  ここで良いのか!!!!!」


 死にそうになりながら俺が叫ぶと、目の前のUnknownが大きく息を吸う。そして、腰を大きく逸らし、死にそうな顔で叫んだ。


「はい!!!!!!!!!!!」

「よし!!!!! 突入する!! ついてこい!!!!!! まんこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 俺は校舎には入らず、校舎のすぐ隣の駐車場に向かって走った。後ろからUnknownが走ってくる。

 一瞬で駐車場に着く。

 そして周りに遮蔽物が無いことを確認し、俺は制服のポケットから一本のシャーペンをゆっくり取り出した。

 それをUnknownに見せつけた。

 Unknownはただ茫然と立っている。


 俺はこっちの世界に来る際、何故か一本のシャーペンを保有していた。


 7話でUnknownがモチベーションを完全に無くし、俺の生きる世界が終わった瞬間、時の流れは止まり、俺に施されたあらゆる設定は無効になった。あれほど苦手だったコミュニケーションに何の抵抗も感じないほどだった。だが、そんな中でも、俺を俺たらしめる最大の設定は失われてしなかった。

 シャーペンはここにある。

 僥倖だ。

 よく分からない色々な理論を超えて、俺はここにいる。

 どうして俺は小説の世界を抜けてここに来たのか。

 それは分からない。答えはない。分からないことを考えても永遠に分からない。そんなことどうでもいい。意味が分からない。

 俺が思うに、これは運命だった。主人公として、こうなる運命だったのだ。

 こいつに、決して現実がクソではないことを教える運命なのだ。その役目は主人公山田である俺にしか全うできない。

 7話で停止した世界をまた動かしていくために俺はここに来たのだろう。

 いや、どうでもいい。何もかもどうでもいい。深く考えなくていい。

 今俺が考えることは一つ。シャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い。それだけだ。


「これから俺が、この学校を全部消す!!! 現実は決してクソではない! 俺は今、小説の中ではなくお前の現実にいる! だから希望を持て! お前はいつでも一人じゃない! 俺がいる! ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 俺は駐車場の中央に立ち、叫ぶ。

 生きている。声が枯れた。

 右手にはシャーペン。

 これから、この学校を全て消す。

 今まで一個の教室の範疇で破壊してきただけに、どのくらいの力でカチカチすればいいのか分からない。決まっている。本気だ。

 俺が全てを賭けてカチカチする。

 理由など無い。

 俺はシャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い。ただそれだけ。

 このカチカチで右腕が損傷しても構わない。

 何故なら俺は、シャーペンカチカチプレイヤーだから。 

 現実は絶対クソではないから。俺がクソから変えるから。


「ゴルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ!」


 ――魂で叫ぶ、俺とシャーペン。

 共振する。俺とシャーペンはいつも一緒。

 体は閃光に包まれる。そして雷が俺の頭上で発生する。何度も何度も雷は俺の頭に落ちてくる。脳がいかれる。脳が溶けて耳からドロドロ流れ落ちる。熱い。走馬灯が走る。母親にオナニーを見られた思い出。浮いた思い出。泣いた思い出。黙っていた思い出。やはり流れるのはクソのような走馬灯。

 それを更なるカチカチで打ち消す。感情はもはや無い。俺はただ生きている。生きているだけ。

 カチカチする右手親指の組織が、ボロボロに引き裂かれ、砕け、血が噴き出す。親指の肉が引き千切れる。神経が剥きだしになる。血が弾ける。神経でカチカチするのは初めてだ。死ぬ。死ぬ。死んだ方がマシだ。痛い。死ぬほど痛い。涙が出てくる。もう嫌だ。嫌だ。死にたい。死ねない。

 やがて嵐が俺の全身を包む。

 俺の全身に叩きつけられる雨の一つ一つが、弾丸のように俺の組織を破壊していく。

 現実が俺の体を突き抜ける。

 弾丸が止まない。

 俺に叩きつけられるこの弾丸は現実。

 カチカチする右腕が内部でぐちゃぐちゃになっているのを感じる。骨も肉も血も全部が壊れて、混ざらないのに無理に一つに混ざり合おうとして、死ぬほど痛くて、俺の頭にクソ走馬灯を走らせる。オナニー。オナニー。オナニー。おはよん。ソラジロー。オナニー。学校。朝。制服。オナホール。新聞配達。光景。後ろ姿。電車。いつもと同じ。ああ。

 くだらない。くだらない。普通の人生。どこにでもある人生。普通の人。何がそこまで嫌なんだろう。

 分からないけどなんかもう全部が嫌なんだ。満たされないんだ。

 もう小説の支配から解かれた。

 消えたくなっても、全力でカチカチし続ける。

 右腕の中で、剣のように鋭い骨がバキバキ砕けて折れまくって、肉と皮を貫いて、剥き出しになる。暴風が骨に直接当たって刺さる。寒い。全身が寒い。もう死んだ方が良い。死にたい。痛い。もう嫌だ。世界が俺に「死ね」と言っている。生きている価値が無い。痛い。存在が痛い。もう死んだ方が良い。意味が無い。存在自体が痛い。血が出る。体が終わる。

 でもカチカチし続ける。

 現実をカチカチし続ける。

 涙が流れる。

 血が流れる。

 空が裂けて砕けて割れて消える。空が刺さる。空が降りてきて俺を捻り潰す。大地が無になる。大地が全て空へ飛んでいく。空と大地が入れ替わる。平衡感覚が無い。空を飛んでいる。

 景色がぼやける。

 学校なんてもうとっくに粉になってしまってる。

 でもまだ足りない。まだ足りない。全然足りない。俺は教えてやらないといけない。現実が本当はクソじゃないことを。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」


 もう声が掠れきった。

 シャーペンはもう、粉になっていた。

 右腕が丸ごと消えていた。

 泣いた。

 現実との戦いが終わった。


 ◆


 俺は血を流しながら立ちつくし、無い脳で世界を見渡す。

 何も無い世界。

 見渡す限りの地平線。全てが無い。

 青い空。雲は無い。全身に染みるほど青い。優しい風が流れた。

 現実はクソではない。もうクソなんかじゃない。何もクソじゃない。俺がクソから変えた。

 人はいない。

 現実を作る人間がもういない。


「見ろよ。現実がクソじゃないよ。全部終わった」


 俺は呟いた。


「ありがとう」


 後ろから声がした。


 ◆


 それでも前から人がゆっくり数人が歩いてくる。見知らぬ人が俺たちを見て叫ぶ。


「生存者が二人だ!」


 遠くの方から声がする。


 全然駄目だったな。

 やっぱりクソのままだ。人がいる。でも、もういいや。現実はそういうものなんだろう。クソは何をしてもクソのままなんだ。それでも満足だ。


「これで、俺がやりたいことは全部終わった」


 そう言って後ろのUnknownに振り返る。

 相変わらず何を考えているのか分からないゴミのような顔をしている。目が合う。


「俺、7話の続き書くよ。その続きも書く」


 ぽつんと呟かれた言葉を聞いて、俺のカチカチは無駄じゃなかったことを確信した。

 俺は笑った。


「でも、パソコンが無いな」

「いや、何故かここに落ちてる。多分ネットカフェからたまたま一台嵐に乗って飛んできたんだと思う」


 Unknownと俺の間に、ちょうど一台デスクトップ型のパソコンが大地に突き刺さっていた。


「本当だ。でも使えるのか」

「よく分からない。多分使える」


 Unknownが大地にあぐらをかき、電源ボタンを押す。その様子は俺からではよく見えない。ちょうどパソコンに隠れている。

 俺は一歩も歩くことができない。

 現実感が無い。

 夢の中にいる時のように。

 歩こうとしても歩けない。

 気が付くと体はもう全然痛くなかった。右腕も何故か元通りになっていた。

 戸惑う。

 声を出そうとするが、声が出ない。


「――」


 Unknownが何かを言っている。よく聞こえない。どんどん遠くなる。


「――」


 何かを言っている。聞こえないが、キーボードをカタカタ叩いているのは薄ら見えた。

 ああ、パソコン使えたんだ。

 段々眠くなる。

 段々景色が見えなくなる。目蓋が重くなる。目を閉じる。眠りに就く。


 これからどんな未来が待っているんだろう。


 元の世界に戻ったら今の俺はどうなるんだろう。この記憶はどうなるだろう。俺が小説の中の人間だってことは、忘れるのかな。

 何に苦しんで何に喜ぶんだろう。どんな人間になってるんだろう。

 俺の人生は俺自身では何もコントロールできない。

 だからあまり気負わずに、その時を生きていこう。

 何があろうと大丈夫だ。

 俺はシャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い。そして、俺はいつでも一人ではない。いつでも他人が俺の人生を作っているのだ。他人が無ければ俺は無い。他人がいるから現実がある。いつも一人ではない。













 ………………

 …………

 ……

 …












 俺は、揺れる電車の中で俯いて立っている。

 みんなにカチカチしてるところを見られた。耐えかねて無断で早退してしまった。

 もう二度と学校に行けない。

 俺は頭がおかしいかもしれない。電車の中の視線が怖い。人が怖い。

 ああ嫌だ。

 もう不登校になろう。

 思考がぐちゃぐちゃになっている。

 俺には価値が無い。

 学校すらまともにいけないなんて。終わってるだろ。将来どんな大人になるんだ。ニートかな。ニートとか絶対なりたくないわ。でもこのままいったらニートになってしまいそうだ。ああ。もう全部嫌だ。


 でも、俺はシャーペンをカチカチするのが滅茶苦茶早い。いざとなったらシャーペンをカチカチして――。


「あれ……?」


 何故か、俺の手はきつく握られていた。

 それにようやく気が付いた。

 手首を自分の方に向けて、ゆっくり開いてみる。 

 俺の手にあったのは、黒い粉だった。カチカチしたシャーペンの亡骸。なんで俺がこんなもの持ってるんだろう。

 疑問はあった。

 だが、それを見ると、俺の疑問はどこかに吹き飛び、心が満たされるような気がした。理由もなく充足感があった。分からない。意味が分からない。

 だがその黒い粉を見たら、不思議な高揚があった。


 本当に俺はこんな場所で早退して、終わるのか。


 俺はもっとやれる。

 現実と戦おう。

 今ここで家に帰ったら、きっと一生出て来られなくなる。

 俺は粉をポケットにしまった。

 やがて、途中で電車から降りた。

 そのうち学校に向かう方向の電車が来るだろう。それに乗って学校に行こう。また教室に行こう。きっと大丈夫。

 便意を催した俺は、駅の便所に向かい、大便用の個室に入った。そこでうんこをしっていると、横の壁に薄く文字が書いてあるのが見えた。


『さっきは助けてくれてありがとう。今度は俺がお前を助ける番だ。8話以降、神展開が待ってるから早く学校に戻れ。ガチで本当にすごいから。今まで苦しませてごめん。今までをチャラにするくらい、本当に神脚本だから。今すぐ学校戻ってくれ。頼む。


 Unknownより』


 何のことだろう。

 意味が分からない。


 そこから視線を下に落とすと、一本のシャーペンが落ちていた。


 よく分からないが、どうせなら俺も便乗して何か書いておくか。


 俺はうんこをしながらシャーペンを拾い、文字のすぐ下に、自分で文字を書いた。


『行ってきます!』


 俺はそう書いて、床に落ちていたシャーペンを、元の位置に戻した。

 シャーペンを持たずに、便所を出た。

 俺は意味もなく勝手に笑った。





 ◆





 これから8話が始まる。

 どんな展開が待っているのか。

 それはまだ、この世で「Unknown」しか知らない。













 〜シャーペンカチカチ無双 「未完」〜

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シャーペンカチカチ無双 Unknown @ots16g

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