ラ・ビ・アン・ローズ

緋雪

第1話

 もう残り少なくなった命の傍に、私はいた。


 父の危篤の報せを受け、取るものも取り敢えず、慌てて帰省したのだ。

 

 病院に駆けつけた時、意外にも父は、ベッドを少し起こして母とにこやかに話をしていた。

 私を見つけると、母が父に

「お父さん、佳代子かよこが来ましたよ」

 と、話しかけ、私を手招いた。


 父の顔を覗き込む。

「お父さん、大丈夫なの?」

 父は笑った。

「まだ大丈夫みたいだ。急に帰らせてしまったんだろう。悪かったな」

「いいのよ、そんなこと。お父さんの元気な顔を見られて安心した」

 それは、私の心からの言葉だった。


「お母さんとな、昔の話をしてたんだ」

「へえ。どんな話? 出会った時のこと?」

 うんうん、と父は嬉しそうに頷く。

「あら、いやだ。娘にそんなこと聞かせないで」

 母は、照れくさそうに、けれど、楽しそうに言う。


 父は遠い目をして語り始めた。


「学生時代、失恋した頃の話を思い出したんだ……」


 ◇ ◇


 友人宅で遅くまで飲んだあと、下宿に帰ろうとしたら、いつもの道路が工事中で通れなかった。仕方なく僕は回り道をした。

 その通りから一本入った商店街。こんな遅くまでやっている店もなく、シャッターが降りている。店が開いていないだけ、人がいないだけで、どこか寒々としている。

「はぁ」

 自身の胸の内のようで、自然とため息が出た。



「女一人にふられたくらい何だ! 女なんて五万といる! 次、頑張れよ!」

「そんなに急に切り替えられたら世話ないだろ、他人事だと思って」

「いや、お前は、俺に比べたら劣るが、そこそこいい男だ。見る目のある女が絶対にみつかる! 保証する」

「お前の保証が信じられるか」


 酒を飲みながら、明るく励ましてくれる友の存在を有り難く思いながらも、僕は失恋の痛手で塞ぎ込んでいた。



 ふと商店街のシャッターの前に、占い屋がいるのを見つけた。こんな寒い日に、しかも誰も通りそうにないのに店を出しているのか。余程儲かってないのだな。当たらない占い師なのかもしれない。

 僕はそう思いながらも気になって、その占い屋の方に歩いていった。


「一回幾らですか?」

「500円です」

「高いな」

「特別価格です」

「特別価格?」

「あなたの人生全てを占いましょう」


 人生全て? そんなものが見えるのか? 僕はとても不思議で、つい、その前の椅子に座ってしまった。


「手相を」

 言われるままに、両手を差し出すと、灯りに照らし出された皺を確認したり、手の裏表を返したりしていた。

「お名前を、漢字で、こちらに」

 そう言うと、縦長の紙とペンを出してきた。僕が名前をそこに書くと、なにやら計算をしていた。

「生年月日を。できれば曜日と時間まで」

 言われるままに答える。母が育児日記を書いてくれていたお陰で、曜日や時間まで覚えていた。


「ふむ」

 暫く黙ってそれらを見つめていた占い師は、視線を上げて僕を見た。

「ラ・ビ・アン・ローズでございますな」

「ら、び……何だって?」

「『薔薇色の人生』でございますよ」

「僕の人生が?」

「沢山、いろんなことがございます。けれど、あなたは、いつか、薔薇色の人生だと感じるでしょう」

「……ありがとう」


 500円損をした。そんなこと、誰にでも言っているに違いない。手相やら名前やら生年月日。そんなもっともらしい事を聞いて、適当に答えただけだ。

 僕は、より打ちひしがれて下宿に帰ったのだった。

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