第2話

 戦は、二年以上続いた。


『イオ、あなたが発ってからひと月が過ぎました。季節は変わったのに、今年はどの花も咲くのが遅いみたい。星の花に五つ葉を見つけたので入れておきます。幸運のお守り。子供の頃、日が暮れるまで一緒に探したわね』

『今日は十七歳のお祝いをしてもらいました。私にとって一番の贈り物は、あなたが無事に帰ってきてくれることです』

『今日は大層雪が積もりました。二十年ぶりの大雪だそうです。昔、雪が降るとよく、うさぎを作って遊んだわね』

『あと三日で十八になります。議会に正式に出られるようになるわ。一日も早く戦が終わるよう、私にできることは何でもするつもりです』


 毎日手紙を書いた。

 ポタリと、便箋の上に涙が落ちる。

出すことのできない手紙が、机の引出しにたまっていく。書かないと自分を支えていられない。彼女が死んだら、と考えただけで、自分が空っぽになる感覚があった。私のすべて。私の命。ああ、これが――。

『彼女は私のすべてを持っていってしまったのだよ』

 幼い私の頭を撫でながら、静かな声で話してくださったフェリクス叔父様。

『愛していた……今も愛している』

 耳に残るその声は、たまらなく切なくて。

『必ず、生きて戻ります』

 そう言ってくれたイオの声は、あの時の叔父様のようだった。

「私、イオのこと……」

 呟いて、胸に手を当ててみる。トクン、トクンと鼓動が返事をした。温かいものが胸の奥に生まれる。彼女が発ってから初めて、私は未来を思った。

 涙を拭いて立ち上がり、唇を引き結んで部屋を出た。私は、ここで戦わなくては。


 十八の祝いの儀は、アルビナの心をひとつにするために必要だと皆に言われ、予定通り行われた。けれど夜の酒宴は取りやめ、議会を招集した。

「兵を出している家の人々は、どうしていますか」

「よく堪えております。不満を申し立てるようなことはございません」

「もうじき二年になるわ。日頃王家に対しては言えない、悲しいことや辛いことがあるでしょう。民の声を聞き、心を知ることがやがて大きな力となるはずです。そのための体制を早急に整えてください。私も皆の話を聞きます」

「王女自ら、そのようなことを……」

「私も大人になりました。何もせずに待っているだけでは、人々はついてきてはくれません」

 提案は通り、国中に周知された。明日から私は、すべての町をめぐり、人々の声に触れ、要望を聞いて、議会で対策を講じていく。


 幼子を抱え、歯を食いしばっている母親たち。弟や妹のために、勉強をやめて働いている子供たち。夫、子、孫、兄弟、恋人――戦地に身を置いている愛する者を想い、眠れぬ夜を数える大勢の人たち。

 国は、民の集まり。彼らがいてこそ成り立っている。町へ出て、多くの想いを受け止めるうちに、私は自分が変わっていくのを感じた。イオに泣いて縋るだけでは駄目。私もイオを守りたい。

 手紙の最後には、必ずこう書き添えるようになった。

『あなたを愛しています』


 それでも、一人になると悪いことを考えてしまい、涙を零すこともあった。愛しい人と離れて、ちょうど二年と六か月目の晩も、そうだった。寝室に籠もり、声を殺して、あとからあとから溢れる涙を拭っていた。

「何を泣いているのですか」

「夢を見たのよ……イオが、行ってしまうの……」

 扉の外からかけられた声に、誰とも確かめずに答えた。

「これは異なこと」

「……え?」

 笑いを含んだその声は。二年半前よりずっと落ち着いているけれど。

「イオ?」

 私の声は頼りなかった。まだ夢の中にいるのかもしれない。

「あなたを置いて、私がどこへ行くと?」

 扉の向こうから現れたのは、たった一人の私の恋人。鎧を脱ぐことも、剣を置くこともせず、帰り着いて真っ先に会いにきてくれた。

「イオ、お帰りなさい!」

「エラ様……お元気そうでよかった。私の姫……私だけの……」

 自然と重なる唇。二人の涙が溶け合い、吐息が混ざり合っていく。

「愛してるわ……あなただけなの」

 幼馴染で親友で、姉妹のようで、けれどそれだけではないのだと伝えたくて、瞳に精一杯の想いを込めた。

「私の立場で、到底許されないことではありますが……エラ様、私もあなたを、ただ一人の恋人として想っております。もう、ずっと以前から」

 きつく抱きしめられ、口づけが深くなっていく。その時、床にはらりと何かが落ちた。見ると、文字がびっしり綴られた便箋を折りたたんだもの。彼女は、同じものがたくさん入ってはみ出しているポケットを見せた。私の名前が読み取れる。

「イオ、もしかして……」

「お送りする術がなく……」

 拾った便箋とポケットの中身を、そっと手渡してくれた。

『愛しています』

『たとえあなたが誰に嫁いでも、私の心は生涯あなたのものです』

『エラ、手紙の中でだけこう呼ぶことをお許しください。あなたは幼い頃から、私の一番の光なのです。今すぐ、この腕に抱きしめたい』

 愛の言葉の数々が、離れていた月日を埋めていく。

 私は、引出しから自分の手紙の束を出し、イオに渡した。

「これは……」

「私も、出せないことはわかっていたけれど、止められなくて。受け取ってくれる?」

「もちろんです」

 寝台に腰かけ、甘いキスにとろけながら、布団に身を預けた。手を繋いで、天井を見上げた。恋人って、この先もあるのだろうけど……まだ、どうしたらいいのかわからない。それに、乗り越えなくてはならない問題がある。

 その晩は、向かい合って、指先を触れ合わせて眠った。


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