side 剣士

 

 後ろ髪を引かれながらも走る先で、不穏な気配を感じていた。先程まで一切感じなかったのが嘘のようだ。先に向かった偽勇者とやらは、この魔物を本当に倒せる気でいたんだろうか。

 

 私は先程の偽勇者の主張を聞いた時、激しい怒りとともに強い苦痛を感じた。あの偽物が言う通り、勇者殿の功績は決して大きなものではない。私も共に旅をする中で、何故勇者がわざわざ手を出すのか疑問に思いながら手伝った事もしばしばあった。何故もっと危険に飛び込んでいかないのかと、今もっと助けを必要としている場所があるはずだと。

 もちろんそういった所で助けに入ったこともあるが、決まって勇者殿は目立たない方法を選んでいた。私達が前線で戦うなか、単身敵陣に乗り込みボス級の首を取ってくる。何故か瓦解しはじめた敵を私達が屠り称賛を受ける中、ひっそりと一人宿に戻っていた事もあった。

 

「三年旅をして私はようやく理解したというのに、あの少年は……」

 

 まるで理解し合う長年の相棒のように頼りにされるその姿に、私は強く嫉妬していた。だから森で惑わされている事に勇者殿が気付いた時も、魔法使いのくせに何をしているんだと少年をなじった。

 

「『ジャズは凄いんだよ』か……」

 

 そんな事は知っている。その場ではそう返したが、それは誤りだったかもしれない。

 

 辿り着いた谷の手前で、偽物が聖剣を掲げて立っていた。光輝くそれは、知らない人が見れば確かに物語に出てくる勇者の姿にも見えるだろう。

 しかし谷底から這い上がってくる気配は圧倒的だった。地鳴りのような音と振動が、その魔物の巨大さを物語っている。

 

 聖剣を握る手が震えているのに気付いた時、私は勇者と共に戦っていて、こうした不安に一度も駆られた事が無かったことを思い出した。

 あの方なら、きっと今度も何とかしてくれる。

 

「っ、どけ!」

「……っ、何をする、」

「死にたいのか!」

 

 谷底から這い上がってきた竜の爪が目に入った瞬間、私は偽物の鎧を掴み後ろへぶん投げた。月のように輝く瞳が私を睨む。竜の年齢を示す角は長く、枝のようにいくつも生えていた。

 文献でしか聞いたことの無い竜。人里に滅多に姿を表さないことから詳しくは知られていないが、一頭現れただけで街が壊滅的なダメージを負ったという話を耳にしたことがある。

 おとぎ話の災厄。古竜だなんてさらに現実味のない。伝説や神話の中でしか聞いたことがない魔物。

 

「私では時間稼ぎ程度にしかならないな」

 

 帝都の屋敷ほどの大きさがある巨体を前に、私はそう冷や汗を流しながら剣を構える。

 

 強い男としか結婚しない。そう言って飛び出した私にとって、勇者殿はまさしく理想的な相手だ。強く正しく仁義があり、強者として旅に選ばれた私ですら足元にも及ばない。魔王を倒す旅が終わったのなら、是非とも我が家へ迎えたかった。あの方が振り向いてくれるまで、ずっと横で彼が成す事を見ていたかった。

 

 それは憧れであって、きっと彼が背中を預ける存在になることは無かっただろう。私は荷物にしかならない。抱きついた私を嫌そうに引き剥がす勇者……ジャズの顔を思い出して苦笑する。確かに家を出て以来、旅をする間も含めて育ち過ぎた筋肉はもはや貴族令嬢とは思えない程になっていたが。

 

「これでも社交界の華だと呼ばれる程度には、顔に自信があるのだがな?」

 

 飛んでくる爪を剣で受けながら、私は竜を見据える。竜の存在感が巨大すぎて気付かなかったが、竜のはるか後ろから多数の魔物の気配が迫ってきているのを感じる。先程チラリと偽勇者を見たが、私と竜の戦いを凝視するばかりでもはや戦える状態とは思えなかった。

 

 せめて彼がここへ着いた時、竜は私に任せても大丈夫だと思ってもらえる程度に戦わなくては。

 

「仲間に強い剣士がいたと、せめて記憶の中だけでも特別な人間として覚えていて欲しいからな」

 

 凄まじい風圧と共に迫ってくる尾を何とか躱す。これまで戦う時、私の周りには常に仲間や護衛などの味方が居た。一人で戦うことのなんと恐ろしい事か。

 

「彼が頼りにするなど、さすがに魔王でもなければ難しいか」

 

 ジャズと対等に話し、時には軽口を叩いていた少年。私があの場を後にしてから、彼の魔力が静かに町全体を覆うのを感じた。

 不可視の結界。注意を向けていなければ、魔法使いですら感知できないだろう穏やかな、しかし力強い魔力の壁。その魔力に覚えがあった。

 

 どういった経緯で魔王と旅をすることになったのか。じゃらじゃらと着けた魔力制御装置を見たときから怪しい奴だと思い、初めはいつ正体を暴いてやろうかと探っていたが、ここまで見せつけられては認めざるを得ない。

 彼は勇者と肩を並べる仲間だった。私と違い、きっと彼はこの町を去った後も共に旅を続けるのだろう。

 

 私はこの旅を終えたらいずれ家に戻る。それが旅に出る時に家の者と交わした約束で、私の役目だった。もう彼らと関わるのも、これが最後になるだろう。

 

「これが彼の目に残る私の最後の姿だ」

 

 段々と近づいてくる輝かしい気配に、私は崩れ落ちそうになる膝に力を込めた。

 

 

 追い付いた勇者は正しく英雄だった。大量の魔物を圧倒的な強さで屠る。共に旅をしていた時も滅多に見れなかった勇姿に、私は気力を奮い立たせる。

 

「もらった……っ!」

 

 無我夢中で竜の攻撃を掻い潜り、片目に剣を突き立てた。唯一剣が通った喜びに思わず舞い上がる。しかし怒り狂った古竜は、先程まであった余裕をかなぐり捨てて手当たり次第に攻撃してくる。まさか羽虫程度にしか思っていなかった人間に、傷をつけられるとは思っていなかったのだろう。

 私はつい後ろに飛んだが、勇者の前で敵から逃げるような臆病な姿は見せたくなかった。

 

「うおぉおっ!」

 

 決死の覚悟で襲いかかる尾や爪を掻い潜り、もう一度竜の眼前に迫る。せめて勇者がこちらに来る前に両目を潰してしまいたかった。しかし飛び上がった私の目の前で竜は顔を引き、大口を開ける。そこに集まる魔力と、大気へ走る火花に、私は死を予感した。

 竜のブレス。それは山を砕き、街の主要建築を一撃で塵に変える威力を持つ。直撃すれば私など、鎧ごと消し飛ぶだろう。

 絶望に目を見開いた。

 

 その瞬間、竜の目が光を失い、集まっていた巨大な魔力が霧散する。そのまま呆然と力が抜けた私と共に、竜の首が地に伏せた。頭の無い身体がドウという音を立てて崩れ落ちるのを、地面にしゃがみ込んだまま見上げる。

 

 トン、と軽い音を立てて竜の頭に着地した勇者が、なんて事のないような顔で剣を振り払う。ピッと飛び散った血が、確かにあの細剣が竜の首を断ったのだと示していた。後ろから昇る太陽に、刀身が白く輝く。勇者の輪郭を光が照らし、まるで後光が差すようだった。

 

 神の化身。聖剣に選ばれし勇者。

 

 その神々しく美しい姿に、その目がこちらを見て視線を合わせてくれる幸運に、私は神に感謝した。

 

 

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