第十八話 世界は思うように動かない
駅近にある小さなファストフード店、これまで何度か足を止めたことがあったが店内に入るまでには至らなかった。しかし足が軽くなったからか、その日はするりと店内に入り込めてしまった。
タッチパネルでの操作に慣れていたせいで対面での注文に戸惑ってしまう。咄嗟に頭の中に入れてあったメニューを入念に店員へ伝える。
「クーポンなどはお持ちではないですか?」
首を横に振ると、相手もそれ以上言及してこなかった。レジが手動で行われ、指定された金額を支払うと白い紙を手渡される。773という数字が書かれてあった。私はそれが注文札のようなものであることを瞬時に理解した。
「番号札773番のお客様。お待たせしました!」
ものの三分で頼んでいたバーガーとポテト、ドリンクがトレイに乗せられた状態で渡される。少しだけアンバランスな重さの偏りに手こずりながら、何とか席までそれを持っていくことに成功した。
一人用の席、つまりカウンター席。外の景色を見ながら食事を楽しめる。といっても駅近の風景は見慣れているから、あんまり楽しくない。景色というより忙しなく行き交う人の群れを眺めるのを楽しむのかもしれない。とにかく長居するつもりもないのでさっさとバーガーを平らげて帰ろうとしていた。
・・・・・・帰るってどこに?
「美味しい?それ」
突然隣からそう尋ねられる。振り向くと小さな黒い耳のついた突起がぴょこんと跳ねた小さな黒い何かがいた。うさぎのようにも見えるが、それにしては目つきが悪い。大きく見開けばそれなりに不気味な雰囲気を出せるのかもしれない。ファストフード店にいるせいでその不気味さもほとんど無いが。
「美味しいよ」
そういって普段使うことのない表情筋を使って口角を上げる。黒い生物は「あ、そう」といって椅子からテーブルによじ登った。私のリアクションの低さに心底がっかりしたような、そんな感じだった。
「私はもう用済み?」
「そうだね。君がやるべきことはほとんど終わったといってもいい」
「ほとんどってことはまだ何かあるの」
「あるらしいよ。君の親権は今誰も持っていない。前の人たちは権力者に潰されたからね。家も酷い有様だっただろうし」
前まで住んでいた家の表札には黒いペンキで×をつけられていた。中に入ればそれはもう壁やら床やら、家具やらが壊されていて荒れ放題となっていた。
権力者が権力を失えば、こうなるのだなと実感した。
「今度は別の信者を動かす仕事を任されると思う。予言だけど」
「予言?」
「近くの未来なら見えるんだ。もっとも正確じゃないけどね。事情が変われば未来も変わるだろうし」
黙々とハンバーガーを食べている間、黒生物はじっとこちらを眺めてくる。邪魔だなと思いながら私は気にせずに食べ続ける。
「君は小さな信者たちを集めて力を得たようだけど、向こうのほうが上手だったみたいだね」
「もともと死なば諸共って感じだったし」
「結果帰るとこがないわけだけど。どうする?死ぬ?」
「・・・・・・それもいいかもね」
隣にある扉が開くと同時に髪が揺れる。もう少し奥の席に座ればよかった。散髪したおかげで目にはかからなかったが毎回手で髪を無意識に流しそうになる。
「そんなに美味しい?それ」
包み紙をゆらゆらと揺らしては顔を出す私に相手はまた聞いてくる。どれだけ食べたくても相手は食べられない。これは人が食べるものだからだ。人だからこそ得られる特権、それを今私は存分に享受している。
「・・・・・・美味しいよ」
「へえ」
面倒なことはあんまり考えたくなかった。私はただ親というしがらみから解放されたこの時間を楽しんでいるだけなのだから。
「とりあえずお前のせいでめちゃくちゃになっちゃったんだよ」
授業参観が終わり、その日のホームルームが始まる前、私は職員室に呼び出された。親の化けの皮が剥がれたおかげでそれまでの微妙な権力の均衡が崩れたとみた。そしてその崩れっぷりは思いの外早かったのだ。
「・・・・・・というと」
「メンツは丸潰れ。あんたの親っさんに任せてた事業がことごとくキャンセルになった。暗黙の了解で誰も何も言わなかったのに、お前が突いたせいだ」
「ああ、そういう」
「分かってんのか?50億が動く建設事業だったんだぞ」
教師という手前、教頭は私を殴ることはしなかった。それをするのは別のやつらだ。
「とりあえずお前は明日から学校来るのやめろ」
「義務教育なのに。学校来なくていいの?」
「知らん、お前の親っさんは逃げ出した。今捜索している。見つかるまでお前は自宅謹慎」
「監禁じゃなくて?」
そのまま私も教室に戻らず雲隠れしようとしたが、残念ながら見張りがついていた。穏やかそうに見える教育実習生を名乗る男、どこかで見た覚えがある・・・・・・どこで見たっけ。
教室に戻ると、ざわついていたクラスが途端にシンと静かになった。まっすぐ机に向かう私に誰も何も話しかけてこない。従順だったクラスメイトも既に向こうの手の内らしい。私が職員室に呼ばれていた間、何があったのかは大体予想がついた。
「本当の敵は親じゃなかったってことか」
私はクラスのみんなに聴こえるようにそう言った。全員俯いたままだった。
担任のいつもと変わらない明るい声は彼女にまで権力の手が伸びていないことを示していた。それだけが救いだった。
「元気かなーって覗いてみればこの有様だよ」
荒れ果てた家の中に土足で上がり込んでくる管理人は部屋の奥でうずくまっていたボサボサ頭の私を見つけた。何日もまともな食事をしていないせいで頭が真っ白になっていた。そのまま横になる。何時間も寝ているはずだがまた眠くなる。瞼を閉じる私に「起きろ」と頭を叩かれる。
「なんか、やった?」
「やった」
「何をしに」
「親に恥をかかせた」
「それでこうなるの?」
「なるみたい」
ため息をつき、その辺に転がる下半身むき出しの男の山をかき分ける。局部から流れていた血は固まったらしい。「うえー」と声を漏らす。
「こいつらはなに」
「なんか、組織の人間らしい」
「らしいってよく知らないのに殺しちゃったの?」
「まあ・・・・・・襲ってきたら倒すでしょ」
「あのさ、ここ1990年の日本なの。こんな派手にやってニュースにならないわけがないよね」
「じゃあ私は耐えれば良かった?」
「そういうわけじゃないけどさ・・・・・・面倒でしょ色々と。だから目立った行動は極力避けてって注意したの」
「うん。ひっそり動いてた」
立ち上がれずに倒れ込む私を管理人は両手で持ち上げる。初めて真正面に向き合った。
この時代で私のことをちゃんと知ってる唯一の人。見た目はだいぶ変わったけど、それでもすぐにわかる。オーラ?雰囲気?言葉では説明が難しい。
「やっと会えたね。久しぶり、β-316」
とりあえずお風呂に入れと水を飲まされた後風呂場へ連れていかれる。長くなった髪を纏めても癖がひどくて戻らない。頭はすっきりしたが見た目は大して変わらなかった。
「掃除しようと思ったけど、これは無理だわ。なんか外で食べよう」
そう言って連れ出されて、ご飯を食べて買い物をして、髪を切って、どんどん外の世界に染まっていく。
そして管理人と別れて今、私は人並みのことをしている。別れ際に電話番号の書かれた紙を渡された。
「そこに電話したら、少なくとも食べ物と寝るところには困らないと思う」
暫く私は一人でいいやと思った。軽くなった頭を撫でて、買ったばかりの服に身を包んで、しばらく街をぶらついた。
黒い生物は私の後ろをぺたぺたとついてくる。私と同じように行くところがないのだろうか、尋ねても何も答えない。
「やっぱりポテトたべたかった?」
そう聞いても軽く頭を振るだけだ。
駅に着いた。お金はあるから切符も買える。このお金が尽きるまで遠くへ旅をするのもいいだろう。切符を買った後改札を抜けようとすると黒生物はようやく口を開いた。
「どこへ行く気」
私が振り返り改札を挟んで彼と対峙する。
「旅に出ようかなって」
「旅に出てどうするの」
さっきまでずっと無言だった仕返しに、今度は私は彼の問いかけに答えなかった。そのままホームへと歩き出す私に彼は捨て台詞を吐いた。
「自分の力を過信しすぎると、痛い目に遭うよ」
彼はもう追ってはこなかった。
ゴミを捨てるのにお金がかからないことに感動していた。自販機で買ったチェリーソーダを飲んだ後、その空き缶を隣にあるゴミ箱へ捨てる。
電車はあと数分で着くらしい。それまで頭の中で旅の計画を立てることにした。今までの抑圧された環境とは裏腹にそれら全てが開放的だった。しかしそこで自分が何をしたいのか、具体的に思い浮かぶものが無かった。欲求は「旅をしたい」という漠然としたものに留まり、そこから先へ踏み出すにも踏み出せない。何があるのか分からないからだ。
今まで瞬時に答えにたどり着けていた頭は急にその回転を停止してしまった。ここにきて役に立たなくなるのか私の頭は。
電車がもうすぐ到着する。そうだ、私にはまだ時間がある。電車に乗りながら、自分のしたいことをゆっくり探すのも良いじゃないか。ここで焦る必要はない。
そう安堵していた私は突然後ろから衝撃を貰った。二週間ぶりに立って歩いていたこともあってバランスが崩れる。そして私の体が駅のホームを飛び出しているのに気づいた時、電車が追い打ちをかけるように私の身体に突進した。
やわな私の身体は簡単にバラバラになる。ぐちゃぐちゃになる。せっかくお風呂に入ったのに、服を買ってもらったのに、髪を切ったのに、身なりを良くしたのに。全てが台無しだ。
結局私は旅に出られないらしい。死んだことよりも束の間の自由が失われたことにショックを受けた。思考が一時的に固まっていたが時間が経つに連れて再び動き出す。魂が生身から飛び出るのを感じる。
さて、なぜ私がこうなったのか。どよめく周りの客の中で一人背を向けて歩き出すものがいるのを捉えた。捉えたと言っても生身の私は既に死んでいるので、気配で捉えた。
階段を駆け降りるそれをこれまた気配で追っていく。その気配は小さく、子供のようだ。
「捕まえてそいつ」
改札でまだうろついていた黒生物はものすごい勢いで走ってくる子供の速さに圧倒され後ろにのけぞった。そしてその後に追いついた私の気配を見て「どうしたのその身体」と尋ねる。
「突き飛ばされた。さっきの子に」
「旅に出るってそういう意味だったの?」
「違う、それよりその子を追って」
黒生物はヨチヨチと小さな足を動かそうとする。焦ったいので私がその体躯を抱えて走り出した。運動なんてまるでやってこなかったが、今はその身体もないから問題ない。
しかし1990年といえど、突き落とした私を野放しにする社会ではなかった。出口には既に通報を受けた警察が到着しており、子供の逃げ道を塞いでいる。
「止まりなさい!」
大勢の大人が子供を取り囲む。少々過剰にも思えたが、相手は懐からカッターを取り出していた。こうなることを想定していたのか。それを自身の首筋へと当て、ものの数秒で引き裂いた。
霊体になった私たちが追いついた時にはその身体は血の海に沈んでいた。やはり見覚えのある顔だった。クラスメイトの一人、名前は確か・・・・・・。
「鳳さん。鳳真利奈さん」
声をかける私に鳳は振り返った。
「え、なんで・・・・・・私死んだはずじゃ」
「死んだよ。死んだらみんな暫く霊体を持つんだよ」
「ひぃ!なんであなたがここに・・・・・・!」
「だから私も死んだから、私はあなたに突き落とされたおかげで無事死んだ。で、なんでこんなことしたの」
黒生物は私の手を離れて、鳳さんの前に現れた。死後の世界では彼の姿は私以外でも見ることができるようで、相手もたじろいでいた。
「罪を償わないまま死んだね。相当重い罰を受けるよ」
「・・・・・・良いよ。どうせ私はこの先地獄だったんだから」
開き直ったように鳳さんは私を睨みつけた。私は暫く何も言わなかったが、向こうも何も言う気配がなかったので先に口を開いた。
「私って恨まれてたの?」
何を当然とでも言いたげに彼女は顔を歪めて笑い出した。これまでも悪人にはたくさん対峙してきたが、子供が相手になることはかなり珍しい。だからこそ彼女からはより凶悪なものを感じる。
「あなたがいなくなってから私の家めちゃくちゃだった!お父さんは仕事が無くなったからって家に篭って私に暴力振るってくるし、お母さんは家出して帰ってこないし」
「それは残念だけど、それと私とどう関係が」
「お父さんは建築士だった。でもその仕事がダメになったらしくて、聞いたらあなたのお父さんがお金を出資する話だったのにそれが無くなったって聞いて。責任取らされたって」
そういえば職員室に呼ばれた時にそんなことを聞いた気がする。父親の事業に興味なかったがクラスメイトの親とも関わっていた人がいたとは。
「もしかして私と仲良くしてくれてたのも、お父さんに言われたから?」
わざわざ参観の授業後、母の前で「鳳真利奈っていいます」と自己紹介していたのを思い出した。その前から勉強会で家に呼んでいるし、顔合わせもしているはずなのに、なぜ改めて自己紹介していたのか気になっていたのだ。
「恵まれてないね。お互いに」
「あなたと一緒にしないで!私はもう死んだ!死んだから終わり!地獄に行かないといけないなら行ってやる!」
「まあ落ち着きなさいな」
管理人が私たちの前に現れた。下に転がっていた黒い生物を抱き抱え、二つの死霊と対面する。
「バカなことをしてくれたね。せっかく髪を切ったり服を買ってやったばかりなのに」
「・・・・・・ごめん」
「ラウムの気配があったからもしやと思ったんだ」
黒い生物は「なぜばれた」といった様子で目を丸くしていた。私が想像するよりは怖くはなかった。
そして私の隣にあるもう一つの死霊に語りかける。
「普通人は死んだら生まれ変わるんだ。それがアリかペンギンかまたまた人かはランダム。でも前世で罪を償わないまま死んでしまったらどうなるか」
「ど、どうなるの・・・・・・?」
「こうなる」
死霊は桃色の煙と共にみるみる小さくなっていく。それが黒い生物と同じくらいの大きさになった途端輪郭が現れた。
「悪魔になるんだ。君は永遠に黄泉の世界から出られない。この子と同じようにね」
黒い生物は「これからよろしくね」とさっきまでの無表情をそのままに口角を上げた。当の本人は別に絶叫するでもなくそのまま顔をうつ伏せにしたまま倒れ込んでいた。どういう感情なのか、私は悪魔になったことがないので分からない。
「ていうか君ラウムっていうんだ。ずっと名前教えてくれなかったから知らなかった。どんな罪を犯したの?」
「教えない」
「ほらやっぱり教えてくれない」
さて、と管理人は立ち上がって、地下から出る階段を登り始めた。どこへ行くのか尋ねると「ついてこれば良いじゃん。疲れないでしょその身体だと」と若干冷たい態度を取られた。
「本当はあと5年この世界にいる予定だったんだけどね」
「5年?5年後に何かあるの?」
「テロ事件が起こるんだ。それもここ地下鉄で」
「それまで待って何かしないといけなかった?」
「β-316はそのテロ組織と仲良くなってうまくテロを回避する仕事を頼むつもりだった。でももう死んじゃったから、代わりに私がやらないとね」
そういって彼女は「ごめんね」とポツリと呟いた。
「今度は良い時代に生まれたらいいね」
ラウムは実体のない私の体をぴょんとすり抜けた。その後ろからうずくまっていた鳳さん、もとい新悪魔さんは足を必死に動かしながらも黙ってついてきていた。
私たちは管理人を見守ることしかできなかった。しかし彼女はその4年後、テロ事件が起こるまであと一年というところで病に倒れ、私と同じ黄泉の国へと送還されることになる。使命を果たせなかった私たちが次に飛ばされるのもまたもや過酷な環境かもしれないと思うと気持ちも沈んでしまう。
私の望まない旅はまだまだ続きそうだ。
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