いらっしゃいませ、愛しの君

鶴川ユウ

第1話

 ポイントカードを貯めるために、ちまちま計画する人の気持ちが分からない。

 後生大事にポイントを集めても、手に入るのはせいぜいペットボトルのお茶一本だろ。自分で買った方が早いだろうに。

 とはいえ、ここに現物がある。

 俺はベアベアマートのポイントカードを、しげしげと観察した。ホームルームが終わった教室は、とても静かだ。

 タッタッタと軽快な足音が近づき、その静寂が破れる。

「こしろー、何見てるん?」

 七枝寿一ななえだじゅいちが横合いから現れた。こいつは中学からの友達で、縁があったのか同じ高校の同じクラスになった。

 スポーツ刈りに、日に焼けた肌。ガタイがよく強面と見せかけて、中身は陽気で親しみやすい男だ。

 俺は寿一にポイントカードを渡す。カードにはクマのスタンプが二つ押されている。昨日学校近くのコンビニで、店員からこれを渡された。

「そこのコンビニのポイントカードじゃん」

「押しの強い店員にもらった」

「へえ。珍しい。街で配られるポケットティッシュも、駆け出しのアイドルの女の子が差し出したフライヤーも無視すんのに」

そこまで、すげなく断ってはいないはずだ。

 寿一はけらけらと笑う。

「よっぽどそのコンビニ店員が好みだったんだ」

「……」

「あれ、否定しない感じガチ?」

 容姿が整っていたのは間違いない。そいつは男だけれど。


 昨日の放課後のことだ。

 ベアベアマートの前を通りかかると、件の男の店員に話しかけられた。

ベアベアマートはコンビニチェーンの一つで、オレンジのクマのロゴがトレードマークだ。店員の制服にもオレンジのストライプが入っていて、看板もオレンジと黄色を加えた二色で構成されている。

「こんにちは。ベアベアマートのポイントカードをお作りしませんか? 五百円ごとのお会計でスタンプを一つ押させていただきます! スタンプを集めると、景品と引き換えられますよ」

 コンビニ店員の立て板に水のような営業トーク。

 俺は聞き流して通り過ぎることにした。

「学生さんにもお得ですよ!」

 しかし、このコンビニ店員は粘り強かった。早歩きの俺の隣に並んで、話し続ける。コンビニ店員は柳眉の若い男で、人好きのする笑顔を浮かべている。いつもよくいる店員で、まともに顔を見たのは初めてだった。

「新手のナンパかよ」

「あ、やっとこっち見てくれましたね。ナンパではありませんよ、お客様」

 コンビニ店員は、俺の目を正面から見て微笑んだ。

 笑顔を太陽に例えることがある。このコンビニ店員の場合は、月のような笑顔だった。控えめでさりげなくて、スマートな笑顔だ。

 横断歩道の手前で、俺とコンビニ店員は立ち止まった。

「それで、このポイントカードなんですけど~」

俺は根負けした。青信号を待っている間だけは、説明を聞いてやってもいいか。

「五百円ごとに貯まるスタンプを全て集めると、豪華景品がもらえます!」 

 それはさっき聞いた。

「ほら、このスタンプは、私の特製スタンプでして、ベアベアマートのクマを意識しています。かわいいでしょう。今お配りするポイントカードには初回特典で、二つ押しております」

「いやぶっさ」

 見せられたポイントカードのクマに、思わず突っ込んでしまった。

 クマの目は一本線で鋭く、狂暴だった。全体の線もガタガタだ。俺が美術の授業で作った彫刻の方が上手いかもしれん。

 コンビニ店員は笑みを深める。

「愛くるしいでしょう!」

「むしろ逆だって」

「五百円お買い物すれば、このクマのスタンプを押しますよ。新しいスタンプも鋭意製作中です」

 それは……いやいや、どんなスタンプか興味をそそられてなんかない。

「どうぞ」

 コンビニ店員は歩行者信号が赤だと確認すると、俺にポイントカードを押し付けた。

 コンビニ店員の手は細く筋張っていて、大人の男の手だった。

「ドウモ」

 コンビニ店員はふわっと笑う。あまりにも嬉しそうに笑うから、迷惑だなと感じていた気持ちを消えてしまう。

 ポイントカード一枚ごときで、俺一人に、こんなに一生懸命になるなんて、変な人だ。

「ではまたのお越しをお待ちしております」

 信号が青になり、コンビニ店員は一礼して離れていく。離れていく足取りは、やがて駆け足になり、しまいには彼はベアベアマートにダッシュで戻っていた。

 なんだよ、持ち場を離れちゃいけなかったんじゃん。

 つくづく変な店員だった。

 

「こしろーが誰かに興味を持つなんて珍しい。 俺もその店員さんに興味持っちゃったよ」

「興味なんてないし、行かんぞ」

「言うて、俺ら根美ねび高生はあのコンビニにしょっちゅう寄るやん」

「う……」

 寿一の言う通り、ベアベアマートは根美高校からとても近い。校門から道路を挟んだ向かいの道に、ベアベアマートはそびえたっていて、朝にも放課後にも、何度か立ち寄っている。

「五百円で一ポイントだろ? 普通に買い物していて、ポイントを貯めて豪華景品と引き換えなんて、お得じゃないか。俺ももーらお」

 ゲームソフトとか当たんないかなーと、寿一は欲しい物を指折り数えた。

 コンビニでゲームソフトは当たらんだろう。

「なんなら今日、ベアベアマートに行こうぜ」

「まあ……いいけど」

 放課後の命題は暇をつぶすことだ。

 開け放たれた窓から、春風が吹き込む。はるか遠くから、運動部の掛け声が風に乗って届く。

 帰宅部の俺達には、遠い世界の音楽だった。


 俺と寿一は一時間後に、ベアベアマートを訪れた。オレンジの看板と暮れかかった夕陽が重なって眩しい。

「本当に行くとは」

「俺は有言実行の男だよ。どの店員?」

 寿一はペットボトル飲料の棚から、遠目にレジの様子を伺った。三つレジがあり、一つはセルフレジ。有人レジの片方は誰もいなくて、もう片方のレジにはポニーテールの女の店員が入っていた。

 あの熱心な店員はいない。

「いない」

「休みなのかな。残念」

 肩透かしを食らった気分だ。

 俺はいつも飲んでいる炭酸飲料と、スナック菓子を二袋持ってレジに並んだ。

 セルフレジはクレジットカードと、電子マネー専用だ。現金オンリーの俺には縁がない。

「こしろー決めんの早くない? あっ、俺は期間限定のパンにしよ」

 寿一は期間限定のパン(総称がカタカナで長い)と、ささみチキンのパックを持って、俺の後ろに並んだ。

「これで五百超える!」

「ささみチキンて、女子かよ」

「筋肉がつきやすいんだよ」

 ポニーテールの店員以外に、店員は見あたらない。レジ待ちの列ができているのに、いいのかよと思っていると、チーンと小さい鈴が鳴った。

「こちらのレジへどうぞ」

 よく通る涼やかな声、目まで細められている笑顔、日本刀のようにまっすぐな姿勢。あの店員だった。

 俺は視線を落として、レジに商品を置いた。

「合計で六百十円です」

 お金を置く台に、小銭をじゃらじゃら置く。

 ちらりと店員の顔色を伺う。変わりはない。

「六百十円ちょうどお預かりします。袋はご利用ですか?」

「いりません」

「箸はいかがですか?」

「それもいりません」

 定型句のやりとりが繰り返される。

そうだよな。高校生は数えきれないほど来店する。数分言葉を交わしただけで、俺を覚えているわけない。

 どうしてだろう、胸の風船が急速に萎んでいく。

「温めますか?」

「結構です」

「では、ポイントカードはありますか?」

 俺ははっと顔をあげた。店員はにこやかに微笑んでいる。

「俺のこと覚えて……」

「勿論覚えてますよ。ごめんなさい、お客様が悲しそうな顔をするもので、つい意地悪してしまいました」

「悲しそうな顔なんて、してねーし」

 俺はポイントカードを渡した。コンビニ店員はお辞儀をして受け取る。

「捨てずに持ってきてくれたんですね」

 店員は制服の胸ポケットから、スタンプを取り出した。スタンプをオレンジの朱肉につけて、不細工なクマのスタンプがポイントカードに押される。

「はい、五百円分ですので、一つ押させていただきました」

「あざす……」

 既に押してあったクマとは絵柄が違う。今度のクマはマフラーをしておて、大きなつぶらな瞳だった。センスが謎だ。

「今後もかわいいクマちゃんを量産するので、お楽しみください」

 店員はまた元の通りに、胸ポケットにスタンプをしまった。

 これで三ポイント貯めた。

 あと二つ貯めると、何かと引き換えられる。

 その前に、豪華景品が気になった。

「豪華景品って、何が当たるんすか」

 店員は一拍置いて、とびきり柔らかく微笑んだ。

「お客様をあっと驚かす、素敵なものですよ。ぜひとも今後も当店をご贔屓に。ありがとうございました」

 俺をあっと驚かす、素敵なもの。

 この見慣れたコンビニにで、出会えるのだろうか。

 この退屈な毎日に刺激を与えてくれるようなものに。

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