第3話
今までの煌めくような好景気が急に崩れたのだ。
所謂、バブルがはじけた状態だった。
大きな会社は合併をしたり、より大きな会社の傘下に入ったりして、その命をつないだ。けれども、全ての社員を助けるわけにはいかなかった。どこの会社でも肩叩きが行なわれ、職を失ってしまう人が続出した。
うちのような小さな会社でも、パートや派遣社員がどんどん削られていく。
「なあに、俺たちは正社員だ。お前も俺も成績はいい。切られることなどないさ」
同僚と飲みに行くと、彼は自信満々そう言ったけれど。
まさか、会社そのものがなくなるとは思わなかった。
「倒産」。その事実は、僕から人生を奪った。
妻には迷惑をかけた。
役場に勤めていた涼子は、懸命に働いてくれていた。僕は、なるべく涼子に金の苦労をさせたくなくて、アルバイトを掛け持ちして過ごした。
涼子は、貧乏を苦にする質ではなかった。きちんとやりくりをして、毎日美味い料理を食べさせてくれた。僕が「美味いね」と言うと、いつも笑顔で「よかった」と答えた。
僕は勤め先が倒産して、何もかも失ったと思っていたけれど、大切なものは何も失っていないのだと気付いた。
いつも明るい妻と、可愛い娘。それ以上何を望むことがあっただろう。
幸いなことに、前の会社が倒産して2年後、僕は再就職することができた。
前の会社とつきあいのあった会社の専務が、僕のことを覚えてくれていたのだった。
「君は真面目だし勤勉だから、期待できる」
そう言ってくれた。
自分の年齢のこともあったし、一から仕事を覚えるのは難しかったけれど、やりがいのある仕事だった。一生懸命、仕事をこなした。
その会社で、僕は定年を迎えた。
◇ ◇
「どうだい、なかなか平凡な人生だろう」
父は笑う。
「そうだね」
私も笑った。
「癌を患ったのは想定外だったがね。でも、ずっとお母さんは僕のことを支えてくれていたし、佳代子は可愛いまま育って、嫁に行って、もっともっと可愛い孫を産んでくれて」
あはははは。父と母と私、三人して笑う。
「ほんの少しの波はあっても、振り返ってみれば、幸せな人生だったよ」
「よかったね、お父さん」
「ラ・ビ・アン・ローズなんだろうな、きっと」
父は、満足気に微笑んだ。
「そうかもしれないわね」
母も微笑みながら、そっと涙を拭った。
La Vie en Rose、薔薇色の人生。
父は、平々凡々とした一生を、そう振り返った。
その夜、病状が急変し、翌日、父は亡くなった。
天に昇っていく煙を見ながら、母が言った。
「実は私もね、同じ占い師に『あんたの人生、ラ・ビ・アン・ローズだよ』って言われたのよ」
可笑しそうに笑う。
「きっと誰にでも言っていたんでしょうね」
母の言葉に、私も笑った。
「お母さんもラ・ビ・アン・ローズだったの?」
私は母の顔を覗き込む。
「勿論」
母は、泣き腫らした目で笑った。
父のように平々凡々と生きた人も、波乱万丈に生きた人も、勿論、私自身も。最期は穏やかに振り返って、「ラ・ビ・アン・ローズ」だったと思えますように。
見上げる高く青い空に、そう願った。
〈了〉
ラ・ビ・アン・ローズ 緋雪 @hiyuki0714
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