第13話 天白磐座遺跡で「神」を感じる 1

 古代史、考古学好きが1度は手にしたことがある書籍のシリーズに『遺跡を学ぶ』という薄い本があります。国内のメジャーな遺跡を発掘した当人がだいたい書いていて、図版や写真が多い、とても参考になる書籍です。


 天白磐座てんぱくいわくら遺跡を知ったのもそのシリーズがきっかけでした。


 Wikiから引用しましょう。


静岡県西部、神宮寺川と井伊谷川により形成される小盆地(井伊谷)の北西部、渭伊神社(延喜式内社)後背の薬師山(円錐形、標高41.75メートル)山頂において、巨岩群を神の依代(磐座)とした古代祭祀遺跡である[1][2]。1988年(昭和63年)に祭祀遺跡と確認され、1989年(平成元年)に発掘調査が実施されている[3]。


磐座は西・東・北の巨岩3つを主体として構成された大規模なものになる。特に西岩の西壁直下では、古墳時代の手づくね土器200以上・滑石製勾玉・鉄矛・鉄刀・鉄鏃・鉇など、古墳時代前期後葉から平安時代中期の祭祀遺物が検出されている[2]。また西岩・東岩の間では、続く平安時代後半以降の経塚関連遺物が検出されている[2]。


この天白磐座遺跡については、神宮寺川が井伊谷に流入する喉元にあたる位置にあることから、水源(水分)祭祀の性格が指摘される[1][2]。また祭祀の主体としては、井伊谷の東方丘陵上の首長墓系譜(北岡大塚古墳→馬場平古墳→馬場平3号墳→谷津古墳)が想定される[2]。


 古代史を知らない方には何のことやらだと思いますが、日本、かつて倭と呼ばれた国には最初、神社なんてものはありませんでした。その起源にはいくつか候補があるのですが、神様に稲穂を捧げる倉が起源(お枡明神の枡送り行事として現存する。房総ではこの倉の跡が出土している)とか、ヤマト王権で王が宮殿(宮)に住むようになったので、神様も社に住むようになったという説といろいろあります。


 その前は玉垣のような結界だけだったという説もあり、その姿を残す神社もあります(伊勢の加努弥かぬみ神社など)。そして磐境いわさか神籬ひもろぎのようにモノに神が降りてくることもありました。


 天白磐座遺跡はその磐境の一種(諸説あり)、かつて磐座という神が降りてくる場所で、神が宿るものなのです。


 民俗学者野本寛一氏はこの天白磐座遺跡について、沖ノ島には及ばなくても熊野のゴトビキ岩や奈良の大神神社に匹敵すると書いています。


 今回の旅の目的は奈良の大神神社の原点になったのではと推測する吉備津神社に行くのが目的です。大神神社に匹敵する磐座があるというのにスルーするわけにはいかないのでした。

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