第21話 北部に届く手

 シルヴァリス家当主ケレス=シルヴァリス。彼女は灰色の曇天を仰ぎ見ながら、最前線の陣営を歩き回っていた。剣を佩き、背には軍旗が翻る。ヴァロワ家による侵攻が近いという報が広まり、シルヴァリス家は領地防衛のため総動員体制を取っている。


 元々、シルヴァリス家は水利権を王国北部で大きく握る伯爵家だが、貴重な水源を欲するヴァロワ家が野心を剥き出しにしているのだ。


 兵士たちの眼差しは熱気に満ち、シルヴァリス家に勝利をという意気込みを感じさせる。ケレスの指揮の下、前線での統制は行き届き、副官からの報告も不安を減じさせるものだった。そう少なくとも兵糧と物資さえ足りていれば、士気は十分保てる。


「それにしても、あの商会には随分と助けられましたね」


 ケレスは副官の一言に微笑を返す。確かにシルヴァリス家にとって、軍需品が無事に届いたのは奇跡にも近い出来事だった。特に王国を通る主要な街道はヴァロワ家によって封鎖されており、通常の馬車では辿りつくのが難しい。そのせいで糧食をどうやって確保するかが最大の課題とされていた。


「ルナドーロ商会……といったな。聞き覚えのない名前だったが、彼らが用意してくれた物資には救われた。まさかこんな短期間で間に合わせるとは」

「ええ、正直あり得ない芸当です。周辺の道という道が封鎖されているのに、どうやって大量の軍需品を運んだのか。しかも、こちらの足元を見れば法外な値段を吹っかけられてもおかしくない状況でしたが、そこまで高額でもなかった。市場価格よりは少し割高でしたが、十分受け入れられる範囲です」


 副官は心底不思議そうだった。どうやらルナドーロ商会はどこか別の領地のバックがあると睨んでいるようだ。短期間で物資を揃えられるほどの資金力と輸送力を持っているのは、名もなき商会では考えられないからだろう。


 ケレスも同じ思いを抱いていた。ヴァロワ家の封鎖網をものともせず、軍需品を運んできた。約束通り物資を揃えてくれた上に、ぼったくりをするわけでもなく、かと言って、ただの善意で売ってくれたわけでもない。絶妙な値段だった。ケレスはその日のことを思い出す。


 ***


 ヴァロワ家の侵攻が本格化するとの報が流れ始めた頃、ケレスは戦支度で忙殺されていた。人材の配置、砦の補強、兵士の補給――時間が足りないと痛感していた矢先に、知らない商会から当主との会談の申し出が入ってきた。


「聞いたことのない商会だな。ルナドーロ商会? しかも何やら大量の軍需品を用意できると? 本当か?」


 ケレスは不信感を隠さないまま、それでも喉から手が出るほど物資が欲しい現状から会談に応じる。シルヴァリス領の御用商人を介して申し出たのだから、無下にはできない。時間のない中、急ぎ応接の場を設けたのだが、その商会の代表は妙に自信ありげだった。


「お目にかかれて光栄です、当主様。今、シルヴァリス家は兵糧や防具などが必要だと伺いました。弊商会はそれらを調達できます。主要な道が封鎖されていることは承知のうえで、必ず間に合わせる自信があるのです」


 とても大言壮語に聞こえるが、ケレスは淡々と応じる。


「そんなことができると断言するからには、何か秘策があるんだろうね。だが、あなた方を信用しきれないので、支払いは物資が届いてからとさせてもらう」

「構いません。費用も事後精算で結構ですよ。前金を要求するようなことはいたしません」


 ケレスはますます不思議に思う。もしこの商会が詐欺ならば、せめて前金を取ろうとするだろうが、それをしないというのは何を狙っているのか。


 さらに価格を尋ねると、ケレスは小さく目を見開いた。想定していたよりずっと安く、しかし一般的な市場価格よりはやや高い程度だ。緊急時に足元を見られて法外な価格を吹っかけられるのが常なので、むしろ良心的に思える。


「この値段でいいのか? もっと高く売りつけることも可能なはずだが?」

「私どもも利益を得たいのは山々ですが、シルヴァリス家がここで倒れてしまえば、ヴァロワ家の横暴を許しかねません。弊商会としてもそれは好ましくない。王国全体にとっても不利益ですので、少し割高程度で納得しております」


 ケレスは唸るように頷き、「なるほど、そんな政治的思惑があるか」と納得した。シルヴァリス家が潰れればヴァロワ家と繋がりのある隣国が勢力を伸ばす恐れがあり、結果として王国の秩序が乱れる。商会にとっても良いことはないということだろう。最終的にケレスは満面の笑みで契約を交わし、ルナドーロ商会が物資をどうやって運ぶかにはあえて触れずに任せることにしたのだった。


 ***


 そして現在、シルヴァリス家はルナドーロ商会のもたらした軍需品を受け取り、戦線を維持している。それが成功している事実は、逆算すればアーテルの目論見が当たったことを意味していた。


 辺境伯家の館では、報告を受け取ったレーニスが俺に伝える。


「おめでとうございます、アーテル様。今回の取引でグラキエス家の余った軍需品をシルヴァリス家に送り、かなりの大金を手にしました」


 淡々と語るレーニスの声に俺は思わず笑みを浮かべる。狙った通り、魔族との戦いが終わって値崩れした軍需物資を底値で買い集め、密かにシルヴァリス家に輸送して高値で売る構図が見事に成功したわけだ。これには商会の協力が不可欠だったし、実際にはルーナエ家の暗部の尽力も大きい。


「利益は協力してくれた商会とルーナエ家で折半してくれ。グラキエス家は借金の放棄で十分だ」


(「少なくとも、ここでみんなに分配すれば今後も味方でいてくれるし、貸しを作れる。いい策だね)


 アーテルが脳内の言葉に俺も頷く。実際、商会の信用を得て、彼らが借金をチャラにしても惜しくないほど潤う流れを作れたのは画期的だ。今やアーテルは、まだ十二歳の身でありながら、立派に取引を成功させた若き実業家のように見られているかもしれない。


「しかし、あれほど大量の物資を空輸するとは……」とレーニスは続ける。


 暗部の大鷲が情報や人員を高速で運ぶ事例は多いが、さすがに軍需品の大規模輸送は想定外だったらしい。俺が大鷲でも運べるように持ち手や重量制限を決め、木箱を規格化する方法を提案し、結果として三週間以上かかる陸路をたった三日で届けられたというから驚きだ。


(なるほど、大鷲のサイズに合わせて荷物を分割し、複数の大鷲で連携して空輸する……確かに想像以上の手間だけど、成功すれば邪魔されないルートになるわけか)


 ――おかげでヴァロワ家の封鎖網を迂回して、速やかにシルヴァリス家まで物資を運べたわけや。ルーナエ家も大鷲の運用方法に驚いてるようやし。今後、大鷲を商用に使うことにメリットを感じ始めるかもしれんな。


 レーニスはアーテルの手腕に舌を巻き、まさか館から一歩も出ずに、これほどの大取引をまとめ上げるとはと感嘆する。実務は商会が担当、輸送は暗部が担当で、アーテルは指示を出すだけ。この構造こそ黒幕めいているが、結果は三方よしとなったのだから問題ないだろう。


 ――辺境伯家の負債も少しは減ったし、ルーナエ家の取り分もそれなりに確保できた。何より協力した商会は堅実な利益を得て、俺を頼れる三男と見てくれているはず。十二歳の子供でも、やるときはやるってわけや。


(これでフルームやルブラがどう出るかはわからないけど、少なくとも僕らを無視できなくなる。ネーヴェの安全にも一歩近づけたね)


 俺は安心感のなかで胸をなで下ろす。魔族との争いが終わった後の市場の混乱を見越して物資を買い叩き、領地間の紛争を見越して高値で売る。さらに大鷲の空輸ルートで封鎖網を突破する――現代知識を現実に落とし込んだ結果、大成功を収めたのだ。


 ――今後、父さんが帰還すれば後継者争いも加速するやろ。フルーム派とルブラ派がどう動くか。けど、俺たちがある程度の財力と人脈を握った以上、そう簡単に振り回されへんはずや。


 俺は興奮を抑えながら笑みを浮かべる。アーテルも脳内で「うん、これで少し安心できる」と肯定する。十二歳の三男が王国の一角で大きな経済取引を成功させたなど誰が想像しただろう。今後、その噂が広まれば、アーテルを取るに足らない三男と侮る声は減るだろう。


 もちろん、まだまだ問題は山積みだ。フラウスやティグリスの後継者レースはこれから本番を迎えるし、ウィンクルムやカエルラにも独自の動きがある。


 ネーヴェを政略に巻き込ませないためにも、さらなる備えが必要だ。それでも、とりあえず大きな金を得たことで、俺はようやく家族と対等に交渉できる武器を手にしたのである。


(黒幕じみた裏工作だったけど、誰も不幸にならず、皆が儲ける形にできたのは良かった。さあ、次はどんな嵐が待っているのかな)


 アーテルは窓の外を見やり、笑みを浮かべる。外は柔らかな夕陽が差し込み、昼下がりの訓練場は賑わいを取り戻している。砦から帰還した兵士たちも少しずつ増え、館内が騒がしくなってきた。辺境伯家の真の主であるヴァレリア=グラキエスが帰還すれば、後継者問題は一気にクライマックスへ動くだろう。


 ――この成功を足がかりに、俺たちはさらに先へ進むんや。ネーヴェも守れるし、この館で自由に生き抜くには、やっぱり力が必要や。


(うん、今後はフルームやルブラにも話を通す場面が出るかも。一筋縄ではいかないだろうけど、もう僕たちはただの子供じゃない。存分に駒を動かして、理想の未来を掴もう)


 こうして辺境伯家でのアーテルの存在感が、また一段大きくなった。戦争の影が去り、新たな政争の幕が上がる前の、ほんのつかの間の凪。アーテルはその凪の中で、ひそかに牙を研ぎ澄ませ、次なる一手を考えているのだ。

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