私のために作られた日々
斎藤リマ(旧:何にでもごま油をかける人)
私のために造られた日々
大学二年の時に、予備校で仲良くしていた同い年の友人が亡くなったという知らせを受けた。
不思議なことに、彼女の携帯電話から着信が入っていたのだった。何も知らずにかけ直すとご両親が電話に出た。彼女から電話がかかってきたことを伝え、彼女と話したいと伝えると、彼女の母親は何も言えなくなり、泣きながら父親に電話を替わった。彼女の父親は
「あの子は亡くなりました。」
と一言私に言った。私は思わず「え?」と聞き返した。すると更に
「死んだんです。」
と畳みかけるように伝えられた。事態が信じられず絶句したままになっていると、電話の切れる音がした。
私にとって、自分の友人が亡くなったはじめての出来事だった。
彼女はまだ20歳だった。彼女は予備校で一緒に大学を目指して切磋琢磨していた仲間だ。お互い離れた場所にある大学に進学したので、大学入学後は毎日顔を合わせることもなくなったが、時々連絡を取り合っていた。
彼女は大学入学後あまりその大学になじめず、休学して遠くで住み込みのバイトなどをして生活していた。その後病気が発覚し、短い闘病の末に亡くなってしまったとのことだった。彼女自身は家族以外に一切病気について話すことはなかったらしい。
思い返すとおそらく闘病中の時期に一度だけメールをやり取りしたことがあった。彼女は自身の病気のことにはまったく触れず、辛い心情を吐露するメールを送ってきた。私は何度かやり取りした末、「生きていればこの先良いこともあるよ。」と返信した。答えは返ってこなかった。
彼女の状況を思えば、本当に残酷な言葉をかけてしまったことになる。自分の言葉が悔やまれるとともに、「命は当たり前にあるものではない。」という事実を初めて思い知らされた。
しばらくは若くして同い年の友人がなくなったという状況を受け入れるのに時間がかかった。猛勉強の末に大学に入ったものの馴染めずにバイト生活をした末若くして亡くなってしまった彼女のことを考えると、「そんなのあんまりだ」、「わかっていたら思いっきりやりたいことをして過ごせたのに」、「まだこれからという時に」といった思いに駆られた。あまりにも若い彼女の死は、なんだかとても不公平なものに思われた。彼女の家族の気持ちを考えると、とても苦しくなった。
クリスチャンだった私はなぜ神がこんな運命を許したのかが理解できなかった。
そんなとき、ふと目の前にあった聖書を開くと、次の言葉に出会った。
主よ あなたは私を探り、
知っておられます。
あなたは
私の座るのも立つのも知っておられ
遠くから私の思いを読み取られます。
あなたは私が歩くのも伏すのも見守り
私の道のすべてを
知り抜いておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に
なんと主よ
あなたはそのすべてを
知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み
御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとって
あまりにも不思議
あまりにも高くて 及びもつきません。
私はどこへ行けるでしょう。
あなたの御霊から離れて、
どこへ逃れられるでしょう。
あなたの御前を離れて。
たとえ 私が天に上っても
そこにあなたあおられ
私がよみに床を設けても
そこにあなたはおられます。
私が暁の翼を駆って
海の果てに住んでも
そこでも あなたの御手が私を導き
あなたの右の手が私を捕らえます。
たとえ私が「おお闇よ 私をおおえ。
私の周りの光よ 夜となれ」といっても
あなたにとっては闇も暗くなく
夜は昼のように明るいのです。
暗闇も光も同じことです。
あなたこそ 私の内臓を造り
母の胎の内で私を
組み立てられた方です。
私は感謝します。
あなたは私に奇しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは
それをよく知っています。
私が隠れた所で造られ
地の深い所で織り上げられたとき
私の骨組みはあなたに
隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ
あなたの書物にすべてが記されました。
私のために作られた日々が
しかも その一日もないうちに。
神よ あなたの御思いを知るのは
なんと難しいことでしょう。
そのすべては
なんと多いことでしょう。
数えようとしても
それは砂よりも数多いのです。
私が目覚めるとき
私はなおも あなたとともにいます。
詩編139編1-18節 聖書
新改訳 2017
そうか、神様は彼女を生まれる前から知っていたんだ。彼女自身を造ったのだから。彼女の日々を、彼女のための日々を造ったのだから。
この言葉を読んで、そのように感じた。彼女の家族を思うと本当にやるせなかったが、「神様は、彼女の家族よりも早く彼女の存在を知っていたのだから、家族以上に愛していたのだろう。」という思いがこみ上げてきた。
不思議と私はあたたかな安堵に包まれ、初めて彼女の死に対し涙を流すことができた。その時に私は初めて同い年の若い友人の死を受け入れたのだった。
その後、大学の友人にこの話をすると、泣きながらそれを聞いてくれた。
数か月後、彼女の家を訪れると、ご両親や二人の妹さんが笑顔で迎えてくれた。心温まるもてなしを受けた。
♰
これを書いている今、私はすっかり大人になっている。いろいろな人の死を経験したが、やはり彼女のことは、その年齢もあって、とても特別な思い出となっている。このことを思い出すたびに、生きることは決して当たり前ではないのだと改めて思わされるのだ。
なぜあの日携帯電話に着信が入っていたのかは不明だが、たとえ地上の命が尽きた後であったとしても、彼女が必死に私に連絡を取ろうとしてくれたのだと思うと、怖いというよりはあたたかな思いのほうが勝る。
明日も生きているという確信があることはかけがえのない幸せなのだと教えてくれた彼女との出会いは、長い年月が経っても、夜空を照らす星々のように、私の中で優しく輝き続けている。
私のために作られた日々 斎藤リマ(旧:何にでもごま油をかける人) @solideogloria
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