第十三話 雨の遊園地
金が必要になり、バイトを始めた。
特に乗り気だったというわけでもなく、ただ手近に稼げる所ならどこでも良かった。結果、近所に新しくできたという遊園地のスタッフの求人広告を取り出した。
時給はそれなりに高かったので面接を受けてみる。面接中、相手はずっとにこやかに笑っていた。
「いやあ助かる!採用!」
ほとんど何も話さなかったが通ったらしい。
かくして遊園地スタッフとして働くことになったのだが。
「うえええおがあざあああ」
「キーック!」
「お兄さん写真撮ってー」
子供たちを相手するのはとても大変だった。時給が高いことも頷ける。この重労働を週四で六時間。まさしく苦行であった。
遅寝遅起きのスタイルは変わらずだが、その後の重労働を思うと憂鬱になる。
唯一の好都合だったのはこれから梅雨の時期に入るということだ。予報を見る限りではしばらくは雨が降り続ける。そのおかげで客もあまり足を運ばないことだろう。
曇天よ、我に安息を。
ふいと手を伸ばしてみたりすると、今日も一日頑張れる。そんな気がする。
「何してるの、お兄さん」
黒い傘を差した女の子が近づいてきた。なんだかとても質素な服を着ている。黒い服はまるで喪服かと疑うほどに闇のように深かった。近頃はこんな格好で外を歩く子供もいるのか。
僕は体裁を戻し、彼女ににこやかな表情を向けた。
「ようこそ、美空遊園地へ。この門を通れば素敵な夢の世界が待っています、さあどうぞ中へ」
「うん、でも私は通れないんだ」
女の子は上にある天井を見て傘をしまった。髪は伸びきっていて前髪で目元が完全に隠れている。真っ黒な服はさっきまで傘を差していたにもかかわらず肩の部分が雨で濡れていた。
しばらくここで雨宿りするのだろうか、彼女はその場を動こうとはしない。
僕は結局、その子の面倒を見ることになった。今日は客足も少なかったから、手持ち無沙汰なのも気まずかったからだ。
いい加減中に入ってほしいと思い、もう一度声をかけてみる。
「中に入りなよ」
子供は首を傾けて「いいえ」をした。
「お金がないもん」
ここは遊園地だ。金が無いなどと、いきなり現実的なことを夢の世界一歩手前で言われてしまうと、とても辛い。
「ちょっと待ってて」
僕は準備室にいる上司に聞いてみることにした。子供が入場門の前で雨宿りをしている。中に入れてもいいかと。
「そりゃあ入れてあげなよ」
上司は腰をあげて窓を覗いた。さっきの女の子の姿が見える。離れて見ると少し寂しそうな雰囲気があった。
「遊園地は何のためにあると思う」
傘を探し当て、どうやら外へ出るらしい、雨の日は冷えるからと上着を持ってきた。
「えっと・・・・・・」
「子供たちを笑顔にさせるためにあるんだよ。だから君も、お客さんに対しては常に笑顔でね」
上司は設備の点検に行ってくるから、手が空いてたらあの子の案内してあげて、と言ってその場を後にした。
頭を掻いて先ほどの場所に戻る。「入っていいよ」と言うと、女の子は少しだけ笑顔になった。
「やはり、私の能力を使えばこれしきの門など、簡単に解き放てるのだ!」
子供は「はー!」と謎の念力を送る。先程までの大人しい雰囲気はどこへやら、やはり年相応の子供っぽさがあるのではないか。
さっきまでの憂鬱な雰囲気は何処へやら、その子はスキップしながら園内を歩いている。僕はその後を付いていく。ただ、それだけ。
「今日は人少ないかな」
「どうだろう、この雨だからね。誰もいないほうがいい?」
「うーん、できたら一人の方がいいかな。お兄さん、この遊園地で一番面白いところに連れてって」
「一番面白い?うーん、そうだな」
少し考えて一つ思い浮かんだ。
「ジェットコースターとか?」
ぶーっと子供は言う。少し不満そう。
「あんなの怖いだけだし」
自分の大股でも追いつけないくらい早足で子供は進んでいく。「これとか楽しそう」と言って指差した先にはメリーゴーランドがあった。
「やあ、ようこそいらっしゃい」
そこにはなんと先ほどの上司が先回りして待っていた。帽子をかぶっており、上着の肩の方はもう随分と濡れている。長いこと僕らの到着を待っていたらしい。
驚いていると「何となくここに来るんじゃないかって思ってたんだ」と言った。流石長年この仕事についていることだけある。見た感じから、その子の好きそうなものを当てることは容易いようだった。
「お嬢さん、どうぞ乗ってください」
「ありがとう!」
そう言って二人はにこりと笑った。僕はというとそれを眺めているだけである。
音楽に乗せて回っていく。メリーゴーランドは古めかしい音楽を奏でながらゆっくりと動き出す。そしてゆっくりと廻りだす。
「あはは!回ってるー!」
女の子はとても楽しそうだった。少しこの周りだけ、夢のような、メルヘンな世界へと変わっていくのを感じた。
他にもいくつかのアトラクションを回ったが、やがて歩くスピードは最初の頃より勢いを無くしていた。
「なんでずっとついてくるの」
「君ひとりだと心配だからだよ」
「もしあなたが悪い人だったらどうするの」
「ち、違うよ」
そう言ってその子は不敵に笑った。
「じょーだん」
そろそろ閉園の時間が迫っているというアナウンスと共に、園内にいたわずかな客はぞろぞろと出口へと動き出す。僕らもそっちに向かおうか聞くと、彼女は最後に展望台へ行きたいと言った。閉園まではまだもう少し時間がある。
「君はお父さんやお母さんと一緒に遊園地に来たりしないのかい」
「来たことない」
「そっか・・・・・・寂しくはない?」
「ちょっと。でも魔法使いになれる呪文も持ってるし。強いから、私」
展望台は雨に濡れて少し滑りやすくなっていた。怪我をする人が出てきそうだったから後で上司に言っておかなければと考えていると、後ろから「わあ」と歓声が聞こえてきた。
「すごーい!」
外は雨雲の隙間から夕陽が差し込んで真っ赤に染まっていた。気づけば先ほどから少しだけ雨が弱くなっていたような気がする。眩しく照らし出す外の風景に彼女は楽しんでいた。
「私、今怪物と戦ってる途中なんだ」
「怪物?」
「いっつも悪いことばっかりしてるんだ。だからやっつけないといけないんだけど。強くて歯が立たなくて・・・・・・」
そう言って少女は悲しそうに笑った。風に煽られて前髪がふわっと横に流れる。そこで初めて女の子の顔を見た。右目に眼帯がつけられている。目が悪いのだろうか。
「でもここに来てちょっと元気出た。楽しいことと嬉しいことで心が満たされて。今ならなんでもできそうな感じ」
陽が沈んでいくのを眺めていると「あーあ」と彼女は呟く。どうしたのか尋ねると。「もうすぐ終わっちゃうなーって、夢が」と閉園を憂いている。
「夢か・・・・・・」
「これは夢。現実とは違う世界。でも、それももう直ぐ終わり。帰らないと」
夕陽に照らされながらキラキラと輝く勇姿はさながら魔法少女の様相を呈していた。
「また来てもいいかな。ここに」
「いいよ。いつでもおいで」
「今度はお金もちゃんと払わなきゃね」
夢から醒めきれない少女は手を振って、現実へと足を踏み出した。
その後、片付けを終えて僕と上司は帰り支度をした。上司は汗をかきながら忙しそうにしている。この時間は決まってその日の来園数など記録をつけたりしなければならない。
「今日はあいにくの雨だったけど人来てくれたね」
「そうですね、やりがいを感じました」
「でも梅雨は始まったばかりだし、まだしばらく雨は続きそうだね」
上司はふう、と息をついて帰り支度を始めるる。お疲れ様でしたと他の従業員にも声をかけていった。僕もそれに倣い、遊園地を後にする。
しばらく上司と二人で歩きながらさっきの黒服の女の子の話題になった。子供が一人で遊園地に来ることなんて滅多にないので、上司はとても不思議がっていた。
「なんかすごい不格好な服を着てて心配なんだよ。傘も大きめの真っ黒のものだったし、とても子供が選ぶようなものに見えなかったから」
この近くに住んでいる子なのだろうか、親はどうしてるんだとか、そういう色んなことを話しながら、上司は僕に聞いてきた。
「あの子何か言ってなかった?」
「何が、とは」
「暴力を振るわれてるとか、親が家に帰ってこないとか。最近そういう事件多いからさ」
急に不安に襲われた僕らは少し急ぎ足になって彼女の行方を追った。
しかしその後どれだけ探しても、彼女の姿を見つけることはできなかった。
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