第三十八話 正体と目的
目が覚めてまず最初に目に入ったのは、薄汚れたコンクリートの床だった。埃やら砂やらが、そこら中に散っている。
周りを見回すと、何が入っているか分からない大きな木箱や、ドラム缶がそこかしこに並べられている。その他に、鉄骨、鉄パイプ金槌、さらには割れたテレビや家電までもが、適当に床に散らばっていた。
きっとここは、もう使われてない何かのビルなんだろう。ということは、このままじっとしていても、助けは来ない。家政婦たちが帰らない俺を不審に思ってくれれば別だけど、気づいたところでここには辿り着けないだろう。
俺は椅子に座らされた状態で、手を後ろに回されて拘束されていた。けど、足は自由にしてある。なら、このまま椅子ごと逃げるだけだ!
立とうとすると、足が震えている。でも、今の俺にできるのは、逃げることだけだ。このままここで大人しくしていても、あの男が俺を素直に家に帰してくれるとは到底思えない。既にこうして、誘拐されているわけだし。
震える足を横に大きく動かし、怖くないと心の中で繰り返す。そうして立ち上がろうとした時、右に見える入り口から音もなく銀髪の男が現れた。
やっぱりあの男、足音がしない。
そう気づいたと同時に、光のない真っ黒な瞳と目が合って鳥肌が立った。口には白い棒を加えているが、煙は出ていないようだ。
「起きたんだ、おはよ~」
呑気に話しかけてくるが、こっちは今それどころじゃない。
「おい、人が挨拶してんのに、無視はねえだろ」
俺が何も返さなかったことが癇に障ったのか、男は声を聞くくして言った。車に乗った時に聞いた声と似ている。低くて、ドスがきいていて、それだけで人を恐怖に落とすような威圧感。
だが、負けるわけにはいかない。ここでまた無視をしたら何をされるか分からないし、まずは相手が誰かを知らないと。俺は、恨みを買うようなことをした覚えはないぞ。
「誘拐犯に、挨拶したい人なんていませんよ。それより、貴方は誰で、どうして俺をここに連れて来たんですか」
「えー、言ったじゃん。東雲家の者ですって」
「デタラメだろ! 東雲家の人がこんなことするわけ……」
いや、一人だけ可能性があるのか?
五つ子たちの父親は、殺し屋だ。そして、この威圧感、手慣れた誘拐、貼り付けたような笑み、俺に打ち込まれた謎の薬。全てが、この男が殺し屋であることを裏付けているとしか思えなかった。
「その様子だと、俺の正体知ってるんだな」
やばいやばい。これって、知ってしまったならしょうがない、って言って、殺される奴では!? 何とか……何とか誤魔化したい。でも、こんなベテランっぽい殺し屋に、今さら嘘が通じるか? いや、やらないよりマシだ!
荒くなる呼吸を、深く息を吸って整えた。
「は、はい。今俺のところに来ている五つ子の家政婦の父親……ですよね?」
「それ以外にも、知ってんだろ?」
男の顔を見ると、にやけ顔をしながらこちらを見下ろしていた。俺がこの男のことを殺し屋だと思っていると、男の方も気づいているようだ。それでも、俺は誤魔化す。じゃないと、命の保証はないかもしれない。
「いや、知りません」
声はほとんど震えていて、精一杯威勢のいい振りをしても、殺し屋相手には何も通じないだろう。
「こんなことする俺が父親だと思う時点で知ってるって言ってるようなもんだけど、まあいいや」
確かに、あれは失言だった。普通、何も知らなかったら、こんなやばい男が父親だと思う人は誰もいないだろう。
「それより、お前には俺の気持ちが分かるか?」
唐突な質問に、意図を理解するのに時間がかかった。いや、どれだけ時間をかけても、質問の意図は理解できない。殺し屋の気持ちなど、分かるはずもない。
「遠方からの依頼で遠征に行って、帰ってきたら娘たちが家からいなくなってるんだぜ? なあ、分かるか? わからねえよなあ。独身のくせして、女の子五人と暮らしてるエロガキにはよぉ!!」
声を荒げた男は、長くて細い足で近くにあった鉄パイプを上から思いっきり踏んだ。大きな音に、自然と肩が上がってしまった。見ると、鉄パイプが曲がっている。
あ、これ、一番やばい人に目つけられた。
でも、東雲家の人ってことは、俺を殺せないはず。それに、殺し屋だからと言って、私情で殺しをしたらいけないんじゃないか? そう考えた俺は、殺し屋に捕まっているにしては、割と冷静な思考をしていた。
「何澄ました顔してんだよ。まさか、一般人は
そう言って、男がこちらに近づいてくる。あれ、もしかして、
「そうだよ、
予想外の言葉に、一瞬呆気に取られる。
気を抜いていると、男の右足が俺の太ももにのせられた。
おおおおい!! これ、新しいわけじゃないけど、大切に使ってる数少ないスーツなんだが!?
「でもな、
「え、ちょ、一回待ってください」
再び、俺の全身に鳥肌が立った。
やばい、終わった。こんな状態で、逃げられるわけがない。なんなら、俺が万全の状態でも、逃げられない相手だ。
男の右足が上がって目を瞑った時、窓ガラスの割れる音がした。
条件反射で目を見開くと、そこには二人のメイド服姿の女の子が、顔を伏せてしゃがんでいた。二人は立ち上がると、こちらを向いて言った。
「琳太郎に手を出すなんて、お父さんでも許せない」
「だだ、大丈夫……? り、琳太郎……」
消音銃を持った貴奈子と、長い柄の先に大きな斧の刃がついた武器を両手で持って肩に担ぐ空月がいた。
助けに来てくれて安心感があるはずなのに、物騒極まりない空間が誕生していた。
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