第13話 熱闘の果てに
朝早くから騎士団の訓練場に向かう足取りは、いつもとは違う高揚感があった。俺の意識を宿す少年アーテル=グラキエスは、先日から始まったオノリー、デュラン、ヴェネリとの稽古に本腰を入れるためだ。三人はそれぞれ事情を抱えながらも俺の対戦相手を買って出てくれた。彼らを取りまとめた経緯は少々込み入っていたが、結果として経験不足に悩んでいた俺にとって、これ以上ない実戦的な鍛錬の機会となっている。
(今日も頑張ろう。三人とも個性が違うから面白いよね)
――せやな。オノリーは正確無比の剣捌き、デュランは部隊長らしい重厚さ、ヴェネリは変幻自在の剣。相手が違うと戦い方も変えなあかんし、そりゃ鍛えられるわ。
脳内でアーテルと会話しつつ、訓練場へ入ると、そこにはすでにオノリーたち三人が待ち受けていた。彼らは俺が姿を見せると同時に軽い敬礼を送り、続いてそれぞれが無言のまま準備運動を始める。顔には真剣さが溢れている。俺も負けじと胸を張り、木剣を握りしめた。
て三連戦を終えた俺は床にへたり込みそうになりながら、オノリー、デュラン、ヴェネリからそれぞれ苦笑まじりの労いを受けた。三人とも通常の稽古だけでも大変なのに、俺との手合わせを別枠でやってくれるのは本当に有難い。
ふと訓練場を見渡すと、ほかの騎士や見習い兵が集まってきている。ここは騎士団の領域で、もともとは次男ティグリスとの結びつきが強いとされている場所だ。ティグリスが登場しなくとも、ルブラ派閥に属する騎士たちが「三男のアーテルがここで稽古?」と怪訝な目を向けてくるのがわかる。
(ルブラの機嫌、さらに悪くなるかもしれないね。もともと次男を推す騎士団に割り込んで剣術を鍛えてるんだから)
アーテルが脳内でつぶやくと、俺も「まあしゃあない。ここしか実戦積む場所ないんやから、割り込み上等や」と開き直る。ただ、そうした声が届いたわけではないのに、その場の空気がぴりりと引き締まった気がした。
「お前、いい剣筋してるじゃないか。誰に習ったんだ?」
知らない騎士が声をかけてくる。俺は軽く挨拶しながら「引退した騎士から学んでいるんです」とだけ応じる。すると相手は「ああ、あの人か」と納得したような顔をし、「次男殿が来たらおとなしく下がれよ?」と、念を押すように言葉を投げかけた。騎士団はティグリスが後継者となる未来を既定路線として見ているのかもしれない。
そう思い始めた矢先、声が響いた。「おい、アーテル、今日も精が出るなあ!」と聞き覚えのある陽気な声――次男ティグリスだ。彼は騎士団の者たちに囲まれて訓練場に入ってきた。その背には頼もしさと、若い熱気が同居している。ティグリスは十五歳、アーテルより三歳上だが、鍛えられた身体つきや強い眼差しは、すでに貫禄さえ感じさせる。
「よう、前は軽く手合わせした程度だっけ? あのときより強くなったんだろう?」
ティグリスは親しみを込めた調子で言うが、その目には確かな闘志が宿っている。周囲の騎士たちも「次男対三男か」と興味津々だ。俺は軽く汗を拭い、木剣を握りなおす。すでに三連戦をこなして疲れてはいるが、ここで尻込みしては意味がない。
「いいですよ。少し腕を上げたつもりなんでね」
そう返すと、ティグリスは「なら期待しようか」と笑みを浮かべる。かつての模擬戦ではティグリスに太刀打ちできなかったが、オノリーたちとの鍛錬で身体能力も技術もかなり鍛えられた。いまなら、どこまで通じるだろうか。
ティグリスが構えると同時に、一瞬で間合いが詰まる。やはり体格も筋力も俺より上で、速度も抜群だ。だが、以前の俺なら一撃で押し込まれていたはずが、心肺機能の強化と剣術の基礎が身についているおかげで、ギリギリで対応できる。
「ほう、前よりずっと動きがいいな!」
ティグリスが楽しそうに声を張り上げる。俺も応じるように木剣を振り込み、僅差の攻防を繰り広げる。周囲の騎士たちが「おっ、なかなかやるな」とどよめく声が響き、見物客が増えていく。俺の脳内ではアーテルが「ティグリスの攻撃をいなしながら、一瞬の隙を作るしかない」とアドバイスを送ってくる。
(いける、いける……あと少しで追いつけそうだ!)
俺は流れるような動きでティグリスの連撃を受け流し、隙を突いて反撃を狙う。手応えは感じるが、ティグリスの体捌きは一枚上手。まるで動物的な本能と騎士としての訓練を兼ね備えた動きで、こちらの攻撃をかいくぐる。疲労が蓄積していた俺は、最後の最後で踏み込みきれず、一瞬のうちにカウンターを受けて敗北した。
「……っ! ぐああ!」
膝をつきながら息を切らし、敗北を悟る。とはいえ、ギリギリの勝負であったことは周囲にも伝わったらしい。ティグリスは木剣を下ろし、俺の方へ手を差し伸べる。
「いや、よく粘ったな。ここまでしぶといとは思わなかったぞ。前は一方的だったが、今はかなり肉薄してきた」
その言葉には、真摯な称賛が込められている。俺は差し出された手を借りて立ち上がり、改めてティグリスの強さに舌を巻く。
「まだ勝てないか……でも、いつか追い越してみせる。今度こそ倒すよ、兄上」
ティグリスはその言葉にふっと微笑んで答えた。
「俺もいつかはお前に追い抜かれるかもしれないな。いまの段階でここまでやるとは次が楽しみだ。頑張れよ、アーテル」
そのやり取りを見た騎士たちも、二人の熱い勝負を讃えるように拍手や歓声を上げる。どうやら兄弟対決としても見応えがあったらしい。ルブラ派寄りの騎士が多い場所でも、いい勝負をすれば少しは認めてもらえるものだと実感する。
戦いを終え、一息ついたところでティグリスは俺を隅に呼び、「少し話がある」と切り出す。疲労でぜいぜい言っている俺を落ち着かせるように肩を貸しながら、彼はベンチへ腰掛けた。
「母様がお前にいい顔をしないのは知ってるか?」
「ええ、まあ……騎士団がティグリス兄上と結びつきが強い理由も、ルブラ様の影響ですよね」
「そうだ。母様は実家の販路を利用して、この辺境伯家を立て直そうとしている。国境を守るには莫大な軍事費が必要で、先の隣国との戦争でも出費がかさんだ。領地経営の刷新を急がなければ、早晩立ち行かなくなるかもしれない」
ティグリスは真剣な目で語る。辺境伯家が背負う経済問題は深刻であり、軍事費の負担は膨大だ。いまだに戦費の傷が癒えず、負債だけが増えているという事態を、俺たちは知らなかった。さらにティグリスは続ける。
「母様は領地改革に迅速に着手しなければ間に合わないと言う。そのためには後継者が確固たる権限を持って取り組む必要がある。だから俺を後継者にと強く推しているんだ。まあ、俺は兄上を支えてやればいいと思っていたが、どうも母様とフルーム様は考えが合わないらしくてな」
フルームは第一夫人であり、ブッルムやウィンクルムを産んだ人物だ。ルブラと考え方が噛み合わないというのは想像に難くない。俺は脳内で「これが派閥争いの根源か」と苦く思いつつ、ティグリスの言葉を受け止めた。
「つまり、騎士団と強く結びついているのは、ティグリス兄上が後継者になったときに国境を守る軍事力を充実させるため……ということなんですね」
「そうなる。母様は俺が国境を守るのが一番だと信じてるから、騎士団とも強固な関係を築こうとしているんだろう。お前がそこに割って入れば、当然、邪魔に見えるかもしれないな」
ティグリスは遠くを見つめる。俺も「なるほど」と納得する部分が多い。ルブラがアーテルを警戒する理由は、次男を後継者にする計画に水を差す可能性があるからだ。とはいえ、俺は暗殺未遂の真犯人を探し、妹を守りたいだけで、別に継承権を奪いたいわけではない。複雑な思いを抱えたまま、ティグリスはうつむいて呟く。
「俺は別に辺境伯家を譲っても構わないんだが、母様の気持ちを無視もできない。国境を守るのも大切だし、家を立て直さなきゃいけないのも確かだ。フルーム様と折り合いがつけばいいんだがな」
その言葉には彼の葛藤がにじみ出ている。俺は脳内で「ティグリスも苦労しとるなあ」と声をかける。アーテルも同意しつつ、「でも、これで兄上の考えが少しわかったよね」と返してきた。
最後にティグリスは木剣を片付けながら、俺に向き直り、しっかり目を合わせる。
「アーテル、お前の強さは確かに伸びている。母様の思惑はともかく、騎士団の奴らも、いずれお前を無視できなくなるだろう。けど、余計な火種を抱えることにもなる。自分の立ち位置をよく見極めろ」
「それは……はい、わかっています。撲はただ、自分の身を守り、妹を守りたいだけで、派閥争いに首を突っ込むつもりはありません。だけど必要なら、騎士団とも上手くやっていきますよ」
「そうか。ま、頑張れよ。家がどうなるか、俺もわからないが、いずれまたお前と手合わせしたいから、もっと精進しろ」
ティグリスはポンと俺の肩を叩き、騎士たちを連れて訓練場を後にする。送り出す騎士たちの態度から察するに、ティグリスはすでに相当な支持を得ている。やはり彼が後継者となって国境を守るシナリオは現実味があるのだろう。
見送ったあと、俺は大きく息をついて疲れを噛みしめる。オノリー、デュラン、ヴェネリとの稽古に加えてティグリスとの模擬戦――体力は限界だが、心の内には満足感が広がっている。実践で確かな成長を感じられたし、ティグリスにも「肉薄した」と認めさせたのは大きい。
(でも、ルブラが困るだろうね。騎士団はティグリス寄りだといっても、僕たちが割って入っている以上、摩擦は避けられない。下手に刺激して暗殺未遂が再燃しないといいけど)
――まあ、俺たちは焦らんとこ。辺境伯家の経済事情も厳しいみたいやし、騎士団の中も一枚岩とは限らん。きっと、まだ動きがあるで。
脳内で二人三脚の会話を交わしつつ、俺は訓練場を後にする。次なる行動をどうするかは未定だが、オノリーたち三騎士との連携はますます深まり、ティグリスとも一応言葉を交わして認められた。以前よりは少し前に進んだ気がする。
こうしてアーテル=グラキエスは、三騎士との稽古を通じて実力を高め、再び現れたティグリスとの再戦にも僅差で敗れるほどの実力を示した。惜敗ではあったが、ティグリスの「強くなったな」という言葉は、周囲の騎士たちにもアーテルの成長を印象づける結果となる。
一方で、辺境伯家の抱える経済危機――軍事費が嵩み、先の隣国との戦争でかさんだ負債をどうするのか。ルブラは実家のネットワークで交易を促進しようとしているが、後継者の座を得なければ真の改革に踏み切れないというジレンマを抱えている。ティグリスはそれに協力する立場にありながら、自分が望む後継者像はまた別にあるらしい。フルーム母上との衝突も避けられそうにない。
俺としては、暗殺未遂の真犯人や母の死の謎を解き明かしたい思いを抱えており、継承争いに巻き込まれたくないのが本音だ。だが、周囲の事情が絡み合う以上、完全に距離を置くことは難しい。いつかルブラやフルームとも正面から向き合う時が来るかもしれない。ネーヴェも心配だし、フラウス兄上も気になる。あまりにも問題は多い。
(でも、オノリーたちと連携できて、ティグリスとも言葉を交わした。敵ばかりってわけでもないんだな)
――そやな。この勢いでいろいろ解決すればええけど。まあ、焦らず少しずつやっていこか。
頭の中でアーテルが「うん」と頷いて訓練場の出口を出た。外には爽やかな風が吹いている。先がどうなるかはわからないが、剣術の腕を確実に伸ばしている手応え、そして兄弟の一人としてティグリスに一歩近づけた感じが残っている。
厳しい状況でも、一歩一歩積み重ねる。それが暗殺未遂を乗り越え、妹を守り、黒幕ルートを回避するための唯一の道なのだ。そんな思いを胸に、アーテル=グラキエスはまた明日の鍛錬に備えるべく歩みを進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます