第二十三話 虚無の二百年

 引っかかりは時間が進むにつれて大きくなっていた。


 孤立したとはいえ手綱はずっとつけられているはずだった。同じ時間軸にタイムトラベラーを名乗る男が現れるまで、彼女はこのまま身動きが取れず救援を待つ状態だった。しかし状況は彼も同じ、こうなれば出自など考慮するに及ばず、藁にもすがる思いで彼の意見を聞くほかなかった。周囲の反対を押し切り、その得体の知れない男と対面で話をする機会を設けるのになんの迷いもなかった。


 当の本人は不服そうな顔で小菊を睨みつけた。同じ穴の狢だというのになぜこうも待遇に差があるのだと言わんばかりの様子である。対して小菊は涼しい顔を保ったまま彼の感情に流されることもなく、目を瞬かせた。


「イツキもラウムの未来改変に巻き込まれちゃったのね」


「またあの悪魔か。どうせこれからはカラスとして余生を過ごすとか抜かしてるんだろ」


「うん」


 大きなため息と共に後ろ髪をボリボリと掻きむしった。浮浪人ということもあってその仕草からは不潔さを感じさせられた。


「管理者からの連絡もなし。そもそも別の時間軸にいるから連絡の取りようもなし。向こうの誰かが俺たちのいる時間軸を引き当ててくれるしか戻る方法がない。絶望的さ、はは」


 過去に戻る時に渡されていたコードはまだ途切れていなかった。いわゆる命綱のようなもの、元の時代に戻るのに多少の未来改変が起こっても同じ時間軸に戻ってこられるものだ。しかしそれがある時を境に引っ掛かりとなって引き上げられずにいる。それは多少の改変では済まされないほどに大きなズレが生じていることを示していた。


「それよりこの差は一体何よ。なんで俺は浮浪人で、お前は豪農家の娘なんだよ」


「・・・・・・それはなぜ世界から差別が無くならないのかと言っていることが近い質問になるけど」


「ああそうだよ。世の中って理不尽だよな」


「そうでしょうとも」


「・・・・・・ラウムはどこにいる。この責任をどう取るか聞かないと気が済まないだが」


「・・・・・・森に帰るって言ってた」


 会話が徐々に減ってくる。同じタイムトラベラーだからといってもこの世界の未来がどうなるかに自分たちの知る未来は関係ないのだから、『ただの一般人』である。


 日が暮れ始め、そろそろ話を切り上げないと身内が痺れを切らす頃合いとなった。イツキは生活基盤が焼け野原となり路頭に迷っているらしい。しかし小菊には彼を助ける

義理もない。仮に同じ穴の狢だったとして、同じ境遇のもとにいる理解者だと分かっていても手を差し伸べるほどの関係値を築けていなかった。


 もともと彼は時間移動をしながら悪事を働く犯罪者だったのだ。


「俺はこのまま野垂れ死ぬがお前はどうするつもりだ」


「どうするもなにも私は死ねないから。このままこの時代を生きていくんだと思う」


「これがお前が理想とする素晴らしい世界とやらなのか?」


「・・・・・・いいや」


「ならちょっとは頑張って元の時間軸に戻る努力をしたらどうなんだ」


「頑張るってどう頑張るの」


「・・・・・・」


「助けが来るのを待つしかない。待って待って、それでも待って。来なかったら終わり。ラウムと話はついてる。これ以上話すことはなにもない」


 追い返される寸前まで彼はしきりに小菊に縋りついた。彼女と違って、彼には寿命があるからだ。厳密にいえば生まれ変われば他の人間同様、記憶が全て消えてなくなるのだ。


 最後に彼はこう尋ねた。


「この世界に未来はあるのか?」


 対して小菊は即答だった。


「あると思うよ。人間は強いから」



 彼らのやりとりは盗み聞きしていた従者にとって瞬く間に噂として広まった。そしてそれが父親の耳に届くまでに時間はかからなかった。彼は小菊を呼び出すと、今までの違和感を問いただすように真剣な眼差しを向けた。


「お前に聞きたいことがあるのだ」


「なんでしょうか」


「お前は、弥尋なのか?」


 核心的な問いに彼女ですら言葉を詰まらせた。しかし返答する頃にはこれまでの落ち着きを取り戻していた。


「私はお母様ではありません。娘です。お父様とお母様の間に生まれた正真正銘の娘です」


 しかし彼女は既に父親が自身の正体についてある程度確信していることに気づいていた。これまでも自分の正体を突き止めたものは少なからずいたのだ。しかしここ場を離れるわけにはいかない。


 イツキと共にこの家を出るという選択肢もないわけではなかった。しかしそれを選ばなかったのは身の回りの従者や親族に一定の恩を感じていたからだ。


 そのため、たとえ父からあらぬ疑いをかけられていたとしても、自分は小菊としてその生涯を全うしなければならないと感じていたのである。



 元の世界の管理人との連絡がついたのはこの時から実に二百年近くが経ったころのことだった。

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