二十九幕 学者の卵
気にしなくていいと言ったユートはその言葉通り、一直線に山越えを目指すのを止めた。クレバスを見掛けては意味もなく向こう側へ渡ってみたり、時折生る草木を採取してみたりと、目を離した隙に何処かへ飛んでいく。
ユートの寒冷装備のおかげで寒さに悩まされること無く、俺達は快適に雪山で生活していた。時折現れる魔物のおかげで、食料についてもそれほど深刻な問題にはなっていない。
「おー、改めて見ると凄い高い所まできたんだねー」
「もう雲の上まで来てるからな」
振り返っても視界の半分以上は空で、残りは登ってきた山の尾根。麓はさらに遥か下だ。
「もうここまで来たら一番高い場所を目指すのもアリだよね!」
「……そうだな」
「ん? どうしたの?」
ほんの一瞬のはずだが逡巡したのが顔に出ていたのか、ユートは目ざとく気付いて聞き返してくる。俺はどう言えば良いか考え、途中で諦めてありのままを話すことにした。
「昔俺がこの山を登るために色々調べてたのは、神聖都市に行くためじゃない。この山脈の何処かにあるっていう〈星見の塔〉を探すためだったんだ。」
だからあの地図も、山越えの為にしては中途半端な内容だった。俺が悪事のバレた子どものように顔を俯けると、ユートが両頬をパチリと叩いて上向かせた。
「おら! その話はこないだ決着ついただろ! それよりそのなんとかの塔っていうの、ジャズは見つけたの?」
「い、や……途中で雪崩に巻き込まれて、気付いたら聖域にいた。から、見つけてない」
「じゃ、これからそれも探そうよ! 神聖都市で色々調べるより先にここで聖域が見つかるかもしれないし、ジャズの探し物もここにあるなら両方探そう!」
あまりにも前向きな発言に目を瞬く。にぱっと笑ったユートは意気揚々と山頂を指差した。
「とりあえずあそこまで行ってみよう! 上から見たらなんか見つかるかもしれないしさ」
それもう登ってみたくなっただけだろとか、聖域は目に見えるものなのかとか、言いたいことはいくつかあったが、俺は流されてやることにした。尾根を辿ってより高い山頂を目指していく。ここ数日の山登りで歩き方はすっかり慣れたもので、元々体力もある俺達はあっという間にここら一帯を見渡せる位置に来た。
改めて下を見ると視界に入るのは山ばかりで、流れる雲が地に這う低木を撫でていた。壮大な景色に隣でユートが感嘆のため息を漏らす。ここでは生き物の気配が限りなく薄かった。
「あっ」
ユートが指差す先、ここからしばらく下りた辺りから、白い煙がかすかに見えた。よく目を凝らすと、小屋らしきものがあるのが分かる。
「ジャズが探してるのって、塔じゃなくて家だったりしない?」
「……分からねえ。から、否定もできん」
何らかの施設か、まさか民家ということはあるまい。こんな人里から離れた、俺達でなければ食料調達も難しいような土地に住む物好きなど居ないだろう。怪しいことこの上ない。しかしそれ以外に目ぼしいものは見当たらなかった。
「嫌な感じする?」
「……全く」
「じゃあ大丈夫でしょ」と言ってそちらへ向かい歩き出すこいつは人を一体何だと思っているのか。信じるどころか探知機扱いされていることに多少腑に落ちないものを感じつつ、俺は大人しく後ろをついて行った。
近づけば小屋はこぢんまりとした、しかし牧歌的な風情で怪しげな部分はどこにもなかった。家の中には1人分の家具と壁一面の本棚。まるで学者の研究室を一部屋だけ抜き出したような様子だった。
中の暖かそうな暖炉を見てユートが目を輝かせる。薪が燃えているということは住んでる人がいるはずだが、姿が見えない。
と思っていると、少し離れた所で地面がパキリと軋む音を立てて開いた。
「いい加減干し肉にも飽きてきちゃったなあ……前は魚も保存してたって聞いたのに。バーバめ、さては補充忘れてたな……え?」
目を丸くして地下室から出てきた青年は、自分の顔の大きさほどの肉塊を抱えていた。一食分には多い気がするが、そのズラリと並ぶ尖った歯を見ればなるほど、そのくらいペロリと平らげてしまうのだろう。
ふさふさの毛皮から覗く耳をピンと立たせ目をまん丸にした姿は愛嬌があるが、驚きにパカリと空いた口は大きく、子どもが見れば泣き出してしまいそうだった。
「なるほど狼族か。それなら一人でこんな所に住んでも自活できるのかもな」
「うわっすごい、本物だ……! 尻尾ぶわってなっちゃってるけど大丈夫かな?」
「こんな所で人に会うとは思ってなかったんだろ。服装的には学士っぽいから戦闘は得意じゃないのかもな」
目の前で普通に会話を続ける俺達を、信じられないものでも見るように凝視した後、狼族の青年は全身の毛を逆立てて言った。
「いっ、命だけはお助けをっっ!!」
「いや落ち着けよ」
「ジャズの見た目が怖すぎるんだよ。懐かしいなあ」
そういやこいつにも初めは泣かれたな、と俺が胡乱な目をしていると、叫んで少し落ち着いたのか、青年が怯えるように肉塊を抱きしめた。こいつには悪いが、絵面だけで言えばこいつもいい勝負だぞ。
「嘘、貴方達山越えに来た犯罪者でしょ……? 僕を襲って食料を奪う気なんじゃ……」
「ぷぷー、犯罪者だって。ジャズ、やっぱり目つき悪いんだよ」
「やさぐれてて悪かったな。食料なら自分で調達できるし襲わねえよ」
失礼すぎる奴らを一発殴りたい気持ちを抑えて言うと、ようやく青年も落ち着きを取り戻したようだった。その後は俺はなるべく前に出ず、説明はすべてユートに任せる。こいつは初対面の相手と仲良くなるのが抜群にうまい。好きにさせれば良いようにするだろう。
案の定すぐに打ち解けたユートは、家の中に入れてもらう許可までもらったようだ。呆れた顔で俺も入ると、青年は少し嫌そうな顔をした。
いい加減失礼すぎるだろ。殴りてえ。
「ジャズ、顔、顔!」
「うるせえ、元からこの顔だ」
ぐにーっとユートに無理矢理笑顔を作らされていると、青年はようやく肩の力を抜いたようで扉を閉めて言った。
「あの……僕は学士のセルドゥル。旅人をもてなすのは初めてだよ」
「もてなすなんて……無理しなくて良いよ。さっきも言ったけどおれはユート。ここはセルドゥルの家なの?」
「いや、ここは冬籠り用の……星の賢者を目指す学者が研究に使う家。〈星雪の学舎〉と呼ばれているよ」
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