第二十二話 途切れた線と辿る男

 すぐに彼がラウムだと気づいた。


 黒々とした体躯を見せつけながら、曇天の空を泳ぐ姿は一際目立っていた。大きく手を振ってみると素知らぬ雰囲気を漂わせながらもこちらの方へと近づいてくるのであった。


 やがて地に降り立ち、その大きな翼を収めるとこちらを見上げる。この素朴な雰囲気は何も変わっていない。弥尋は大きな裾をたくし上げ、彼の元へと駆け寄った。


 どうやって発声されてるのか、クチバシをパクパクさせながら流暢な日本語を話し出した。


「無事に子どもを産み、その体に魂を移すことに成功したな。これであと数十年は生きていける」


「何で私を生かしたの?」


「そう命令されているからな。今お前が行方不明になれば面倒なことが増えるらしい」


「把握しておきたいと」


「・・・・・・僕は何でもいいんだけどね。どうせ君は何をやっても死なないんだから」


「でも私が見合い話してた時、何回も様子見に来てくれてたよね」


 長話は不要とばかりにカラスは気まぐれに飛び去って行った。彼は口では不幸を願いながらも心の底まで真っ黒ではないのかもしれないと、その時の平和ボケしていた弥尋の目には映っていた。


 

 弥尋は正確にはこの娘の母の名前である。


 豪農家に生まれ、世界恐慌や第二次世界大戦に見舞われながら、内では上流階級の付き合いを通じてうまく立ち回っていた。対岸の火事とまではいかなくとも、そんな血と涙とは無縁なほどに平和な暮らしができていたのである。


 しかしどれだけ幸せな家庭でも悩みが無いわけではなかった。病弱な体はその時代の医学を持ってしてでも延命させるのには莫大な金がかかる。少女一人を生き延びさせることで得られるメリットはその金以上のものにはならない。両親の期待は早い段階から男兄弟たちのほうへ向けられていた。


 本来、寿命が尽きるまで病に伏す生活を送る運命であったが、このカラスの仕業だろう、少女をこの時代にとどまらせる施策が行われていたのである。


 突如として見合い話を持ちかけられ、弥尋自身も家に協力できるならと断る理由もなかった。家のものが弥尋に求めているのは後継であることは明白であった。娘がダメなら孫娘に託す、何ともギリギリな命のリレーである。


 奇跡的に生まれた娘は初めこそ心神喪失状態であったが、数分で劇的に回復し健康になった。しかしその内情は穏やかなものでは無かった。母体は心神喪失状態となり、やがて動かなくなった。そしてそれと同時に娘の容体も急速に回復したのである。弥尋にとっては脱皮のようなこの行動も外から見れば出産に耐えきれず死亡した母と奇跡的に助かった子供という構図となってしまっていた。


 小菊と名付けられたその少女は神童と噂された。生まれてわずか二年で流暢に言葉を話し始め、その更に二年後には読み書きそろばん、家事や手伝いも他の同い年の子供よりも飲み込みが早かった。小菊にとってはかつての病弱で制限のあった体から、外を出歩いても全く疲れない体となったことで開放的な気分を味わえた。その勢いで前世ではできなかった色々なことにも果敢に挑戦できるようになったのである。初めは男の子ではなかったことに不満を漏らしていた親戚もこれに掌を返し、祖父母や叔父たちも彼女の成長ぶりに大いに喜んでいた。


 しかしその中で彼女を訝しむ者もいた。彼女の世話をしていたかつての手伝いの婆やたち。そして小菊の父、万四郎である。彼らに共通することは生前の弥尋とよく話をしていたということ、小菊の言動や所作が弥尋そのものであることにある種の不気味さを感じていたのだ。


 力仕事に疲れて帰ってきた万四郎に小菊が「今日もお疲れさんでした」と見事な所作で出迎えた時、ついに我慢できずに「お前はどこでそれを覚えたのだ」と尋ねた。


「もちろん自然と身についておりましたとも」


 これが弥尋、もとい小菊の「身のまわり」で起こった出来事である。あくまで彼女個人の問題はそれでうまく収まっていた。


 しかしその代償となったのは大きな歴史改変である。彼女を生かすためにラウムやその他の人員が行った行動で弥尋が把握している世界とは大きくずれる結果となった。



 世界が大きくズレている事実に気づいたのは小菊が生まれてから数年のある日のことである。奈良に多くの人が移り住むようになった光景を不自然に感じ、農作業の合間、休息をとっている手伝いに「なぜ人が増えているのか」の理由を聞いてみた。すると意外な回答が返ってきた。


「奈良が一時的な帝都になるからですよ」


「帝都・・・・・・?」


「天皇陛下のお住まいとなる場所のことです」


 小菊があっけらかんな表情を浮かべているのを手伝いの人は「はて、小菊さまが呆然としておられる」ともの珍しく眺めている。


「東京はどうなりました?」


「東京は焼け野原です。復興には時間がかかるかと」


「では京都は」


「京都は一年以上近づくことすら許されておりません」


 ここで小菊は気づいた。京都が爆撃されている。弥尋が本来生きていた時代では京都は空襲もなく平和だったはずだ。


 もしかすると己の存在が世界に多大な影響を与えているのかもしれない。小菊は平静を装いつつ落ち着いた口調でその後も尋ねた。


「その、京都は一体どういう状況なのでしょうか」


「そのようなこと、私の口からは決して申し上げられませんで・・・・・・」


「空襲があったのですか。京都で」


「ええ、そうです。とても大きな爆発があったとかで・・・・・・」


 小菊は人伝にしか情報を得ることができなかった。万四郎は教えてくれず、話を聞けるのは手伝いの者しかいなかった。

 

 後日、様子を観に来たラウムは小菊の手によって体をがっちりと掴まれた状態で「があがあ」唸っていた。


「京都が爆撃?そりゃそうだよ。そういう風に仕向けたんだから」


 特に悪びれるまでもなくラウムはそう言った。


「奈良に住んでる弥尋と万四郎との見合い話を成立させるためには万四郎が京都に住んでる知り合いと関係を持ってはいけない。だから京都を攻撃させた」


 その世界は1945年8月6日に原子爆弾が京都に落ちていた。そして9日に広島に落ちて、予定通り15日に戦争が終結していたのだった。


「元々原爆の第一目標は京都だったんだよ。でもそれに反対する人がいた。たった一人だけ。だからそいつさえ消してしまえばよかった。単純な話」


 ラウムは淡々と話した。小菊はため息を漏らした。


「あのさ・・・・・・それだと私たちがこの世界に取り残されちゃうだけなんだけど」


「僕はこの世界に来れるのに?」


「そりゃ過去から来てるからねラウムは。未来で待ってる人たちは私たちに干渉できなくなっちゃった」


 小菊は項垂れた。ラウムはまだよく分かっていない様子で首を傾けている。京都が攻撃に遭ったとすると京都出身の子孫は消えてしまったことになる。とすると・・・・・・一気に血の気が引いていくのを感じていた。


「ひょっとして、今すごくまずい状態?」


「まずいも何も終わり」


 掴んでいた手が離されるとラウムは翼を一瞬だけ開いてまた閉じた。しかし逃げるようなこともない、ただその場に立っているだけである。


 方法がないわけでもなかった。それは向こう側が弥尋たちの通信が途絶えたことに気づいて、その時代の枝分かれを探る方法である。しかしこれは現実的ではない。枝分かれは無数にあり、どの世界線に弥尋たちがいるのか特定のしようがないからだ。


「ごめん。僕が世界を大きく変えすぎた」


 やがてラウムはカラス姿を解き、ペコリと頭を下げた。頭を下げたところで何かが変わることはないが、滅多に謝らない彼が謝る姿は珍しく、反省していることが窺えた。


「・・・・・・これからどうしよう」


「僕はこれからカラスとして生きていくよ」


「私はこのまま生きて死んで生まれ変わって、新しい未来までいくしかないかもね」



 諦観さることながら、あとは消化試合のように人生を過ごしていた。冬が近づくにつれ、元からあった食糧難がより深刻になっていたがそれをなんとか乗り越えるとまた新しく春が来た。気温も暖かくなり、また一年、もう一年と時が過ぎていった。


 彼が奈良の地で小菊のもとを訪ねたのはそんな苦楽が十年ほど過ぎた頃のことである。


 騒ぎの少なかったこの地で珍しく揉め事があったらしく、小菊らが訪ねたところ、屈強な男たちに取り押さえられた男の姿があった。何者かと聞けば「ミヒロを出せ」との一点張りだという。


「この辺りでは見かけない不審者です。どうしますか」


「当然捕らえてください」


「おい待てって、そりゃねえぜミヒロさんよお!」


 男は押さえつけられた腕の中をもがくように声を漏らした。


「黙れ!この方は弥尋様ではない!」


 小菊には違和感があった。自分のことを弥尋だと知っているものはラウム以外に存在しない。確かに父の万四郎や手伝いの者数名は私のことを訝しんでいたが、それを外で言いふらすような人たちにも思えない。


「名前はなんというのですか」


 そう男に尋ねると、すぐに返事が返ってきた。


「イツキだ!お前と同じタイムトラベラーだよ俺は!」

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