第十六話 前世(中編)

 


「つまり僕が一人目の君の信者、ってことになるね」


「・・・・・・なんの?」


「君は神様、それを信じた僕は信者一号だよ」


 何をするでもなく、なんとなく、大宮くんと塾をズル休みした。表向きは勉強会。裏ではただの暇つぶし。無為に参考書を読むのも飽きてきた頃だった。

 

 思っていたよりも面倒だった。学力を身につけるに越したことはないと幼少期の頃からひたすら勉強をさせられてきたが、当の私はやる気がない。いや、やることがなくなったというのが正しい。すでに何度も習ったことの反復演習。さながら好きでもない音楽を延々と聴き続けるみたいなそんな鬱陶しさがあった。


 塾は私にとって地獄のような存在だった。ずっと同じことをお経のように唱え続ける水やりおじさんをまだ希望の光を失っていない哀れな木々が狭い部屋で囲んでいる。苦虫を噛み締めたような目をしているとチョークを投げられる。そんなに気に入らないならこの部屋から出ていけという。


「別にあんたに水をもらわなくても私は成長できるけどね」


「あ?なんか言ったか?」


「いいえ、すみませんでした。お望み通り私はこの教室から出ていきます。それに塾も辞めますので。今までありがとうございました」


 その後も罵声を浴びせられたが親に連絡すると言ったらすぐに静かになった。これ以上吠えたとて何も始まらない、自分の首を絞めるだけなのだから。


 さて家に帰ってどう報告したものか。勉強についていけず辞めたいのだと適当に言っても家族には許してもらえないだろう。正直にここではレベルが低すぎるから別のところに行きたいなど言えばいいか、それとも・・・・・・。


 受付の女に気分がすぐれないので早退する旨を伝えた後、塾を出た。シャバの空気が美味しい。明るい外の世界を楽しみつつ帰宅までのんびり歩こうと思っていた矢先、見覚えのある顔が私の視界に映った。


 例の男子だ。この前の席替えで隣になった遅刻常習犯。名前は和田瑞希(みずき)。今日も数十分の遅刻をしてやってきたのだろうか。向こうは私を見つけると「おーい」と手を振ってくる。手を振りかえす代わりに小さく会釈をした。残念ながら今はそんな気分ではない。


「あれ、大和さん。今日はもう帰り?」


「具合が悪い」


「確かに顔色が悪いもんね。お大事に」


 そう言って檻の中に入っていこうとする彼を呼び止める。


「今日、漆間先生」


 意図がわからなかったのか私の顔をしばらくぽかんと眺めていたが、やがて相手の表情が緩んだ。


「帰ろうかな」


「そのほうがいいよ。今日はこんなに天気がいいから」


「ほんとにね、もったいないよね。外に出ないと」


 しかしそんな良い天気も次第に暗くなっていった。二時間も歩いていたら雨が降りだした。私たちは二人どこか喫茶店に入ることにした。


 お店の雰囲気はいつもと変わらない。食器の鳴る音、近くには楽しそうな声、ノートパソコンのキーボードを叩く音、大人しめのBGM。さして変わらないこの状況が、いつもと比べてぼんやりと明るいのは雨のせいだろうか。


 店員さんは私たちのような小学生二人が店内に入ってきたことを、さして気にすることもなく、淡々と注文を受けている。周りのお客さんも各々自分たちのことに夢中で外の景色なんて誰一人見ていない。きっと私たちのように退屈な人にだけ、この雨の余韻に浸っているのだろう。


 随分前に頼んでいたスープは少しづつ飲んでいても全く冷めることはない。よくみるとカップの下に保温機が仕込まれている。火傷に注意のマークが小さく書かれていた。最近の食器はこんな機能もついてるのかと感心する。周りの人はさも当たり前のようにこれを使いこなしているのだから、私が無知なだけなのだろうか。


 外のひんやりとした空気を私たちは内から楽しんでいる。



 他の人から私がどう見られているのか、時々すごく不安になる


今朝家を出るときに、母に言われた。


「また今日もそんなに着こんで。まるで雪国の人みたい」


 なんの気もなく言われたその言葉が今でもずっと残っている。なんて返しただろう、ちょっと突き放したことを言ったかもしれない。でもそれは帰ってから考えよう。今ここでモヤモヤしているとせっかくのこの時間が台無しだ。そしてそんな母もまた、私をこの気持ちにさせている原因の一人なのだ。


 この前の勉強会で話していたことが話題に上った。というかそれくらいしか彼と接点がなかった。


「前世を知ってるだけっていうけど、やっぱり人一倍の記憶は持ってるから、長生きしてるし」


「長生きしてるから偉いってわけでもないけど」


「大和さん僕らと同年代だとしたら明らかに大人びてるっていうか。なんかそんな気はしてたんだよ」


「胸は出てないけど」


「別に胸に限った話じゃなくて。て、ねえ僕の話ちゃんと聞いてた?」


 結局、彼との話は適当に流すつもりだった。しかし彼もまたこの小さな社会の中の犠牲者だったことに気づいた頃には、私は神として崇められる対象になってしまったのだ。


 そして冒頭の、あの会話の流れとなる。



 コーラフロートを味わいながら、私は和田に悩みを打ち明けていた。両親からの圧が強いこと、塾に疲れたこと、そしてここから脱却するために動いていること。洗いざらい話すこともなかったが、手の内を見せたのだからそれなりの見返りを求めるのは当たり前だった。


「ぼ、僕にできることなら」


 そして若干十一歳の少年の心を掴むのも造作なかった。


 そして後日、私は和田の協力を得て、クラスメイトと次々に接触し善人として振る舞った。それは助言から始まり、問題を解決に導くなどの、いわば「良いこと」を続けた結果だった。それまで接点のなかった私は最初こそ抵抗されたが、信頼を勝ち取るのにそこまで時間はかからなかった。


「本当に私が神様だったとして、なんで私は塾に通わされてるんだろう」


「君のお父さんもお母さんも君の頭が良くなって欲しいから通わせてるんだと思うけど」


「私は神様だよ。全知全能だよ。これ以上頭が良くなってどうするの?」


「それは、確かに」


「お父さんやお母さんが私を塾に通わせる理由、それは私の頭を良くさせるためじゃなくて、塾に通う私を宣伝しているだけなんじゃないかって思うの」


「それはつまり世間体に縛られているってことかい」


「そう、それが言いたかった。変な宗教で変な価値観を植え付けてくる彼らに私はどうやって立ち向かうべきか。今はそっちの方が難しい問題なんだ」


「神様でも色々考えることはあるんだね」


 私は一呼吸おいた。一クラス分の神様として私は彼らの信仰心を使って両親を倒す計画を既に立てていた。


「神様は信じるものがいて初めて神様足りえるんだよ。だからまずはそれをあいつらに分からせてやる」

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