Cys:4 甘い香りとざわめく胸

───う〜っ、勢いでついてきちゃったけど、どこにいくんだろう、この人……


 私、ちょっとドキドキしてる。

 全然知らない人だから。

 でもついていったのは私からだし、疑うのもなんか違う。けど、やっぱりちょっと心配。


 そんなことを思いながら、横に並んで歩道を静かに歩いていると、彼がチラッと見つめてきた。


「にしても、ちと寒くねぇか?」


 でも、そう尋ねてきた彼の方が、少し寒そうな格好をしてる。

 今は冬の始め。

 だから私はコートを着てるしマフラーも巻いてるけど、彼は薄手のコートしか羽織っていないんだもん。

 まあ、何だかエネルギーがありそうな人だから、代謝がいいのかも。


「えっ、あっ……まあ、大丈夫です」

「そっか、ならいいけど。女子だと寒ぃのかと思ってな」


 見た目は少しガサツな感じがするけど、さっきの事といい、やっぱり彼は優しい人なんだと思う。


───むしろ、それを隠すためにワザとやさぐれた感じを出してるのかな?


 そんな事を思い少し話をしながら歩いていると、気づけばもう、浜辺の近く。

 時折冷たい潮風が私の頬を撫でる中、私は歩きながら彼の横顔をチラッと見つめた。


───私、どうしてこの人と一緒にいるんだろ……


 さっきも言った通り、出会ったばかりの人に着いていくなんて普段なら絶対ありえない。

 いくら助けてもらったとはいえ、不用心すぎるもん。

 けどこうなったのは、さっき聞こえてきた“不思議な声“と胸の切なさを感じたから。

 

───それになんかこの人、懐かしさを感じる……


 そんなことを考えながら少し歩いていると、彼は不意に立ち止まった。

 つられて慌てて足を止めた私をよそに、彼は自販機で何かを買おうとしてる。

 それを待っている間、私はふと波音に混じる風の冷たさを感じた。

 チラっと目を向けた砂浜には足跡がいくつも続いていて、打ち寄せる波がそれをあっという間に消していく。


───なんか、人の心みたいだな……


 そんな事を思っている私に、彼はニカッと笑って缶入りの紅茶を差し出してきた。

 

「ほらよ、こっちはお前さんの分。買いたてだから温ったまるぜ♪」


 その仕草はどこか雑なのに、この紅茶のようにどこか温かい。

 受け取った紅茶から伝わってくる温かさが、両手にジーンと染みてくる。


「あ、ありがとうございます……」


 私は小さな声でお礼を言いながら受け取り、立ち止まったままそっと口をつけた。


「美味しい……!」


 紅茶の微かな甘い香りと共に、体の芯まで温まってゆく。

 こんな風にホッと出来たのは久しぶり。

 イジメと寒さで凍てついてた心が、ほぐれてく感じがする。

 彼はそんな私を優しく見つめたまま、ニッと笑みを浮かべた。


「だろ♪ 1本250円する紅茶『コスモティー』だからな。2本でなんと500円。これで俺はもう破産だ。アーメン♪」


 いきなり彼が変な顔をして冗談を言ってきたから、私は思わず紅茶を吹き出しそうになっちゃった。

 このタイミングで、今のはズルい。


「ちょ、ちょっとw 何言ってるんですか。もうっ」


 顔を火照らす私に向かい、彼はニカッと微笑んだ。


「ハハッ、やっぱ笑ってる方がいいぜ」


 彼は私よりずっと年上なハズなのに、その笑顔には屈託がない。

 まるで、少年みたいな笑みを浮かべてる。

 その雰囲気を残したまま、彼は少し心配そうに問いかけてきた。


「ちなみにお前さん、さっきアイツらに言われっぱなしだったけど……なんか気にしてるのか?」

「あっ、いえ、別に……いつものことですから」


 私の声が波辺の近くで、か細く響く。

 せっかく少し笑えたのに、また軽くうつむいちゃった。

 さっきみたいなのには慣れたハズだけど、思い出すとやっぱり辛いよ。

 そんな私の前で彼は少しだけ首をかしげて、ちょっと意外そうな表情を浮かべた。


「そっか……ただよ、俺にはお前さんが負けてるようには全然見えねぇぜ」

「……えっ?」


 彼から言われた意外な言葉に、私は思わずスッと顔を上げた。

 そんな風に言ってもらえるなんて、全然思わなかったから。

 あんな場面を目の当たりにしても、負けと決めつけてこなかったのは嬉しい。

 私が物寂しく笑みを浮かべる中、彼はコスモティーを一口飲み、一瞬どこか遠くを見るような眼差しを浮かべた。


「だってお前さん、ずっと黙って耐えてたろ? あれって結構すごいことだぜ。下手に反論したり騒ぐより、よっぽど強いって思ったけどな」


 その言葉に胸がジワッと熱くなる。

 私がずっと押し込めていた感情が、不意に溢れ出しそうになった。


「そんな……私、ただ言い返せなかっただけだし……」

「まあだとしてもよ、どんな時でも自分を見失わないってのは本当に強い証拠だ。お前さん、本当は心に何か譲れないもんを持ってんじゃねぇのか」


 彼の声は不思議と説得力があった。

 それはどこか懐かしさを伴うもので、私の心にじんわりと染み込んでくる。


「はい……譲れない物、そうですね。ありがとうございます」


 内気な私にしては不思議だけど、なぜか素直にお礼を言えたの。

 彼はそんな私を見ると、すぐにニカッと笑った。


「お、素直じゃん。いいねぇ、そういうの♪ 素直なヤツには福来たる。あれ? 違ったっけ?」


 軽くおどけるように言われて、私は思わず再び笑ってしまった。


「アハハッ♪ 笑う門には福来るじゃないですか」

「あーそれだそれ! 天才じゃん♪」

「もーっ、何ですかそれ。誰でも知ってますし、テキトー過ぎですよw」


 こんな風に笑ったのは久しぶりな気がする。

 その瞬間、私は胸のざわつきが少しだけ収まったような気がした。

 また、それと同時に気になっちゃう。


「あの、そういえば、なんて呼んだら……」


 私がそう問いかけると、彼は片手で軽く気まずそうに頭を掻いた。


「ああ悪ぃ、そういや言ってなかったな。俺は耕助。『高槻耕助』ってんだ。前は色々やってたんだけど、今はただのフリーターさ。お前さんは?」

「私は澪。望月澪っていいます。今、高校に通ってて……」


 そこから私は、さっきの事についてどう思ったのかを静かに伝えていった。

 耕助さんは、何も言わずに私の話を聞いてくれている。

 さっきまでおちゃらけた雰囲気だったのに、ギャップが凄い。


───フリーターって言ってたけど、本当にそうなのかなぁ?


 耕助さんは確かにパッと見はやさぐれてるし、髪も少し散らかってて無精髭も生えてる。

 なので、一見すれば確かにフリーターに見えなくもない。

 けど同時に、不思議とデキる大人のオーラを何となくだけど感じるの。

 だからちょっと疑っちゃう。

 そんな事を感じながら私が一通り話終えると、耕助さんは私を真っすぐ見つめたまま問いかけてきた。

 瞳には、何かを確かめたいような淡い光が揺らめいてる。

 

「……なぁ澪。お前さん、歌は好きか?」

「う、歌は……」


 突然の質問に私は一瞬戸惑っちゃった。

 もちろん歌は聴くのも好きだし、歌うのも好き。

 けれど、それは今どきの歌じゃく昔の歌ばかり。

 何より“二年前の事件“で、歌う事について深いトラウマが出来てしまったから……

 そんな私が、歌を好きと答えていいのか分からない。


───ううん。でも私は、歌が嫌いになった訳じゃないもん……!


 心を見つめ直してコクンと頷くと、耕助さんは私を見つめたまま軽く笑みを浮かべた。


「そっか……じゃあ澪、ちょっとだけつき合えよ。確かめてぇ事がある」

「えっ、確かめたい事? なにを……」


 私の胸は、不思議な高揚感でトクンと高鳴った。

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