Who has done IT ?

飯田太朗

事件編

 説明しよう。

 缶詰とは作家が部屋に閉じこもり、それ以外の活動を極端に減らして行う執筆活動のことである。

 この日、僕はその缶詰をやりにKADOKAWAの本社に来ていた。最寄り駅は飯田橋いいだばし。僕の名前が……なんて言っている場合ではない。

 〆切を今日の十七時に控えた作品が一つ。進捗三十パーセント。原稿用紙にして残り二百十枚! 現在十時。昨夜ほぼ徹夜だった僕は朝の四時から八時までを睡眠に当て、寝不足でふらふらする頭を抱えながらKADOKAWA本社にやってきた。寝不足で電車に乗るのがどれだけ辛いことか、僕は身をもって知ることとなった。世のサラリーマンはこれを乗り越えた先で仕事をしているのか。考えられん。

 本来、僕は生活リズムを大切にする。

 すなわち「三食摂る」「睡眠時間は六時間から七時間」「週に二日は休みの日を入れる」などしている。だがこの日はその三つとも成立していなかった。その理由が。

「せんせぇ、すみません、印刷所の都合で、〆切少し早くなっちゃったのが三件」

「三件んんんん?」

 そんな「焼き鳥三本」みたいなノリで言われてもだな。

「はい。内一件は明後日〆切になっちゃったんですけど……」

「明後日ええええ?」

 そういうわけで昨日一昨日の丸二日を作品の執筆に当てたのだが、何分調べ物の多い作品だったので思うように進まず……ということで進捗芳しくなく。止むを得ん、一旦調べ物だけと割り切って昨日一日を調査活動に当て、資料をたっぷり鞄に詰め込んで今朝、KADOKAWAの本社にやってきたという次第である。

「先生、会議室Aです」

 本社ビルに着くや否や僕の担当編集の与謝野くんが臨時の社員証を渡してくる。

「お弁当は十二時に運ばせます」

「食べる時間がもったいない。おにぎりでいい」

 果たして、そういうわけで、僕は与謝野くんが押さえておいてくれた会議室Aに行ったわけだが……。

 ドアに作られたスリットのようなのぞき窓。その向こうには社員と思しき人間が何人か、まとまって見えた。どうも先客のようである。

 いやいやいや待て待て待て。僕は今日ここに缶詰しに来たのだぞ。缶詰の環境はもう整っているんじゃなかったのか。何だこいつら。どうしてこの会議室にいるんだ? 

 とりあえず臨時の社員証を会議室のドア横にある端末にかざす。ぴー。エラー音。

 と、がちゃりとドアが開いて中から髭面にスキンヘッドのいかつい男性が姿を現した。僕は訊ねる。

「この部屋使うことになっているんですが」

「え?」

 スキンヘッドは眉をひそめた。

「そんなはずないですよ。朝一のこの時間は私たちが使う予定です」

 その証拠に、ほら。

 と、スキンヘッドが社員証をドアの横の端末にかざした。ぴぴっ。と音がして、認証された。

「予約している社員以外の人間がこれに触れるとエラー音が鳴るんです。ここにいる人間は全員、認証されますよ」

「逆に言うと認証されないということは……」

「この会議室を取れていないということでしょうね」

 さて、そういうわけで。

「おい与謝野くんどうなってるんだ」

 彼女のデスクに向かうと、与謝野くんは「待って下さいね」とパソコンを操作し、すぐに青い顔になった。それから「す、すみません! 会議室A、取れてなかったみたいです!」と頭を下げてきた。僕は返す。

「おいおいおい! どうするんだ?」

「す、すぐに確認しますっ」

 しかし彼女の頑張り虚しく。

「会議室、どこも空いていませんでしたぁ」

 半べそ。泣きたいのはこっちなんだが。

「休憩室とか給湯室とかそういうところでも何でもいい! パソコンを置ける場所さえあれば!」

「そ、そういうことでしたら!」

 どうぞ、と与謝野くんが目の前に両手を広げる。

「……何だそれは」

「私のデスク使ってくださいっ」

 頭が痛くなってくる。

「あのなぁ……」

 と、うんざりしていた時だった。

「きゃあああああ!」

 フロアに響き渡る、悲鳴。

 僕は与謝野くんと顔を見合わせると、二人してその声が聞こえた方へと駆けていった。

 果たして、廊下を曲がった先。

 会議室A。そのドアの近くに。

 女子社員が一人立っていた。腰が引けている……抜けている? 恐怖に歪んだ顔。何だ。何があった。

「だ、誰かっ!」

 会議室の中からはさらに混乱した声が。僕と与謝野くんは駆け寄る。

「どうしましたか?」

 与謝野くんが訊ねる。と、彼女も会議室の中に目をやってすぐに悲鳴を上げた。

「うおっ、ええっ?」

 おっさんくさい悲鳴上げるんだな。と思って僕も会議室を覗いた。その時だった。

 バタン、と音を立てて。

 男性社員が一人、椅子から転げ落ちた。奇しくもそいつは先程僕を追い払ったあのスキンヘッドだった。僕は慌てて駆け寄った。

「おい! おい!」

 ふと、周りを見渡す。

 彼の他にもう二名、床に倒れ込んでいる人間がいる。

 あまりの事態に僕は一瞬フリーズしてしまった。が、すぐに目の前の命だ! と切り替えスキンヘッドの顔を覗く。

「おい! しっかりしろ! おい!」

 と、スキンヘッドと目が合う。

「おい!」

 呼びかける。だが、もう……。

「うそ……」

 与謝野くんの声が聞こえた。

「死んでる……」



 会議室Aの中で倒れていた社員は三人。

 いずれも男性。

 錦織にしきおり清矢せいや三十七歳。

 但馬たじま貴人たかひと三十二歳。

 向田むこうだ智紀とものり三十五歳。

 スキンヘッドはどうも錦織というらしい。見た目に合わず優雅な名前だな、と僕は思った。

 残った但馬と向田もやや特徴のある顔をしていた。但馬は馬を連想させる面長な顔をしており、向田はパグみたいな「困った犬」顔。だが今は三人とも紫色の顔をして泡を吹いている。

 会議室Aにはどうも死人含め六人の人間がいたらしく、生存者が残り三名。女性が二人に男性が一人。

 男性。和田わだ一昌かずまさ。与謝野くんが言うには偉い人らしい。

 女性。久留巳くるみ怜奈れな。与謝野くんが言うにはぶりっ子でムカつくらしい。

 女性。広瀬ひろせ優香ゆうか。与謝野くんが言うにはあざとくて周りの女性社員から警戒されているらしい。

「お、お茶を飲んだらいきなり倒れたんだ……!」

 これは和田一昌。多分ジムか何かで鍛えているのだろう。肩の辺りがパツパツになったスーツを着ていた。まぁ、イケオジの部類なのではなかろうか。

「いきなり、っていうか少し時間を置いてからですけど……」

 そう続いたのは久留巳さん。キャバ嬢みたいに化粧が濃い。目なんてバッチバチである。

「オフィスオアシス(オフィス内にある簡易自販所)にあるお茶です。五十円で買えるやつ」

 あたふたと状況を説明するのは広瀬さん。なるほど、すっぴん風メイク。男心を弄ぶタイプだ。

「警察呼びました」

 与謝野くんがテキパキ動く。

「とりあえず全員ここにいてください。飯田先生も!」

「……僕も?」

 すると与謝野くんがハッキリと頷く。

「ええ。関係者ですから」

「関係者ぁ?」

「ええ。だってこの会議室使おうとしてたでしょ?」

「使おうとしてたって君がとったんだろうが」

 しかもとれてなかったし。そう続けたが与謝野くんは冷静に「現場には入らないでください。保全しないと」と指示を飛ばした。おいおいおいそれ僕の小説から学んだ知識だよなぁ? 事件が起こったら「まず現場の環境を残しておかないといけない」ってやつだよなぁ? 

「とにかく。飯田先生ここにいてください」

「いたらどうなる」

「事情聴取、それから証言を取る作業に……」

「んなこたぁ分かっとる。僕が訊いているのはということだ」

「そ、そりゃこんな事態ですし仕方が……」

「仕方がなくない」

 僕はきっぱりと告げた。

「世の中に僕の作品を待ってくれている人がいる限り僕は作品を送り出し続けるぞ」

「先生、立派な心掛けですが今はそんなこと……」

「そんなことぉ?」

 僕は与謝野くんに詰め寄った。

「大事なことだっ! 何よりも! いいか与謝野くん。僕は何が何でも原稿を上げて〆切に間に合わせるぞ」

 それから僕は振り返って、現場にいた三人を見てから告げた。

「終わらさねぇと終わらねぇだろうがぁ! 警察が来てごちゃごちゃ調べられる前に解決するぞ。是が非でもなぁ!」



 果たして現場検証となった。もちろん状況をなるべく変えずに。

 与謝野くんが給湯室から持ってきた掃除用の使い捨てゴム手袋を嵌めてから調査に乗り出す。まずは死体。僕はスキンヘッドに近づく。

 ふわ、と口から香るアーモンド臭。

 日本の読者の多くが勘違いしているであろうことをここに記そう。アーモンド臭とは、あの香ばしいカリッとしたアーモンドの香りというわけではない。どちらかというと桃のような甘い香りだ。市場に出ているアーモンドはローストされているものがほとんどなのだが、アーモンドは焙煎する前、桃やさくらんぼに似た匂いがするのだ。

 すなわち、僕が目の前にいるスキンヘッドの口から嗅ぎ取った臭いがそれだった。アーモンド臭。そしてこの甘い匂いがする毒は一つしかない。

「シアン化カリウムだな」

「シアン化カリウム……」

 与謝野くんが僕の方を見てくる。

「青酸カリですか」

「ミステリーでよく使われるやつだ」

 僕は忌々しい気持ちになりながら頭上に目をやる。

「推理作家の僕の前で使うにしちゃあ、上出来だ」

「でも、そういえば」

 与謝野くんがふと、思いついたような顔をする。

「青酸カリってどういう作用機序で死ぬんですか?」

「青酸カリは酸性の物質に触れるとシアン化水素を出す。これが毒ガスで、肺から体内に入り各所の組織を壊死させる」

「つまり……」

 与謝野くんがつぶやく。

「飲んですぐ死なない」

「だな」

 青酸カリを経口摂取した場合、まず最初に触れるであろう酸性の物質は胃酸である。逆に言うと胃酸に触れるまでは重篤な症状を引き起こさない。

「何かと一緒に摂取すれば、その分胃酸に触れる時間も遅れますね」

「ああ。だからそこのムキムキマッチョくんが言うように……」

 と、僕は和田一昌を顎で指した。与謝野くんが耳打ちしてくる。

「ちょっと。部長ですよ。偉い人なんですから」

「知るもんか。そのムキムキマッチョくんが言った通りにお茶を飲んで死んだのなら、十中八九お茶に毒が混ぜられていたんだろう」

「でもそのお茶は」

「ああ」

 僕は会議室のテーブルの上を見た。ペットボトルのお茶が六本。開封済みのものと開封されていないものとある。開封済みは錦織、但馬、向田が座っていたであろう席(三人が倒れていた場所の近く。会議室入口から見てテーブルの左半分)と、上座に当たる席に置かれていた。

 未開封は二つ。並んで置いてあったので、きっとお茶に口をつけていない人間は隣同士に座っていたのだろう。

「被害者三人はお茶を飲んでいる」

 僕は視線を生存者三名に送った。

「他にお茶を飲んだ人は」

「私です」和田一昌が手を挙げる。「私は何ともないのですが……」

「じゃあ飲んでいない人は」

 僕がさらに訊ねると、久留巳と広瀬の女子社員二人が手を挙げた。

「体冷えるの嫌で、飲み物はぬるいものしかとらないことにしてるんです」

 これは久留巳さん。続いて広瀬さんが口を開く。

「私は今まさに飲もうとしているところで三人が倒れました」

 と、彼女もテーブルに目をやる。

「私正直、緑茶苦手で。だから私のだけほうじ茶なんです」

 言われてみれば。開けられていないお茶の内片方は茶色いパッケージだ。

「お茶を持ってきたのは……」

 僕の問いに広瀬さんが手を挙げる。

「私です。だから私だけ好みのものを持ってこれました」

「お金は……」

「私が出してます」

 和田部長がせせこましく手を挙げる。

「六人分でも三百円とかなので」

 まぁ、こういうところでコツコツポイントを稼いでおくのが上に立つ人間と言うことだろうか。

「なぁ、久留巳くん」

 と、いきなり和田部長が口を開いた。

「君何か知っているんじゃないのか」

「な、何かって何ですか」

「だって君、この間チャットで『錦織の髪型が気持ち悪い』って言ってたじゃないか」

「は、はぁ?」

 久留巳さんが目を白黒させる。

「そんなこと言ったら部長だって『あれは髪型と言うかハゲ型だね』とか言ってたじゃないですか!」

 ってかそれよりも。と、久留巳さんが矛先を変える。

「広瀬さんだって本人の前で『向田、犬面がキモイ』って」

 と、広瀬さんが即座にカウンターを喰らわせる。

「部長も久留巳さんも、但馬さんがお弁当のにんじん食べてたら『馬がエサ食ってる』って彼の目の前で罵ってたじゃないですか」

「醜い争いが始まったなぁ」

 僕は三人の口論を傍で見ながら与謝野くんに訊ねる。

「彼の部署はこんな感じなのかい」

「さぁ。でも、和田さんって鬼上司で有名です。そのくせ女の子には甘いって言うか……」

 典型的なセクハラ親父、か。

 僕はふとテーブルを見る。机上にはさっき言及したお茶が六本。いずれも同じメーカーの緑茶が五本、ほうじ茶が一本。特に目印の類はないのでほうじ茶以外のボトルは区別がつかない。そしてそのお茶群の横には、ティッシュの上に広げられたおかきがあった。テーブルの左半分にあるくずの散らばり方を見るに、食べかけである。僕はそれについて訊ねた。

「このおかきは」

 すると久留巳さんが怒りに眉をひそめながら返してきた。

「さぁ。確か錦織さんが持ってきてたように思いますけど」

「なるほどな」

 僕は目線をついと上げた。

「簡単じゃないか」

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