1章 3話

 雨が降っている。

 ハクトは新緑の瞳を細めて空を見上げた。

 初夏の風が、夕陽の髪を色付きはじめた空に攫う。


「どうした、ハクト?」


 聴きなれた声に呼びかけられて、ハクトは面倒そうに首を横に振った。


「何でもないよ、キャロ」

「その呼び方やめろよな」

「似合ってるから良いだろ」


 カロアンは心底嫌そうに顔を顰めながら、ハクトの隣に座った。

 こういう時間は別に珍しいものではない。

 ハクトが一人で屋根やらどこかしらに座っているのを見つければ、大抵の場合カロアンはその隣に並んだ。ハクトもそれを拒絶したことはない。

 そうするのも馬鹿らしかったから。


「あのガキ、面倒見ることにしたのか?」


 カロアンが言う。


「お前も物好きだよなぁ」

「オレの面倒見たお前も大概」

「面倒見られてる自覚はあんのか」

「見た、だ。昔の話」


 不機嫌にハクトが返せば、かわいくねぇなとカロアンは楽しそうに笑う。

 彼のこういう保護者面したところがハクトは嫌いだった。

 嫌いだが、実際に彼はロベッタの庇護者だ。この街にいる以上、カロアンと言う人間を拒むこともできない。

 彼を殺しでもしない限りは。

 今のところ、ハクトにはそのつもりもなかった。彼のようにこの街を引き受けるのなどごめんだ。


「お前が他人に興味持つなんて珍しいな、ハクト」


 何気なさを装った質問に、ハクトは溜息を吐いた。


「だから何?」

「何ってわけじゃないけど、ただ珍しいと思っただけさ。いつもは他人なんてどうでも良いって顔してるくせに」

「どうでも良いからね」


 それだけ言って、ハクトはふいと立ち上がる。


「どこ行くんだよ」

「雨避け」

「雨?」


 カロアンは怪訝な顔でハクトの後ろ姿を見つめた。


「雨なんて降ってないだろ?」


 その背に向かって声を飛ばしても、ハクトは答えることも振り返ることすらしない。

 ちっ、とカロアンは舌打ちをした。


「変なやつ」


 真似るようにカロアンが見上げた空は、うんざりするほど鮮やかな夕陽に染められている。


────────────────────────


 鬱陶しい、とハクトは小さく呟いた。廃屋同然の家の陰に座り込んで耳を覆う。

 ここ数週間は全くの晴れ空だというのに、雨音が耳を離れない。

 雨は嫌いだ。

 俯いた顔を長い髪が覆い隠す。

 ここにある何もかもが嫌いだった。

 生まれてから十と数年。自分自身とこの小さな街にうんざりするのには、十分すぎる長さだ。

 伸ばした髪で狭まった視界と、ありもしない雨音に掻き消される人の声。生きる音。

 そのくらいで良かった。

 それ以上感覚してしまえば気が狂いそうだ。


 癖のように耳飾りを指で擦る。

 金属の冷たさと鈍い痛みに、少しだけ胸の内が落ち着くような気がした。

 全てを遮断するようだった雨が弱まる。

 ハクトは見えないものを視るようにそっと目を閉じた。


 夜。

 雨が降っている。

 雷鳴も聞こえる、強い雨だ。

 その只中にハクトは立っていた。

 強い破裂音が響き、視界の端を銀糸が掠める。

 囁くような笑い声が聞こえて、ハクトはぱちりと目を開いた。

 これ以上は見る必要がない。


 面倒だと思いつつ立ち上がって通りに出れば、夕空の下にさっき別れたばかりの青年を見つける。

 気は進まないが、話しかけねばならない理由ができてしまった。


「キャロ」

「なんだ、そんなとこにいたのかよ」


 カロアンの方もハクトを探していたのか、ハクトを見つけた途端に安堵したように表情が緩む。


「オレに用でもあったの?」

「別に」


 心配でもしたのだろうか。

 何だかんだと察しも面倒見も良い奴だ、ハクトの態度に違和感でも覚えたのかもしれない。

 カロアンの顔を見たハクトは、何だか急に色々と考え込むのも面倒になって、溜息のように笑った。


「次、夜に雨が降るときは外出禁止だってみんなに言っておいて」


 説明のない奇妙な言葉にも、慣れた様子でカロアンは頷く。


「おう、いつものか?」

「そういうこと。未来予知ってね」


 わざとらしく、ふざけたように言ってみれば、カロアンは何か言いたげに口を開く。


「……なぁハクト、」


 静止するようにハクトは冷たい声を挟む。


「カロアン。それは言う必要のあること?」

「……いや、何でもない」


 それで良い、とハクトは思った。

 結局わかり合えないのに言葉を交わすなんて馬鹿らしい。

 心配も理解も腹中を晒すのも、こんな街では要らないことだ。


「たまには皆のとこにも顔出せよ」


 カロアンが、言いたかった言葉の代わりのように言う。

 ハクトは肩を竦めた。


「オレがいないほうが、お前だって余計な気を遣わないで済むんじゃない?」

「俺がお前らを気遣ってるような言い方すんなよな」

「さてね。上に立つ人間は可哀想なことで」

「お前こそ余計な気遣いだよ」


 トン、と額を小突かれる。

 ハクトはただ顔を顰めた。

 全く、疎ましい。


「オレは、お前の下についてるつもりはないからな」


 カロアンの灰色の目を見て言う。


「他の奴らは知らないけど、オレはお前に属してもいないし、お前に従う道理もない」

「従えなんて言ってねぇだろ」

「お前がいなきゃ生きていけない奴らとは違うんだ」

「ハクト、お前なぁ」


 呆れたような、怒ったようなカロアンの言葉を無視して、ハクトはくるりと踵を返した。

 従属を嫌う男が、自分のやり方で他人を従属させようとしていることが、何とも滑稽で不愉快だった。


「一人で生きてるつもりかよ」


 背中に声が投げられる。

 ハクトはそれも無視した。

 一人で生きているつもりじゃない。

 一人で生きているのだ。


────────────────────────


 雑多なざわめきに満たされる酒場は、昼間の退廃とは打って変わって賑やかさで溢れていた。

 その中でただ一人、カロアンは不愉快そうな顰め面のまま、手遊びのように空の酒杯を放り投げる。

 宙で掴むたびにかすかに聞こえる、薄い金属の安っぽい摩擦音がやけに耳についた。


「不機嫌かしら?」


 一人の少女が隣に座って、楽しそうに言った。

 確かレミと言っただろうかと淡い記憶を辿る。

 最近入った娘だったはずだ。

 癖はついているが綺麗に伸ばされた黒髪と、琥珀色の目。印象的でそれなりに整った見目をしているから、時期に人気になるだろう。

 カロアンは肩を竦めてみせた。


「まあな」

「あなたでも思い通りにならないことなんてあるのね」

「からかってんのか話を聞こうとしてるのか、どっちなんだ?」

「ハクトくんの関係してることなら、詳しく聞いてあげる」

「なんでだよ」

「彼のこと好きだから。女の子はみんなそうだけどね」


 レミはからからと楽しそうに笑って、カロアンの手から杯を奪い取った。

 からかいのつもりなのだとしたら随分肝が座っている。

 鈍く光る金色の腕輪が、少女の骨張った細い手首で揺れていた。


「彼とっても強いし、顔も綺麗だし」

「俺はあいつが好きじゃない」

「知ってるわよ、この街ではみんなね」


 ぐっと杯を呷りながらレミは言う。

 カロアンは溜息をついた。

 女は強いなどと昔から言われているが、最近になってその意味がわかってきた気がする。


「お前、すぐ売れるようになるよ」

「お気に召した?」

「気の強い女は生き残るってだけだ」

「じゃあ贔屓にしてね。そんで次はハクトくんを連れてきてよ」

「図太い神経しやがって」


 生意気で腹立たしいが、不思議と不快ではない。

 カロアンは軽く笑ってレミの肩を叩いた。


「わかったよ、今度はあいつも連れてくる」

「ふふ、媚び売ってよかったわ」

「あれで媚びてたつもりか?」

「要求を飲ませたんだから私の勝ちよ」

「その強気のまま生きられたら上出来だな」


 あら、とレミは首を傾げる。


「あなたが私を贔屓にしてくれたら、この街では怖い目なんか遭わないで済むでしょう? 強気でいる必要なんてないわ」

「さあね。俺のことを嫌いな奴なんて沢山いるぞ。むしろ危ないんじゃないか」

「その時はあなたが私を守るのよ。騎士と姫さながらにね」

「ごろつきと娼婦の間違いだろ」

「もう、夢くらい見させてよ」

「そりゃお前の仕事だ」


 わかってるわよとレミは少女らしく笑う。

 彼女のはじけるような明るい笑みは全くもってこんな酒場には不似合いで、どこか物悲しさのようなものすら覚える。


 例えば彼女が裕福な家庭に生まれていたならば。裕福でなくても、こんな街以外のどこかまともな世界に生まれていたならば、こうして年上の男相手に酒を飲むこともなかっただろうし、その笑顔は夜の酒場ではなく青空の下にあったはずだ。


 結局のところ、人生なんてものは生まれが全て。

 ろくでなしの親のもとに生まれればその子だって屑になる。

 こんな街でさえなければ、自分だってあいつだって。

 カロアンは言いようのない虚しさを酒で飲み込んだ。


「この街には屑しかいねぇよ」

「何、急に?」


 首を傾げるレミの額を指で弾く。


「騎士様に憧れるなら、こんな街さっさと飛び出せってことだ」

「掃き溜めにだって花は咲くわよ」

「咲くのは花だけだろ。美人がいたってお城もお相手もいやしねぇ」

「案外悲観的なのね、あなた」


 少し驚いたようにレミは言った。


「もっと乱暴な人かと思ってた」


 そうだろうなとカロアンは思う。

 そしてそれも、別に間違いではない。

 このロベッタでは暴力が秩序を守っている。二十数歳の若輩でありながら誰にも頭を下げずに生きていけているのは、彼自身が暴力を有しているからに過ぎなかった。


「俺は掃き溜めの材料だよ。乱暴な人で間違っちゃいない」

「ロベッタの頂点が掃き溜めの材料、ね」

「頂点?」


 思わず自嘲の声が漏れる。


「この街で一番強いのはあいつだろ」

「ハクトくんのこと?」


 カロアンは杯に口をつけたまま頷いた。

 ハクトはカロアンの人生に不意に現れた悪夢だ。


「あいつには誰も勝てない。あらゆる意味でね」


 諦めのように呟く。

 ハクトには誰も勝てない。

 今では街の誰もがそれを知っていた。


「でもあなたがあの子を拾ったって聞いてるわよ」


 レミは理解できないというように言う。


「嫌なら捨て置けば良かったのに」


 カロアンは横に首を振った。


「捨て置いて好き勝手されるのも面倒だろ」


 暴力によって秩序を守るための条件は、一箇所に力が集まっていることだ。カロアンがいくら強くとも、彼に勝てるかもしれない手札が存在してしまえば秩序どころか余計な火種になりかねない。

 だからカロアンはハクトに勝てないと悟った瞬間に手を組むことを選んだのだ。

 二年前、旧体制への反乱が成功したのも、ハクトという圧倒的に強いカードを、その気まぐれによって手にできたからだった。


「俺の群れにあいつがいるんじゃない。いてもらってるんだ、しかも気が向いた時だけな」

「卑屈ね」


 酒場の女に話すようなことでもないと思ったが、どうせ皆ハクトの方が上であることくらい知っている。

 自分を気に入らないと思う人間たちから自分が何と言われているのか、カロアンはよく知っていた

 どうでもいいとカロアンは言葉を続けた。


「誰でも知ってる事実だからな。俺はあいつの身勝手を咎められないし、あいつも俺のことなんて気にしちゃいない」


 まるで道化の気分だ。

 何度目かの溜息が漏れる。

 と、レミの小さな手がバシリと肩を叩いた。

 大きすぎる腕輪が揺れて首に当たり、カロアンは金属の冷たさに目を見開く。


「何だよ」

「酔ってるわね、カロアン」

「はぁ?」

「そういうことにしようよ」


 少女は明るく笑って、杯になみなみと酒を注いだ。

 水面がゆらりと重たく揺れる。

 薄暗い酒場の中で、なぜかその境界面だけが光って見えた。


「私、ハクトくんのこと好きよ」

「さっきも聞いた」

「でも好きなのと同じくらい怖いとも思ってる」


 ぐっと酒杯が目の前に差し出される。

 酒と同じ色に照り映えるレミの瞳が、妙に恐ろしく見えた。


「人間なんてそんなものよ。いつもは隠して生きてるの」

「何を」

「死を望む悪意」


 微かに俯いた少女の輪郭を黒髪が縁取る。

 カロアンは酒杯を受け取りかけていた手を止めた。

 酒場の喧騒が遠ざかり、レミの声だけが耳に届く。


「誰もが誰かの死を望んでる。嫌いな奴にも、好きな人にも、この世の何より愛する相手にだって死んで欲しい。死ねばいいって思いながら笑い合ってる。あなたも、もちろん私だって」


 殺すほどではない。でも死んでしまえば良いと思う。

 嫌いなわけではない。でもいなくなれと願う。


「でもね、こんなのは全部お酒が言わせる戯言なの。そうやって見ないふりをしましょう。明日も笑って生きるためにね」


 この少女は特別利口なわけでも、面白い発想を持っているわけでもない。

 ただ幼いだけだ。

 この世界に傷つくことができるだけの心をまだ持っていて、それを吐露してしまうくらいには子どもであるという、それだけ。

 カロアンは手を下ろし、目を背けるように言った。


「お前こそ、酔い過ぎだ」


 はっとしたようにレミが杯から手を離す。

 小さな手から落とされた酒杯は音を立てて床を転がり、酩酊の香をふわりと立ち昇らせた。

 拾い上げようと伸ばした手に、レミの手が触れる。

 腕輪がかちゃりと音を立てた。


「そうかも」


 レミが酒杯を卓上に戻す。


「ごめんなさい、ちょっと頭冷やしてくるわね」


 彼女が何に当てられたのかはわからない。

 ただ虚しいと、カロアンは思った。

 本当に虚しい街だった。

 夢も希望もありはしない。


 変えられるだろうか、などと馬鹿な思いが頭を掠めて、救いようがないなとカロアンは首を振った。

 自分はもう、骨の髄までこの街の人間だ。

 夢も希望もない虚しい人間が己だった。

 何もできないのではなく、何もする気がない。

 全く嫌な日だとカロアンは天井を仰いだ。

 変わらぬ日々が続くのならそれで構わないというのに。


「話しかけても良いかな」


 ふと、視界の端に白色が映り込む。

 身を起こしたカロアンは、意外な姿に顔を顰めた。


「もう話しかけてるだろ」

「そうだね、ごめん」


 謝る割にそのまま行儀良く座り込んで、少年は興味深げに酒場を見渡した。

 両家の子供だかなんだか知らないが、その調子外れな様子にカロアンは溜息を吐く。


「……名前、なんだっけ?」


 きょろきょろとするばかり少年に痺れを切らして声をかければ、少し安心したように翡翠色の目がカロアンに向けられた。

 妙な居心地の悪さを感じて思わず顔を顰める。


「リディって呼んで欲しい」

「呼んで欲しいって、偽名か?」

「詳しく聞かないでくれると嬉しいかな。名乗れないから」

「そうかよ」


 どうにも奇妙な奴だった。

 埒が明かないと顔を背ければ、その先に白い手が差し出される。


「一週間、よろしく」

「……妖精だったほうがまだマシだったな」


 リディが目を丸くする。


「どういうこと?」

「お前が同じ人間だなんて絶望する」


 こういう超然的な何かが、自分と同じように思考し、生きている存在だと認めたくなかった。

 リディが声を上げて笑う。


「はは、よく言われる」

「は?」

「私は人間だってことだよ」


 空を掴むような会話だった。

 不愉快というよりも、底の読めない気味悪さを感じる。

 ハクトによく似ていた。

 目の前にいる妙に遠い存在。

 カロアンは小さく怨嗟をこぼした。


「俺の人生にはそんなのばっかりだ」

「人間ばかり?」

「人間のなり損ないばかりだ。妖精の出来損ないかもしれないけどな」

「酷いこと言うね」

「お前らのほうが余程酷いさ」


 妙に苛立った気分のまま、カロアンは吐き捨てた。


「自分だけは違う世界で生きているみたいな態度で、一体なんのつもりだ?」

「それは八つ当たりだよ」


 リディが冷淡な声で言う。

 カロアンはひやりとして、この奇妙な少年を見上げた。


「君が嫌いなのは自分でしょう。私でも、ハクトでもない」

「…………」

「私もハクトも、君達と何ら変わりない、ごく普通の人間だよ」

「……ハクトのことなんて、一言も言ってないだろ」


 見透かされたことが腹立たしかった。

 腹立たしくて、癪に触って、それ以上に惨めになる。

 リディは今更はっとして目を伏せた。


「ごめん、嫌な気分にさせちゃったね。君とも仲良くなりたかったんだけど……」

「いや、先に言ったのは俺だ。悪かったな」


 リディが驚いたようにカロアンの顔をじっと見つめる。

 カロアンが謝るなどつゆほども思っていなかったようだ。

 なんだよとカロアンは眉を顰める。


「俺だって自分の非くらい認めるさ」

「いや……ごめん」

「謝るな。面倒なことになる」


 どちらも悪い、などというのは嫌いだった。

 終いになる話はずのがうだうだと長引くのは、両成敗などという中途半端なことをするからだ。自分にしろ相手にしろ、どちらか一方が悪いと決まれば物事は簡単になる。

 それが正しいことかどうかなどは知らないが、少なくともカロアンの世界はそう回っていた。


「そういや、明日からのことは決まってるのか?」


 ふと思いついて、カロアンは尋ねる。


「ハクトのことだから、どうせ何も気回してないだろ」

「え、ああ。確かに何も決まってないけど、適当に見てまわろうかなって」

「一人でか? 馬鹿だな、すぐ死ぬぞ」


 ハクトの客だと思えば誰も何もしない、というほど単純な街ではない。むしろ彼を嫌いな人間からすれば格好の標的だろう。そもそも事情が広まっていなければ、世間離れした身なりの良い子どもなど餌でしかないわけで。


「さっきの詫びだ、明日くらいは俺が案内してやるよ」

「良いの?」

「お前の言う通り、今日が面白くなかったから八つ当たりしたところもあるからな。ただ明後日以降は自分でどうにかしろよ」


 ほんの気まぐれ、と言うよりは後味の悪い思いをしたくないが故の申し出だった。

 どうせただの客だ。面倒なやつでも、一週間後にはいなくなる。

 そんなカロアンの内心を知ってか知らずか、リディは遠慮することもなく微笑んだ。


「ありがとう、助かるよ」


 面倒な翌日を約束して、面倒な一日を終わらせるということだ。

 カロアンは何に対してかもわからない、呆れの笑みをこぼした。


────────────────────────


『気まぐれか?』


 声が聞こえた。

 きっと、自分の耳にだけに。

 ロベッタは眠らない街だ。夜の喧騒にも掻き消されず、その声はいつもハクトのもとにだけ届く。

 ハクトは何も言葉を返さずに、屋根の上から空を睨んだ。


『相変わらず答えないつもりだな。それも良いだろう』


 声は面白がるようにそう言って、しかしハクトの態度に構うことなく話し続けた。


『期日は近いと何度も言ったはずだぞ。そろそろ選ばなくてはならないと言うのに、他人のことなど気にかけている場合か?』

「…………」

『私を無視し続けようと、決められたことが変わることはない。その日までに腹を決めておくことだな』


 これが幻聴だったのなら、どれほど良かっただろうか。

 気配が消えたのを確認してから、ハクトは長い溜息をついた。

 夜の音が戻ってくる。


「お前が勝手に決めたんだろうが」


 抵抗のように吐き捨てた言葉は、自分の耳にも情けなく聞こえた。

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