運命共同体
忌み子
緑色の紐
三年振りに家族全員が集まった。
母が営んでいた実家の和菓子店が経営不振に陥り、家族会議を開くためだ。
私は一日にバスが二本しか通らない町に住んでいたから、逃げるわけではなかったが、少し早めに実家を出た。
長居したところで、町営のバラ園で働いている私には、親に援助するだけの余力はない。
代わりに、経済力のある二人の姉の旦那達にペコペコと頭を下げた。
器量も頭も悪い私が、生き残るために自然に身に付いた振る舞いだ。
意見を持たず、でしゃばらず、目立たないで生きる。
言うなれば卑怯者の姿だが、それが親や社会が望んでいる私の姿でもあったのだ。
小さく小さく、誰よりも小さく、透明人間みたいになったら、あなたは生きられる。
だが呪文は、ある時あっさりと私から離れていった。
バラ園の近くのスーパーの帰り道で、買ったばかりの緑色の手提げ袋の紐が切れてしまい、風もない日だったのに、袋の紐は意思でもあるかのように飛んで行った。
呆然とその光景を目で追っていると、宝くじ店のお婆さんが店から出てきて、散乱した食品を一緒に拾ってくれた。
お婆さんは前にテレビで紹介された、有名宝くじ店の店主だ。
当選の多い店ではなく、その逆で紹介されたのだ。
面白バラエティで『当たらなくて有名な宝くじ店』という全部が冗談みたいな番組だった。
ところが、冗談は町民の半分にしか通じなかったみたいで、お婆さんは、貧乏神とかハズレ屋と呼ばれるようになり、同じ敷地内のスーパーのお客さんまでが避けて通るようになった。
お婆さんはポケットからビニールの袋を取り出して、拾った食品を一個づつ丁寧に入れてくれた。
お礼を言った後、お婆さんは私の顔を覗き込んで、ニヤニヤしながら言った。
「あんた、ミニミニジャンボ買わんかい。運試しだと思いな」
給料日後でお金はあった。
私は招き猫が書いてある宝くじ三枚を購入して、バッグの底に入れてバス停に向かった。
一ヶ月後、バラ園の帰りに宝くじ店の前を通ったら、お婆さんと目があった。軽い会釈をすると、お婆さんは急いで店から出て来た。
「あんた、くじ当たったんだろう。他に客もいないし連番だったからすぐあんただってわかったよ」
忘れていた。宝くじのことなんて全く頭になかった。
ひょっとしてレシートと一緒に捨てた可能性もあった。私は焦ってバッグの底を調べ、くしゃくしゃになった宝くじを出した。
「こ、これですね。調べてください」
お婆さんはくじを持って店に入ると、数分もしないうちに店先の出てきた。
そして、店の前に当選御礼ののぼりを掲げた。
「三等ハッピー賞だよ。当選金は百万円だ」
最初は何を言っているのかわからなかった。
「えっ?」と何を言ったのか聞き返した。
「だから、あんたの宝くじが当たったんだよ。百万じゃ」
そう言ってお婆さんは当たり券を三度指すって、私の手の中に戻した。
私は驚いて言葉が出なかった。何度も頭を下げるばかりだ。
するとお婆さんは、小さな声で囁くように言った。
「あんたとわしは、不思議な糸で結ばれたんじゃ。ひっひっひ。あんたが幸せになればわしも幸せになるじゃろう。しかし、あんたが不幸になればわしも不幸になるんじゃ。いや、その逆もある。わしが不幸になれば、あんたは必ず不幸になる。何せわしはハズレ屋と言われてるからなぁ」
一瞬その言葉にぞっとしたが、私は笑みを返した。
お婆さんと私は何の繋がりもないのだから、結ばれるわけがない。
お婆さんがどうなろうが、私は私で勝手に幸せになります。と心の中で呟いた。
帰り道、雪が降ってきた。
なのにその日は魔法にでもかかったように、寒さなんて何も感じなかった。
百万円は、母の和菓子店に援助してあげよう、と一瞬思ったが、テレビや雑誌でしか見たことののない、高級レストランが次々と頭を過ぎった。
有名ファッション雑誌にコラムを書いていた講師の言葉が蘇る。
「食が人を作ります。身体はもちろんですが、感性や心もです。美しい女性になるために、皆さんは、まず世界中のレストランの扉を開きましょう」
みんなが目を輝かせ、先生の言葉に耳を傾けた。
その時、クラスに一人しかいない男子生徒が突然立ち上がって反論した。
「病気で食べられない人や紛争地域の人間はどうなるんだ。感性や心まで、金持ち優遇ってことっすか」
それに対し先生は何も言わなかった。私もみんなも男子の意見は無視した。
だが、男子の突然の反論がなかったら、私は先生の言葉など、覚えてはいなかったかもしれない。
平日の安い飛行機を予約して、月に二回、食の旅に出かけた。
横浜中華街、銀座のフランス料理店、芸能人がよく行くお寿司屋さん、ハイレベルな層が集うトルコ料理店、神戸のステーキ屋さん、などなど憧れの料理を食べ歩き、夢のような日々は瞬く間に過ぎていった。
それでも、まだお財布の中には五十万円が残っていた。
他に行きたいレストランがなかったわけではないが、行けば行くほど、気持ちが沈んでいった。
夜景の美しいレストランで、キャンドルグラスの灯を囲んで微笑み合う二人。
私は彼らを横目に、一人でコース料理を食べる。
最初はそれでも楽しかったのだが、すぐに虚しさに変わった。
バラ園の帰り、スーパーの前でお婆さんが声を掛けてきた。
「あんたのお陰で少しは楽させてもらってるよ。でもさ、最近は耳も悪いし足腰も弱くなって、いつまで働けるかもわからんね。一人寂しくこんな場所で死ぬのだけはごめんだけど、それも定めってもんかね。あんたとわしは繋がってるから、さぞあんたも寂しい人生で終わるんだろうね。かわいそうに」
私はお婆さんの耳元で、声を大にした。
「いいえ、私は幸せです。一度も寂しいなんて思ったことはありません。もう二度とお会いしたくないので、これからは遠回りになりますが、他のスーパーに行きます」
後ろ向きになった私に、お婆さんが笑った。
「はっはっは、今にわかるさ」
アパートの部屋に戻り、魚を焼いて、去年のクリスマスに学生時代の友人が送ってくれた動画を見ながらお箸を持った。
仲良しだった三人が、パリのカフェで笑っている。
私も誘われはしたけれど、用事があると言って断った。
本当はお金がなかったのだ。
でも彼女たちの前では、いつも少しだけ見栄を張って嘘をついていた。
姉から借りているブランド品のバッグを、お母さんが誕生日に買ってくれたとか、行方不明になっているお父さんのことを、父は単身赴任中だとか、思い出すと悲しくなる。
彼女たちも薄々気づいていたのだろう。
お互い自然に離れて、私は中退して田舎に戻った。
宝くじで当たった百万円は、私にとってはものすごく大きなお金だけど、彼女たちにとっては、お小遣いと変わらない金額なのだ。
モニター越しに笑われているような気がして、急にまた自分が小さくなった。
休みの日の夕方、私はバスに乗り実家に向かった。
和菓子店は閉めていたが、母さんはいつもと同じように小豆を煮ていた。
「母さん」と呼ぶと、驚いた顔をして鍋の火を弱くした。
「どうしたの。こんな時間に珍しいね」
私は何も言わないで、五十万円を入れた封筒を渡した。
母さんは首を傾げ「何これ」と言って封筒の中を覗いた。
「こんな大金どうしたの。ま、まさかお前、変なことして作ったんじゃないだろうね」
「馬鹿じゃないの。宝くじで当たったの。使った残りだよ」
母さんは狐に摘まれたかのように目を丸くしてお金を眺めていた。
「そんなことってあるんだねぇ。でもさ、気持ちだけ頂くからさ、あんたが大切に持ってなさい。実はあんたには言わなかったんだけどね、店は畳んだよ」
「だったらなんでまた豆なんか煮てるのよ」
母さんは窓の外を見て、微笑んだ。
「もったいないだろう。小豆はいっぱいあるし米粉もあるし、だからさ、親が仕事で遅くまで帰れない子に、おやつ作ってるんだよ」
子どもたちが、背伸びをして窓から家の中を覗いていた。
私が出来立てのお団子を持っていくと、みんな嬉しそうに、それぞれの袋や鞄に入れて夕焼けに向かって走って行った。
でもいつまでも帰らない子が二人いて、声をかけると、二人は庭のベンチに座ってお団子を食べ始めた。
母さんが二人に水を持ってきた。そして私に小声で言った。
「あの子たちさ、兄弟なんだよ。実は母親が家出して父親が面倒見てるんだけどさ、噂では昼間っから酒飲んでどうにもならないらしいよ。それであの子たち、ご飯も食べられない時があってね、なんだか見てると切なくてさ」
二人は私の顔を見て、逃げるように走り去った。自分たちの噂話をしていると、わかったんだろう。
母さんのデリカシーのなさに、私は激怒した。
「あの子たちの前で、そんなこと言うなんて酷いよ。心に傷のある子はヒソヒソ話がすごく嫌なんだよ」
母さんは私の言ったことには、ピンとこなかったのか、笑顔で小豆をかき混ぜていた。
その日私は実家に泊まって、そっとお金の入った封筒を、母さんの手提げバッグに入れておいた。
翌朝家を出ると、昨日の二人が玄関前に立っていた。
「おはよう」と声をかけると、笑顔を見せてくれた後、学校に向かって走っていった。
一ヶ月後、仕事に行く途中、母さんから電話があった。
「あんたがくれたお金でさ、大きい食卓テーブルと椅子買ったんだよ」
「そんな大きいテーブル、邪魔になるだけだよ」
「和菓子店の真ん中に置いて子ども食堂始めようと思ってるの。あんたも一緒に手伝ってくれたらいいんだけどねぇ」
「子ども食堂かぁ。そうだね、いいかもしれないね」
仕事が終わりバス停に向かって歩いていると、雪が降ってきた。
とても寒い日で、急に宝くじ店のお婆さんを思い出し、スーパーに寄ってみた。
だが、プレハブ小屋もお婆さんの姿もなかった。
更地になった跡には、粉砂糖みたいな雪が降り積もっているだけだ。
スーパーの警備員さんが、声を掛けてきた。
「どうかしましたか」
「あの、宝くじ店はどうなったんですか。お婆さんは元気なんでしょうか」
「あー、あの宝くじ店の婆さんだったら、京都の娘さん夫婦と一緒に暮らすことになって引っ越したんですよ。娘さん夫婦と挨拶に来てね、あんな嬉しそうな顔、初めて見ましたよ」
冷え切っていた私の心と体は温まり、お婆さんと同じ灯を囲んでいるような気がした。
帰り際、近くの公園の小枝に、緑色の紐が結んであった。
紐は、鯉のぼりみたいに風に靡いていた。
完
運命共同体 忌み子 @yumippp
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