境界線
葵竜 梢
坂東 晃鷹(1)
目覚まし時計の音。瞼を開くと、薄暗い天井が見える。視界の右側の、青い遮光カーテンの隙間から、朝日が漏れている。
——ああ、今日はどこにいるんだっけ。
ベッドから起き上がり、部屋の中を見渡す。全国チェーンのビジネスホテルの一室。この単調な景色をヒントに自分の居処を思い出すのは難易度が高いので、カーテンを開いて確かめる。そうだ、今日から川崎の現場で仕事だった。
この男、
もともと測量士として大手の企業に勤めていた晃鷹は、現場経験を積みながら、土地家屋調査士と行政書士、それからドローン操縦の国家資格を取得し、十年目に思い切って独立した。
雇われていた頃は一年中、トンネルやダムの建設、新しい道路をつくるとなれば舗装前の調査など、インフラ整備のために依頼が尽きることはなかったが、残業は多いし体力勝負であった。体育会系の飲み会にも、休日返上のゴルフにも、それも大事な付き合いであるため出席するのが当たり前という業界。
フリーになってからは、不動産会社を営む旧友のつてで、関東近郊の仕事をまわしてもらうという、太いパイプの開拓に成功。規模は小さいながらも数をこなすスタイルでやらせてもらっている。
従業員はたった三名の零細企業、しかも都心部のバーチャルオフィスの住所だけを借りる形で開業したので、実際に事務所を構えているわけではないが、年収は増えた。
業務用のパソコンと必要最低限の私物は、下町にあるシェアハウスの個室を借りて搬入した。四畳ほどのスペースに、簡素なロフトベッドとデスクとチェアが設置されている。水回りは共用だが、晃鷹はほとんど使用しない。家賃は光熱費込みで四万円。住民票はここに移動した。
もっとも
例の不動産会社の旧友、その奥さんは、子どもたちの通う小学校でPTAの本部役員をやっている。積極的に活動を盛り上げたいタイプなので、毎年立候補するのだそうだ。
彼女は、年に一度の地域公開講座に登壇してくれる人間を探していた。もちろん謝礼などは出せないので、依頼する側も何度も同じ人には頼みづらいし、運よく同じ人が来年もいいよと親切心から言ってくれたとしても、毎年同じ講演内容では参加者たちに飽きられてしまう。そこで、晃鷹に声がかかった。
小学校では、高学年の授業で伊能忠敬について習う。測量と日本地図をテーマに、ひとつ協力してほしいと頼まれたのだった。
大勢の人の前に立って話すなんて、滅多にないことなので戸惑ったが、こちらも日頃から仕事をまわしてもらっている恩義があったので、引き受けることにした。
当日は伊能忠敬の偉業についてだけではなく、懸念されている南海トラフ地震発生に備えて、観測データが重要な役割を持っていることや、世の中にはこういう仕事もあるのだという目線でも興味を持ってもらえるように、その“やりがい”を熱弁し、大人も子供も楽しく聴けるように工夫しながら話した。
珍しさもあってか、
晃鷹は、ちゃっかり講師依頼のポータルサイトに登録することも忘れていなかった。多様性の時代、若き実業家のサクセスストーリーを聴いてみたいと思う人間は、全国各地にいるはずなのだ。しっかり講師検索に引っかかるよう、タグも多めに付けてある。依頼に繋げるために、プロフィールも親切丁寧に入力してあった。
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