士人船

明日和 鰊

士人船

『わたしが小さい頃、祖父は夕方になると時々何処かに出かけて行きました。

 農作業をしているときでさえ、わざわざ仕事の手を止めて家を空けるほどです。

 わたしが、どこへ行くのかと尋ねると、「士人船を見送りにいく」とだけ告げて、船着き場に向かっていたのです。

 小学校の高学年ぐらいに、島の歴史を先生が授業で教えてくれて初めて、士人船の意味を知ることが出来ました』


 川村理恵に手紙が届いたのは、幼馴染みの爽太が亡くなって一月ほど経った頃だった。

 差出人を見ると、爽太が大学のサークルで紹介してくれた彼女だと思い当たる。

 理恵は一時期、爽太の入っている民俗学研究サークルに所属しており、その際に何度かその顔を見たことがあった。

 理恵はその手紙を持ち、エレベータを上がる。


 自室のドアの前に小さい水溜まりが出来ている。清掃業者の不手際か、それともマンション内の子供のイタズラかはわからないが、理恵は建物の不備に不快を感じて、引っ越しを考えていた。

 防犯設備で選んだマンションだったが、最近は共用施設の所々に水溜まりの跡のようなシミが出来ている。

 そろそろ引っ越しの準備をした方がいいのかしら、と付き合っている相手の顔を思い浮かべながら、理恵は暗証番号を打ち込み、部屋のドアを開けた。


 理恵が食事を済ませてスマホを探していると、ソファーに放ったままの手紙に気付き、封筒を開ける。

 中には便箋が数枚入っていた。

『お久しぶりです川村様、突然の手紙失礼いたします。わたしは現在故郷に戻っており、その折り川村様が以前ご興味を持たれた、士人船について調べる機会がありましたので、他にもいくつかお伝えしたい事もあり、筆を執らせていただきました』

 理恵は士人船という単語すら覚えてなかったが、伝えたい事という言葉が気になり読み続けた。


『士人船は古くから伝わる島の伝統で、遠くからやって来た身分の高い人や立派な人が、島から帰るときに島民のみんなで送り出したことから、始まったらしいのです。

 現在では、定期船で帰る本土からの観光客に対して、また来てくださいという意味を込めて島民が見送りにいくのだと、先生が教えてくれました。 

 ただ当時でもこの伝統は廃れかけていて、集まっていたのは島のお年寄りが数名ほど、だったと思います』


 彼女がなぜこんな手紙を送ってきたのか、理恵にはその意図がわからなかった。

 若干の気持ちを悪さを感じながらも、理恵は退屈な説明部分を読み飛ばしながら、手紙を先に進める。


『御存知でしょうが、先日爽太さんがわたしの故郷の島で命を落としました。

 爽太さんは私の両親に結婚の挨拶に来てくれたのですが、その際に事故に遭い、崖下に落ちたと聞いておられると思われますが、実はそうではないのです。

 あの日、私たちはあることを巡って口論になりました。爽太さんが今頃になって、婚約を破棄したいと言い出したのです。爽太さんは優しい人でしたから、喜ぶわたしに中々言い出せなかったと泣きながら謝罪をして、好きな人がいると告げてきました』


 理恵は顔をしかめると、手紙を置いてソファーから立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出してクイッと一口呷りソファーに戻ると、目の前のガラステーブルに缶を置いた。


 爽太は優しいと言うより、優柔不断な男だった。

 理恵は爽太が幼い頃から自分に好意を持っている事をよく知っていたが、彼を男としてみることが出来ない理恵は、その前で多くの男と恋愛を重ねていた。

 しかし爽太が脈のない理恵をやっと諦めて彼女を選んだとき、理恵の心の中で変化が起きた。

 だがそれは嫉妬心などではなく、ただ自分の玩具を盗られたような不快な気分でしかなかった。

 婚約の報告をする為、会社近くの喫茶店に爽太が一人で来たときに、理恵は優しく爽太の手を握ると「本当の気持ちに気付いたの」と囁いた。

 爽太はすぐにその手を振りほどいたが、その瞳が動揺していることは理恵の目には明らかだった。

 理恵は先程の行為を謝ると、最後に久しぶりに二人きりで自分の家で飲まないかと誘う。

 断ろうとする爽太が、その言葉に息を呑んだのを見た理恵は自分の勝利を確信し、その夜二人は長い付き合いの中で、初めて関係を持った。


 まずいことになった、と理恵は思った。

 理恵の方も、もう少しで大企業の御曹司との縁談がまとまりそうなのである。

 爽太とのことはもちろん本心ではなく、自分の玩具を盗られた腹いせによるイタズラのようなものだった。ただ彼女との仲を引っかき回し、あわよくば自分に都合のいい男をキープしておく為だけの関係、その程度の考えでしかなかった。

 その後も、理恵の誘いを断り切れない爽太とは何度か関係を重ねたが、会うたびに思い詰めたように爽太の顔色が悪くなっていく事が気持ち悪くなってきた理恵は、自分の方から連絡を絶ったのだ。


 自分の住所を彼女は知らない筈だから、爽太から聞いたのか人を使って調べたのだろうと考え、どちらであっても手紙を送りつけてくる時点で彼女は、自分と爽太の関係を知っている筈だと思った。


 このとき理恵はまず、自分の縁談を心配した

 爽太が亡くなったと聞いたとき、理恵は思い詰めての自殺を疑っていた。

 だから後で事故で死んだと聞いたときは、不謹慎ながらホッとした。

 だがもし全てを知っている彼女が、自分と爽太の関係を騒ぎ立てたら、縁談はどうなるのかと思い、身震いをする。

 理恵は手にとった缶を震える手でテーブルに戻し、彼女の真意を探る為に手紙の続きを読み始めた。  


『爽太さんと口論になったわたしは、つい爽太さんを突き飛ばしてしまいました。

 言い訳するつもりではありませんが、あのようなことが起こるとは、わたし自身も思っていなかったのです。

 爽太さんに、人がいないところで話がしたいと言われたわたしは、人気の無い林の中へと彼を連れて行きました。

 整備されていないその林道には、大きな石や枯れ木の枝などがたくさん落ちており、爽太さんはよろけた弾みでそれらに足を取られ、大きな石の塊に頭をぶつけて動かなくなったのです。……』


 理恵は思わずその手から手紙を落として、絨毯の上にばら撒ける。

 これじゃ、殺人の告白じゃない。

 しかし戦慄しながらも、理恵は手紙の内容に疑問を持った。


 理恵が葬儀に出たときには、爽太の遺体は棺に無かったのだ。


 爽太が事故で落下したのは複雑な海流が入り乱れる崖の上で、流されればどこに辿り着くか、島の人間でもわからないといわれる場所だと聞いた。

 彼女と島の数名が事故を目撃し、警察もしばらくは捜索を続けていたが、発見できぬまま打ち切りになった事で、遺体が無いままに葬儀をすることになったはずだ。

 林で死んだのであれば、遺体は存在するはず。だとしたら、彼女が証拠になる遺体を隠したのか?ならば何故、自分にそんな事を告げるのか?嫌がらせにしてはリスクが高すぎる。理恵の頭の中で、いくつもの疑問が湧き上がる。

 この女は爽太が死んで、おかしくなったのだ。

 結局、理恵はそう結論づけた。

 だとすると女の言葉が他人に信用される可能性は低いが、しかし、だからこそ何をするかわからない恐怖を理恵は感じた。


 絨毯に膝をついて、ひろがった便箋を拾い集めながら、理恵は他にも不都合な事が書かれてないか確認をすると、先程読み飛ばした士人船の説明の続きが目に入る。


『先程の士人船の話は、以前にも少しお話ししましたが、あの時は知らなかった事実がわかりましたので、お伝えいたします。

 祖父が亡くなり、その遺品を整理しておりますと、古い書物が見つかりました。

 実は士人船は明治期までは、屍人船と呼ばれていたらしいのです。

 わたしの生まれた島は昔は流刑島だったらしく、高い身分の方々が政治犯として送られてきたそうで、島民の多くも元々は、彼らの監視とお世話をする為に連れてこられた人間でした。島に馴染む流刑者もいたそうですが、しかしその多くは故郷に帰りたいと毎日のように嘆いていたそうです。当時の事ですから、高貴な方が恨みや未練を持って亡くなると、祟りを起こすかもしれないと半ば信じられておりました。それで彼らが亡くなった後に、その屍を桶に詰めて船で沖まで流し、潮の流れに任せて彼らの帰りたいという思いを叶えてあげたそうで、流刑島としての役割を終えた後も、無残な死にかたや未練を抱えて死んだ者を海に流して弔ったそうなのです。島をあげての盛大なお見送りも、屍人船が島に舞い戻ってこないようにとの意味があったそうで、もし屍人が戻ってくると島に不幸が訪れる、とも考えられていたようです』


 屍という文字に理恵は手が凍り付いたように動かなくなるが、読んでみるとただの昔話だと判り、他の便箋に手を伸ばして告白の続きを探し、ソファーに座り直した。


『……動かなくなったのです。警察に通報する事も忘れて、しばらくその場で動けずにいましたが、わたしはふと屍人船のことを思い出し、人気の無い時間を待って船を沖に出すと、爽太さんの乗った屍人船を一人で見送り、次の日に警察に通報をしました』


 手紙の内容の真偽はともかくとしても、この女はかなり危ないところまでキていると理恵は悟った。

 感じていた気懸かりな事が、理恵の頭にはっきりと浮かぶ。

 一週間前からのマンションの水溜まりやシミは、エントランス、エレベーター、廊下、そして今日はドアの前と、段々と自分に近づいていた。


 この手紙だけでは警察はすぐには期待できないかもしれない、と考えて理恵はスマホを取る。

 今はとにかくあの女に誤解だと説明して嫌がらせを辞めさせなければ、エスカレートして何をされるか分からない。

 理恵は急いで民俗学サークルにいた知人に電話を掛けて、女への連絡方法を尋ねようとするが、その名前を聞いた知人は、

「彼女、一週間前に亡くなりましたよ」と沈んだ声で返してきた。

「目の前で事故に遭った事が相当こたえたんでしょうね、同じ崖から飛び降りて。ただ、不幸中の幸いと言って良いのかどうかわかりませんが、遺体はすぐに見つかったそうです」

 

 緊張の糸が緩んだからか、強く握っていた理恵の手からスマホが滑り落ちる。

 落ちたスマホはソファーでバウンドして、ガラステーブルの上でカンッという打音を立て絨毯に落ちた。

 あの女が死んでいた?だとしたら、自分の思いすごし?

 通話中のままのスマホを拾おうと理恵がかがむと、先程拾い損ねた便箋が絨毯の上に残っている事に気付く。

 

『わたしは愛する人を手にかけてしまいました。

 もし爽太さんが心変わりをしてくれて、自分を殺したわたしの元へ帰ってきてくれるのであれば、喜んで付いて行こうと思います。

 ただ、そうでないのならば、わたしはもう川村様と爽太さんへの恨みも未練も捨て去りたいと思います。ですから、もし爽太さんが川村様の元に帰ってきたのならば、大切にしてあげてください』


 首筋に冷たいものを感じた理恵が、悲鳴を上げて這いずりながら前へ逃げる。

 荒い息で首筋を触ると、透明な液体が手に付いた。

 視線を上げると、缶ビールに付いた水滴が流れて、ガラステーブルのへりをつたって絨毯を濡らしていた。

 安堵した理恵は引きつった顔でしゃくり上げながら、気がふれたように笑い続けた。


 自分でも止められないその笑いがおさまったころ、理恵がゆっくりと顔をあげる、と




 知人からの通報を受けた警察が理恵の部屋に入ると、そこには誰の姿も無かった。

 争った形跡も無く、気になる事と言えば、部屋中の床が少し湿っている事だけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

士人船 明日和 鰊 @riosuto32

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ