第二十四話 悪魔と人間

 祭りは人々にとって気の紛らわしである。


 生活が困窮して明日食べるものもないという絶望的な状況でも、そんな暗い気持ちをを忘れるため、みんなと騒いで楽しい思い出を作ろうという現実逃避。神だ宗教だと形式ばっているが、その根底には人々の欲望があるのは明白だった。


 戦争が終結してまもない頃、周りの暗鬱としたムードもおさまっていない状況でも、村長は発破をかけて祭りを企画した。前に向かって進もうという気持ちを持てるようにと口では言うが、ただの現実逃避に変わりなかった。小菊は「素晴らしい提案ですね」と賛成の側に立ったが、費用や企画にかける時間、それを行うことによって利になることはモチベーション向上以外ほとんど意味がないものだと推察していた。


「村人との交流を深めるという見方もあるのでは」


 既に祭りが開かれると思い込んでいる使者が小菊の微妙な表情の変化に反対の色を漂わせていたことに気づいた。既に10年以上、前世も含めれば30年は共にしている彼はすっかり腰を曲げた老夫となっていた。年の近い村長の気持ちを分かっているかの様だ。

 

 この辺りは戦争の影響を受けずにいた数少ない土地で、故郷を失いヨソからの流入してきた者も多くいた。村社会のシステムは完成しており、それに納得する者しか招いていなかったが、表面上での付き合いだけでは知り得ない芯の中、つまりは人となりを知る上で祭りは有効なのだと提言した。


「菊、お前も祭りに参加するのか」


 父、万四郎もそれに感化されていた。結束力を高める、その謳い文句に彼の祭りへの想いは熱かった。彼も大まかに見れば流入者だが、今更それを突っ込んだところで良い顔をすることはないだろうと小さく微笑むにとどまった。


「何がそんなに不満なんだ。楽しいことはどんどんやれば良いじゃないか」


 そう聞いてくるのは一羽のカラスだった。まるで反省の色がない顔でそう尋ねてくる。もちろん彼に感情なんてものはない。ただ申し訳なさのかけらもないというのは小菊を苛立たせるのには十分だった。


「そんな考え方だから簡単に歴史も改変しちゃったんだね」


「もうそれ言うのやめてよ。悪かったって」


 目を細めながら、それでも彼に聞こえる声量で言葉の槍を刺した。


「あなたは罪のない人を沢山殺した。それを悪かったの一言で許されると思っているのなら相当浅はかだと思うけど」


「言っとくけど僕も一応悪魔だからね。悪魔を説教したところで何にもならないよ」


 時間移動ができる悪魔、ラウム。時には人間に変身して、時にはカラスに変身して、気まぐれに助言もする。けれどこの時代では何にも役に立たない邪魔者でしかない。


 小菊はラウムを掴み、その口元を餅を伸ばす勢いで左右に引っ張った。思っていたよりも伸びた。ラウムは「悪魔を弄んだって何にもならないよ」と口をモガモガさせた。


 イツキはあのままどこかへ行ってしまった。村社会に馴染めるような人間ではなかったし永住は無理だと悟ったのだろう。引き際の早さは伊達に指名手配されてない犯罪者なだけはある。時間移動という能力を失った彼は既に脅威では無くなっており、小菊の中では興味が薄らいでいた。


 それよりも、このままこの時代で生活しなければならないというストレスのほうが大きかった。


 犯罪者といえば、小菊の住むこの場所でも一時期は盗みや強盗が頻発していたが、今ではかなり少なくなっていた。村社会といえば聞こえは悪いが、誰かが苦しんでいるという状況を避けるために団結しあうという意識が広がったのが大きい。その輪から外れるということは村から追い出されることに等しく、余計に立場が悪くなるだけなのだ。悩みがあるならすぐに打ち明ける、こんな時だからこそお互い助け合おうという精神は村全体の結束力を高めていた。


 しかし小菊はこの結束力をあまりよく思っていなかった。今まで何千年と生きてきた記憶の中で、これとよく似た状況が長続きしたことがないからだ。



「話があるんです」


 そう万四郎に言ったのは祭りの前日のことだった。飯時の時くらいにしか二人きりで会話するということがなかったため相手は驚いていたが、娘の頼み事を無碍にするわけもなく、むしろ喜んで同意した。


「話か。いいぞいくらでも聞こう」


 使者を退かせ、締め切られた襖に囲まれ、本当の意味で二人きりになった後、小菊は口を開いた。


「父は今のこの村が正常に戻りつつあるとお思いでしょうか」


「どういう意味だ?」


「私は常にこの村のために尽くしてきました。しかし最近はそれらが空回りしている様な気がしてならないのです」


「そんなことはないと思うがなぁ」


「助け合い、団結力。もちろんそれは大切なことです。しかしそれは感情に頼りすぎなのではないかと思うのです」


「というと?」


 話の見えてこない父の表情は徐々に曇っていた。小菊は表情一つ崩さず、言葉を連ね続けた。


「双方のどちらかが無理をしているということです。助けを得られる相手にとって嬉しいことでも、助ける側は重荷になるだけです。もちろん見返りを求めるということではなく、善意が優った結果がそうなっているのでしょうけれど。しかしそれが積み重なってくると、少し事情が違ってくると思いませんか」


「利害関係が崩れてくるということか」

 

「我々の住む場所もそうです。所広しといえど土地も耕す畑の面積も限られています。それを無償で捧げているのに彼らはさらに助けを要求する。私たちにとって何か得があるのでしょうか」


「・・・・・・もちろんそれだけじゃみんなは納得しない。助けを求めてくる者も務めは果たしてもらわねば、何かに役立ってもらわねばならないな」


「それが分かっておられるなら父に聞きたいことがあるんです」


 居直す娘と父の額には汗が一滴流れた。


「大坂は今どうなっているんですか?」



 

 祭りは滞りなく終わった。


 人の多いところが苦手だった小菊は使者の監視を振り切り、社の裏で休んでいた。涼しい夜風が入ってくるおかげで人の有無で気温も大きく差があった。


 豪農といえど浴衣は無地の質素なものだった。軍は既に解体されていたが、人の目はそう簡単に変わらない。目立たないよう配慮するに越したことはない。


 裏通りから人が歩いてくるのを発見し、それを注視していた。見慣れない少年。歩き方は堂々としているが、身なりや体格がこの土地のものではないことを示していた。


「ねえそこのきみ」


 声をかけたのは疑い半分、退屈しのぎ半分という中途半端な気持ちからだった。相手は当然警戒していたが「食べない?」と持っていたせんべいを一枚見せるとすぐに飛んできた。


「おれ、お金持ってないんだ」


「じゃあなんで祭りに行くの?」


「・・・・・・楽しそうだったから」


 いたたまれない気持ちになった。正式にここに居住できず、あぶれてしまった浮浪者は沢山いる。飢えに耐えられず犯罪に手を染める者もいる。泥棒するなら祭り時で家に人がいなくなるこの時間が適している。


「じゃあ楽しもうよ。せっかくここまで来たんだし。他にも何か食べる?」


 小菊は何も知らないふりをした。相手は少年。まだ子供だ。少しでも良心が残っているのなら手ぶらより何か満足させて帰らせたかった。足を洗って欲しかった。




 だからその後、捕まった罪人の中にこの少年がいたときは衝撃を受けていた。


「この子と知り合いなんだ!この前の祭りで一緒に遊んだんだよ!」


 小菊ですらしばらく何も言えずに固まっている。沈黙が続く状況に「小菊様の連れなわけがあるか」と村の住人は一喝した。


 断罪される直前まで少年は小菊のことを叫んでいたというが、その場には既に彼女の姿は無かった。後になって村長が企画した祭りには盗みや犯罪を起こす浮浪者を炙り出す意図も込められていたことを知らせた。



「どうしたんだ。浮かない顔して」


 暇を持て余すラウムは小菊の前に現れてはたわいのない会話をしかけてきた。


「もしかしたら悪魔より人間の方が邪悪なのかもしれない」

 

 彼女はポツリとそうこぼすと、ラウムの目は大きく見開かれていった。喜んでいるのかと思いきやカラスの状態を保てずにいることから慌てていることが伺えた。


「悪魔として存在してることだけがアイデンティティなんだよ。人間が悪魔より邪悪なら、僕はどうなるんだ」


「別にどうにもならないよ。だってあなたはもうこの時代では何もないただのカラスなんだし」


「確かに・・・・・・え、じゃあ僕はこのまま無価値のまま消えて無くなるってこと?」


「そうなるはずなんだけどね」


 そこでふと小菊の中には疑問が浮かんだ。悪魔は人に必要とされるから存在できるのものだが、この時代ではまだラウムの存在が残っている。ということはまだ「必要とされている」ということになる。


 だとしたら「誰に」必要とされている?


「ラウム、もしかして私以外にもこうやって話してる?」


「お、おいおい。急に目つきが鋭くなったじゃないか。生気が宿ったというか、やっとお前らしくなって何より何よりって」


「質問に答えて」


 口を思いっきり広げると思っていたよりも伸びた。「ぎぶぎぶはなせばいいんでしょ」と下の部分から突起が小菊の腕をトントン叩いた。


「じゃあ話して」


「離せばいいと言った」


「うわ悪魔」


 ラウムのケロリとした顔にはやはり何か隠しごとがある様子だった。その内容を聞き出すには中々口を割らずない彼を縛り上げ、三日三晩干物にさせなければならなかった。

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