第17話 黒幕の舞台裏
午後の陽ざしが斜めに差し込みはじめた頃、アーテル=グラキエスと、その身体を借りている俺は、自室の机に向かって頭を抱えていた。机上には紙とペンが広げられ、そこには辺境伯家の人間関係を整理した走り書きがいくつも並んでいる。脳内のアーテルと「作戦会議」をするためだ。
(本当、どうなってるんだろうね。フラウス兄上もティグリス兄上も、お互いを後継者に推したいだなんて)
アーテルの声は、どこか困惑を含んでいた。第一夫人フルームは長男のフラウスこそ辺境伯を継ぐべきと考えている。息子の体が弱くても、当人の器量と実務能力を伸ばすことで辺境伯家を立て直せると信じてやまない。
ところが、当のフラウスは自分にその資質はないと思い込み、むしろ次男ティグリスが適任ではないかと考えている。しかもフラウスはあくまで「自分が辺境伯になるより、家のために強い騎士であるティグリスが立つほうが正解だ」と言い切るほどだ。
――普通は自分が継ぎたいと想いを持つもんやろうに。第一夫人と長男で意見が食い違っとるし、なんだかややこしいな。
俺も呆れまじりにつぶやく。第二夫人ルブラの方はどうかといえば、ティグリスを後継者にするのを目標に掲げているのに、肝心のティグリスは「フラウス兄上を尊敬しているから、フラウスが継げばいい」と言う。
互いにお膳立てされた立場を遠慮し合っているようで、互いの母親は派閥を作り、張り合っているというのに、まるで息子たちは噛み合っていない。
(変な話だよね。フラウス兄上はフルーム母上の期待に応えきれないって思ってるし、ティグリス兄上はルブラ母様に逆らえないとはいえ、どこか納得していないみたい。どちらも自分じゃなくて兄弟が適任と考えてるんだから、対立が先鋭化していないのに、母親同士は対立している)
さらに長女ウィンクルムは、そもそも辺境伯には興味がなく、結婚しても共同統治者として力を振るいたいという方向性をとっている。つまり「後継者レースに参加しないし、兄たちを蹴落とす気もない」が、自分なりの地位を確立しようと準備を進めているとのこと。
妾アウルムは四男カエルラの成長を願うだけで、自分の子を後継者にしようという意欲はなさそうだ。
――うーん、こうやって書き出してみると、みんな辺境伯家を立て直したいと思ってはいるんやな。フルームもルブラも目的は同じっちゃ同じ。なのに何でこんなややこしいことになるんや。
(それぞれの手段や考えがズレているからかもね。フラウスは体力が足りないし、ティグリスは騎士団を抱える力はあっても、母の思い通りに動きたくない。本来ならふたりで協力すればいいのに、母親同士の意地が混乱を招いてるんじゃない?)
脳内のアーテルは深くため息をつく。いずれにせよ、今の状況ではわざわざ三男を暗殺する必要はないはずだ。フルームもルブラも後継者は息子だと主張こそしても、三男アーテルを危険視する理由は薄い。
その点を言葉に出してみたところ、アーテルも強く頷いた。こんなにみんなが警戒し合っている状態で、三男を暗殺するような直接的な行動に出るなんてリスクが高過ぎる。
――そう思うと、母さんの死の件も含めて、何か別の要因があるのかもしれない。普通に考えたら、嫡男でもない俺を暗殺する意味ないやろ。
兄弟仲をざっと振り返っても、ここまで凄惨な手段を使いそうな者はいない。むしろ複雑ながらも直接的な悪意が見当たらないし、アウルムやカエルラに対する対応もそこまで過酷ではない。冷遇こそあっても、命を狙うほどの苛烈さは感じないのだ。
(もし暗殺するなら、辺境伯の有力候補にこそ仕掛けるはずだし、カエルラを排除する動きがあってもおかしくない。でも、それもない。母上の死も単純な毒殺とは断定できないしね……)
――だからこそ、母さんが亡くなったあの祝宴と俺の暗殺未遂にある共通点を探っているわけや。偶然にしては合点がいかへん。
そこで、俺たちはレーニスを呼び出し、母スアーウィスが亡くなった状況について詳しく聞き直すことにした。レーニスはルーナエ家の暗部の一員であり、アーテルとネーヴェの身辺警護もしている。母が亡くなったときも、何か動きを捉えていたかもしれない。
「母上の死についてもう一度教えて欲しいんだ。隣国との戦いで功績を挙げた祝宴の後、母は急に体調を崩して亡くなったんだよね?」
「はい、そうです。あのときは辺境伯家に新たな栄誉が授与されると喜ばしい雰囲気でした。実際、前王から子爵位と港町ソーンウィックの領地を与えられて……。祝いの席では、そのソーンウィックから届けられた海産物をふんだんに使った料理が振る舞われました。海のない辺境伯領では珍しい食材ばかりで、みんな喜んで食べていました」
レーニスが語るところによれば、その料理は多くの人が口にしているにもかかわらず、スアーウィスだけが亡くなっているのだから、単純な毒の仕込みでは説明がつかない。しかも祝宴の雰囲気を壊すような怪しい動きは、ルーナエ家の暗部でさえ捉えていない。
俺が前世で読んだミステリのトリックをぶつける。料理に直接毒を入れず、食器に塗布していた、あるいは二種類の毒が混ざって作用するなどだ。
「もちろん可能性はゼロではありませんが……私どもも調査しましたが、そうした痕跡は見つかりませんでした。暗殺者らしき影もなく、公式には食あたりか体調不良と片付けられています」
確かに、徹底した調査のうえで毒が否定されているなら、毒殺は低い確率だ。だが、アーテルの暗殺未遂も料理に毒はなかったとされている。両方に共通する点は、ソーンウィック由来の料理だったこと――というのがレーニスの追加報告だった。
(母が亡くなったあの日も、僕が倒れたあの日もソーンウィック料理が出ていた。偶然なんだろうか……)
俺はそこで一気に閃き、レーニスに「ソーンウィック由来の食材を再度集めて欲しい」と頼んだ。もしそこに隠れた仕掛けがあるなら、試してみる価値があるはずだ。
次いで俺はレーニスにフルーム派とルブラ派の動きを聞いた。
フルームは有力家臣たちをまとめ上げ、辺境伯領の改改革を実行する体制作りをしている。領内の豪商との交渉にも成功しつつあり、軍事偏重から脱却しようという考えを具体化し始めているらしい。
一方のルブラは騎士団の掌握を進め、実家との結びつきを強固にして軍事強化路線で後継者を支える方針だ。どちらも決め手に欠けるが、辺境伯が帰還する前に有利な形を作りたいだろうから、さらに動きは加速するかもしれない。
――なるほど。フルームもルブラも勝負を急いでるってことやな。後継者を確定させるなら、当主が帰ってくる前に既成事実を作りたいわけか。
(それで派閥争いが激化するかもってわけだね。フラウスとティグリスが互いを後継者に推したがっても、母親たちがそれを許さないなら強引な決着が起きかねない)
アーテルと俺は脳内で顔を見合わせ、「これは嵐の前の静けさだ」と同意する。辺境伯家の主が戻らないうちに、決着を強要される構図が浮かび、暗殺の再発や政略のための徹底した手段が行使される危険も否定できない。ネーヴェの将来も安閑としていられない。
レーニスが去り、一人になった室内で俺たちは再び思考を巡らせる。妹ネーヴェを安全に守るためには、将来的に後継者争いの勝者が彼女を政略結婚に使うリスクを排除しなければならない。仮に軍事的に強いティグリスが勝っても、政治的に強いフラウスが勝っても、ネーヴェが家の駒にされる可能性があるのだ。
(だからこそ、僕たち自身が主導権を握れるだけの力を備える必要がある。黒幕みたいだけど、これが現実だね)
――剣術と魔法だけじゃ足りへんな。あれはあくまで自衛の手段。実際は金や人脈も必要や。ルーナエ家は情報や工作に協力してくれるけど、財力までは期待できへんしな。
両派閥から呼び込まれる可能性もあるが、アーテルを大きく信頼しているわけではなさそうだ。三男の実力は手札に置く必要もないと侮られている面もある。ならば警戒心を抱かせないまま、一定の影響力を得ることがアーテルにとって好都合になるだろう。確かに黒幕じみた発想だが、妹を守り、母の無念を晴らすにはやむを得ない。
――俺らは力を蓄え、状況を把握しとくしかあらへんな。まあ、ウィンクルムも別の思惑で動いとるし、カエルラも闇魔法の才を秘めてる。案外、いろんな手が揃いつつあるんかもしれへん。
(それぞれ違う方向性で家の立て直しを考えているから、衝突もあるけど妥協もできる可能性がある。要は僕たちがうまく舵取りできるかどうかだね)
アーテルがそう締めくくり、俺も机に広げた紙を見つめる。パズルのピースが少しずつ揃う感覚がある。だが、まだ全体像は見えない。
窓の外はすでに夕闇が迫り、館の廊下にもランタンが灯りはじめた。俺は椅子を立ち、意識の中で小さくため息をつく。
――確かに、俺たちが黒幕みたいやな。母さんの死から始まり、暗殺未遂を経て、今度は後継者争いをも操ろうとしとる。それでも守りたいものがあるから仕方あらへんけどな。
(そう。守りたいもの、ネーヴェの未来、そして母上の死の真実。手をこまねいてたら、どこかで誰かに翻弄されるだけだ。僕らが先に手を打たないと)
そう互いに言い聞かせるように気合を入れる。黒幕ルートを回避したいと思いつつ、実際は少しずつ黒幕的立ち回りに近づいている。だが、これは不可避の選択だ。いまのところ、誰一人としてアーテルを排除する動機がはっきりしない以上、母の死の真相を探るには自分たちで動く以外にない。
「よし、この家の人間関係や動向は引き続き観察。ネーヴェを守るのが最優先やけど、母さんの死の真相にも近づきたい」
(ああ、なんとかなるさ。二人三脚で機が来たら動けばいい。焦らず、でも決して停滞せず。まさに黒幕らしい足取りだね)
アーテルの苦笑が聞こえる。外はすっかり夕闇が染まっている。扉を開けると、廊下にはランタンのあたたかな光が揺れ、使用人たちが次々と部屋へ明かりを灯しに巡回している。毎日繰り返される光景の裏で、後継者争いや暗殺未遂の影がゆっくりと濃くなっていくのを感じる。
俺は軽く息を吐き、微笑む。黒幕のように動くことに抵抗はあるが、やらなければ妹も自分も翻弄されるだけだ。ならば三男の立場から人脈を築き、資金を集める。何よりもネーヴェを守り抜くために――多少の後ろ暗い領域にも手を染めざるを得ないだろう。自分が主導権を握る日が来るかもしれない。
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