俺はどうする
撮影2日目。
学校の昼休みに早退してきた成瀬は、ヘアメイクを済ませたあと、すでにできあがったスタジオを土足で荒らすようにカメラのそばまで横断し、
「監督。どういうことですか」
モニターと台本の確認作業をする風都に、挨拶もなしに詰め寄った。
ちょうどスタッフ同士での話し合いが終わり、昼休憩に入ったところであった風都は、おっ、と気安く手を上げ、成瀬を歓迎する。
頑なに会釈ひとつしない成瀬に、風都は叱るどころか面白おかしく笑っていた。
「行ってきたんだな、あの城に」
「行きましたけど……」
「どうだった?」
「どうも何も、よくわかりません。どうして監督は、俺をあそこに行かせたんですか」
「ハハ。いずれわかるさ」
「何それ。今教えてくださいよ」
「大丈夫。自分で気づけるときが来るから」
あわてんな、と言いながら、カメラ横の監督用の椅子に深く座った。口で割り箸を真っ二つにし、配給された焼肉弁当を開けた。濃厚なタレの匂いが充満する。
詮索の余地がなく、成瀬はふてくされながら隣の空いている椅子に渋々腰を下ろした。
「円も弁当いるか? まだあまってんぞ」
「いえ、持参してます」
「お。珍しい」
「たまり場にあったんで」
「へえ。今の奴らは自炊してんだ。えらいな」
成瀬はカバンから台本とサンドイッチを取り出した。肉厚なカツサンドとふわとろたまごサンド。喫茶店で出てきても遜色ないクオリティー。まさかヤンキーが作ったとは誰も思わないだろう。料理レベルをここまで上げているのも、女王への献身なのか。なんて甲斐甲斐しい。
カツサンドをひと口食べてみる。ジューシーだけど脂っこくなく、味がしみていておいしい。丹精こめて作られたのがわかる。
(すげえ……。愛されてんな……)
あっという間に全部平らげてしまった。
「そういえば、あいつ元気だったか?」
「あいつ? 女王のことですか?」
「ちがうちがう。汰壱だよ」
「は? 汰壱? なんで?」
眉をひそめれば、風都はきょとんとする。
「なんでって、甥っ子を気にするのは当たり前だろ」
「おい……甥!?」
「……聞いてなかったのか。まあ、会って間もない奴に、身の上話はしないか」
初耳情報に、成瀬は唖然とした。
油断していた。ここにきてまだ初出の小ネタがあるとは。監督の親戚だなんてパワーワード、いったい誰が想定できるか。
「監督んちに泊まること多いけど、あいつに出くわしたことないですよ」
「お前が来るようになったのは最近だもんな。高校入学したてのころは
「ええ……。あいつ、そんなことひと言も……。過激派ファンって言ってましたよ」
「ああ……それは遺伝だな」
「は?」
「汰壱の親……俺の妹なんだけど、極度のブラコンなんだよ」
「……それで家族全員監督推し……」
辻褄が合ってしまった。
「妹夫婦は今アメリカに住んでるんだが、国際電話が毎日のようにかかってきて、ほんとまいっちまうよ。進学の都合で汰壱だけこっちに帰ってくるときも、まあ大変だった。俺が」
風都は肩をすくめながら、稲妻マークの古傷の隔たる眉を掻いた。口をつんと尖らせているわりには喜色が漏れている。
堅物に見えて、意外と面倒見がいい。親元を離れて生活する甥っ子のことも、何かと世話を焼いていた。
(ん? もしかして、俺を神雷に寄越したのって、ドラマじゃなくて甥っ子のためとかじゃねえよな?)
一抹の不安がよぎった成瀬だが、さすがにちげえか、と頭を振った。
「汰壱は妹に似て頭がキレるから、よく娘の勉強を見てもらってるんだ。あ、見るか? 娘の写真。
急に饒舌になる風都。血のつながりをはっきりと感じる。同じ穴の狢とはこういうことを言うのだろう。
手際よく携帯をいじり、お気に入りの写真をいくつか見せびらかす。成瀬は適当に相槌を打ちながら、台本を開いた。それでもなお自慢大会は続く。
わずらわしそうに成瀬は目を向けた。写真ではなく、見たことないくらいとろけた風都の横顔に。
「……かわいいすか」
「は? あたりめえだろ」
「……親バカすね」
即答で模範解答を叩きだす風都に、成瀬は冷笑を浮かべながらも、どこかまぶしそうに目を細めた。猛烈に喉が渇き、カバンに入れていたペットボトルの天然水を飲み干した。少し苦しい。
横から自動音声で人様の思い出が流れていく。桜子と由楽はそっくりで~、あのときの由楽がかわいくて~、桜子ともよく笑ってて~……。聞くに堪えない。成瀬は飽き飽きとしながら台本をぺらぺらめくった。
「そんなことより、監督」
ここのシーンなんですけど、と無理やり話をぶった切り、休憩後に撮る場面のページを指差した。
仕事には真面目な男だ、一瞬にして風都のスイッチは切り替わる。
「あー、
「ここって最初から殺陣っすよね」
「その予定だ。いきなり息の合った殺陣は難しいと思うが、ふたりとも運動神経いいし、心配はしてない。問題はそのあとの掛け合い。どっちも長台詞あるから、集中力が切れないように気をつけろよ。特に、RIOくんは演技はじめてらしいから、しっかりリードしてやってくれ」
「無茶言う……。どうせ及第点のくせに」
「それは、お前次第だ」
わかりやすく萎える成瀬に、風都はくつくつと喉を転がす。丁寧セットされた黒髪をひと撫でし、笑みを深めた。
(人はきっかけさえあれば、ころっと変わっちまう。円、お前はどうだ?)
弁当の中身はすべて胃の中へ流れ、午後のためのエネルギーを蓄える。空っぽになったプラスチックの弁当箱には、タレの味変に添えられていた辛味が残っていた。
割り箸の代わりにメガホンを手に取ると、戦に赴く武士のように一歩踏み出した。
□
約束の、22時。
洋館の玄関ホールには、神雷のメンバーが勢ぞろいしていた。全員が動きやすい恰好で、最後のひとり、成瀬を待っている。
撮影が押し、5分遅れで到着した成瀬に、ギロッと、現役ヤンキーのいかつい視線が全方位から投じられた。
階段下にいる、黒ニット姿の勇気が、代表して叱責を下す。
「おい、新入りの分際で遅刻してんじゃねえ。やる気あんのか」
(やる気なんかあるわけねえだろうがよ。何するかも聞かされてねえっつうのに)
ありのままの気持ちをひとつ残らずぶつけてやりたい成瀬だが、大階段の最上段で足を組む姫華が怖いくらい無表情で、やむなくすべてを飲みこんだ。念のため口先だけの謝罪をしておく。
「す、すんません。思いのほか撮影が長引いて……」
「言い訳すんな」
「……俺には仕事もあるんで」
「だから? 遅刻には変わんねえだろ」
「そのことは謝りましたよね? 聞こえなかったすか、先輩」
「てめぇこそ、聞いてなかったのか? 迷惑かけんなっつったよな? あ?」
「俺、ドラマ主演で忙しくてスケジュール調整大変っすけど、まあがんばります」
「てんめぇ……」
「――コホンッ!」
激昂する口論の最中、わざとらしい咳払いが響いた。
勇気と対局の位置で待機する、もうひとりの副総長、汰壱の英断である。
「Time is money. 女王様がお待ちですよ」
チャコールグレーのパーカーを着た汰壱は、絵に描いたようなにこにこスマイル。でも目は笑っていないし、雷雲漂う背景まで見えてくる。
効果はてきめん。無事に鎮火した。
大階段の最上段で、ピンヒールが躍る。
オフホワイトのショートパンツとジャケットを合わせたセットアップコーデの姫華が、悠然と最下段まで下りてきた。
「では、始めましょうか」
発色のよい口紅が、赤々と光った。
「紅組の、残党狩りを」
血わき肉おどる構成員の傍ら、成瀬の心はひどくざわついた。
その言葉を聞いて盛り上がれる奴らの気が知れない。
だって、それは、本来口にするのもおぞましい、禁句。
――紅組。
それは、10年以上も昔。
裏社会を牛耳り、国内外に名をとどろかせていたヤクザの名称だ。
日本政府の息がかかった、異色の暴力団。公的には公安警察の特殊部隊、通称“クレナイ”として、主に難事件の捜査や後処理に関与していた。
ある日、紅組の組長をはじめ、関係者のほとんどが瀕死状態で発見された。
幸い傷口が非常にきれいだったため全員無事に蘇生されたものの、まともな証言は得られなかった。随一の武力を誇る紅組を完膚なきまでに崩壊させることのできる人間が、外部にいるとは考えにくい。警察は内部崩壊と視て、内々に片付けようとした。
しかし、その後の調査で、とんでもない実状が発覚した。
紅組は禁忌を犯していた。
人身売買を行っていたのだ。
関係者全員に終身刑が下された。
が、警察の目をかいくぐり、逃亡に成功した者が10名ほどいた。指名手配をかけ捜索するも、覇権を握っていた組織の人間が只者なはずもなく、なかなか尻尾をつかませない。
現時点でも逃亡者全員の確保には及ばず、懸賞金は年々増額されている。
どうやらこの町のどこかに紅組の本拠地があったらしく、もしや指名手配犯が近くにいるのではないかと、住民たちは常々心配していた。当時の恐怖を知らない子どもたちには、万が一に備え都市伝説のごとく脈々と語り継ぎ、警戒心を養わせている。
それもあって、裏社会に頭角を現す神雷の存在は、町のよりどころになっていた。
組織として壊滅してもなお一般市民の暮らしを害する、紅組というおそろしい極悪人を、自ら狩りに行く。それはたしかに、自警団と名高い神雷の活動としては何ら不自然ではない。
正気の沙汰でもない。
(……最悪だ)
成瀬は臓器に猛烈な負荷を感じた。心臓、いや、胃のあたりだろうか。渦巻いているのは、昼に食べたサンドイッチか、あるいは年季の入った後悔か。
逃げられるものなら、逃げている。
できないから、ここにいる。
「今宵のターゲットは、懸賞金1000万の中年男性。現役のころは、組長の右腕にあたる“三銃士”という役職に就いていたほどの実力だったそうよ。偽名と整形でうまく町に紛れこんでいたようだけれど、違法賭博で身元が割れてしまい、絶賛逃亡中らしいわ」
姫華の目配せで、汰壱が携帯を操作する。通知音があちこちで鳴った。
成瀬も携帯を確認した。昨晩の歓迎パーティーで半ば強制的に参加させられたグループチャットに、今あげられた情報がずらりと送られていた。
「千間さんの情報網、相変わらずすげえな」
「いつも助かる~!」
「女王様の荷が軽くなってるといいよな」
「俺らもがんばろ!」
ホールでは、ポジティブな会話しか聞こえてこない。無駄にやる気満々で、試合前の部室のようだ。
ふたたび携帯に通知が来た。
「男の隠れ家候補は、3つ。私たちで同時に突撃しに行くわよ」
星印のついた地図と、詳しい位置情報が3つ。それから指名手配写真と、監視カメラから抽出したであろう現在の写真が数枚。あっという間に物騒なチャット欄のできあがり。
そして総長から副総長へバトンタッチし、3チームの編成と作戦会議が始まった。
チームは姫華、勇気、下っ端のリーダー格を中心に分けられ、汰壱と下っ端数名がたまり場で総指揮を務めることとなった。
姫華のチームに組まれた成瀬は、自分の心音のせいで、作戦概要をうまく聞き取れなかった。
気づいたら話し合いは終わり、各自準備に動き出していた。
ずいぶんと手慣れた空気だった。長らく捜索が難航していた指名手配犯が、ここ数年で急激に逮捕されているのは、十中八九彼らのおかげなのだろう。
その渦中には、絶対、彼女がいる。
我らが女王が。
――あの館は、神雷のもの。立ち入ったら最後……女王の贄となるだろう。
その贄とは、何の、誰のことだったのか。
見出してしまった成瀬は、無意識のうちに姫華の元へ走っていた。
「あら、どうし……」
「危険だ!」
色白な手を、ぐっと握りしめる。その白磁の肌にそぐわず、いくつもの修羅場をかいくぐってきたであろう、凹凸のあるざらざらした感触があった。
成瀬はたまらず声を荒げた。
「命がいくらあっても足りない! こういうのは警察に任せ……」
パンッ!
姫華は手を払い落とした。
昂る成瀬に冷水を浴びせるように抑揚なく言い返す。
「私が
「っ、」
据わった三白眼は、きらびやかなシャンデリアの光をまったく寄せつけない。闇、一色。
「あなたはついてこれるかしら?」
成瀬は言葉を失った。乾燥した口からは、不規則な息遣いしか出てこない。
返事を待たずに姫華は背を向けた。ウェーブがかった金髪が、さらりと振れる。
反射的に追いかけようとする。しかし……
「Stop. ミスターナルセ、そこまでです」
「出しゃばんじゃねえよ」
左右から伸びた腕に、止められた。
左には困り顔の汰壱、右には呆れ顔の勇気。W副総長が、阿吽の呼吸で行く手を阻んだ。
また勇気の説教タイムが始まるかと思われたが、さっきとはちがい、今の勇気には理性があった。
「覚悟がねえなら、汰壱の補佐をしてやってくれ」
どこか諭すような言い方。
不良らしさよりも、役職持ち然とした気迫がある。
虚を衝かれた成瀬は、黙ってうつむいた。
(覚悟? そんなもの……っ)
かすかに感触の残る手を、強く握り締めた。爪が刺さってもかまわずに、強く。
見かねた汰壱が、そっと成瀬の顔を覗きこむ。
「このミッション、実は最初、女王様だけで為されていたんですよ」
「……え? ひとりで?」
はい、おひとりで、と汰壱の眉尻がぺたりと下がる。
「自分の仕事だからと言って聞かなくて」
「でも俺らは、そうやって蚊帳の外にされんのがすっげえ嫌だった。女王のためなら、なんだってできる。だから最初は勝手に協力してた」
勇気は汰壱と顔を見合わせ、やるせなく微笑んだ。
「女王様が頼ってくれるようになったのは、本当に最近のことです」
「みんな、喜んでる。女王と一緒に戦いに行けることを」
すべて、彼らが、仲間が、望んだこと。
空よりも広く、海よりも深い、忠誠心。
背中を預けてもらえる喜びは計り知れない。恐怖なんか吹っ飛んでしまう。
だから
「お前は?」
勇気は成瀬を見据えた。
「お前はどうすんの」
成瀬はとっさに身を縮めた。爪痕の刻まれた手が今になって痛み出す。
バクバクと血流を鈍らせる心臓が、全力で拒絶していた。
だけど、わかっている。
どうせ逃げられないのなら、選択肢はひとつ。
「……行く。行くよ」
自嘲気味に口角をこわばらせた。
勇気はまなじりを眇め、ワックスのなじむ髪をかき上げた。
「あっそ。……その恰好でか」
「へ?」
撮影が終わってすぐに着替えた、西高の制服。ネクタイを結ぶ余裕がないわりに、防寒対策だけはしっかりとしている。
「制服のままじゃ、バレたとき面倒だぞ」
「あー……」
「手持ちの服がなければ、上の階に衣装部屋があるのでぜひご利用ください。武器のコレクションとかも置いてありますよ」
「あ、ありがと」
部屋の場所を教えると、すぐに成瀬は行ってしまった。
急いで階段をのぼっていく姿を眺めながら、副総長ふたりは密かに話を続けた。
「あいつ、意外と根性あるよなあ」
「そうですか?」
「うわ、辛口」
「それはユーキのほうでしょう」
「普段愛想のいい奴が腹黒なほうがダメージでけえぞ」
「ボク別に腹黒じゃありません」
「そうですか?」
「ユーキぃ!」
「ククッ、図星だろ」
「No! そう言ったのは、見解にちがいがあるからで」
「なんだよ」
「……根性というより、執念ではないかと思っただけです」
「ふーん。執念、ねえ」
「ただの勘ですが」
「おもれーじゃん」
勇気は愉快に鼻歌を漏らしながら、軽く伸びをする。そのまま汰壱の手を借りてストレッチをした。最後に、互いに互いの背中を叩く。ばちんっと気合いが入った。
タブレットを起動した汰壱、エアガンを装備した勇気は、それぞれのチームへ合流し、最終確認を始めた。
一方、姫華チームは早くも車移動をしようとしていた。
エンジンがかかった、そのとき、ストップをかけられる。玄関先に停められた4人乗りのスポーツカーに、ばたばたと乗りこんできたのは、ほかでもない成瀬だ。
「あら。結局来たのね」
「はぁ、はぁ……勝手に置いてくなよ……」
チームメンバーは、全部で4人。これで無事に満席だ。
助手席に座る姫華は、ミラー越しに成瀬を見やる。
衣装部屋の一番手前にあった服を適当に見繕ったせいで、全身迷彩というサバゲ―のプロみたいなコーデになっていた。身バレ対策の黒マスクでよけいに怪しい。
普段自分のことには無頓着で、特に時間もなかったので、もういいやと出てきてしまったが、運転席と隣の席からクスクスと抑えきれない笑い声が聞こえてくる。
今月3本も雑誌の表紙を飾った、カリスマモデルとはとても思えなかった。
「すてきな服ね」
「……まじで言ってる?」
「もちろん。目的地にぴったりだわ」
姫華チームは、隠れ家候補のうち最も有力な、県境にあるトンネルに向かう。
山々に囲まれた集落の近くにある、そのトンネルは、近年頻繁に起こった土砂災害により完全に封鎖されている。
そもそも集落は過疎状態であり、トンネルまで利用できなくなると、元々数の少なかった交通量がさらに激減する。逃亡先には絶好の場所というわけだ。
ほかの2つの候補も、南にある廃校やペーパーカンパニーの入ったビルといったいかにもな場所だ。そのなかでもとりわけ警察の目をやり過ごせそうなのは、やはりトンネルだろう。
現に、先ほど送られてきた現在の男の写真は、集落方面にあるコンビニでおさめられたものだ。
一番濃厚であるとはいえ、人気の少ない場所に大勢で押し寄せては勘づかれてしまう。だからこその少数精鋭。その大事な一枠に、新入りの成瀬が抜擢されたのは、成瀬自身ふしぎに思っていた。
「あの……俺は、何すりゃいいの」
「作戦を聞いてなかったの?」
「……はい……」
「武器は持ってきたわよね?」
「まあ、一応」
衣装部屋に隣接されてある武器コレクションには、多種多様な武器が保管されていた。何を持っていくべきか迷った結果、今、成瀬の手にあるのは、いつもの木刀だ。
武器をレベル分けすれば、おそらく木刀は弱い部類に入る。仕方がない。使い慣れていないものを、いきなりうまく扱うことはできない。ドラマ稽古で使い古されたコレが、一番手にしっくりきた。
「あなたはそれで私を護りなさい」
「俺が!?」
想像以上に責任重大な役割で、成瀬はあわてふためいた。
「ほ、ほかの二人は何を!?」
「遠距離攻撃を任せてあるわ」
運転席には弓矢、隣の席には野球ボールとバットが忍ばせてあった。
「俺が木刀だから近接戦闘担当に……」
「いいえ」
「ちげえの?」
「私のそばが、一番安全だからよ」
成瀬が姫華を護る。それは同時に、姫華が成瀬を護ることを意味する。
あくまで、成瀬の責任は、姫華の責任。
女王としての務めであり、強さゆえの最適解である。
それを当たり前のように言ってしまえることに、成瀬はどう反応すればいいのかわからなかった。納得、困惑、脱帽、どれもちがう気がする。
女王は、完璧だ。無敵だ。そして、孤高だ。
近くにいるのに、遠くに感じる。まるで夜空に昇る月のように。
(俺に
記憶の片隅で、迷惑をかけるなと叱責する声がリピートされた。かえって成果なく終わる未来しか想像できなくなる。
不安を抱きながらも、車は順調に進んでいった。
山道の途中で下車した。
ここから500メートル先のトンネルへ歩いていった。
トンネルは土砂崩れに遭ったときのまま放置されている。坑門の片方は土砂で塞がり、もう片方も半分は埋まっているものの、ぎりぎり人がひとり入れるほどの隙間が空いている。
生い茂った木々に身をひそめながら、イヤホンを片耳だけつけ、各チームと連絡を取った。
「私よ。到着したわ」
ほか2チームからも現着の報告が来る。
ビルは、白。勇気のチームが向かった廃校には、人の気配あり。ただ、何者かはまだわからないようだ。
汰壱がたまり場で情報を精査しながら、姫華チームの状況についても尋ねた。
『女王様のほうはどうですか?』
「……いるわね」
トンネルから声はしない。が、物音が反響していた。
耳をすますと、いくつかの足音を拾い取れた。
「一人じゃない。何人かいそうね」
『ターゲット本人ですか?』
「確認してみるわ」
暗視ゴーグルをかけた姫華は、ふっと笑みをこぼした。
「当たりのようね」
『Oh,nice!』
「でも、廃校にいるのが無関係とは限らないわ」
『そうですね、身柄拘束が無難でしょうか。ビルに行ったチームは、各チームの応援、警察に報告を』
汰壱は迅速に指示を出したあと、トンネルの構造について端的に説明してくれた。
『そこは、歩道用に造られた山岳トンネル。全長50m弱。逃げ道は……土砂の隙間くらいでしょうか。仮に潜伏期間中、反対側の坑門に逃げ道を掘っていた場合、完成している確率が高いですね。そうであれば土や草でカモフラージュしていると思われます。地面を掘り起こしている可能性もありますが、日数や労力を考えるとやはり土砂をどうにかするほうが現実的かと』
聞いてすぐ、姫華はバットを持つ野球少年に裏手に回るよう命じた。
『集落近辺のコンビニのセキュリティーカメラをチェックした限りでは、大金の入ったボストンバッグはあり、武器はなし。ですが、仲間と合流後に入手している可能性があります』
「そうね……ここからでは武器の有無までは確認できないけれど、紅組の三銃士ともあろう方が丸裸でいるとは考えにくいわ」
『何かしらの手は備えていそうですよね。違法賭博では人を騙したり売ったりしながら大金を持って逃げ切ったらしいですし、今回も仲間を盾にした戦法が想定されます』
「わかったわ。ありがとう」
『とんでもございません! サポートはお任せください! 携帯のGPSや音声データからも情報を割り出してみせます!』
Good luck! と言い残し、一旦通信が切れた。
作戦上、人の気配のあった隠れ家候補はすべて、23時ぴったりに突撃する手筈になっている。それぞれの拠点に隠れる輩全員につながりがある場合、応援に来られて多勢に無勢になるのを防ぐためだ。
予定時刻まで、あと10分。
弓使いの少年は持ち場に移動した。
「円、私たちはこっちよ」
姫華に先導され、成瀬は忍び足でトンネルに接近した。ドロドロに固まった土砂に沿って一歩ずつ細長い穴にすり寄っていく。
すると、姫華が何かを取り出した。
「そ、それは……?」
「ねずみ花火よ」
「はい?」
成瀬の顔にはありありと、意味不明の4文字が表れている。
「な、なんで」
「目くらまし、状況把握、先制攻撃。ね? 意外と使えるでしょう?」
「誰がそんなイカれたこと思いついたんだよ……」
「汰壱よ」
(こっわ……。頭使うの絶対ここじゃねえ……)
楽しい遊び道具が、新種の爆弾のように見えてくる。
こんな用途で使われる日が来るとは、ねずみ花火の開発者も想像していなかっただろう。良い子はけっして真似してはいけません。
「時間になったらこれを投げるわ。武器の確認をしつつ、隙を突いて倒すわよ」
「……了解」
「ちなみに、戦闘経験は?」
「殺陣をちょっと。でも、実践はない」
「そう。なら本番一発勝負ね」
「スパルタ……」
黒マスクの下で、成瀬の唇は紫に変色していた。山の寒さにやられた、だけではもちろんない。
トンネルの中に、紅組の残党がいる。神雷の洋館を訪ねたとき以上の恐怖に、頭が真っ白になる。
かじかむ手を擦って暖を取れば、ふと、マッチ棒に火がついた。
「安心なさい」
闇夜に覆われた山中に、炎がめらめらと芽吹く。
前だけを捉える姫華の眼が、ぎらり、輝いた。
「あなたが死ぬことは絶対にないわ」
イヤホンから23時の鐘の音が響いた。
着火したねずみ花火が、トンネル内に放り込まれる。
「うわ!?」
「なんだ!?」
「花火!?」
騒がしい声が、3つ。
飛び散る閃光が、男たちの影を鮮明に浮かび上がらせる。
不自然なズボンのふくらみ、乱雑に置かれた懐中電灯、飲み明かした空き瓶の数々。姫華は何ひとつ見逃さない。ズボンのポケットの厚みと形から、ターゲットの中年男性が銃を、仲間二人がナイフを所持していると思われる。
ちゃっかり状況の共有をしつつ、花火が散ってしまう前に、姫華と成瀬はトンネル内に踏み入れた。
まずもって銃を横取りすべく、姫華はすばやく間合いを詰めた。ターゲットのポケットに手をかすめた、直後。
「何者だ!?」
さすが元紅組、花火で視覚をやられた状態のまま、姫華の腕をつかみ止めた。
姫華はすぐに目的変更。回し蹴りをし、わざとターゲットにガードさせることで、腕から手を離させることに成功した。次いで、近くにいた仲間の男の脇腹を殴打して背後を取り、ナイフを盗み取る。
その間、成瀬はもうひとりの男に挑みに行っていた。ねずみ花火を避けることに必死な千鳥足を、木刀で思い切り払いのける。
尻もちをついた男は、手元にあった石をぶん投げた。成瀬はあとずさりながら、間一髪木刀で跳ね返す。さらに数発飛んでくる小石をかわしている隙に、男が差し迫ってきた。
「円! 下がりなさい!」
突然、姫華からの命令。頭より先に体が動き、成瀬は後方に後ずさる。
成瀬と敵の間を縫うように、弓矢がびゅんっと音を立てて通り過ぎた。
パリンッ! 焼酎の瓶が粉砕した。成瀬狙いの男にガラスの破片が刺さる。
(うわあ、やっぱ神雷すげえ……)
感心してしまう成瀬とは裏腹に、痛みとともに目の冴えた3人の敵は、イライラを募らせていた。
「ガキ……?」
「チッ、ナイフ持ってかれた」
「何しに来やがった!」
「……悪党退治」
クリアに反響するヒールの音。真っ赤な口が、ニヒルに嗤う。
「身に覚えがあるでしょう?」
頼りなげな懐中電灯の明かりが、ナイフの刃を滑った。
「……ただのガキじゃねえな」
グループチャットに載っていた写真と同じ顔をした中年男性は、今さっきまで動じていたのが噓のように冷静だった。相手がひとまわりも下のガキでも、いたずらとして流さない。ちゃんと本質を見抜いている。極悪非道な紅組で、三銃士というイキった名称の幹部だっただけある。
正直、神雷側としては、甘く見てもらったほうがやりやすかったが。
「よくここがわかったな」
「あなたがやらかしてくれたおかげよ」
「ハッ、言ってくれるねえ」
「じきに警察も来るわ。さっさとお縄につきなさい」
初手から深く噛みつく姫華に、成瀬は内心焦りちらかしていた。
(え? え? んな挑発していいの? こいつら怒るんじゃ……)
なぜか、ターゲットは笑った。
「んじゃ、来る前に殺んねえとな?」
ポケットから出された銃が、カチャリと構えられた。
(ですよねー!!!)
最悪な修羅場に、一周回って成瀬も笑えてくる。表情筋が大変なことになっていた。マスクをしていてよかったと本気で思った。
言わずもがな姫華は微動だにしない。むしろ、向けられた銃に、興味深そうに瞳孔を拡張させた。
「その銃、もしかして……」
オートマチック型のハンドガン。わずかにカスタマイズされた形状には、見覚えがあった。
昨日、たまり場を襲撃してきた輩が持っていた銃と、まったく同じなのだ。
ひとつの推理に至った姫華に、ターゲットの仲間二人も察しがついてしまう。
「ああ、そうか、お前らか。武器の流通を調べてるって奴ぁ!」
「ひゃはっ、ラッキー。ちょうどいいぜ。ついでに金儲けすっか」
髭面の男とパーマの男が、目の色を変えて飛びかかる。
パァン! と銃声がうなった。
姫華は目にも止まらぬ速さでナイフを振り下ろした。銃弾が真っ二つに切り裂かれる。
横から来るパーマの男の拳を避けると、タイミングよく弓矢が駆け抜ける。もじゃもじゃな髪を矢先に絡めとった。
髭面の男にロックオンされたのは、成瀬だ。さっきガラスの破片で足を負傷したことを根に持っているのだ。
男は足を引きずりながら、ナイフを自分の手そのもののように操る。
とにかく成瀬は木刀を構えた。
ガッ、と刃先同士が交わる。木材VSステンレス。圧倒的に不利な木刀は、早速削れてしまった。
「まだまだぁ!!」
「くっ……!」
血だらけな足は、何のハンデにもならない。戦闘狂特有のハイ状態で、痛覚が麻痺している。
『ミスターナルセ! 聞こえますか?』
突如イヤホンが鳴り出した。が、返事をする余裕は成瀬にはない。
『敵の動きをできるだけ声に出しながらかわしてください。キミのGPSの動きと合わせ、こちらで行動パターンを推測します!』
(んなこと言われたって……!)
攻撃をいなすのに精一杯で頭が働かない。
ほぼ反射。気づいたらナイフが目と鼻の先まで来ている。
動きをちゃんと追おうとすると、防御が遅れてしまう。
(でも……やんねえと……!)
何ひとつ、護れない。
頭上から降ってくるナイフに、成瀬はふっと肺を膨らませた。
「う、上……!」
かろうじて木刀で受け流す。
髭面の男は遊び足りなそうに二度三度追撃を重ねる。
「み、右! 右! うわっ、な、ななめ……!」
「なになに実況? 楽しいよねわかるぅ」
「ひ、だりぃ……っ」
楽しくねえよこんにゃろう! と歯を食いしばりながら、刃先の軌道に神経を尖らせる。刹那、成瀬のみぞおちがへこんだ。
「っぐは……!」
「ふところがら空きお疲れぃ」
男の拳がみぞおちをえぐる。
ナイフにばかり気を取られ、ほかの攻撃手段を考えていなかった。
前かがみになってよろめく成瀬に、ナイフでとどめを刺しに行く。
成瀬は膝をつきながらも木刀を横に構え、ナイフを受け止める。刀身のど真ん中に、鋭利な刃が食いこむ。徐々に体重をかけられ、メキメキと峯が軋んでいく。
「おらおらおら!!!」
「グッ……し、正面んんっ!」
成瀬は貧弱な筋肉で踏ん張ってなんとか木刀を支えた。
木刀からナイフが引っこ抜かれる。男は一度体勢を立て直し、また瞬時に間合いを詰めた。
(次の攻撃は……)
成瀬は男の両手を確認する。
しかしどちらにもナイフがない。
ハッとして上を仰ぐと、ナイフが弧を描くように飛んでいた。パーマの男のほうへと。
(ここで武器のチェンジ!?)
やばい! と全身に電流が走ったように成瀬は駆けだす。
髭面の男は当然阻止しにかかる。成瀬の背中を勢いよく蹴り上げた。
「行かせるかよ!」
「カハッ……」
胃液まじりに咳きこみながらも、成瀬の足は止まらなかった。
腕を大きく振って、木刀の先端でナイフを叩き落とすことに成功する。
ほっとしたのも束の間、パーマの男が成瀬に迫る。
成瀬はがたつく足を奮い立たせた。ドラマで
脳内シミュレーションをバッチリに、雄叫びを上げながら切りこみにいった。が、難なくよけられてしまう。木刀の横から男の拳が出現し、成瀬の黒マスクをかすめた。
髭面の男までもが近づいてきている。
成瀬が立ちすくんでいると、弓矢が援護射撃に突き抜け、男の足をずばっと射抜いた。
(あ、危ねえ……助かった……けど)
ずっと、押されている。
いっこうに攻撃ターンが来ない。来てもすぐに無効化される。
覆せない劣勢。ドラマのようなことは起こらない。
殺陣の稽古は散々やってきたけれど、戦闘の経験値には直結しない。
本来、殺陣とは、相手と息を合わせて作り上げるパフォーマンス。
今日の撮影では、事務所の後輩であるRIOとともに白熱した戦闘シーンを繰り広げた。
だが、所詮は演技だ。パターンを熟知しているから対応できる。
しいて口先だけならいざ知らず、予測不能な現実において、殺陣のアドリブを使いこなすにはそうとうな鍛錬が必要になる。歴戦の猛者が相手ならばなおさらだ。
今の成瀬では、パワーもスキルも敵わない。
負け戦なことは、はじめからわかりきっていたのに。
(くそ! くそ! くそっ……!!)
ドラマ撮影で感じたことのない屈辱感だった。
無力な弱者。
いくら傷を負っても、痛いだけ。
そう簡単に強くはなれない。
おそるおそる顔を上げると、白いジャケットが目に留まった。
女王の、偉大なる背中。
ボロボロでくたくたな新入りを心配する素振りなく、ターゲットとやり合っている。
服に汚れひとつなかった。なんて美しい純白。
どこをどう見ても、新入りが護る必要性は感じられない。
(でも……)
ここに来たのは、自分の意志だ。
自分の足で、今、立っている。
護らなければ、と、思ってしまう自分がいる。
『あなたはそれで私を護りなさい』
『私のそばが、一番安全だからよ』
『あなたが死ぬことは絶対にないわ』
護るとは、何か。
どうするのが最善か。
(考えろ……考えろ、俺!)
成瀬は一歩踏み出した。
姫華の邪魔にならない程度の距離を保ち、姫華に背を向ける。トンネルの中心、ふたりは対のように立ちはだかる。
成瀬はそこから動こうとしなかった。
(全部は無理でも……
成瀬の顔つきが、変わった。
眼光がすぼめられ凄味が増す。まるで本物の侍が憑依したように。
「……そう、それでいいのよ」
姫華はうしろを見ずともすべてを悟り、背中を預けた。
成瀬のいる位置は、ちょうど姫華の
先ほど成瀬の一手によって地面に落とされたナイフを横目に捉えつつ、姫華はターゲットからの銃撃を手持ちのナイフで弾く。銃弾は方向を変え、地面に転がるナイフに当たる。その衝撃で宙に浮いたナイフを、姫華は華麗にキャッチした。
強気な笑みを浮かべ、二本目となるナイフを投げるモーションに入る。
警戒態勢に入る、指名手配のターゲット。
だが、なぜか、ナイフは明後日の方向に放られた。
(ハッ、下手くそ。どこに飛ばして……)
「ぐあああっ!!?」
突如、野太い悲鳴が上がった。
ターゲットの男は、目を疑った。
投げられたナイフは、パーマの男の利き手を明確に貫通していた。刃先はコンクリートの壁に埋まり、パーマの男は身動きがとれない。
畳みかけるように坑門から弓矢が連投され、男の服を器用に打ち抜いていった。もう自由はない。
(この
成瀬の相手は、実質ひとりとなった。
イヤホンから汰壱の声が届く。
『ミスターナルセ、お待たせしました! パターン読込、シミュレーション準備完了。只今よりミスターナルセを援護いたします!』
風は、神雷に吹いている。
『まずは右ストレート!』
「了解」
予測どおり、髭面の男は右拳を握りしめていた。
女王に指一本触れさせないことだけを意識し、成瀬は攻撃をいなしていく。
『次は、左! フェイクをかけながらのボディーブロー! また左!』
汰壱の指示は的確で、喧嘩ど素人の成瀬にはこれ以上ないフォローだった。敵の軸足が使い物にならなくなったのも、先手を読みやすい要因のひとつだろう。
だがその程度では戦闘狂の心は折れない。逆境こそ本気を出してくる生き物だ。きっとまだ何かある。
『次、上から来ます!』
「う、上!?」
本当に、上から襲いかかってきた。
ガラスの破片の貫く足が、さらに壊れようとかまわず、むしろ酷使して仕掛けてくる。
成瀬は反射的に面を打ち、すんでのところで敵を追い返した。
その反動でバランスが崩れる。対照的に、男の着地は完璧だった。二度ほど震えた発砲音をスターターピストル代わりに、男は地を蹴り押し迫る。
転倒してしまった成瀬は、急いで立ち上がろうとする。
「円、伏せなさい」
うしろからのコマンドで、成瀬の体はただちに屈められた。
二度発砲された銃弾のうち、ひとつは、姫華のナイフによって相殺。
そしてもうひとつは、姫華の金髪を突き抜け、成瀬の黒髪の真上を吹き抜け、髭面の男の肩に衝突した。
今しかない。成瀬は起き上がり、木刀を持つ手に力をこめた。
ふらつきながらも根性で立ち続ける髭面の男に、助走をつけて腕を振りかざす。削れた刃先で男のみぞおちを突き上げた。
「う゛っ、あああぁぁっ!!」
血だらけの体が倒れていく。
絶叫が最高潮に達すると、力尽きたように気を失った。
残るは、本命、
「チッ、雑魚が。役に立たねえな」
ターゲットの男は利用価値のない仲間以下の二人を蔑視し、焦燥をむき出しにする。
けれどもすぐに、いいや、ちがうな、と思い返した。
思えば最初から、筋書きは決まっていたようなものだ。花火でかく乱させ、武器をひとつ減らし、標的を間合いに入れながら三人の位置をある程度分散させる。そうやってせっかく雇った盾を盾として機能させず銃撃戦に持ちこんだのだ。
認めよう。相手が一枚上だった。
銃弾の数もあとわずか。警察の到着時間も考えると、真っ向からやり合うだけ無駄。
どうしたものかと窺いつつ、ターゲットの男は少しずつ距離を取っていた。
そのときだ。
バリバリバリ……!
姫華の持つナイフの刃が、砕け散った。
何発も銃撃を受けたのだ。安物のステンレスにしてはよく持ったほうだろう。
神は我に味方した。男はこれ幸いと銃口を姫華に定めた。
「形勢逆転ってやつか?」
「さあどうでしょうね」
「フッ、動くな。撃つぞ」
元紅組の覇気に、成瀬の膝は笑う。
(最後に女の足に一発ぶちこんで、とんづらすっか)
手ごわいのはあの女だけ。そんなことはとうに分析済みだ。
このままうしろに下がった先に、逃げ道がある。土砂の塊を一部掘り、抜け穴を作ったのだ。そこから山の中に逃げれば、さすがに追いつけまい。
ついに勝機が見え、余裕をこく男に、姫華はひそかに口元をゆるめた。
「お好きに撃ってくれてかまわないわ。弾があるならば」
「バカだねえ、最後まで油断しちゃいけねえよ?」
「油断? それは誰の話かしら」
「てめぇだよ、クソアマ」
バァンッ!!
「――今よ」
活きのいい銃声にまぎれ、トンネル内、そしてイヤホンから聞こえてきたのは、謎の合図。
直後、坑門を封鎖していた土砂の一部が、破裂するように崩れていった。
刃を失ったナイフの柄を、姫華が甲子園初球さながらに投げると、銃弾に見事ストライク。
坑門に現れた小さな穴からカキンと高らかな金属音が響いた。泥まみれの野球ボールがその穴をすり抜け、ターゲットの背中にストライク。
これで、ツーアウト。
(な、何……どうして抜け穴がバレ……!?)
わけもわからず背骨をイかれた男は、いつの間にか眼前まで接近していた姫華に、何も反応ができなかった。間抜けな阿呆面に、重たい一撃が入る。手から銃が滑り落ちていった。
スリーアウト、ゲームセット。
「ごめんあそばせ。こちら、最初から4人チームなの」
姫華はご丁寧にネタばらしをしてあげる。
若干乱れたブロンドヘアを軽く手直しする。懐中電灯に照らされずとも、十分鮮やかに発光していた。
ターゲットはうつろな視界の中、寝言のように呟いた。
「お……お前……もしかして――」
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
トンネルの中に、遠距離攻撃勢である弓使いと野球少年の二人もやってきた。白目をむいた敵三人を仲良く縄で拘束し、神雷の証拠になり得る弓矢やボールは回収する。
「みんな、ご苦労様。作戦どおりね」
「お疲れ様ですー!」
「女王様直々の合図、感謝します!」
「え……さ、作戦、どおり……?」
ぽかんとする成瀬のほうがおかしいと言わんばかりに、姫華はさらりと肯定した。
「ええ、そうよ。うまくいってよかったわね」
すべて、この結末に持っていくための布石。
それぞれの持ち場も、強気な挑発も、計算され尽くした作戦のうちだったわけだ。
成瀬は今になって作戦会議をちゃんと聞いていなかったことを反省した。
イヤホンを通して任務遂行を報告すると、大絶賛する汰壱の声がトンネルにまで反響した。
勇気チームのほうも無事に身柄確保できたらしい。
これにて一件落着。
全身気を張っていた成瀬の体から、みるみる力が抜けていく。一気に疲労が押し寄せた。頭が痛い。体も痛い。汗が止まらず、熱くて、寒い。湯舟にゆっくり浸かりたい気分だった。
高めのピンヒールが踵を返し、リボンの飾りを可憐に揺らした。
「それじゃあ帰りましょうか」
――神雷が立ち去った、5分後。
静寂に包まれたトンネルに、ほの暗い影が加わる。
ジャリ……。
黒いブーツがガラスの破片を踏み潰す。
いやな光をまとった状態で、痛みにうなされた犯罪者に接近していった。
「……一足遅かったか」
色濃くしみついた硝煙。
かすかに漂う薔薇の香。
ざっと辺りを見渡すと、捨て置かれた銃を発見した。慣れた手つきで銃の部品を解体していき、内臓されたとあるチップを取り除く。
赤いランプの点いたソレは、改造されたGPSだ。それを頼りにここまで来たのだが、どうやら何もかも終わったあとらしい。
後々面倒なことにならないよう、チップを粉々に壊した。
鮮血に染まる三人の男を一瞥し、ふ、と白い息を吐き捨てながら、指名手配犯の携帯を盗み取る。
懐中電灯の切れかけた明かりで、人影の正体が浮き彫りになる。
それでも姿は変わらず闇と一体化していた。
全身黒の服装。目深にかぶったフード。
しいて、しっかりとした体つきから男とわかる程度で、露出されている部分はほぼない。
フードの隙間から、何かがきらりと反射した。
夜が更ける。日付が変わる。
パトカーのサイレンが、静かな山の中をこだまする。
用事を済ませた謎の男は、足早にトンネルを去っていった。
ポケットに携帯を突っ込んだ手は、ムラのない赤い爪をしていた。
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